『真田丸』第38回『昌幸』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

今週も本編感想に入る前にお知らせ。

先日の徒然日記で丸会に関する伝達事項をUP致しました。8月の記事へ参加希望のコメントを下さった皆さまは、今回の内容を御確認のうえ、参加の可否について、改めてご返信下さいますようお願い致します(ご返信頂いた皆さまの分は集計済です)。スナコさんとまるるさん、ご返信をお待ちしております。日記にも書きましたが、そちらに頂いたコメントをもって正式な人数として、会場の予約を入れる予定です。締め切りは9月末日。尚、この記事をUPした時点をもちまして新規申し込みの受付は終了とさせて頂きます。何卒、御了承下さいませ。

 

さて、今週の放送で『信濃のスズムシ』『戦国の高田次』『C調大名』『ナチュラルボーンライアー』こと、真田昌幸が退場となりました。本作の真田昌幸が如何に視聴者を魅了する存在であったかは今更解説するまでもありませんが、こういうキャラクターが支持されたという事実は近年の大河ドラマの低迷に対する、一つの回答であったと思います。この辺について詳しく触れたいので、今週は前置きなしで早速MVPの発表に入りましょう。今週のMVPは勿論、この人。

 

 

1.今週のMVP 真田昌幸

 

ハッキリいって、本作の真田昌幸は札つきの乱世製造人(by司馬遼太郎)に他なりません。愛も義も太平の世も知ったこっちゃあない。我さえよかれし。全く、偽善者かねたんやぼんくら官兵衛とは異なり、今日的な価値観とはかけ離れた思考ルーチンの持ち主でしたが、一部視聴者の熱烈な支持を集めることに成功しました。勿論、昌幸を演じた草刈さんの力量が大きいのでしょうけれども、それが全ての要因か否かについては、本作の真田昌幸とGOの本多正信のどちらが視聴者の印象に残ったかを考えて頂ければ、自ずと答えは出ると思います。現代の価値観では測れない人物を描くことが歴史劇の存在意義の一つ。如何に作劇が軽いとかコメディタッチとかいわれつつも、三谷さんは押さえるべき点は押さえていたといえるでしょう。

その辺は今回の九度山編でも充分に活かされていました。次回以降、恐らくは帰国したたかちゃんの影響で真田一味は困窮に陥りそうな雰囲気ですけれども、今回は手元不如意の描写は控え目でした。作中のお兄ちゃんと三十郎の会話からも判るように、昌幸は九度山蟄居生活をそれなりにエンジョイしていたらしく、側室を三人抱えながら、お兄ちゃん宛てに『小遣いよこせ、焼酎よこせ、雪よこせ』とか無茶ぶりにも程がある手紙を送っています。物乞いや寺子屋で生計を立てていた某又兵衛や某長曾我部が聞いたら、憤怒のあまり、大坂の陣で徳川軍に奔りそうな話ではありますが、しかし、スズムシにとっては不自由ながらも安穏な生活は生き地獄でしかない。危険であっても、戦の空気を味わえない暮らしには馴染めない。今週は九度山に配流されたスズムシの死までが一気に描かれました。三谷さんの真田一族大河と聞いて、私が一番楽しみにしていたのは実は九度山編でしたから、些か残念でしたが、しかし、スズムシの為人の表現だと思うと納得できます。実際の昌幸は配流から十年余りで死去していますが、その期間を一気に描いた影響か、海水に入れられた所為で脱水症状に陥った淡水魚のように、みるみる衰弱していくように見えました。泳ぎ続けていなければ死んでしまう鮪のように、喋り続けないと死んでしまう(と評される)某タレントのように、スズムシには乱世の空気が必要であった。それを描くための超高速九度山生活なのではないかと思えました。

 

乱世でなければ生きていけない。

戦がなければ生きていく楽しみがない。

 

そんなトンデモないキャラクターが近年の大河ドラマでも一、二を争う人気を誇り、その退場を惜しまれる。この事実を大河ドラマは今後の範とするべきでしょう。現代的価値観を持ったキャラクターの全てが悪ではありません。題材となった人物の先見性を描くに際しては必要な要素でもあります。しかし、近年の大河ドラマはそうしたキャラクターの芋洗い状態でした。ナウでヤングなイケメンや美女に愛とか義とか太平の世とかいわせても、今の視聴者がついてこないことは『天地人』『GO』『ぼんくら』『おにぎり女』で実証されましたが、それと真逆の主張を象徴するスズムシが一定の支持層を獲得したことで、上記の理論の裏打ちがなされたといえるのではないでしょうか。そんな訳で今週のMVPはスズムシ。流石に今後の受賞の可能性はないと思うので、その意味でも順当な選出でしょう。

ここまでのスズムシ論で力を使い過ぎたので、以降は本編で気になった場面をチョコチョコと点描していきたいと思います。

 

 

2.諦めろ、試合終了だ

 

真田昌幸「源三郎が捨てた『幸』の字、貰うてくれんか? 真田……幸信繁」

真田信繁「……考えておきます」

 

銀河帝国二代目のアレクサンデル・ジークフリードよりも安直極まる命名。これには信繁もドンびきです。今後のサブタイからして、本作の信繁が幸村に改名するのは確定的なのですが、幸は兎も角、村が何処から出てきたのかは気になりますね。お松さんの通称である村松殿……は流石になさそうだなぁ。

さて、序盤は命名云々とか、どうでもいいことにかまけるくらいに余裕ぶっこいていたスズムシですが、家康の征夷大将軍就任~秀忠の征夷大将軍就任という慶事を耳にして、

 

真田昌幸「家康は今、浮かれておる!」×2

 

と赦免が近いのではないかとウキウキワクワクの日々。この辺はルーティンギャグを見ているようで大笑いしました。浮かれているのはおまえだろ。しかし、何年暮らせども、赦免の知らせが来ないことで、漸く家康が自分を死ぬまで蟄居させる心算であることを悟るスズムシ。九度山の人々から、隣村との諍いの加勢を頼まれた時、最初は目を爛々と輝かせていたものの、途中からは気が抜けたようになってしまいました。これは、

 

①ここでつまらない騒動を起こして、家康の心証を損ねるのを避けた

②村同士の小競り合い程度に本気になった自分の落ちぶれ加減に嫌気が刺した

③多数を破る兵法は信繁に伝える秘伝であり、ここでのネタバレは避けたかった

 

この3つのうちの何れかの解釈でいいのかな。個人的には②ではないかと思います。序盤では信繁やきりちゃんが参戦したように、村同士の諍いは双方の闘争でカタをつける、或いは信繁が人質に出向いた上杉家での場面のように鉄火起請で白黒をつけるのがスズムシの時代の解決方法でしたが、既に確固とした司法行政機関が日本の片隅の村にまで影響力を行使する時代になっている。そうした変遷を目の当たりにしたスズムシは己が時代に取り残されたことを強く実感したのではないかと思います。

 

 

3.闇の深い女

 

きり「お梅ちゃんも貴女も私みたいに垢抜けていないでしょう? 源二郎さんはそういう人が好みなの。自信持ちなさい」

「」ドゴォッ

 

真田信繫「きりに何か言われたのか? 気にすることは全くない!」

「あの人はどーでもいいんです。私、負ける気がしないから」

 

「この子が女の子なら、名は私がつけてもようございますか?」

真田信繫「もう決めてあるのか?」

「お梅。そうすれば、この先源二郎様がお梅の名を口にする時……それはこの子のことになるから」

真田信繫「」

 

おぉう、これは闇が深い。

 

闇深どころか、完全にメンヘラかヤンデレ要素が入っちゃっています。特に理由もなく、美人に好かれる点で信繁もお兄ちゃんもハーレムラノベ体質といえますが、信繁の場合は寄ってくる女性が悉く地雷系というのはどういう巡りあわせなのでしょうか。一番マトモそうなのが、実はきりちゃんという点で色々と終わっている気がします。そういえば、きりちゃんが薪割りのシーンで信繁の想い人をイラッとさせるのは二回目ですね。お梅ちゃんは幼馴染ゆえに抑えが効きましたが、春ちゃんは特にきりちゃんに好意的である理由がないうえ、ご覧の通りの闇深なので、手に持ったナタを何時きりちゃんの脳天に叩きつけるか、ハラハラしてしまいました。大坂編~関ケ原編では真田家の誰よりも輝いていたきりちゃんが、九度山編に入った途端、以前のウザさを取り戻す辺り、この子は都会で輝くタイプの女性なのでしょう。

尤も、春ちゃんは闇深というよりも、父親の刑部の死が堪えているのかも知れません。今でもお梅ちゃんを思い続けているといわれた信繁の『( ゚Д゚)ハァ?』という表情からも判るように、春ちゃんは思い込みの激しさゆえの情緒不安定な状態にあるのでしょう。普通、こういう作品では春ちゃんは悲劇の女性として描かれがちですが、本作では喜劇的な要素として盛り込まれています。そして、意図的に障子を破るシーンから察するに、治部との関係(意味深)が露見した場面の行動は確信犯であった模様。障子破りがの暗喩のように見えて仕方ありません。でも、春ちゃんの危惧も意外とマト外れではないかも。今回のラストシーン付近でも、信繁は春ちゃんに敬語を使っていますからね。他人行儀感は拭えないのでしょう。

 

 

4.諸大名の動向

 

ナレーション「上杉景勝は徳川家康に謝罪し、会津百二十万石から米沢三十万石に減封されることとなった」

上杉景勝「」Ω\ζ°)チーン

 

完全に放心状態の御屋形様。初対面で本多平八郎に睨まれたお兄ちゃんよりも凄いことになっています。二晩連続で博多号に放り込まれたとしか思えない表情。初めて本気を出した代償はあまりにも大きかったようですね。尚、今後は(本気を出す相手を豊臣家に)切り替えていく模様。何が愛と義だ、全く。

一方、勝者に与したからは板部岡江雪斎が登場。

 

板部岡江雪斎「暇かっ?」

 

と現れなかったのが不思議なシチュエーションでしたが、三谷さんは信繁に『倍返しだ』とかいう台詞はいわせないと明言しているので、そういう期待はしないほうがいいのでしょう。でも、折角、信繁の元を訪れたのですから、ここで関ヶ原の詳細や金吾の末路を語ってくれてもよかったんじゃあないでしょうか。確かに高野山は旧主・氏直の縁の地とはいえ、あれで退場では出てくる意味はなかったと思うのですが。

そして、退場組といえば、本多平八郎。こちらは戦場で傷一つ追わなかった男が、小刀で手を切ったことで己の引退と死期を悟ったという逸話を、孫を相手に竹トンボを作る場面に置き換えることで、うまくアレンジしてきましたね。御見事。本編では本多平八郎の戦場での働きぶりに関する具体的な描写がなかったので、何故、お兄ちゃんがああも舅殿を怖がるのかがイマイチ伝わらなかったですが、そこは初代ライダーが弱い訳ないだろ! いい加減にしろ! という理屈で納得することにします。

 

 

5.今週のMVP(二人目)

 

豊臣秀頼「豊臣秀頼である!」

徳川家康「ご、ご無沙汰致しておりまする」フカブカー

 

これは豊臣が勝つる!

 

いや、もう、こんな秀頼を見たら、豊臣側の面々が家康相手に籠城頑張っちゃうかと考えても何の不思議もありません。どう見ても浅井の血です。本当にありがとうございました。それくらい、頼もしさ満載の秀頼でした。『花の様なる秀頼様を鬼の様なる真田が連れて~』という、秀頼生存説の論拠(というか希望)になる里謡がありますが、本作の場合の『花』とは可憐さというよりも、一騎駆けは戦場の『花』という意味に近い骨太な華麗さという意味なのかも知れません。何れにせよ、スズムシの退場と前後して、颯爽と登場した秀頼公。そのインパクトでMVPの資格は充分でしょう。今週はスズムシと秀頼に持っていかれましたわ。

尤も、作中で何気に一番いい仕事をしたのは虎之介。『下がれ、肥後守』という家康の命令に対して家康の側に下がることで『この場の主は秀頼公である』と無言で明言するとか、この辺のツラアテの上手さは治部よりも一枚も二枚も上でした。期待していた治部の遺言が無難というか、予想通りの内容で拍子抜けしたものの、上記の場面で全て帳消しになりました。そんな虎之介は二代目服部半蔵の手にかかり、死亡。いや、どう見ても初代と同じ顔なんですけれども……。

 

 

6.スズムシフォーエヴァー

 

真田昌幸「まず、相手の前で膝をつき、頭を下げる。そして、謝るフリをして噛みつけ。喧嘩に卑怯も何もあるか。勝ったモン勝ちよ。そして、手には常に小枝を隠し持っておく。手で握りしめた時、この先っぽの固い所をちょっとだけ出しておく。これで突くのだ」

 

真田版桃太郎に続く、真田版喧嘩の極意を孫相手に滔々と語るスズムシ。相変わらず、ロクでもないことを……隠し持った小枝での攻撃方法は殆どブラッド・ウェガリーの暗器戦法と変わらん。ヴァーリ・トゥードに出てもいいとこまでいくんじゃあないのか、このスズムシは。まぁ、相手が陸奥でもないかぎり、凶器攻撃という時点で反則失格なのですが。

この場面、感想の前半で触れた九度山村の抗争の一件とは対照的ですね。あの場面では騒動を起こさず、手のうちを明かさず、落ちぶれた己を自覚したくないために口を閉ざしたスズムシでしたが、流石に孫の前ではカッコいいお爺ちゃんでいたかったのでしょう。凶器攻撃がカッコいいかどうかは意見が分かれると思いますが、それを聞いていた大助も凄くいい笑顔を浮かべていたので、この子も真田の子だなとつくづく思いました。ついでに恐ろしく情操教育に悪いスズムシの喧嘩殺法に、

 

「大助、いいことを教えて頂きましたね」

 

といっちゃう辺り、春ちゃんは闇が深いのか、それとも、真田の家風に染まってきたのか判断がつきかねるところです。

病に倒れるスズムシ。巷説では『自分は対家康の必勝の策を持っているが、それを使いこなすには信繁では役者不足である』と語ったとされていますが、本作では逆。場数が足りないと躊躇する信繁を積極的に後押ししていました。この辺のアレンジもうまいですね。

そして、死の間際で亡き信玄公の幻覚に身を震わせたスズムシ。この伏線、ここで回収するのかよ! いや、結構序盤にスズムシが唐突に信玄公の幻影を認識するシーンがあったのですが、あの時は全然ピンとこなかったのですよ。でも、今から思うと、あの時からスズムシは信玄の亡霊に取り憑かれていたのではないでしょうか。信長、秀吉、家康といった天下人たちに頑なに反抗したのも、甲斐・信濃の二カ国に固執したのも、恐らくは自分こそが信玄公の後継者であるという自負の裏返し。本作は主人公兄弟を筆頭に、勝頼、景勝、氏政、秀次、春日信達といった具合に偉大な先代のプレッシャーに抗う二代目の構図が随所に見られましたが、実はスズムシもその一人であった。否、誰よりも先代の背中を追うことに固執していた。私がスズムシ並みの脳みそと評した本作の真田昌幸の言動は、昌幸本来の気質と信玄公の亡霊が一つの肉体に宿ったがゆえのブレから起きたものではないかと思った次第です。

真田昌幸と武藤喜兵衛。真田の当主と信玄公の愛弟子。

この二つの立場と人格が本作のスズムシを善くも悪くも形成していた要素であったのでしょう。通常の人間の二倍は濃い人生を送ったスズムシの最期に相応しいお迎えであったと思います。

 

そんなホロリとさせられるラストから一転。次回予告は、

 

真田信之「全部こんな感じか?」

真田信繁「全部こんな感じです」

 

会話の主題は全然見えないのに絶対に笑うに決まっていると確信できる兄弟の会話。こんな予告卑怯ですよ。絶対次も見るもん!