この間某作家先生をお訪ねした際に、「お前はいい女房になるよ」って言われました。え? 根拠? そりゃぁ、ひたすらに原稿待ちますから、あたし。ええ、徹夜もしますよ。その期間だけは「待つ女」なんです。でもね、だからってね、「待つ女=いい女房」か……。うーむ……。いやいや、これは褒め言葉なんでしょうから、ありがたく頂戴いたしましたですよ。なんてったって「お墨付き」をいただいたわけですから(「じゃぁ、誰か紹介してやってくださいよ」というのは同行の編集者の弁でした。ちなみに)。でもね~、本音を言えば言葉じゃなくって、原稿が欲しい~~!!とは言い(え)ませんでしたけどね。

BOOKS
江國香織『赤い長靴』文藝春秋
鼻の奥がツンとするような幸福感。それは二人の間に目に見えてあるものではなくて、各々が相手を真に必要としているという事実。相手に出会う前の、相手が不在だった頃が、もう思い出せないほど遠くのことのように思えること。

この本を読んでいる間、久々の〈らしい〉江國ワールドの空気に包まれて安らぎさえ感じていた。心に浮かんだこと思ったことは浮かぶまま思うままに任せていればいい。自分を偽ることなど、所詮できはしないのだから。無理はきっと、どこかに変調をもたらす。自分の中だけじゃなくて、自分の周りにも。

角田光代『対岸の彼女』文藝春秋
先頃の直木賞受賞作。なんだか世の中的には、「負け犬 vs. 勝ち犬」といった文脈の中で語られているようだけど(そのフレーズに惹かれて読む人が増えるのはいいことですが)、実のところは全く違うと思うのです。そもそも「負け」とか「勝ち」とか二元論で語るところに無理があるのであって、結婚しようがしまいが他人にとやかく言われる(邪魔される)ことなく、普通に(あくまでも「普通に」)生きられればいいんじゃないの?と思うわけです。肩肘張る必要なく、卑屈になる必要もなく。ここで語られる主人公たちの高校時代にあった仲間はずれも、子どもを介して知り合う母親たちの中にある「保育園派(仕事を持つ主婦) vs. 幼稚園派(専業主婦)」の確執も、結局のところは自分とは異質なものを認められないだけ。そういうのってすごーく気持ち悪い。同質か異質かでくっついたり離れたり、だいたい一貫性がないんだよな~。異質なものを排除しようとするのは、結局のところ同質なもの同士でかたまって、自分を肯定したいだけでしょ? それに気づけないのは、ちょっと痛い。ま、そんなこんなを考えつつ読みました。私は、この著者の今までの作品は、正直言って面白いと思ったことはなかったのですが、これはほんとに受賞作品らしい読み応えのある1冊でありました。近頃読んだ本の中で一番かもね。

ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせるような何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。

だってあたしさ、ぜんぜんこわくないんだ、そんなの。無視もスカート切りも、悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜーんぜんこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないし。

今みんながあたしについて言ってることは、あたしの問題じゃなくあの人たちの抱えてる問題。あたしの持つべき荷物じゃない。人の抱えている問題を肩代わりしていっしょに悩んでやれるほど、あたし寛大じゃないよ。

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。
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芋と串

テーマ:
今夜は遅めの新年会の名目で浅草へ。串焼きと麦とろの店「芋と串」です。最初に、魚介類、野菜、肉、それぞれざるに盛られたものが席まで運ばれてきて、客は自分の好きなものを注文するのですが、これがね、目移りするんですよ。どれも新鮮で美味しそうなものばかりだし、そもそも前評判を聞いて〈空腹〉を準備してお店に向かったわけだから。で、ついつい頼みすぎて最後の麦とろご飯までたどり着けないこともあるのだそうな。
あわびの姿造りに始まって、焼きフグ、サザエの壺焼き、穴子白焼き、黒豚、合鴨、牛ヒレなどの合間に野菜…。かなりの満腹度でしたが、やっぱ行かなきゃダメでしょ! と、とどめの「麦とろご飯」。自棄をおこして、こうなったら何でもこい! と、デザートには「とろろ入り抹茶アイス」「とろろ入り濡れ煎」「とろろ入り花林糖」。は~~~~、旨かった~! 満足。

BOOKS
柴田よしき『ワーキングガール・ウォーズ』新潮社
“37歳女性、入社15年目、独身バツなし。ついでに恋人・人望ともにナシ……。ですが、それが何か?”
というのが帯に謳われたコピー。否が応でも気になるじゃないですか。「37歳」という年齢とか(あっ、近いって意味です)、「独身バツなし」とかね。ついついこういうコピーに目がとまって読んでしまう自分をどうよ?って思う。いえいえ、これも仕事のうちですから…(って見え透いた言い訳か)。
主人公は音楽総合企業とやら(モデルはたぶん「あそこ」でしょう)の女性係長。「無能な上司」やら「口ばっかりの部下」への鬱憤を抱え、それでも何とか頑張ってる。「あたしたち女は、結果を出さなければ、男の半分も階段を昇れやしない」と肩肘張るわけだけど、それが部内に軋轢を生み出したりもするわけで、読んでいる私もなんだか肩がこってきて辛い。そんなに突っ張らねばだめですか? 結果を出さねばならぬのは男も同様でしょ?
で、お決まりの年下男との恋…のようなものが登場。「負け犬」を癒せるのはやっぱり「年下男」か…。年上男とはたいてい不倫になっちゃうしね、運良く独身年上を見つけても、それにはたいてい理由があったりして?
う~む、この本が面白くないと言ってるわけではないんですよ、もちろん。でもね、読みながらつい、つらつらと考えてしまうわけです、自分も含めた30(後半)女の人生ってもんを。こういうステレオタイプの「負け犬像」はいかがなものです? なんか、もっと〈普通〉に生きられないものでしょうか? うん、でもね、ここ数年の内に「負け犬」を巡る状況は変わるでしょう、きっと。もうちょっとの辛抱だからね、みんな。
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大阪出張

テーマ:
本日は、日帰りで大阪出張です。時代小説好きの同行者と「鬼平」談義などしていたら、何と通路を挟んだ隣に座っていたのは刑事だったとか(通路側に座っていた同行者に後から知らされた…)。「盗人が…」とか、「刀が血に曇って…」などしゃべっていたので、後で冷や汗?

で、写真は名古屋過ぎて買った「味噌カツ弁当」。奥に見える白いものは温泉卵。本日はなぜか夕刻、帰りの新幹線に乗る前に入った「美々卯」でも温泉卵入りのうどんが出てきて(オヤジの定番(?)「ビールセット」です~)、温泉卵に縁のある日でした。いやいやほんとはさ~、卵じゃなくって本物の温泉よ~! 日帰りで大阪なんてのじゃなくって、ちょっと足を伸ばして温泉にでも行きたかったな~~~~~。


BOOKS
北森鴻『蛍火』講談社
「香菜里屋」シリーズも第三作目。かなりこなれてきた風で、いつもの謎解きにも、何とも言えない余韻が付け加わってきた感じ。そうそう、酒の肴もグレードアップしているような気が…。

いいかい、この世には二種類の不幸がある。百グラム八千円の最上級の牛肉ばかりを食べ過ぎて、一本百二十円のモツ焼きの美味さを忘れてしまう不幸。百二十円のモツ焼きしか食べることができずに、百グラム八千円の牛肉の味を知らない不幸。どちらも同じくらい不幸なんだ。もっとも幸福な人間は、双方の美味さを知りつつ臨機応変に、そして貪欲に美味を追求する。

イタリアワインには、高貴と人なつこさが同居しているんだ。フランスワインにはない人々の熱い思いや、純情が、直接吹き込まれているんだよ。だから「情熱の高貴」を呼ばれることもある。大学ってところは、なにもしなければそれだけで二年の時を過ごすこともできるだろう。けれど真澄ちゃんには、そんな無駄な時間を過ごして欲しくないんだよ。この味を忘れるんじゃないよ。

山本一力『梅咲きぬ』潮出版
『損料屋喜八郎始末控え』の登場人物、深川の料亭「江戸屋」女将・秀弥が主人公。一流の料亭の女将としての器量を身につけさせようとする先代の厳しいしつけに、懸命に応えようとする娘・玉枝(主人公、後の秀弥)のいじらしさ、それが長じていくにつれ頼もしく変わっていくさまが読みどころ。秀弥の踊りの師匠夫婦がいい。最後あたり、ちょっと泣けるシーンが…。

MUSIC
Chemistry“Hot Chemistry”
佐野元春のカバー曲がやけに懐かしい。サントリー・ホールで行なわれたプレミアム・ライヴ(オーケストラをバックに)からの2曲もよいし。そう、毛糸のセーターの写真をあしらったジャケットがカワイイのです。本物の毛糸地を使えばもっとあったまるのに……!?
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まぐろのバスク風

テーマ:
これはほぼ私の定番料理。友人を家に呼んだりするとよく作るのです。野菜(パプリカ、ズッキーニ、タマネギ、ジャガイモ、トマト)などを炒めてソースを作り、マグロの上に載せてオーブンで焼くだけ。温度は高めでジャガイモがカリッと焼けるぐらいがいいですね。元のレシピではパプリカ、ジャガイモ、タマネギぐらいだったと思いますが、冷蔵庫にある野菜を入れていくうちにこんな感じに。そう、これじゃマグロ見えませんね。このソースの下に切り身状態で敷き詰められております。

旨いよこれ。実は、マグロはアラを使ってるの。魚屋の刺身コーナーの片隅に、刺身を取ったあとの部分が肩身狭く座っているのを救ってあげてるわけですよ。しかし、血合いの部分など、このトマトベースのソースのおかげで何とも言えぬ旨みが出ちゃってます。だからこのメニューずいぶんと安上がり。アラ1パックの分量がかなり多めなので、マグロは余ったら赤ワインと醤油を半々のたれ(?)に漬け込んで、あとでソテーするとまた違った味わいに。

BOOKS
語り:虎ノ門「つる壽」柿澤津八百
聞き書き:平松洋子
『旬の味、だしの味 「つる壽」語りおろし』新潮社
きちんと「仕事」をするということはどういうことかについて考えさせられる。だし一つとるにしてもマニュアル通りにやったからといって、いつも同じになるとは限らない。春夏秋冬で気温も湿度も違う日本では、料理人は勘をとぎすませて素材の声を聞かねばならないし、食べる人の体調にも思いを巡らせなければならない。かといって、あまりやりすぎては負担に感じられるから、引き際を心得る。すべては食べてもらう人みんなを喜ばせるため。全体のバランスや色合い、味の調和などを考えながら詰めていくお弁当やお節のお重に見られる神業的な職人芸を「自己満足」と片づけるのはたやすいけれど、自分の中にきちんと一本変わらないものを持った迷いのない職人の「仕事ぶり」は見習いたいものです。
このような、いわゆる「聞き書き」形式の本は、聞き手の技量に負うところが非常に大きいわけで、ここまでの話を引き出せたのは、平松さんの熱意のたまものと言えるでしょう。職人ですから、きっと口も重かったはずですし。

あ、ひとつ気になったのは、デザートの「酒粕のプリン」。う~む、どんなの?

根菜のポタージュスープ

テーマ:
この間行ったイタリアンの店で食したスープを作ってみる。
にんじん、かぼちゃ、じゃがいも、玉ねぎ、それにゴボウではなくレンコンにしてみました。すべては小さめの角切り。オリーブオイルで炒めて水を入れてしばらく煮込む。だしは、「骨付き生ハムの骨」なんて手に入れるのは難しいし、手抜きしてインスタントのブイヨンです。柔らかくなってきたら火を止めてフードプロセッサーでポタージュ状に。ちょっとぐらい舌にざらっとした感触が残るぐらいで止めておくのがいいかと。塩・こしょうで味を調えてできあがり。

BOOKS
帚木蓬生『空山』講談社
恋愛が主なテーマであった『空夜』とは一変して、ゴミ処理センターをめぐる環境問題、政治問題が中心に語られているけれども、主人公の一人、市議となった俊子を渦中へと駆り立てていったのは、亡くした恋人・達士との思い出。つまり2組の男女の恋愛を通奏低音として展開する社会問題の追求。この二重奏が、単なる小説の枠を飛び越えたものにしている。それにしても前作同様、薪能の描写がすばらしい。
このところ忙殺されていた仕事が一段落したので、打ち上げに。
知人おすすめの神楽坂(最寄り駅は牛込神楽坂)のカウンター席のみのイタリアンへ。
基本はシェフのおすすめの1コース。これで前菜2,3品(のはずが、今回はかなり盛りだくさん?)、パスタ2種(今回はパスタとリゾットの組み合わせでしたが)、メイン、デザートで4000円です。一応、最初に食べられないものがないかどうかは尋ねてくれます。ワインは、実はこのシェフ、ソムリエの資格を持っているというか、ソムリエが店を開いちゃったというわけなので、ワインもお任せでお願いしました(でも、実はお店にとってはよいシステムのはず。だって、隣のグループも同じワインだから、いろいろあけなくて済むわけだし)。

今夜のメニューは以下の通り。
根菜のポタージュ(ジャガイモ、にんじん、かぼちゃ、たまねぎ、ごぼうなど。だしは骨付き生ハムの「骨」から。ざらっとした舌触りが○)
白子のオーブン焼き(さっとあぶってオリーブオイルと塩)
・ホタテのグリル(グリルパンで少し焼き色つけてドライトマト乗せ)
下仁田葱にイカわたを挟んでオーブンで焼いたもの(イカわたは、白ワインで洗っておくともつのだそうです)
鮭をマリネして、オーブンでさっと焼き
(マリネといっても、まず砂糖でマリネ。そうすると塩でやるより水分がよく切れるとのこと。そして白ワインで洗って今度は塩をする。それをオーブンでさっと焼く)
ウニとトマトのパスタ
牡蠣とズッキーニと赤ピーマンのリゾット
鶏もも肉の赤ワイン煮
チョコレートムース(何とワインに合うようにと塩とオリーブオイルをかけて! これにはびっくりしたけど、何もしない方がよかった)

目の前で料理ができあがっていくのを見るのは楽しい。作り方を聞いたりといったおしゃべりも面白いし。そう、このシェフ、お話もなかなかうまい。デザートを食べ終えてからも、しばらくお話タイムを楽しませていただきました。今度、結婚するらしいのだけど、彼女との馴れ初めとかね。

で、全体の感想ですが、ちと塩味がきつめ。以前「塩」についての私感を書きましたが、それは別にあたしが塩辛いのが好きってわけじゃないんです。そう、最後のひと振り、それが多いんですから~~! あぁ、ざんねん…。


BOOKS
梅森浩一『だから女性に嫌われる』PHP新書
女性たちのホンネ炸裂! これがあたしたちの言いたかったこと。よくもここまで分析してくれましたっ! でもね~、本当に読んで欲しい人にはなかなか届きにくいんだろうな。なぜなら、それこそ、彼らが嫌われる所以。人の話に耳を傾けないってことだから。
そこで、良識と柔軟性を兼ね備えたあなたには、ここはひとつ、模範を示してもらいたいと願ってやまない。読み進めていけばわかると思うが、それは結局のところ、「ありがとう」のたったひと言だったり、「いっしょにプランをたててみようじゃないか」といった、些細なコミュニケーションにすぎないのである。

北森鴻『花の下にて春死なむ』講談社文庫
三軒茶屋にあるビアバー「香菜里屋」のマスターが、客の持ちこむ事件の謎解きをしていく連作短篇。といっても、魅力は謎の解かれていく過程ではなくって、おいしそうな肴だったり、度数を変えた4種のビールだったりして…。いやいや、このマスターの安楽探偵ぶりも面白いんですけどね。これはシリーズになっていて、現在3作目まで出てます。

ケンブリッヂの風景

テーマ:
友人が仕事で知り合った英国・ケンブリッジ在住の写真家・志村博さんの個展へ。場所は池袋・サンシャインビル最上階の展望台です。実は、ここに昇るのは初めて。行ったのは夕刻5時過ぎですから、そうそう夜景、夜景…。なんだ、ちと期待はずれ。東京タワーもずいぶん遠いし、新宿の高層ビル街だってはるか彼方。つまり、ここって中途半端な位置なわけでした。な~んだ、写真も撮れやしない。…で、がっかりした私を、夜景の代わりにロマンティックな気分にさせてくれたのは、ケンブリッジの素敵な景色の数々。

以前パリから南ドイツへ旅した時、何てコトのない町並みでもカメラを向ければ絵になってしまうことが多いのに驚きました。ケンブリッジも例外ではなく(もちろんプロが撮る「絵」ですからいいのは当たり前だけど)、たぶん何百年も前から変わっていないと思われる美しい景色が広がっていました。日本だったらこうはいかない。何百年も変わらない景色なんてあり得ないもの。ほんの10年ぐらいでまるで違う景観になってしまうから。奇抜な色やデザインのビルを街中にドーンとたてて平気な色彩・デザイン感覚ってなに???と、悲しくなりますね。これが5年後、10年後どうなるかというところまで思いが至っていない。きちんとした都市計画がないせい? パリなどは建築物に対する規制が厳しいと聞いたことがあるし、そもそもああいうところに住んでいれば、自ずと美的感覚が養われるというもの。美しくないものは排除されるはずなのです。住宅なども古ければ古いほど、家賃は高いらしい。この点も日本とは正反対。価値基準が違うんですね。

志村さんがケンブリッジに渡ったのは30年近く前。当時は永住するつもりなど毛頭なく、気軽な気持ちで行ったのに、その地に魅せられアーティストとしても認められるようになって今に至っているそう。肩肘張ることなく軽々と国境を越え、その気負いのない口調の裏には静かな自信が隠されている。かくありたいものです。さて、キミは今どこに立っていて、どこへ向かっているの?と自問自答の夕べでありました。

志村博ウェッブ・サイト
http://www.shimura-hiroshi.com/

バナナブレッド

テーマ:
何回か前の日記に書いた堀井和子さんのレシピで久々にバナナブレッドを作りました。「ブレッド」ですから甘さは“ほんのり”。ケーキだとバターたっぷりのところをヨーグルトを使っているので“さっぱり”です。アールグレイのミルクティーと一緒に。

ところで、ミルクティーはカフェ・オ・レ・ボウルで飲むのが実は好き。っていうのも江國香織『ホリー・ガーデン』の主人公・果歩のボーイフレンド・中野君の飲み方に影響されてという単純な理由なんですが。ミルクは最初に入れておいて紅茶はあとから。この順番が実は大事。どっちを先にするかで味(香り)が全く違うんですから。大きめのボウルを両手に抱えて暖かさを感じながら飲むとすご~く幸せ。

おかいもの・クマ

テーマ:
そう、毎年気になってたんです。お正月あたりから西武百貨店のCMで♪おかいもの、おかいもの♪って歌ってるクマ。ショーウィンドウにディスプレイされてるぬいぐるみに思わず引き寄せられて、「ほしいな~」とガラスに鼻をくっつけんばかりに凝視している私がいたのでした。
そうしたら、なんと、今年から期間限定でぬいぐるみを発売してるじゃないの! なんだよ~、早く教えてよ~! でも、気づいたときには売り切れてた~(泣)。悔しいからセゾンカードとクラブオンカードを統合する何たらカードの手続きをして、こんなプレゼントをもらってみました。ちなみにこれブーツキーパーなんだけど、考えてみたらあたしロングブーツって持ってなかった~。

「一に足腰、二に文体」

テーマ:
村上春樹の『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫の見つけ方』(新潮社)に「足腰栞」なるものがついていて、そこに書いてあった標語(?)が本日のタイトル。今はどうか知りませんが、村上春樹氏がマラソンレースにも出るほど走ることに熱中していたのは有名な話。作家といえば真夜中に仕事して昼間は寝ているという不健康なイメージが流布していて、そういった生活が執筆をささえると言う人もいるけれど、そんなのはナンセンス。健康な体に健康な文体(?)が宿るということか。

そうそう、だから何を言いたいかというと「文体」の問題なんです。ライター仕事をするとき、「文体」はその対象によって適切な形に変えて行かねばならない。作家じゃないから、いつも同じ文体でいいというわけじゃない。でも、これは言い訳だけど、文体ってそのとき読んでいる本などにすごく左右されちゃうんだよね。だから、時々軌道修正が必要になるわけ。私にとってそれは堀江敏幸さんの本。ワンセンテンスが長めなんだけど、それが決して冗長に感じられない。そして、評論、小説、エッセイといった従来のジャンルを横断するがゆえの、良い意味での寄る辺なさが心地いい。たまに読んでおかねばならぬ本たちなのです。来月新刊が出るようなので、待ち遠しい日々。

特急でも準急でも各駅でもない幻の電車。そんな回送電車の位置取りは、じつは私が漠然と夢見ている文学の理想としての、《居候》的な身分にほど近い。評論や小説やエッセイ等の諸領域を横断する散文の呼吸。複数のジャンルの中を単独で生き抜くなどという傲慢な態度からははるかに遠く、それぞれに定められた役割のあいだを縫って、なんとなく余裕のありそうなそぶりを見せるこの間の抜けたダンディズムこそ《居候》の本質であり、回送電車の特質なのだ。(堀江敏幸『回送電車』中央公論新社)