慰霊の日・gの意見

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gの意見

 ・・・日本国中に広がることは難しいのではないかと考えています。何故、日本中に広がる必要があるのか?
それは、今国がそういう方向に向かっているからです。

    健やかな子どもたちを育てていくための法律『教育基本法』が改正されました。
    いや、改正というよりも改悪と呼ばなくてはいけないと私は思っています。
    戦前の教育と同じように呼び方は変わったものの「国を愛する心」という文が入っています。
    国を愛する心がないから、自分勝手に行動し、理性を抑えきれない、キレる子どもが増えている、という主     張からです。
    けれども、国を愛する心なんて法律で強制するものではないんじゃないでしょうか?子どもたちが国を愛す ることができるかどうかは、その国を造る人たち、そして国民にかかっています。


    それまでは動かなかった国を動かしました。

    長く、よく分からない文章になってしまいましたが、少しでも多くの方が自分たちの将来を本気で考えて、 私自身も含めて国(中央)を動かせるような国になればいいな、と考えています。
     ・・・頭にあり、行動するのと
       頭になく、行動しないのでは
       違うのでは?


(引用開始)

今日6月23日は「慰霊の日」

沖縄では公休日になっていて8月15日の終戦記念日と同様、12時になるとウートートー(黙祷)します。

この戦争を経験した人は当時成人を迎えた人で82歳、その時産まれた人でも62歳を迎えます。

このまま年月を重ねていって戦争を経験した世代の人達がいなくなり、この悲しい惨劇も風化していくのを考えると寂しくなります。

12時にみんなで黙祷しましょうだとか宗教じみた事は言いません。

せめてこのを閲覧してくれた人には沖縄にはこんな悲しい過去があったってのを知ってもらえたらなって思い立てをさせていただきました。


沖縄は日本で最大の戦争被災地。

広島、長崎、東京もそうだけど、1番辛くて悲しい、痛ましい被災地は沖縄。

自分も聞きました。

沖縄の戦地から奇跡的に帰還された方のお話を。

もう80代です。
足には「曲がり辛い」症状が片足だけある、と。
理由は、

 戦地で敵の銃弾が足に…。

兵士の方もそうですが、住民の方達も言葉では言い表せない程、悲惨だった、と。

沖縄の友人は、あえて話そうとしません。
あまりにも悲惨な過去だから…。
言葉に出せない位に悲惨すぎて自分が話すなんて身分違いだ、と言ってました。

それ位に沖縄は地獄の戦場地だった…。

自分もそう思いました。
犠牲になられた方のご冥福を心からお祈りいたします…。


以前、旅行会社に勤務していたとき、修学旅行に添乗してましたが、平和学習プログラムがありました。
この時期は修学旅行シーズン。この日、または前後の日には必ず平和の礎に行き、ひめゆりの塔に行き、平和ガイドさんと共にヌママチガマや糸数壕などに行き(クラス毎に分散)、米須海岸に降り、夜はホテルにお招きした元ひめゆりの方々の講演を聞く。佐喜眞美術館に行き絵画を鑑賞しながら館長さんの話を聞く。安保の丘に行く。
というのがこの時期は毎週続き、毎年続きました。なのに、いつの講演でも添乗員なのに生徒と一緒に涙してしまいました

以前にひめゆりの塔に行ったときに、元学徒のおばあの話を聞きました。
戦争で身を投じることも、生きて戦争を語り継ぐこともとても勇気のいることだと思います。
そしてそんな悲しい戦争を経験しているからこそ、沖縄の人々のやさしさは生まれたのだと思います。

私は今21歳で沖縄が大好きです☆沖縄は本当にキレイで優しい人がいて、とても暖かいです☆でもその裏側には悲惨な戦争があって、私も沖縄の映画や、テレビで沖縄の戦争の事を知りました。こんなにも辛い過去があるのに、沖縄の人はめげずに、自分の島を本当に愛していてすごいと思います。

毎年、沖縄旅行に行っています。
前回は旧海軍司令部壕に行ってきました。まだ子供達は
戦争を理解できる年齢ではないですが…。
唯一地上戦が行われ、民間の方も数々犠牲になったと聞きます。悲惨な戦争を二度と繰り返さない為に、伝えられる人が「戦争」を伝えていかなければと思います。

去年の慰霊の日の翌日に行った時の模様です。
http://okiguru.seesaa.net/article/19823405.html

東京からも沖縄に向かって、
御霊に合掌・・・・

ノーモア・オキナワ!

12時まわりましたね。
私も名古屋から黙祷しました。
テレビや本で語られてることはほんの一部。
まだ一人で沖縄へ行ける歳じゃないけど、
いつか自分で行って、本当の悲惨さを知れたらいいなと思っています。


私はたまたま増上寺近くにいたので、お参りしてきました。沖縄戦とは関係ないお寺ですが…。
先週中野で「ひめゆり」を見てきました。全世界の方に見て欲しい映画です。

戦争って、絶対に嫌ですよね
なくなって欲しいですよね
「仕方ない…」なんて言わないで欲しいですよね

一人でも多くの人にそう思って欲しいです。

自分は4月後半に沖縄に高校の修学旅行で行きました!
そして、ひめゆりの講話や糸数壕などで戦争について聞きました。自分が思っていた事よりも、もっともっと酷く残酷でした。それ以来、かなり戦争について考えや想いが変わりました。
今、自分は東京にいるけれど、場所は関係なく黙祷しました。
もう二度と起きてほしくないと思いました。

初めまして。
宮古島のロックフェスティバルに参加中です。
フェス開始前に全員で黙祷しました。

沖縄の方々が反発している教科書検定についても、しっかり考えるべきだと思います。当時の教育が、あのような結果に追い込んだのは間違いないと・・
そして、60年を過ぎて戦争のことをまったく知らない自分達がもう一度過ちをしないようにしっかりとした情報を!戦争ということを忘れてはならないことを学ぶ必要はあると思います。
少しでも平和な世の中になることを信じたいです。それと沖縄の海がこれ以上、米軍基地によって破壊されないように願います。

アンニョンハセヨ  こんにちわ

 私は、3月に沖縄に次女と行き、今日の式典のあった場所も訪れました。

 その時の様子は日記にも書いているんですけど、今日は、また私が書ける範囲で日記を書きました。

 皆さん高齢化された今、これから伝えていくのは私達ですよね。

 地元ではないし、まだまだ勉強は足りません。いろいろ教えてください。


こんばんわ。
昨日見たテレビで「おばぁが語る集団自決」というのをやっていました。
もちろん教科書検定にからんだ話でした。
問題は自害を自らしたのか強要されたのかということ。
中には自分の意思で亡くなられた方もいるでしょう。
でもそう思い込ませたのは当時の教育であり国家なのです。
それを文科省という政府の意思が反映されるような機関によって国は悪くないという風に変えられようとしています。
歴史は繰り返すしかないのでしょうか?

黙祷させていただきました。

おしえてくだすって、ありがとうございます。


初めて沖縄で過ごす慰霊の日。
ちょうどひめゆりの塔の近くでエイサーの練習中だったのでメンバーみんなで12時に黙祷しました。
戦争のない平和な世界が早く訪れますように(-人-)


そうですね。
学んでそして覚えて、繰り返さないこと、が今の私たちにできる一番のことですね。


願わくは戦争(特に沖縄戦のような悲惨な戦闘)が二度とおきませんように。


『沖縄』を知らずに大人になり、沖縄に行く様になって、沖縄の方に話を聞き、今ある沖縄を少し知りました。
いくら知っても、沢山の事を抱える沖縄は、到底想像に及びません。
喜びも、哀しみも全てを含んで今を生きる沖縄。(ですか?)
それが、愛して止まれぬ所以でしょうか。


あと、看護学生の方は以下のことをご存知でしょうか?

1、女学校(今の女子高)から日本軍に強制的に動員され、当時からいっても低度な看護教育しか受けていなかったこと

2、そんな低度な教育しか受けていなかったわけだから当然適切な治療を負傷兵にできなかったこと(特に重傷兵は使い物にならないとかで戦場に放置されたり日本軍によって処刑されています)

3、
治療をおこなった場所も施設の整った野戦病院などではなく、真っ暗な洞窟などの衛生状態が劣悪でしかも戦場のど真ん中であったこと

旅行に行った際に沖縄戦のことを語っている場所にもいったのですが知りませんでした。
教えていただきありがとうございます。
私も語り継がれることが難しくなってきたこの現状は残念に思います。どうにか語り継いでいきたいものですね。

たしかこないだのクローズアップ現代でも、取りあげられてましたよね?!ずいぶん前にひめゆりのドラマを放送されていたのを思い出しながら、クローズアップ現代を見てました。正直怖かったけど、実際にあったこととして受け止めなきゃいけないことを痛感しました。
うちらにとって戦争は経験したことがないことだけど、過去に日本で唯一戦場となった沖縄でのことはこのまま風化させることなく、自分達がこれからの世代のコ達に伝えていかなければならないんじゃないかと思わせていただきました。


わたしの祖父の弟さんは北海道出身だったのですが、まっさきに沖縄に送り込まれたそうです。
そして戦争が一番激しい南部でお骨もわからず、第二次世界大戦の時になくなられました。
わたしは沖縄が好きで4度ほど本土ばかりうかがわせていただきましたが、亡くなった祖父の弟さんの名前が彫られている県別の慰霊碑にお祈りしてきました。
綺麗な海と空が広がるところで、沖縄の3分の1の人が戦争という虐殺により、無残に亡くなりました。
今日偶然にも灰谷健次郎さんの「
太陽の子 (角川文庫)/灰谷 健次郎
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」を呼んでいたのですが、沖縄の歴史が盛り込まれ、いままで知らなかったことにショックを受けました。
歴史を繰り返してはいけない。
わたしたちは、亡くなった方の分ももっと自分たちを大切に、そして平和の大切さ、当たり前に生きれることの奇跡をもっと感じなくてはいけないなと深く感じ入りました。
ご冥福をお祈りいたします。
そして私たち一人一人のこころをどんどん素晴らしいことにクローズアップして、お互いを大切にしていきましょう。
こんなにも沖縄の事を知ろう、戦争の悲惨さを知ろうとする人の多さにビックリしています
そしてこんなにたくさんの方が沖縄を好きなんだなと感動しています
嬉しいです
しかし身の周りにはまだまだ知らない人がいっぱいいるでしょう…みんなで戦争の悲惨さを伝えていければと思います
初めて書き込みします。
私は2年前に修学旅行で沖縄へ行きました。
その時に平和学習ということで、実際に壕に入ったり、ひめゆりの塔へ訪れたり、沖縄戦を体験なさった方のお話を聞きました。
そこで見たもの聞いたもの、すべてが衝撃的で言葉を失いました。
特に壕に入った時は「本当の暗闇」を体験し、とても人が住める場所ではないことを実感しました。
そして今もまだ壕の中に眠ってらっしゃる方がたくさんいると知り、涙が出ました。
戦争はどんな理由があろうとも、絶対に起こしてはいけません。
近い将来、地球から「戦争」という言葉がなくなりますように。
長々とすみませんでした。
6月23日はあくまで沖縄守備隊司令部が降伏を拒んで自決(自殺)した日です。司令部は自決に当たって全軍に降伏ではなく徹底抗戦を命じており、それ以後は泥沼のゲリラ戦となります。
沖縄での戦闘は日米で終戦調印がされた8月15日を越えて続きました。

沖縄守備隊と米軍との間で最終的な終戦調印がされたのは9月7日です。
昨日12時にうートートーしました・・・

毎年6.23ゎ晴れているょうな気がします。。。
何か平和な感じがしました。。。

沖縄県以外の人にももっと関心を持っていただきたいです(❀ฺ´∀`❀ฺ)ノ
私は昨日、北松戸の「若夏」で慰霊の日ライブに参加しました。

黙祷をして、ウチナーミュージシャンの歌を聴いて、大切な人がいつでも笑顔でいられることを願いました。

二度と戦争という悲劇が起きないことを願います。私が知らないことはまだたくさんあるけれど、この日を忘れません。
今年の4月、ひめゆりの塔を訪れました。そんなに昔のことではない。胸にいろいろな思いをしまって帰ってきました。
私は調度家族で大好きな沖縄に22日まで旅行に行ってました。
旦那とまだ結婚をする前にひめゆりの塔、平和記念館に訪れて…涙が止まらなかったことを思い出しました。
なぜ人は戦争という殺し合いをするのか…
なぜ罪もない市民を簡単にも殺せるのか…
沖縄でのこと…知れば知るほど悔やまれて怒りが込み上げて涙が溢れました。

沖縄を訪れる人には沖縄の綺麗なとこだけを見てきて欲しくないです。
決して私達は忘れてはいけないと思います。
二度とあんなこと繰り返さないように…

一歳の娘が大きくなってまた沖縄へ行く時には沖縄の全てを教えてあげたいです。
私は広島、長崎など戦争ものの資料が怖くて怖くて、平和学習は正直嫌でした。高校の修学旅行でひめゆりの塔と糸数壕に行ったのですが、あの恐ろしい暗闇以外覚えていません。
19歳の時初めて一人旅で沖縄に行ったときに、一人で怖かったけど勇気を出して平和祈念資料館に行きました。怖くて目を伏せてしまった所もありました。でも自分と同じ歳の女性が同じ国の兵隊に銃剣で刺されている写真はずっと目に焼き付いています。
翌年にもう一度ひめゆりの塔に行って、泣きながらだけどやっと向かい合えました。
まだまだ知らないことも多いし、めちゃくちゃ怖かったけど知ってよかった。今やリゾートの沖縄の海の色が昔は黒や赤に染まったこと。壮絶な歴史を経てもなおある沖縄の優しさ。
何度でも行こうと思います。
自分は23日、都内で仕事中でした。
こっそりウートートーしたんですけど、
12時には間に合わなかった…。汗

少しづつだけど、沖縄のことを学んでいきたいと思います。
私は沖縄のことが大好きです。
何度行っても飽きないし、沖縄の海や自然に、
いつも心から癒されています。

でも、沖縄のことを考えるときに、
戦争のことを抜きにしてはいけないと思います。
このを見て、
沢山の人が、沖縄で起きたことについて考えて、
戦争は嫌だと思っているんだと知ることができました。

はじめまして。全ては知らないけれど、多くのことを含めて沖縄の全てが大好きです。まだまだ知らないことはたくさんあるけど。。。

私が初めて沖縄に行ったのは、小学校のころでした。
そのころは、「戦争は怖いな」ぐらいにしか思っていなかったけれど、父も母も沖縄が大好きで、父は行くと必ず、
南部-平和記念公園・旧海軍指令部壕・摩文仁の丘・ひめゆり平和祈念資料館-に連れて行ってくれました。それがあったおかげで、私は沖縄についてもっと知りたいと思うようになりました。

周りの友達は、沖縄の話をすると、海とか、遊ぶことしか言いません。戦争に関するところへ行こうとはいいません。
悲しくて仕方がなかったのですが、このを見て、
同じように考えている人がいることで、少し希望が持てました。

いつか、テレビで見たことがあるのですが、「沖縄が、命どぅ宝だといい続けるのは、あの戦争を、全島民が体験したからだ」と。
慰霊碑に伯父の名があります。
うちの家族には特別な場所です。
私の祖母は宮崎に疎開する時にあの『対馬丸』に乗る予定だったようです。
でも対馬には乗らず別の船に乗り無事疎開する事が出来たそうです。そう考えるともし祖母が対馬に乗っていたら今の私は存在していないのだと感じると戦争の恐ろしさと同時に先祖への感謝が生まれました。
先々週、初めて沖縄にいき「ひめゆりの塔」へいきました。
最初は悲しい気持ちでいっぱいでしたが、東京に帰ってきてから紀伊國屋などで沖縄戦について詳しく知りたいと思いました。
知れば知るほど涙がでてきます。
朝鮮人慰安婦のことや、スパイ容疑で日本軍に虐殺されたことなど全く知らなかった。

ただアメリカに沢山攻撃されたんだ くらいしか知識がなかったので、自分の育ってきた日本のあり方について改めて考えさせられました。

今週も沖縄に行くのですが、糸数壕へ行く予定です。
青い海や沢山の花、空も大好きですが、色々勉強してからて行く沖縄も、また違った感情が生まれると思います。
私も含めて本土の人達はほとんど(沖縄)=(楽園)ばかり思ってる気がしますね。

今日はしっかり考え祈りましょう。
私の伯父の名前も平和の碑に刻まれています。
長男を沖縄戦で失った祖母は、その50数年後、今まさに自分が死のうとする寸前まで、戦死した長男を悼んで泣いていました。
よく「死ぬまで忘れない」と言いますが、50年経とうが100年経とうが、愛する者を喪った(しかもこんな悲惨な形で)哀しみは消えないし終わらないものなんだと、祖母を見ていて痛感しました。
もう絶対に、これ以上新しい悲しみや絶望を増やさないで欲しい!
私も慰霊の日には黙祷を捧げたいと思います。
4日に糸数壕行ってきました。
床にうまった健康な歯などもあったり、戦争の悲惨さを感じました
荒崎海岸もいきました。手をあわせてきました(>_<)
楽しくて素敵な島だけど、知れば知るほど、悲惨で悲しい歴史が痛くて胸がいっぱいになりました(>_<)


この様なを作ってくれた方に感謝します。

私は、現在沖縄在住の26歳ですが、これから話すことは私見になるかもしれませんが、私自信とても大事なことだと感じているので書かせていただきます。

沖縄は昔、唯一の地上戦があり、県民、国民、外国人問わず多くの人間の命が失われました。そのことは、沖縄県民なら誰しもが平和学習で教わってきた事実であり、とても悲しい歴史です。

そして、当時戦争を経験した方たちは、現在高齢者であり、沖縄でも戦争の事実が風化するのではないか、という懸念があります。だからこそ、私たち若い世代が沖縄の歴史を学び将来の沖縄、日本を担う子どもたちに受け継ぎ、二度と起こさせないということを教えなければいけません。

けれども、それだけでは沖縄の中だけで受け継がれ、日本国中に広がることは難しいのではないかと考えています。何故、日本中に広がる必要があるのか?それは、今国がそういう方向に向かっているからです。

健やかな子どもたちを育てていくための法律『教育基本法』が改正されました。
いや、改正というよりも改悪と呼ばなくてはいけないと私は思っています。
戦前の教育と同じように呼び方は変わったものの「国を愛する心」という文が入っています。
国を愛する心がないから、自分勝手に行動し、理性を抑えきれない、キレる子どもが増えている、という主張からです。
けれども、国を愛する心なんて法律で強制するものではないんじゃないでしょうか?子どもたちが国を愛することができるかどうかは、その国を造る人たち、そして国民にかかっています。

沖縄で県民大会が開かれたとき、10万人以上の人間が集まりました。本土からも多くの方が、応援にやってきました。正直嬉しく思いました。
多くの方が沖縄に関心を持って、平和を求める心を持ってるんだ、と。
そして、それまでは動かなかった国を動かしました。

長く、よく分からない文章になってしまいましたが、少しでも多くの方が自分たちの将来を本気で考えて、私自身も含めて国(中央)を動かせるような国になればいいな、と考えています。
ひめゆりの塔は有名ですが慰霊の日には、その当時沖縄戦に強制参加させられた色んな学校の慰霊祭が今でも行われて居ます。

ただ残念な事に同窓生が中心となり行われてる関係で年々人数が少なくなり中には、慰霊祭が無くなった学校も有り!残念でなりません。

悲惨な戦争の歴史を今一度皆さんが考えてくれる様に慰霊の日には恒久平和を祈念しましょう。
慰霊の日のことは内地の人間でどれだけの人間が知っているかは疑問ですが、一人、一人と広まって行けば良いと思います。

今の日本は戦前の・・・?
大学生の時、沖縄の人と知り合って初めて「慰霊の日」の存在を知り、6/23には黙祷するようになりました。
今年の2月にはひめゆりの塔にも行き、あまりの悲痛さに涙が止まりませんでした。

これからはより一層の平和と、歴史が忘れ去らないことを祈って黙祷したいと思います。
朝からニュースなどでやってましたね。


皆さん、正午に黙祷しましょう。
慰霊の日ですね

うちの母は戦争体験者です。逃げ回ったそうです。

母の母校の白梅の塔に戦死した学徒が刻まれています。


平和のいしじには、おじいさんと曾おじいさんの名前が刻まれてます。

戦争は二度と起こしちゃいけない
恒久平和を祈ってます
このを上げてくれてありがとうございます。

昨年の沖縄出張の時に回った激戦地の慰霊碑や平和の礎などを思い出しつつ、黙祷させていただきました。
12時に黙祷しました。
戦争は、いけません。私の祖父は、原爆にあったせいで早くになくなりました。
広島の原爆の日も黙祷を欠かしたことはありません。沖縄とは違った被害のあいかたですが、広島にもあちこちに記念碑や原爆のつめあとがあります。

皆さんもよかったら、広島の原爆の日も、黙祷して下さい。
上げありがとうございます。
正午には間に合いませんでしたが、黙祷の時間を
作りたいと思います。
私に出来る事はそれほど多くないのかも知れませんが
忘れないこと・伝えること・祈ることは続けてと思います。
私は東京在住ですが…東京で一番沖縄な場所…銀座わしたショップでショッピング中でしたので…店内放送があり、皆さんと一緒に黙祷しました。
お知らせありがとうございました。
毎年内地に居てもこの日だけは覚えています
何かしら思い出します
沖縄の血が流れているんだな~
しかし沖縄の終戦や当時がどれほどの悲惨な現状だったか…私も子供の頃小学校の先生に聞いただけ、またひめゆりの写真や沖縄戦の写真屋フィルムを見ただけで経験はないのですが、内地の子で知らないと言うのはこれから勉強してね!お願い!!
と言えますが、地元沖縄でも知らない又は関心がない子がいると言うような事を聞きました?!!
聞き間違いであることを切に願います
最初に。
謹んで黙祷申し上げます。

少し前になりますが、
昨年から東京で長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」を観ました。
ひめゆり学徒隊の生存者さんの貴重な真のお話を知る事が出来ます。
(中には映画公開を待たずに他界してしまわれた方も既にいらっしゃいます)
http://www.himeyuri.info/

とても内容の濃い映画であり、思い出すだけで心が震えてしまうような内容です。
到底わたしの拙い言葉でこの映画のことを語ることはできません。

まだこの観た事が無い方、
こちらにアクセスして下さっている方々お一人お一人にぜひご覧になって頂きたい作品であります。

映画の上映後に製作者側さんが、

この映画のDVD化は今のところ無いので
ぜひ映画館に足を運んでいただいて観ていただきたい。

というお話をされていました。


全国各地での上映日程もありますので是非時間を作って足を運んで観てください。
http://www.himeyuri.info/howto.html

決して教科書には載っていない真実、
今まで知らなかった事実がたくさんありました。

*会場で販売されているリーフレットには映画では伝え切れなかった、
元ひめゆりの方々からの貴重なメッセージが載っています。
謹んで黙祷申し上げます。
忘れてはいけませんね。沖縄だけでなく今でも世界では争いがあり、多くの人々や子供達が犠牲になっています。
世界中から戦争がなくなるように願うばかりです。
けっして忘れてはいけない日ですね。。
謹んで黙祷致します。戦争の愚かさを伝え続けていくことは大切なことですね。
今日沖縄に到着。

楽しみにして参りましたが、この美ら島・沖縄は多くの犠牲のもとにあることを忘れちゃいけないと思います。

ワタシはあさって祈念公園とひめゆりに参ります。
東京の女ですが…

今では戦争なんかなぃ!
と.皆さん無関心になっていますよね.

当時20歳の方が今は80歳ですか…早いですね.

東京からあたしも
手合わせます.

そして亡くなられた方に…
沖縄を見守ってて下さい.
こんな事しか言えなくてごめんなさぃm(__)m
悲しいけど目を背けてはならない歴史だと思います。沖縄へ行くと胸が痛くなるような戦争の傷跡がのこっていますが、そこから学び、私たちは平和、全ての人の命を守っていかなきゃだめだと思っています。
東京の空の下から、亡くなられた皆さんの御霊が少しでも安らかである事と、
歴史を受け継ぐ私たちが、二度と同じ過ちを繰り返さないように祈念します。
うちなんちゅーでも、おじー、おばーと呼ぶのは親しい間柄だけなんですよ。普通は、おじーさん、おばーさんと呼んだ方がいいかと。
この日だけでなく、日々感謝することが大切なんですが、なかなかそうもできません。
攻めてこの日だけでもと思って居たのですが、仕事に追われて12時に黙祷をすることもできませんでした。

平和の時にこそ平和を考える必要があると自分は感じています。
10年前に亡くなられたひめゆり学徒の方々の写真パネルを見た時、涙が止まらず体が震えて動けなくなりました。
黙祷。
とてもあたしたちにはわからない苦しみを、あじわったと思います。あたしはナイチャーやけど、沖縄の歴史を本気で語りつぎたいと思うし、若いから関係ないぢゃだめだと思う。
大好きな沖縄を守っていくために、大切なことやと思う。
もう出ていたらごめんなさい。
携帯からなので、遡るの大変なので。

皆さん、ドキュメンタリー映画『ひめゆり』はご覧になりましたか?

戦争体験者(ひめゆり学徒)の証言なのですが、生々しい証言、苦しい思いがすごく伝わってきます。
まだの方、ぜひ見てみてください。

m(_ _)m
沖縄がスキと言っては何度も足を運び,
平和記念公園やひめゆりの塔にも何度も行きましたが,
6月23日が慰霊の日と呼ばれるコトは
今回初めて知りました。

大阪から
12時ちょうどに
沖縄の方角に向けて
黙祷させていただきましたが,
沖縄について
まだまだ知らないコトだらけの自分にも気付かされ
もっともっと勉強したいと思いました。

そして
もっと深くまで沖縄を知ったうえで
ダイスキと言えるようになりたいです *
俺らのような若い世代が後世に戦争のことを伝えなければなりません。

これは義務だと思ってます。



ずっと平和が続きますように
中東の人が「テロ」⇔「戦争」の憎しみの連鎖に歯止めをかけられないのに…

戦争を憎んでも、アメリカを憎んでいる日本人は少ないです。

この事は、凄く大切だと思います。

「罪を憎んで人を憎まず」「戦争を憎んで国を憎まず」

今の華やかなイメージの沖縄の地に、悲しい歴史がある事をしっかりと伝え、かつ「憎しみの連鎖」は断ち切る事が大切だと思います。
 沖縄返還してから35年・・・

沖縄のこと、日本の身近な歴史をもっと理解するべきだと思う。

 沖縄はすごく大好きな場所。
綺麗なだけじゃない。日本人が大切にするべき
場所だと思う。
長崎、広島同様に・・・
 
 黙祷
いろいろあるけど、僕らの時代は祈りを捧げてる場合じゃないと想う。一人一人が行動する時代だと想う。

祈り続けた63年。もう動く時だ。祈りだけじゃ変わらない事を学んだから。『抵抗』の2文字を掲げる。
仕事の合間に私も黙祷

「優しさの反対は無関心である」
悲惨な出来事が繰り返されないように、本当に辛い思いをして戦争の話をしてくださってる方のためにも風化してはダメですね

犠牲者の方の御冥福をお祈りします
悠久の平和が祈ることで叶うなら、祈り続けていきたい。
色んな角度から沖縄戦を見つめられる目でありたい。
平和を問う。
問い続けて正しいと思う方向を見定めていきたいと思う。
亡くなられた皆様のご冥福を、安らかな眠りをお祈りいたします。
沖縄のおじぃ、おばぁの笑顔は絶えない。
そう、辛い過去を忘れたいかのようによく笑い、よく踊り、よく歌う。僕はそんな地元のおじぃ、おばぁが大好きで誇りに思う。でも戦争の話を聞かせてもらう度に悲しそうな顔をしていた。
本当にあってはならない歴史を体験してきんだと思った。そんな悲しみや怒りを取り払うかのように、笑顔なおじぃ、おばぁがいる。
久々に地元に帰り、おじぃ、おばぁに会うといつもその笑顔が涙で歪む。優しいおじぃ、おばぁ、誇りに思う。

徐々にその歴史が風化していく中で、我々今の若い世代はどう戦争と向き合い、あってはならない歴史を後世に伝えていくか考えていかなくてはならない。

戦争体験者の方々が必死に訴え続けてきた悲しい現実、言葉の意味、恐怖、歴史をもっと強く理解し、受け止めなければならない。

未だ戦没者の骨はあちこちに埋もれている現実。

県民にとって未だ戦争は終わらない。

黙祷
人間の記憶は過去のことはドンドン美化されていきますからネ。
先の大戦も体験者が殆どいなくなってしまい、悲惨はできごとがどこかで美化されているような気がします。
AD

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