Monitor Group/Fast Companyの社会起業家賞の話、Kramerの社会起業評価の話を書いたが、これでアメリカの社会起業の評価が、どんなものか見当がついたと思う。
アメリカで社会起業の歴史は、この15年ぐらいのことで、評価は数年のことである。Monitor/Fast CompanyもKramerも、誰もやっていないことに挑戦したのはたいしたものだが、彼らの記述には、「始まりの初め」という謙虚な気持ちが、色濃く書いてあり、これから改良してよいものにするぞという心情が強く伝わってくる。 社会起業は、社会変革への挑戦だが、その評価もそうなのである。
アメリカではカネの流れが変わり、社会起業へ流れ始めた。日本では、まだ企業買収や不良資産の買収にカネが流れてるので、想像しずらいがそうなのである。社会問題は、政府が解決するのに失敗した問題だが、一方、20年間の市場経済をやりすぎ、問題を多発したせいでもある。自業自得、それなら市場の力を別なやり方に変えて使い、解決するぞ、という意気込みで、大変知的な作業である。
だから、カネの流れが変わるのは自然なことで、無理がなく永続するわけである。
社会起業へファンドを出す所が増えたのは、92年以来続いている経済好況で、企業や個人の金持ちが生まれ、それを社会起業へ流す現象が拡大してるからで、一方、政府でも社会起業を支援するプログラムが整い、さらにエマージング・エコノミーの波に乗り成功した起業家が、財団をつくりカネを出している。
例えば、Bill and Melinda Gates Foundationは、途上国の疫病退治にワクチンを投与するプログラムをやっているが、ここに7~8億ドルを出している(一昨日、ゲーツは小泉さんに会い、これを話題にしたと新聞に出ていた)。50年後、ビルゲーツは、PCのOSでなく、社会革命の偉大な貢献者として名を残すだろうといわれているぐらいである。
社会起業15年の経験からカネを出したくなるような社会起業が増えてきたので、出し手と受け手は、うまくマッチングするような時代になっており、そのために評価の価値が高まってきた。また、伝統的な古い財団(10年以上の所をそういうようだ)も、チャリティやフィランソロピー(イフェクティブ・フィランソロピーとか、ベンチャー・フィランソロピーと言ってるらしい、もう昔じゃないんだという主張)を卒業し、社会変革を先導する先端的な財団に変身中である。
資金の出してが惚れるほどの社会起業とは、いろんな長所を持ち、先に社会を好転させる展望を抱かせるところであるが、例えば、ソーシャル・インパクがあるかどうかの可否を問い、評価を行う。これはシステミック・インパクトのことで、社会問題の解決に失敗している古い制度をオーバーホールしたり、なかったシステムを創造する力のことである。福祉国家では、官僚が政策をつくり、議会で法律にする迂遠な手続きをとるが(ベストプラクティスの社会起業を広げるために、制度を改正するには議会の審議が必要だが、説得的な実例があるので、通るのは速い)、社会起業は、直裁的で、市場の力で古いシステムを変えてしまうのがすごい。創造的破壊で、創造と破壊の同時進行を起こす。
評価をやる人は、インパクトの力を信じ、”社会変革の建築家、デザイナー”を探し、資金の出してに伝えるのが仕事である。彼らは、自分のことを”社会変革の触媒”だと自負してるが、その通りである。
日本が、まだそうなってないのは、資金の出し手の多様化が進み、土壌がアメリカ化してないからだが、経済は回復し、10年もすれば、個人の金持ちや金持ち企業を生み、さらに小さな政府もずいぶん進行するのでので、土壌はアメリカ化するはず。きっと社会起業主流の社会になりますよ。