ゆりかもめのつぶやき(アスペルガー症候群とモラルハラスメント)

姑と夫からのダブルモラルハラスメント、際限のない借金、うそ、
想像力、共感力のない夫とやっとさよならして、
病弱な娘とふたり、悪戦苦闘中の母のつぶやきです。


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ゆりかもめのつぶやき(アスペルガー症候群とモラルハラスメント)

アスペルガー障害(医療用語では、こう言います。)は男児に多く、年齢と共に、治まってくる、という考え方が、多くあるようですが、これは間違いです。年齢がすすむと、異常行動が治まってくるため、治ったと思われてしまうだけで、本当は治ってはいなくて、その後の環境によって、不適応などの問題が出てくる場合も多いようです。

また、積極奇異型が多いと言われていますが、これも、落ち着きが無い、変な行動をとるので、目立ちやすいからなのかな?と思います。受動型の子供は、目立たないために、診断や療育の対象になっていないケースも多いのではないかと思います。

女性は右脳と左脳をつなぐ神経の束が太いので、右脳と左脳の両方を使って判断するのに対して、男性は、左脳で考える人が多いとの事です。アスペルガーの場合、左脳に器質的問題があるようですので、右脳がカバーしてくれるのは、有利です。特に女の子の場合、異常行動は目立たず、おとなしくていつもニコニコしていて、一見問題が無いように見えることが多いようです。よく見ると、自己表現が出来なくて、ひとのいいなるになっている場合も多いようです。

環境に恵まれれば、問題化しないままに成長する場合もあるようですが、何か大きなトラブルなどをきっかけに、症状がでる場合もあるようです。注意深い観察が必要だと思います。

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「意味不明な人々」やんばる先生のサイトより
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/

☆発達障害の根本問題
ADHDの本質は衝動統制の障害、ASの本質は対人関係の愛着の障害である。
いずれも多数派に見られる様に「空気」で適度に制限・制御されることが無いため、ADHDは甘やかされれば(実は管理されすぎても)自分で衝動コントロールが出来ない大人に成長し、ASは甘やかされれば愛着対象に100%の要求をするようになり、いずれも思春期以降に深刻な不適応を来たす結果になる。

思春期以前の養育の方針としては、ADHDでもASでも、「甘やかす」(先回りして困難を解決したり失敗の現実的な尻拭いをする)ことが最も思春期以降の本人を苦しめることになる。
上記のようにADHDでは衝動統制を親に丸投げし、ASでは過度の依存を当たり前と思い込む結果になるからである。

☆受動型ASは、多数派に合わせる方が、ストレスが少ない。

ストレスを位置エネルギーのイメージに図式化すると、例えばADHDの場合には「多数派に合わせた普通」と「本人のマイペースに合わせた特別」の関係は、当然「普通」が一番ストレスが高くて、「マイペース」がストレスが低い一方向の坂の図になる。
受動型ASの場合は、全く違う形になる。「普通」と「マイペース」はいずれもストレスが非常に低くて、その中間に山があるという形だ。 即ち、「普通」に近いところでは「普通」に行くほうがストレスは少なくなり、ある程度「普通」から離れてしまうと、今度は極端にマイペースになるほうがストレスが少なくなる。

通常の特別支援教育などでは、「普通」のストレスを考慮して発達障害への「理解と配慮」という形で普通から引き離すが、これがある程度より進んでしまうと極端な引きこもりの方向にしか行かないパターンに陥ってしまうことを意味する。受動型ASの人には、結局「多数派に合わせた普通」が一番楽なのだ。一番ストレスが少ないのだ。別の言い方をすれば、「普通」から離れるストレスのほうが大きいのだ。また受動型の特徴は、「友達関係などの周囲の雰囲気では動けることも多い」ということで、現実的には例えば受験ならば塾に入れたりといった方法は有効である。

☆受動型ASの根本問題

受動型ASの特徴は 、「「自分から動く」ことが出来ず、思考も行動も「100パーセントの依存」を求める。受動型ASのスタンダードなイメージは、「表面上世間的にはは非常に気配りもできてトラブルも起こさず、慎ましやかできちんとしている」という一方で、「パートナーや親など愛着の対象の前では豹変して異常に理不尽な要求を異常にしつこくし続ける」という人だ。
この依存性は乳幼児期から成人後までずっと継続し、本人の現実世界への適応に大きな問題となる。 思春期には愛着の対象となっている親に対し、また成人後にはパートナーに対し、100パーセントの理解と一方的なサポートを要求し、99パーセントでも不足として愛着の相手を攻撃する。攻撃しない場合も情動不安定になったり、うつ状態や身体症状が出て現実への著しい不適応を来たす。

受動型ASに幼少期から満足できる依存関係を提供すると、思春期や成人後も同じ依存の立場を愛着の対象には要求し続けるため、不適応は必至である。これが受動型ASの第一の真実である。  

ではどうすれば良いか? 受動型ASを養育する段階で、「100パーセントの依存は不可能である」とどこかの段階であきらめさせることが必要であり、思春期前に合理的な衝動統制を身に着けさせることで可能となる。  

例えば受動型(積極奇異型も同じだが)ASの子供が好む非言語的なアピールを無視して、あえて本人に言語化させ、言語的に説明させて理解する形を取る。これをもしも親が非言語的に「察して理解する」と、その後は毎回言語的な説明抜きで察することを要求するようになってしまう。  

また、本人の要求の一部を冷たく合理的に退けない限り、「愛着の対象である親などは自分の要求を全て受け入れる」と前提して行動するようになる。根拠無く退けると、「意図的にいじめている」「情緒的に虐待している」と情緒的な文脈で受け取るため、そうでは無い合理的な基準を毎回徹底しておく必要があるのだ。  

具体的には、例えば受動型AS児が泣いていても、情緒的にフォローする前に、「何故泣いているか」を冷静に尋ね、泣く理由が合理的に妥当すればそれを説明しながらフォローするか、または「泣くようなことでは無い」と合理的に否定する。多数派の人が見れば非常に冷たい対応になる。

これは実は「天然」のADHDの親の場合に実際に見られる対応で、とりもなおさず「ADHDが空気を読めない」ことの結果として出てくる。だから「天然で空気が読めないADHDの親に育てられた受動型ASは結果として社会適応がしやすい大人に成長する」という第二の真実を帰結する。

ところで受動型AS本人にはこの育てられ方は当然情緒的には不満足であり、その意味で一種の(ACに近い)情緒的な障害となることもある。うつ、強迫症状、消化器症状や頭痛などの身体症状となることも多い。

これは発達障害のもっと根本的な真実「不適応と二次障害のいずれかは起こる」ということの一部でもあるが、ADHDや積極奇異型ASのように「社会の多数派」への適応とは異なり、特定の愛着(依存)の対象の個人に対して起こるところが少し違う。
表面的な「世間」の多数派にはむしろストレス少なく適応できるからだ。

ちなみに成人後にも「天然」のADHDをパートナーとすると(AS的に求める依存は出来ないが)社会的には適応して人生を送ることが可能となる。「天然」のADHDとは依存関係を作ることが出来ず、その結果「長期の共存が可能となる」からである。
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1.受動型ASでは外モードと内モードが区別され、内モードで接する家族と外モードで接する第三者とでは本人像はお互い想像できないまで全く異なるというのが一般的である。

2.内モードでは愛着の対象の家族に対しては、説明抜きで自分を100パーセント理解し、無条件に自分の欲求を全部通すのが当たり前であるという行動パターンになる。この家族のもとでは受動型AS本人は何も嫌な努力をしないでも快適に過ごせると確信する。(これが実現しないのは家族が悪いからだと結果被害的になる)。
 これは年齢によらず、このパターンの解決は物理的・現実的な自立しかない。

3.内モードと外モードはよほど病的でない限り厳密に区別されるので、「内モードの姿でわがままであることを見て外モードの社会生活でやって行けないと考える」ことは無意味である。内で激しく暴言し家庭内暴力を振るう状態と、外で緘黙に近く自己主張をしないで穏やかに対人関係を送れることはなんら矛盾しない。

4.子供が受動型ASであると診断された場合には、養育の基本原則は「外モードを成長させる」ことである。友達関係の中で居場所を見出し、ある程度受け入れられている実感をもてれば受動型ASは良好な社会適応が可能である。
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☆受動型ASの本人が理解するべきことは、以下の通り。

1.「誰かが本人を理解することも、本人を大事にすることも、100パーセントを求めることは出来ない」という単純な当たり前の真実を認める。

2.親でも。親友でも、パートナーでも同じである。「100パーセントを目指して努力し続ける」ことは出来るが、結果として「100パーセントの理解が成立した」と感じるとすればそれは「錯覚」であり、「勘違い」である。

3.当たり前に100パーセントの理解や100パーセントの受け入れを要求した場合、関係が長持ちすることは不可能である。これも考えれば当たり前であるが、現実的には「4、5歳までの幼児期に親が一見それに近い状態になれる」か、または「胎児期の母親は100パーセントの庇護をすると言えるが、その母親に胎児が現実的に要求することは出来ない」と考える。

4.だから受動型ASの人には究極の選択が必要である。「100パーセントを求め続けて孤立する」結果を選ぶか、「100パーセントを断念して50パーセント、70パーセントで納得するようにして(妥協によって)実際のパートナーを得る」かである。

5.受動型ASの人が求める「相手からの無条件の必要」も現実的には「幻想」である。当たり前であるが、相手の誠意を試し続け、痛めつけ続ければ遅かれ早かれ相手は去って行く結果になる。「どんなに痛めつけても見捨てない根拠になる必要」などあり得ない。親でも人間であるから限界があり、私は主治医として「児童養護施設に預けて親子が離れる」宣告をしたケースも実際ある。

8.「相手に100パーセントを要求出来ない」ということは、「全てのことで一部は自分の責任で行動するしかない」ということである。うまく行かない結果も当然一部は自分自身の責任であり、何かを実現したいと望むのであれば一部は自分で努力するしかない。
  
9.胎児の状態で無い限り、自分の身体と人生のコントロールの責任は自分にある。本人に不安や苦しみがある場合、親は他者として本人の不安や苦しみを軽減することに協力する努力は出来るが、親が本人の不安そのものを消したり肩代わりすることは出来ない。

10.上記の意味では、人間はみんな「孤立」していることを認めるしかない。誰も誰にも100パーセントの依存をすることは出来ない。

これは原理的には全く「当たり前」のことであるが、受動型ASの人にはこの説明が実際必要であり、またこの説明を見ても「頭では分かっても納得出来ない」と言う受動型ASの人が実はほとんどであろう。

☆受動型ASの普通へのこだわり

受動型ASの普通へのこだわりの大きな特徴は、少しでも普通であることを否定された場合に限り、「自分が普通だ」「自分が正しい」と死に物狂いに自己正当化する行動である。
ほとんど人の話も聞かなくなる(この点では躁うつ病の躁状態に似ても居る)ので、この状態になると周囲の人が心配してケアしようにも手がつけられない。

ちなみに積極奇異型ASの場合も、結果として誇大的に周囲に自分の主張を押し付けようとする行動は見られ、表面上は似ているが、「積極奇異型ASは孤立を恐れず自分のこだわりを優先する」ところが違いといえるだろう。

実はこの「普通へのこだわり」自体が最もAS的な特徴であるのだ。「自分こそが普通中の普通で、ほんの少しも偏ったところは無い」と異常に自己正当化し続ける。世間の全てが自分の主張を当たり前に受け入れるべきであり、その根拠は「自分が普通であるから」というわけだ。  

本当の多数派の「普通」は、(私もADHDなので表面上の行動からの想像や実際聞いてみた結果からだが)こういう極端なものでは無く、全体を包む「空気」の中に、50パーセントから前後10パーセント程度の広がりを持ったものとして「普通」があり、しかも「変わっている」「異常」との境界は連続的で、「少し変わっている」「大いに変わっている」というのがあるだけである。  
ちなみに私の知っているいくつかのケースは、現実の世界でこの「普通」に乗り切れなくなると、「うつ状態や躁状態に入り、全く現実否認することで辛うじて不安を回避している」という形になっている。

下手に社会的地位があったりすると、無責任に(たぶん面白がって)おだててはやし立て、けしかける周囲の「取り巻きども」がいるせいで、この異常な状態が長期間続き、一番近い家族などがひどい目に遭い続ける結果になる。

「本当はあなたが変なのだ」と本当のことを忠告しようものなら極端に逆切れしてその忠告した相手を執拗に攻撃し続ける。 問題の自覚が無ければ、診断が分かっても当然否認するだろう。しかし問題を自覚された方は、「自分こそが普通だと思い込んで独善的に問題を自覚することを拒む」状態が非常に不幸で、それこそ救いがたい状態であることは分かると思う。

 そのためには、誰かが一度は「はっきり」言うしかない。これは本人の前進のためにどうしても必要なことであり、辛くても乗り越えなければならないことである。それが分かっていて、「相手が辛いだろうから」という「理由で本当のことを言わないことを私は「配慮」とか「優しさ」と呼ぶべきではないと(個人的には)考える。 

☆受動型ASの一部の人は相手中心で「自分が無い」という特徴があり、常に相手からのアクションを受けて受身の反応として認知も行動も体験され形成される。

だから常に「特に愛着の対象がこうしたから私はこうした」という受動的な発言や行動となり、表面上は「無責任」「人に責任転嫁している」という相手から見たときの見掛けとなる。

これに加えて、受動型に限らずASの一部の人に見られる「直接その場で相手に言葉で要求や希望を伝えられない」「後で相手の居ないところで別の人に本音を話す」「愛着の相手は分かって居るのが当たり前なので言葉で伝えない」ということが加わると、結局「言葉ではっきり言わないでその他の非言語的な態度で相手をコントロールしようとしている」と言う見掛けとなり、これも表面上境界例に似ている。実際自傷や過量服薬などの表現方法をとる人も多い。

これがACや境界例の所謂「見捨てられ不安」とどのように違うかは微妙だが、ACや境界例が「自分を必要としてほしい」という感じなのに対し、受動型ASの一部の人は、「自分を理解してほしい」というのが強いところが少し違うだろう。

例えばうつで通院しているといった自分に不利な情報を早々と正直に伝えてしまい、「これを理解したうえで私と付き合ってほしい」ということを馬鹿正直に続けたりするところは人格障害というより発達障害と考えるべきなように私は思う。

☆依存させる側の責任
依存は当たり前だが依存させているほうにも責任がある。だから受動型ASや甘やかされた依存型ジャイアンが働きもせず、引きこもったりして、親に金を出させている場合、責任の半分は親にある。

一番悲惨な図は大人になっても依存が成り立たなくなると暴力を振るったり、自傷や自殺企図をしたりするパターンだ。こういうケースの多くは親の側にも「責任を取りきれない」事情があることが多い。

例えば親が受動型ASの場合には、もろに文字通り「振り回され」て極端に行動する羽目になる。また親が依存型ジャイアンやジャイアンACの場合にも、「パートナーに任せてあったのに」と逃げ口上を言ったり、要求されるままに金を渡すだけになることが多い。「自傷などが心配だから」と言い訳をして、結局は自分自身の親としての責任をあいまいにして、正対してきちんと子供と関わることから逃げているのだ。

もちろん本気の自殺企図かどうかについては専門家の見立てが必要であるが、親として事態を打開する努力を先延ばしにせず行うべきである。

そのために私が勧めている方法は、「振り回されている親のほうがカウンセリングに通う」という方法だ。少なくとも、子供の問題の責任を自覚して、親自身が変わらなければならないという現実を直視する姿勢を取るべきだろう。

「子供だけの問題だから入院でもさせて(親は何も努力しなくとも洗濯機のように)きれいに治してくれ」と病院に求めるだけの親が多いのは残念だ。

親の関わり方と本人の行動が一組の悪循環を形成していて、そのパターン全体を変えないと本人の行動は変わらないというアセスメントを専門家がして、そのアセスメントを元に親に細かい関わりを助言する形が一番現実的だろう。
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成人しているのに「この子は自分で生活出来ないから」「他人様に迷惑をかけないため」と言って面倒を見続ける親は多い。
多くは幼少期から過保護過干渉で、本人は失敗から自己責任で学ぶ機会を与えられず、管理され支配されて生きてきて「自分で考える」ことをしなくなっている。

「本人が自分で出来ないから」、「親に丸投げしておけば最後は親が尻拭いしてくれる」という共依存のシステムが出来上がってしまうと、それ自体が引きこもり体制を支えているため、そのままで自力で解決へ向かう可能性は非常に少ないと私は考える。
実際親が年取って限界になってから医療につながるケースも保健所などでは今でも時々目にする。

共依存の場合は、極端には「最後は叩き出す」というハードな自立への環境調整を目標にして、親が親からの共依存のプラグを抜くための努力を続けることになる。
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ASの人には「相手が自分を理解してくれる可能性を感じると同時に、結果として完全に理解することを要求してしまう」という現象がよくみられる。

「相手が自分を理解してくれるかもしれない」というのは一つの可能性であり、当然理解してくれない可能性もあるし、結果としての理解を保証するものでは全く無い。

しかしASの人は、一足飛びに「だったら全部分かってくれるはず」というところに飛んで、100パーセント理解していることを前提に行動したりする。これは事実上「理解の要求」になっている。理解の「可能性」と「結果の要求」は明らかに別物であり、これを区別できないことが、ASと他者の多くのコミュニケーションのトラブルの原因では無いかと私は思う。
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(実例)
自分の非を認めず、私に責任転嫁する。
私に直接関係ないことでも、なぜか私のせいにされてしまうことがある。

・自分のしたことで都合の悪いことはすぐに忘れ、反省もしない
(自分が何をしたかわかっていない?)。

・私にとっては深く傷つくようなこと(私の人格を否定するような暴言など)でも、彼は忘れているか、些細なことのようにとらえていて、「覚えていない」「僕は別に悪いことをしたと思っていない。そんなことを気にする君は弱い」と言ったりする。

・他人を傷つけることには鈍感だけれど、自分が傷つくことには敏感。
ストレスやプレッシャーから自分を守るために、相手(私)を平気で傷つける。(自分を守るのに必死で、傷つけているという自覚がない?)

・考えや気分がころころ変わる。自分の言動に責任を持ってくれない。

・すぐにばれる嘘を頻繁についたり、理屈の通らない言い訳をしたりして、ちゃんと向き合ってくれない。

・大事な話し合いがなかなかできない(眠くなったり、逃げようとしたりする)。
いつも私任せなのに、後になって取り返しがつかなくなってから、「自分は本当はこう思っていた。本当はやりたくなかった」などと言う。普段は自分のことばかり考えているのに、そういうときに限って「僕は君を尊重したいから」と言って自分を正当化する。

・大事な約束をことごとく破る。(物事の優先順位がわからない?)

・相手(私)が悩んだり、苦しんだり、努力したりしていることが全く理解できない。

・どんなに手助けを求めても、助けてくれない。
(ストレスにとても弱いため、自分の負担になることは避けたい?)

・相手(私)が自分と違う考えや感情を持っていることをなかなか理解できない。

・彼が、彼なりに私を愛してくれているのか、それとも愛情がないのか、私も、彼自身もわからない。(自分以外の人間では、間違いなく私のことが一番好きで一緒にいたいけれど、自分が一番好きで大事で基本的に自分のことしか考えられないため、私に対する気持ちが愛情と言えるのかどうか、わからないそうです)

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●目標の下方修正

例えば思春期の人に最初にASを告知する時には、「あなたは少数派であるが、少数派であるといって、全面的に合わせる必要は無い」と説明している。ASのコーチングの基本は、まずASであることを「否認しない」「受容する」ということで、その段階のコーチングでは「ASらしく生きて構わない」と実際助言している。

 そういう意味では、ここで進めているコーチングは、「上級編」であり、少なくともASであることを否認しなくなった段階以降に、本人が「ASでありながら世間と共存する道を探りたい」という前向きの努力をする場合にのみ有効であると思う。

 さてそういう上級者のASに対しての助言として、「目標の下方修正」というテーマは非常に重要になってくる。ASについての事実を知って自己評価が下がるのは、「目標が相変わらず非現実的に高い完璧なレベルに設定されているから」である。

 自分自身のことであっても、「当たり前に完璧に」という目標を立て続けて、「その目標に比べると自分が駄目で」というのではかえって中途半端になる。ASについて理解したら、必然的に「目標を完璧なレベルに置くこと自体が非現実的」という理解から、「有限で現実的な目標を立てる」ということまで考えて行きたい。


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-- ボーダー(境界性人格障害)に見える受動型AS

受動型アスペルガー症候群(以下AS)の人は、小学生のときから「外と内」が全く違う。多くのケースでは学校などの「外」ではほとんど意思表示せず、逆に「内」で愛着の対象である母親などには暴力暴言、理不尽な要求を突きつける。青年期になっても、パートナーの態度に過剰反応して、大人になっても自傷したり、過量服薬したり、説明しないで家出したりする。

この愛着の対象に対する態度は、「愛着」ゆえのASの人には当たり前のような行動である。愛着の対象は自分のすべてを知っていて当たり前であるし、逆に自分は相手のすべてを知っていなければならない。相手は自分のして欲しいことは言葉で説明しなくても分かるのが当たり前で、「何で分かっているのに意地悪をするか?」という解釈となる。

自傷や大げさな暴力などを伴う場合に、表面上「境界性人格障害」という診断になりうる。

「AC(アダルトチルドレン)」というのにも表面上非常に良く似ている。相手の問題と自分の問題の区別も出来なくなるし、「直接相手にはっきり言えない」ところも似ている。

鑑別は、「自己評価の下がり方」とこの行動が出る相手や状況を注意深く聞くことで出来る。

ASゆえの不安と、いわゆる「見捨てられ不安」は少し違う。境界例やACの場合には、明らかに自己評価が下がり、「自分を罰する」とか「自分を消す」ような自傷の意味があるのに対し、受動型ASの場合はそれほど自己評価が下がっている風には見えない。

☆愛情不足
子供の問題行動や衝動性などがあると、良く「愛情不足」という言葉が出てくる。  
私はそれを見るたびに「安易に言うな!」と腹立たしく思う。

この表面的な見方の根本には、「ある程度満足するまで愛情を親などから与えれば正常化して問題行動は治まる」という非常に根拠の無い前提が存在し、実際この前提まで含めて世間の多くの人は説得力があると認識しているようだ。  

発達障害支援の現場で、親などの相手が根負けして折れるまで激しい反抗を続けるジャイアン型ADHDの子供や、愛着の相手に100パーセントを当たり前に要求する受動型ASのケースを見ていたら、「子供はある程度愛情を受けたら満足して自立する」等という前提は全く意味を成さないことがすぐに分かる。  
 
実際ジャイアンの子供を「よしよし」となだめたら、どんな悪さをしていても、「その前に叱られたことは完全に忘れ去られる」と考えるべきであり、また、受動型ASの子供は母親が「察して合わせる」ことをすればするほどとめどなく母親に理不尽とも見える要求をするようになって行く。
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「意味不明な人々」
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080825/2 より

●自傷への対処

受動型ASは依存が受け入れられないときに自傷行為をすることがお決まりのように良く見られる。(依存型ジャイアンでも、いわゆるACや境界例と言われる人にも、要は依存パターンが存在するところには同様に良く見られる)。この自傷は「自分の不安はこれくらい大きいことを身をもって伝えたい」というアピールであって、本気の自殺企図とはかなり異質な行動である(受動型ASは自分から本気で死ぬことも少ないと私は考える。良く見られるのは愛着の対象に殺してくれと頼む図だ)。

思春期のケースの親や、パートナーの立場からするとこれほど精神的に揺さぶられる状況は無いだろう。自殺をちらつかせた最も効果的な責任ある保護者への脅しであり、「依存をさせ続けろ」と強要する強烈なメッセージともなりうる。

私はもともと「人格障害」を専門にしようと考えていた医師であり、自傷についてはずっと考え続けてきた。

私の対処の方法は、「何か訴えたいことがあるのであれば、言葉で言いなさい」という方法だ。言葉で表現すれば一生懸命に聴く態度を示し、他方で「自傷のような意味の分からない行動では何も変わらない」ことを周囲の全ての関係者がドライに本人に対して行動で示すのが一番大事なことだ。

具体的には、かすり傷程度なら「これくらいなら大したことは無い」「死ぬことは無いよ」と冷静に説明し、縫合の必要の無いケースは淡々と消毒を指示し、縫合の必要なケースは外科の先生にお願いして、外科用のホッチキスでガッチャンと止めてもらう。

このホッチキスの利点は3つある。①「糸のように上からまた切れない」、②「傷の直りが比較的綺麗」、③「縫合のように丁寧に大事に対応されたという感じに欠ける」。「あなたのように自分で自分を傷つける人はこれだよ」とでも言いながらやってもらうのがベストだ。保険も適用しないで実費で処置費を取る先生も居られる。

 一番やってはならない対応は、「大騒ぎして、その後周囲の人の態度が一変して本人の言いなりになる」というパターンだ。これをしたら最後、「要求が通らないと毎回でも自傷する」という悪循環に嵌ることになる。

 これは情緒の問題ではない。何よりも「本人のためにならない」という合理的な判断で関係者全員が統一し、医師の判断のもと(本物の自殺企図との鑑別は医師の責任で行うしかない)、周囲が決して振り回されないように一貫して徹底した態度を一切変えないで続ける。

 片方で前向きに本人が努力して認められる道を示し続けながらこの「逃げ道を封鎖する」方式を実践できれば、自傷のパターンは治療は可能となる。

 関係者、特に親やパートナーの「度胸」「忍耐力」「本人に向かい合う真剣さ」がストレートに問われる場面である。関係者(特に医者)の側に少しでも正対できない弱さがあると、見事にそこに付け込まれる。

 これが私がプロとして行っている治療の世界だ。
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