フランスの暴動は、ますます激しくなってきたが、これ、社会起業と関係があるという話。
1982年、イギリスで似たような人種暴動が起こり、皆、これでは社会が崩壊すると感じ、社会は社会起業づくりに反転した。フランスでは20年遅れで同じことが起こたのでは。


80年に首相になったサッチャーは、赤字財政を立て直すために、福祉サービスを一気にカットした。そのために、病気になっても病院に行けず、死んでしまうようなことが、誰の身の回りでも起こり始めた。


それに反発したのが人種暴動だった。その後も社会崩壊を思わせる現象が続き、82年~84年がボトムの時期で、以後10年間、福祉国家が壊れ、既得権益が崩壊し、代わって新しい建設が進んだ。
「経済が、100年ぶりに蘇った」とロンドン・エコノミストが書いたのが、95年ごろのことで、人種暴動をきっかけにして、構造改革が進み、結局、改革は成功したのである。


経済界は、暴動をうけて「ビジネス・イン・ザ・コミュニティ」(BITCの略称で有名)という非営利法人をつくった。社会起業家の経団連のようなところで、「企業は社会の中にある存在」と考え直し、社会が健全でないと企業は存在できないことを哲学にし、経済界が、健全な社会づくりに乗り出した。

チャールズ皇太子が会長をつとめ、800社が参加している有力団体で、社会貢献活動を本格的に始めたり、社員を派遣して社会起業の経験をさせたり、企業が自ら社会事業開発をやるのをコンサルしたりしている。


ここの部長が来日し、2002年12月に東京財団でセミナーをやり、BITCを学んだ。参加者からは、日本でもほしい団体という声が強かった。
議事録のPDFファイル はここ。


サッチャーの大胆な市場化政策が、暴動を招いたが、それがかえって構造改革を加速させたのは皮肉なことであるが、健全な社会が持っている反転力である。イギリスが、社会起業の教祖国になったのも、暴動の影響が大きい。


フランスは、日本に負けないほどの官僚国家で、内務相が、暴徒を「あのクズども」というほど、時代錯誤で、日本よりもひどい。アラブ系移民が多すぎる、差別がある、若年失業率が高いなどが、直接の理由だが、根本は、国家機構が陳腐化したために招いた事態でないのか。


日本も似たところがあるが、小泉さんのおかげで、まだましなのは少し安心、これでは、イギリスのように10年で新社会や経済を建設することはできないだろう。フランス大停滞10年間の始まりで、EUの中の覇権争いにも影響しそう気がする。