2012-05-21 22:44:02
思う事
テーマ:思う事
こんばんわ、FACEBOOKページとスポットの統合ができません、、、 Zannyの中村デス
今日は思う事をつらつらとまとまるかどうかも考えずに見切り発車したいと思います。
facebookをやっていて学生時代の友達なんかと繋がったりすると、
それこそ何十年ぶり!何て事もある訳で、
『お互い年取ったね~』なんて会話もあったりなかったりするのですが、
私の中の感覚として、年をとるというよりは年を積み重ねているという方がしっくりときます。
以前の記事にも書きましたが、自分がこういう事をやりたいと考えた事に対して
一歩一歩進んできたつもりです。
気持ちは一段飛ばしどころか空飛んでスーパージャンプをしたいけれども、
実際はそうもいかなく、特に技術職というのもあったせいか、
今の一歩が無ければその先の一歩が無いのが明白な状況だったので、
こんな事してる場合じゃないだろと焦りつつも、
こんな事さえもクリアできなきゃ先に進める訳がないと、
忸怩くたる思いで一歩を踏みしめてきた訳です。
目標に対して現状を鑑みて忸怩くたる思いを抱いているのは今も同じですが、
学生時代よりも10年前の方が格段に色々と憶えましたし、
10年前よりも5年前の方が、なお身につけましたし、独立前より今の方が
言葉にできないくらいたくさんの事を経験してきました。
かといって、別段、今がもの凄い訳でなく、
世間一般からすればどうってことない程度でしょうし、
何よりも元々が相当の能無しだった物ですから。
たまに、学生時代や若かりし頃に戻りたいという言葉を耳にしますが、
そんなこんなでやっとこ今の自分に辿り着き、まだまだ先も見えないぐらいだっていうのに、
戻りたいなんてこれっぽっちも思わないと思ってしまいます。
一つの考え方なので正しいとか間違ってるとかっていう事ではないのですが、
昨日より今日を、今日より明日をより良くしたいと考えている方が、
物事が建設的ですし、人生や生きるという事に対してポジティブなポジションで
いられると、個人的には思っています。
ですので、こうやって積み重ねた人間であるからにはどこか一部を切り取って
その人の人間性を判断するというのはまったくもってナンセンスだなと思う次第であります。
一人一人の人間は皆それぞれのいろんな時間を積み重ねてきた訳です。
だからその人というのはある一面ではなく全面な訳です。
なんか言い方おかしいですけど、全部でその人なんです。
例えば、誰かの発言を聞いてその発言だけでその人を判断するというのは、
まったくもってバカなんじゃねーか、という事です。
何が言いたいかと言うと、震災以降の状況に関してですが、
現状を知る為に今なお色々と情報を集めたりしてます。
今、いったいどういう状況なのかと。
特に原発問題に関してですが、ここで、賛成、反対を言うつもりはありませんが、
大反対ですけども、どちら側の発言にしろ、何なんだろうなと思う事がある訳で。
テレビ番組やニュースもそうですし、ネット上、特にツイッターはひどいですよね?
なんというかそもそも議論にもなってないし、タダのけなし合いみたいな不毛な物が、、、
ま、一部の人なんでしょうけども、いかんせん、目立ちますな。
テレビでの報道もひどくて、意図的にあからさまな編集やら、なんやら。
これは今に始まった事ではないというのは理解できたのですが、それにしても
テレビも新聞もこんなにひどいとは思っても見ませんでした。
これまた、もちろん全てではないですよ。
きちんとした姿勢で報道を全うされてる所もあると思います。
ただ、思ってたよりもひどいなと、ここ一年で痛感した次第です。
メディアという物は時間なり字数なりの制約のある中での報道となるので
編集が不可欠なのはもちろんですが、編集の仕方一つで、まるで印象が変わってくる訳ですよ。
ある人のインタビューで5分くらい喋っていたとすると、3分目ぐらいに話している事は、
前後の脈絡があっての表現だったりしますよね?
それを前後ぶっこ抜いてそこだけピックアップしたら
間違った解釈なんていくらでもできてしまうでしょう。
別に意図的にそうしていない場合もあるかもしれませんが、
ある方向性に導く解釈を与える、におわす事は編集で可能であると。
別段、今だからという事ではなく、以前からもメディア論的な見地から
このような事は言われていた事とは思いますが、
いざ、目の当たりにすると結構、驚愕ですよね。
しかも明らかにあからさまな物だとなんでそこ迄するの?という疑問の答えを探してしまいます。
ただ、事実が知りたいと思って色々と見たりしているのですが、
なんだか色んな事が見えたり見えなかったり、、、
ここで、賛成、反対を言うつもりはありませんが、
大反対ですけども、賛成派の人の意見だって理路整然として一理あるなと思える事もあるのに、
感情論であげ足とっても何の進展も無いでしょうよ。
今の状況って逆に言えば、近年、
市民がここ迄政治に感心を寄せるという事は無かったんじゃないでしょうか?
多くの人が、今自分に何が出来るかを考えて行動しているこの状況で、
より良い結果に辿り為には、発言の一言、一文で決めつけるのではなく、
言葉の前後や文章の流れ、ひいては発言の真意をしっかりと考えるというのは
最低限必要な事なんじゃないでしょうか?
という、アンティークとは全く関係ない、とも言えなくない内容で失礼いたしましたが、
つらつらと思う事を書かせて頂きました。
長文、お付き合い頂きありがとうございました!
この内容がアンティークとは全く関係ない、とも言えなくないとう事に関しては、
また、明日以降に書こうかなと思います。
ではでは!
硬い内容でしたので銀閣寺のコケ的な物で許して下さい。

今日は思う事をつらつらとまとまるかどうかも考えずに見切り発車したいと思います。
facebookをやっていて学生時代の友達なんかと繋がったりすると、
それこそ何十年ぶり!何て事もある訳で、
『お互い年取ったね~』なんて会話もあったりなかったりするのですが、
私の中の感覚として、年をとるというよりは年を積み重ねているという方がしっくりときます。
以前の記事にも書きましたが、自分がこういう事をやりたいと考えた事に対して
一歩一歩進んできたつもりです。
気持ちは一段飛ばしどころか空飛んでスーパージャンプをしたいけれども、
実際はそうもいかなく、特に技術職というのもあったせいか、
今の一歩が無ければその先の一歩が無いのが明白な状況だったので、
こんな事してる場合じゃないだろと焦りつつも、
こんな事さえもクリアできなきゃ先に進める訳がないと、
忸怩くたる思いで一歩を踏みしめてきた訳です。
目標に対して現状を鑑みて忸怩くたる思いを抱いているのは今も同じですが、
学生時代よりも10年前の方が格段に色々と憶えましたし、
10年前よりも5年前の方が、なお身につけましたし、独立前より今の方が
言葉にできないくらいたくさんの事を経験してきました。
かといって、別段、今がもの凄い訳でなく、
世間一般からすればどうってことない程度でしょうし、
何よりも元々が相当の能無しだった物ですから。
たまに、学生時代や若かりし頃に戻りたいという言葉を耳にしますが、
そんなこんなでやっとこ今の自分に辿り着き、まだまだ先も見えないぐらいだっていうのに、
戻りたいなんてこれっぽっちも思わないと思ってしまいます。
一つの考え方なので正しいとか間違ってるとかっていう事ではないのですが、
昨日より今日を、今日より明日をより良くしたいと考えている方が、
物事が建設的ですし、人生や生きるという事に対してポジティブなポジションで
いられると、個人的には思っています。
ですので、こうやって積み重ねた人間であるからにはどこか一部を切り取って
その人の人間性を判断するというのはまったくもってナンセンスだなと思う次第であります。
一人一人の人間は皆それぞれのいろんな時間を積み重ねてきた訳です。
だからその人というのはある一面ではなく全面な訳です。
なんか言い方おかしいですけど、全部でその人なんです。
例えば、誰かの発言を聞いてその発言だけでその人を判断するというのは、
まったくもってバカなんじゃねーか、という事です。
何が言いたいかと言うと、震災以降の状況に関してですが、
現状を知る為に今なお色々と情報を集めたりしてます。
今、いったいどういう状況なのかと。
特に原発問題に関してですが、ここで、賛成、反対を言うつもりはありませんが、
大反対ですけども、どちら側の発言にしろ、何なんだろうなと思う事がある訳で。
テレビ番組やニュースもそうですし、ネット上、特にツイッターはひどいですよね?
なんというかそもそも議論にもなってないし、タダのけなし合いみたいな不毛な物が、、、
ま、一部の人なんでしょうけども、いかんせん、目立ちますな。
テレビでの報道もひどくて、意図的にあからさまな編集やら、なんやら。
これは今に始まった事ではないというのは理解できたのですが、それにしても
テレビも新聞もこんなにひどいとは思っても見ませんでした。
これまた、もちろん全てではないですよ。
きちんとした姿勢で報道を全うされてる所もあると思います。
ただ、思ってたよりもひどいなと、ここ一年で痛感した次第です。
メディアという物は時間なり字数なりの制約のある中での報道となるので
編集が不可欠なのはもちろんですが、編集の仕方一つで、まるで印象が変わってくる訳ですよ。
ある人のインタビューで5分くらい喋っていたとすると、3分目ぐらいに話している事は、
前後の脈絡があっての表現だったりしますよね?
それを前後ぶっこ抜いてそこだけピックアップしたら
間違った解釈なんていくらでもできてしまうでしょう。
別に意図的にそうしていない場合もあるかもしれませんが、
ある方向性に導く解釈を与える、におわす事は編集で可能であると。
別段、今だからという事ではなく、以前からもメディア論的な見地から
このような事は言われていた事とは思いますが、
いざ、目の当たりにすると結構、驚愕ですよね。
しかも明らかにあからさまな物だとなんでそこ迄するの?という疑問の答えを探してしまいます。
ただ、事実が知りたいと思って色々と見たりしているのですが、
なんだか色んな事が見えたり見えなかったり、、、
ここで、賛成、反対を言うつもりはありませんが、
大反対ですけども、賛成派の人の意見だって理路整然として一理あるなと思える事もあるのに、
感情論であげ足とっても何の進展も無いでしょうよ。
今の状況って逆に言えば、近年、
市民がここ迄政治に感心を寄せるという事は無かったんじゃないでしょうか?
多くの人が、今自分に何が出来るかを考えて行動しているこの状況で、
より良い結果に辿り為には、発言の一言、一文で決めつけるのではなく、
言葉の前後や文章の流れ、ひいては発言の真意をしっかりと考えるというのは
最低限必要な事なんじゃないでしょうか?
という、アンティークとは全く関係ない、とも言えなくない内容で失礼いたしましたが、
つらつらと思う事を書かせて頂きました。
長文、お付き合い頂きありがとうございました!
この内容がアンティークとは全く関係ない、とも言えなくないとう事に関しては、
また、明日以降に書こうかなと思います。
ではでは!
硬い内容でしたので銀閣寺のコケ的な物で許して下さい。

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