日本橋公会堂にて ピエロ デラ フランチェスカの美術講演会

お世話になっている京都造形大学の通信教育用東京講義における連続講演会の一環として日本橋公会堂で本日イタリアの画家「ピエロデッラフランチェスカールネサンス絵画の君主(モナルカ)」と題し成城大学教授、石鍋真澄(いしなべますみーイタリア史)さんをお招きして公開講演が行われた。
イタリア絵画においての異端であるが今更ながらこの方の絵が注目されているというピエロデッラフランチェスカ。数学者でありながら画家であった方でルネサンス期のみにしか存在しえなかった絵画に遠近法の手法を用い後世キリコやバルティスなどにも影響をあたえた画家。
今回は彼の生まれたイタリア サン セボルクロを中心にイタリア美術史を専攻されかつ、自分がイタリア美術史を選択するのに青春時代論文を書いた石鍋真澄さんが青春時代に築いたものから三十年を経て、あらたに人生経験をつんだ見地からみたピエロ(先生はピエールと呼ばれていましたが)をジェームスバンカーが論文を約二年前にかいたことにも多少影響されてか、もう一度原点にたってみようというまたなくなられた有名な日本作家であったアリモトトシオ氏の懐古も兼ね話をされた。
 実際日経新聞の日曜版にも掲載されたようですね。それは偶然でしょう。
講演当日会場は約150名の聴講する方たちがおり、真剣に耳を傾けていたのが印象的であった。また、今回の講師であった石鍋さんのウエットに跳んだ話しっぷりというか、軽やかに素敵にピエロデッラフランチェスカさんの話をする様子が大変面白かったなぜなら、自分の人生をこの方に傾けた姿勢はもちろんのこと、イタリア文化もすべてがキリストや芸術から人の生活が根ずいていることはもちろんであるが、愛情が満ち溢れていたお話で観衆も大変こころ弾んで聞いていたように思う。
また、講演会では、絵画作品の説明を作品の誕生順に説明。そのなかでも、石鍋教授のさまざまなエピソ-ドが観衆の興味をひいた。
それはピエロさんの作品の聖母の壁画をヨ-ロッパのある場所へ展示のために持ち出そうとした。が、その町のピエロを愛する町民がみなで反対をしたというのだ。それはこの聖母の壁画が町を守ってくれていることと、聖母がいない間なにか町民にあっては大変、そして聖母の絵なので絵が留守中に妊婦や出産の女性にないかあったら大変だというので持ち出しが禁止になろうとしたのだが、実際持ち出しをされてしまった。が、不安になった町民はその作品が出張うするとき、梱包する際に、核爆弾がきても、飛行機にその作品が乗っけられて万が一墜落した場合を考えて核シュエルタ-版のようなもので梱包し万が一落ちても、人がどうであろうとその作品が無事なように、海におっことしても沈んでも大丈夫な最新の技術を駆使してできた梱包に、作品を借りた国の方が驚いたという。なんともほのぼのとしている話だ。
 また、実際ピエロデッラフランチェスカさんの作品はキリストの受難や開放などのほか作品壁画など現在確認されているものは約22点。実際20世紀のキュ-ビズム先がけなどと言われていますが、大変ピエロさんというのはなぞが多い作家であり、また、数学者である。日経にも掲載されているが数学関係の著作は3作品。「5つの正多面体理論」「算術論」「遠近法論」であるがこれにも実はピエロさんの生まれからきているル-ツがあるように思う要素がたくさんあるようだ。
 それは彼が靴職人の商人の生まれであり、そのためにたくさんの実験をしている。それは、ある商人をベネチアとロ-マに行かせ、持参金は同じで商いをどうやってきて売り上げをもってくるかを実験してみたりしているほか、ピエロさんの作品をよく見てきると、靴の部分が妙に凝って絵がかかれているのは、靴職人の生まれであったからだろうと考える。また、壁画でも面白い遊び心を発揮しており、昨日行われた作品の中には、頭に反射をいれて鏡になってる天使のような輪を描いたものや、「卵のように丸く」といわれている遠近法の技術のほかに天井から卵がぶら下がっているような絵もあるようだ。また、しばしばピエロさんの絵の中でイゼン画集の1部を見たとき、ダチョウがしばしば描かれておるようだった。そこで先日そんな疑問を持ちながら講演を聴いていたのだが、あの天井の卵は実は「ダチョウの卵」であるようだと分かったのでうれしかった。
 1450年代実際ピエロさんはあの天才レオナルドダビンチよりも上の技術をもったかたであろうといわれている。それにはイタリアの紙の技術発達も影響しているという。1412年生まれの(昔は確か1413年説があったはずですがジェ-ムズバンカ-という方が新しく説を発表した)ピエ-ルさんの時代は紙が発達していなかった。40年後の1452年、あの天才レオナルドダビンチさんは生まれた。そのとき紙の技術が発達。いわゆるデッサンは衰退の経過をたどろうとしていたが、ピエ-ルさんのデッサンや文などの構図はその紙のない時期だったために発達したといわれている。
また、もしピエ-ルさんが40年遅く生まれていたら、ピエ-ルさんという絵描きはいなかったかもしれないし、遠近法の説明は紙に印刷されてでてきたかもしれないというのだが、それはわたしとしては味気ない気もする。
 ピエ-ルさんは新しいタイプの画家であり、絵の秩序である神秘性からすこし変わった位置で出来上がった3次元方法ではなくてピエ-ルさんの感性と職人のステイタスから商人へ変わってきたルネッサンスの時期と時を同じくして、「商人文化」が基本となって作品や考え方があり、また、事物に対する敬愛というか愛情が感じられる画家さんであろうと感じた。なんだか名古屋のような大坂のような日本ではそんな感じだろうか?
 よく考えるとイタリアは商人の発達したところでもあるのだなと改めて感じた講演だった。
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