こんにちは。天海 和美です。
今日は、本当にあった話、、、、私の過去の実例です。
さっき机の中を整理していたら自分の心を深く掘り下げて、その中の感情を浮かび上がらせるという心理学のワークをしていた時の記録が出てきました。
私は以前、「NO!」ということをはっきりと言えずにいました。信じられませんけど、、、ね。
誰にでもって訳ではなくて特に親しい人には言えないということがわかりました。
そして今日、出て来たワークの記録を読んでいて、これは他の人の役に立つかも?と思い、書くことにしました。
もう何年も前になるのですが、親しい友人のA子さんと会うといつも愚痴を聞かされていました。
愚痴の時もあれば、仕事上でのトラブルや友人との不快な状況や私の知らない人たちとの出来事など本当に様々でした。おしゃべり好きなその人はほって置くと何時間も一人でしゃべり続けるのです。
最長は3時間一人でずっとしゃべり続け、私はずっと聞いていました。
会うといつも大体そんな感じで、私はこの友人の気持ちを少しでも軽くしてあげなくては。
私が助けてあげなくてはといつも思っていました。
で、その時のワークの記録です。私は自分自身をどんどん掘り下げて自分の中に起きている感情からその原因を探った記録です。
何でもそうですが、今の自分でもどうしようもないと感じる原因を探り、理由が解ればそれを解放して問題解決ができるからです。
で、書いてあった記録ですが。
A子さんが愚痴を垂れ流す→聞きたくない→不愉快。
どうして私に同じ話を何回もずっと言い続けるんだろう?(関係ないのに)→すごく嫌な気分になる→私が嫌だと思っているのに気がつかない→愚痴を垂れ流し続ける、、、、、とここまで来たときに解りました。
あ、、、私、愚痴を聞きたくないんだ。本当は嫌だったんだって。
それで私が嫌だと感じているのか?感じていないのか?解らないけど、そんなことをおかまい無しに言い続けるのは無神経→私の気持ちをわかってくれない。押し付けてくる、、、、。
と解ったところで《怒り》の感情が湧いて来たということが記録されていました。
そう、我慢し続けて聞いていたんですね。聞かなくちゃ、私が聞いてあげなくちゃ、、、って思っていたけど本当はそんな話を聞きたくなかった。
でも、それを「NO!」とは言えなかったんです。
と、同時にこの感情は私が子どもの頃から持ち続けて来た癖というか、スタンスだったとわかりました。「私しか、聞いてあげられる人がいないから」ということを子ども心に思っていました。
それは母が私にずっと愚痴っていたことでした。細かい内容は覚えていませんが。
で、ある時母に「私は子どもだし、そんな話を聞いても解らないし、聞きたくない。」と言いました。小学校高学年くらいだったかな、、、?
そしたら母に「だってこんな話誰にも言えないでしょ?あなたに言うしかないじゃない。」って言われました。それからたぶんずっと人の愚痴は聞かなければならないという思い込みを持ち続けていたんだと思います。
それでこのワークをして私は自分が嫌だったということに気づいて「そうか、、、嫌だったんだね。」と自分を理解してあげました。
人を癒す為に自分が犠牲になってはいけない。嫌なものは嫌なんだ。
自分に嫌なことばかり与えるのはもう止めようと思いました。
だって自分を大切にして、自分を幸せにしてあげられるのは自分なんですから。他人に幸せにしてほしいって求めるのはじつはお門違いなんです。
それで私はA子さんに「そういう話はもう聞きたくないの。もう愚痴言うの止めてくれる?楽しい話をしようよ。」って言いました。で、それ以来もうそういう不快な状況にはならなくなりました。
つまり私は今まで愚痴を垂れ流しにされていたのは「私に言っても良いよ。聞いてあげるしかないから」って自分がそれを相手に無意識に許可していたんです。
私がここから先は嫌だよ~っていう境界線をちゃんと示さなかったから。
だから家族であれパートナーであれ、友人であれちゃんと「自分の境界線」を示す必要があるんです。それは自分の生得の権利でもあるのです。
自分が本当に嫌なことを我慢してまでずっとし続ける必要は無いのです。何かの目的に向かってする下積みとは違いますからね。
自分のパワーが最大限になるためのポジティブなことに時間とエネルギーを使いましょう。
「NO!」と言ってもそれでもしつこい場合は「離れる」という選択を自分に許可しましょう。