おはようございますキラキラ

Blogご訪問ありがとうございますラブラブ

 

今日は珍しく、パッチリと5時台に目が覚め、朝に書いてますニコニコ

 

昨日はイヤーコーニングのインストラクター講座1日目。

夜には、1日早い父の日食事会があり、久々家族そろってお寿司屋さんでお食事会音譜

 

カウンターのお隣に座っていた方達と話が弾み、

『本当に仲良い家族で素敵ですねキラキラ と何度か言っていただきました。

 

仲良いか?はわかりませんが、大切な存在ではあります

 

家族といってもそれぞれ色々な形があり、そして外見と中身は全く違うことも多々ある


私の家族も、何十年の間に壮絶なことが沢山あり、これでもかと次から次へと起こる様々な試練を超えてきた関係

 

 

関係性が数年前にがらっと変わったのですが、

それは、私自身が、家族への”依存”を手放した、時期でもありました

(ということに後から気づきました)

 

 

親から子供へ、子供から親へ、そして兄弟姉妹間の依存

 

必ずしも、べたべたしている関係=依存ではなく、

憎み、傷つけあう、強烈な感覚があるのも、また依存の一つの形

 

そこにはものすごく強いエネルギーが発生している

 

 

強いエネルギー自体が悪いわけではなく、

それが自分とある対象(家族だったり恋人だったり)とを、強烈に結びつける理由となっている場合は、依存になっている

 


何故なら、その存在が無くなると困るから


 いつの間にかそうなっている

 


顕在意識では、こんな関係要るか!、と強烈に思っていたとしても、潜在意識では、がっちりとその関係性を握りしめている

 

握りしめてることに気づかないかもしれないけれど

無くなったときに気づく

 

 

 

依存、と共存、の違いは色々あり

 

対象が無くなったときに、自分の存在が揺らぐのは依存

対象が無くなっても、自分の存在が揺らがないのは共存

 

(共存でも、存在が無くなったときに悲しんだりするのは自然な感情)


依存は執着で、共存は自由

 

依存は重たいエネルギーで、

共存は軽いエネルギー

 

 

共存は、愛と尊重

 

 

これは、全ての関係性において同じ

 

親子

夫婦

兄弟・姉妹

恋人

友達

仲間(プライベートでも仕事でも)

 

 

依存がなぜ起こるかというと、自分が満たされていないため

(私はかつて、家族だけでなく、恋人も友達関係も、強烈な依存で成り立っていました)

 


自分が満たされていくと、

依存を手放していける

(自然と手放す)

 

共存に変わってみると、

依存の時には感じたことのなかった、相手に対して、穏やかで、優しい愛しさが自分のなかにあることに気づく



もし何かに依存していると思ったら、

自分を満たすこと

 

 

 

ちなみに、人間は瞬間瞬間変化しつづけているため、

関係性は、いつでも変わり得る

 

なので胸にとどめておく

『今の関係は、依存になっていないかどうか?』

 

 

気づいたら自分を満たし、依存を手放し、共存へ虹

 

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今日のOSHO禅タロット 一枚引きクローバー

 

地に閉ざされた自分の根から起き上がり、閉ざされることないものへと飛び立つ翼が生えているキラキラ