ゆりかもめのつぶやき(アスペルガー症候群とモラルハラスメント)

姑と夫からのダブルモラルハラスメント、際限のない借金、うそ、
想像力、共感力のない夫とやっとさよならして、
病弱な娘とふたり、悪戦苦闘中の母のつぶやきです。


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ゆりかもめのつぶやき(アスペルガー症候群とモラルハラスメント)

アスペルガー障害(医療用語では、こう言います。)は男児に多く、年齢と共に、治まってくる、という考え方が、多くあるようですが、これは間違いです。年齢がすすむと、異常行動が治まってくるため、治ったと思われてしまうだけで、本当は治ってはいなくて、その後の環境によって、不適応などの問題が出てくる場合も多いようです。

また、積極奇異型が多いと言われていますが、これも、落ち着きが無い、変な行動をとるので、目立ちやすいからなのかな?と思います。受動型の子供は、目立たないために、診断や療育の対象になっていないケースも多いのではないかと思います。

女性は右脳と左脳をつなぐ神経の束が太いので、右脳と左脳の両方を使って判断するのに対して、男性は、左脳で考える人が多いとの事です。アスペルガーの場合、左脳に器質的問題があるようですので、右脳がカバーしてくれるのは、有利です。特に女の子の場合、異常行動は目立たず、おとなしくていつもニコニコしていて、一見問題が無いように見えることが多いようです。よく見ると、自己表現が出来なくて、ひとのいいなるになっている場合も多いようです。

環境に恵まれれば、問題化しないままに成長する場合もあるようですが、何か大きなトラブルなどをきっかけに、症状がでる場合もあるようです。注意深い観察が必要だと思います。

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「意味不明な人々」やんばる先生のサイトより
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/

☆発達障害の根本問題
ADHDの本質は衝動統制の障害、ASの本質は対人関係の愛着の障害である。
いずれも多数派に見られる様に「空気」で適度に制限・制御されることが無いため、ADHDは甘やかされれば(実は管理されすぎても)自分で衝動コントロールが出来ない大人に成長し、ASは甘やかされれば愛着対象に100%の要求をするようになり、いずれも思春期以降に深刻な不適応を来たす結果になる。

思春期以前の養育の方針としては、ADHDでもASでも、「甘やかす」(先回りして困難を解決したり失敗の現実的な尻拭いをする)ことが最も思春期以降の本人を苦しめることになる。
上記のようにADHDでは衝動統制を親に丸投げし、ASでは過度の依存を当たり前と思い込む結果になるからである。

☆受動型ASは、多数派に合わせる方が、ストレスが少ない。

ストレスを位置エネルギーのイメージに図式化すると、例えばADHDの場合には「多数派に合わせた普通」と「本人のマイペースに合わせた特別」の関係は、当然「普通」が一番ストレスが高くて、「マイペース」がストレスが低い一方向の坂の図になる。
受動型ASの場合は、全く違う形になる。「普通」と「マイペース」はいずれもストレスが非常に低くて、その中間に山があるという形だ。 即ち、「普通」に近いところでは「普通」に行くほうがストレスは少なくなり、ある程度「普通」から離れてしまうと、今度は極端にマイペースになるほうがストレスが少なくなる。

通常の特別支援教育などでは、「普通」のストレスを考慮して発達障害への「理解と配慮」という形で普通から引き離すが、これがある程度より進んでしまうと極端な引きこもりの方向にしか行かないパターンに陥ってしまうことを意味する。受動型ASの人には、結局「多数派に合わせた普通」が一番楽なのだ。一番ストレスが少ないのだ。別の言い方をすれば、「普通」から離れるストレスのほうが大きいのだ。また受動型の特徴は、「友達関係などの周囲の雰囲気では動けることも多い」ということで、現実的には例えば受験ならば塾に入れたりといった方法は有効である。

☆受動型ASの根本問題

受動型ASの特徴は 、「「自分から動く」ことが出来ず、思考も行動も「100パーセントの依存」を求める。受動型ASのスタンダードなイメージは、「表面上世間的にはは非常に気配りもできてトラブルも起こさず、慎ましやかできちんとしている」という一方で、「パートナーや親など愛着の対象の前では豹変して異常に理不尽な要求を異常にしつこくし続ける」という人だ。
この依存性は乳幼児期から成人後までずっと継続し、本人の現実世界への適応に大きな問題となる。 思春期には愛着の対象となっている親に対し、また成人後にはパートナーに対し、100パーセントの理解と一方的なサポートを要求し、99パーセントでも不足として愛着の相手を攻撃する。攻撃しない場合も情動不安定になったり、うつ状態や身体症状が出て現実への著しい不適応を来たす。

受動型ASに幼少期から満足できる依存関係を提供すると、思春期や成人後も同じ依存の立場を愛着の対象には要求し続けるため、不適応は必至である。これが受動型ASの第一の真実である。  

ではどうすれば良いか? 受動型ASを養育する段階で、「100パーセントの依存は不可能である」とどこかの段階であきらめさせることが必要であり、思春期前に合理的な衝動統制を身に着けさせることで可能となる。  

例えば受動型(積極奇異型も同じだが)ASの子供が好む非言語的なアピールを無視して、あえて本人に言語化させ、言語的に説明させて理解する形を取る。これをもしも親が非言語的に「察して理解する」と、その後は毎回言語的な説明抜きで察することを要求するようになってしまう。  

また、本人の要求の一部を冷たく合理的に退けない限り、「愛着の対象である親などは自分の要求を全て受け入れる」と前提して行動するようになる。根拠無く退けると、「意図的にいじめている」「情緒的に虐待している」と情緒的な文脈で受け取るため、そうでは無い合理的な基準を毎回徹底しておく必要があるのだ。  

具体的には、例えば受動型AS児が泣いていても、情緒的にフォローする前に、「何故泣いているか」を冷静に尋ね、泣く理由が合理的に妥当すればそれを説明しながらフォローするか、または「泣くようなことでは無い」と合理的に否定する。多数派の人が見れば非常に冷たい対応になる。

これは実は「天然」のADHDの親の場合に実際に見られる対応で、とりもなおさず「ADHDが空気を読めない」ことの結果として出てくる。だから「天然で空気が読めないADHDの親に育てられた受動型ASは結果として社会適応がしやすい大人に成長する」という第二の真実を帰結する。

ところで受動型AS本人にはこの育てられ方は当然情緒的には不満足であり、その意味で一種の(ACに近い)情緒的な障害となることもある。うつ、強迫症状、消化器症状や頭痛などの身体症状となることも多い。

これは発達障害のもっと根本的な真実「不適応と二次障害のいずれかは起こる」ということの一部でもあるが、ADHDや積極奇異型ASのように「社会の多数派」への適応とは異なり、特定の愛着(依存)の対象の個人に対して起こるところが少し違う。
表面的な「世間」の多数派にはむしろストレス少なく適応できるからだ。

ちなみに成人後にも「天然」のADHDをパートナーとすると(AS的に求める依存は出来ないが)社会的には適応して人生を送ることが可能となる。「天然」のADHDとは依存関係を作ることが出来ず、その結果「長期の共存が可能となる」からである。
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