吹き替え

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日本のテレビ番組で、洋画や海外ドラマを見るとすぐわかるけど、画面は見なくても声を聞いただけで日本語なのに「海外のだ」ってわかりますよね。
声優さんはすばらしく真に迫っているのに、日本語としてわざとらしい、というか、話し方が大袈裟というか....
日本のドラマのように話したら映像と合わなくなってしまうのだろうな、と。



イタリアのテレビ番組でも、アメリカなどの映画や海外ドラマが多く放映されるのですが、これがまた、すぐわかるのです。
顔や、背景といった、映像を見なくても、語が違う!
イタリアの声優さんもすばらしくて、オリジナルの英語より演技派かも?と思えるほどなのですが、
すぐに「吹き替え」だとわかる。


なぜかというと「聞き取りやすい」のです。

吹き替えだから「標準イタリア語」なんですね。


イタリアドラマも喜怒哀楽の激しい表現をしたりするから、日本語で感じる「大げささ」というのではないのですが、普通にイタリア人がしゃべっている感じなのです。


でも「吹き替え」は違う...


前にも書きましたが、イタリアは映画館の映画もほとんど「イタリア語吹き替え」です。


「吹き替え」による「違和感」をあまり感じてないようにも思えます。



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否定疑問文

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日本語で例えば

「コーヒー飲みますか?」
「いや、いらないです。」
「コーヒーは好きじゃないのですか?」
いいえ、好きなんですけど、今はやめておきます。」


と言ったりしますよね。この最後の「いいえ


これが英語だとYesですよね。

イタリア語でも私の知る限りの欧州語でもすべて「YES」なのですが。

例えば英語だと


"Don't you like coffee?"
"Yes, I like it. But now, I don't feel to take it."

とか。


ここが、頭ではわかっていても、自然に「Si」と言えるようになるまでに、私のイタリア語の場合、半年か1年くらいかかりました。


イタリア語の場合、

「好きじゃないの?」
"Non ti piace ?"

と最初にNoという言葉がつくから、余計、否定文で聞いているニュアンスがしませんか?
弁解ですが。最初から全く問題ない人もいるんでしょうけど。
"No"のあとで"Si"と言いなおして肯定文を続けるから「SiなのNoなのどっち?」と言われたり
「最初のNoが本音じゃないか?」と思われたり。


コーヒーを他の単語にしてみても同じことです。


そんなわけで、時間と失敗をかけて否定疑問文に慣れて、自然に迷わず応えられるようになったのですが。

今は日本語で否定疑問文で聞かれると、時々迷います。
特に文章で「---ではないほうでもない」「yes」「no」と選択肢があった場合とか、
ということはどういう意味??とか。



20年以上イタリアに住んでいて、店で販売員をしている人の話。
「最近の日本人の若い男の子、いらっしゃいませ、とか、何かお探しですか?とか接客しようとすると
"大丈夫です"って言うのよね。何なのあれ?大丈夫って?」
と言っていました。
「近づかないでくれ」って言うことなんでしょう。「今は見ているだけです、とでも言えばいいのにねえ」という
話になったのですが。


最近の日本ではよく「全然、大丈夫」という言い方をしますよね。
「全然大丈夫じゃない」ならわかるけど、「全然大丈夫」って文法的には合ってないんじゃないかと妙な感じがするんだけど、もうすっかり定着しているような感じがします。
定着してしまったら、文法的に変でも新しい日本語になって、そんなふうに言語は変化していくのかもしれません。


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音楽と語学の関係

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イタリアに音楽留学に来ている日本人などに会うと、滞在1-2年でイタリア語がペラペラだったりする人が多いのです。
私の1-2年目は片言でとてもあんなふうにはしゃべれなかったなあ、と思う。今でもちょっとましになった程度だけど。


音楽をやっている人って、耳がいいから、外国語の言葉も「」としてとらえて、覚えがよかったり、覚えたら忘れにくい、ということがあるんじゃないか、と。


私も子どものとき、ピアノをやっていたことがあるので、耳だけは絶対音感があって、小学生のころから楽譜なしにテレビのアニメソングや歌謡曲を弾いたり音楽室で皆で歌ったりしていたものだけど、せいぜいその程度で、音楽の道に進む力量情熱もなかったのですが、今思うと、それでもその音感が語学にもちょっとは役立ってるのかもしれない、とも思うのです。

音感ゼロの人に比べたら、の程度ですが。


だからプロの音楽家の人たちは相当語学力も達者だったりするのではないかと。(実は努力をしてぺらぺらになったのかもしれませんが)


じゃあ、日本でミュージシャンと呼ばれる人は皆、英語とか語学が得意か?といえば、そうじゃないと思うし、世界的に見ても、そうじゃないでしょうし、音楽はできるのに母国語しか話せないという人も多いでしょう。


逆に、何カ国語も母国語のようにペラペラにしゃべる欧州人の友人がいるのですが、彼女は「音楽は苦手」と言います。単に特別音楽教育を受けなかっただけだろうと思うのですが。


そういうわけで、音楽の才能語学の才能必ずしも比例するわけではないし、どちらかだけが得意な人もいるでしょう。(どちらも得意な人もいるだろうし、どちらも不得手な人もいるでしょう。)


でも、「音楽の才能がある人は語学も才能がある」という傾向はあると思います。あくまで傾向で、それも単なる私の推理ですけど。

他にも語学は暗記力記憶力(私はこれが弱い)や、周りの環境(誰と話すか?誰を参考にするか?)、日々の努力の積み重ねといったことが必要だから「音楽をやれば語学力がつく」という話ではありません。


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ドル、英語で「dollar」は複数形になると「dollars」とSがつくけど、イタリア語でドルは「dollaro」複数形は「dollari」になります。


ユーロ「euro」はイタリア語では単数も複数も変わりません。


英語の場合も同じかと思っていたら複数はeurosと言うらしい。(英語圏の人にSつける?と聞いたところ人によって違うことを言うので確証はできませんが、ネットでもSが表示されていたりするので、つくのでしょう。それとも、ついたりつかなかったり?誰か知っている人がいたら教えてください。



スペイン語は複数形には「euros」とSがつくようですが。


イタリアもリラのころは単数形は「lira」複数形は「lire」だったため、ユーロに変わった当初は複数形を「euri」と発音するイタリア人もいたとか。


それにしてもこのユーロ暴落、ドルもですが、毎日落ち続けているのでびっくりです。

子どもの誤解

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日本人から聞いた話がおかしかったので。

(私は面識ないのですが)東北出身のA子さんの弟は「しんたろう」という名前だったのだけど、学校に行くまで自分の名前は「すんたろう」だと信じていたのだとか。A子さんも。
親も皆、そう呼んでいたから.....って。

イタリア語でもそういうことってあるのでしょうか。
自分のことを「Bella」(美しい)とか「Tesoro」(宝物)とか「Amore」()だと思っている子ともはきっといるでしょう。だって、皆からそう呼ばれるから....

タメぐちと敬語

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イタリア語は二人称単数、「あなた、君、お前....」英語のYouにあたる言葉がTuLeiがあり、Tu のほうが親しい仲、Lei は初対面の人や敬語で話すような場合に使う。


この2種類あるというのは、フランス語やスペイン語もそうなのだけど、イタリア語はTuを使うことがすごく多いように思う。


個人的にはフランス語やスペイン語に詳しくはないのだけど、何となくその点に気づいていた頃、イタリアにいるスペイン語圏の人と話していて、「そうだよねえ」という話になった。


かなり親しい仲でもイタリア語のLei にあたる尊敬語で話したりするというし、日本語だって、ちょっとでも先輩や年上だったら、かなり親しくなった後でも「です、ます」で話したりするし....


イタリア語なんて、いきなりTu で話しかけられることが多いし、気さくな店では初対面の客にTuだったりするし(私は一応お客様にはLeiで話します)、どんなに年上でも友達だったらTuだし、友達の友達だったら年は関係なく即Tuだし。


映画などを見るとイタリア語も昔はLeiではなくVoi(二人称複数、あなたたち、と同じ)を使っているし、しかも家族の間でも...


日本語だって、昔は夫婦や親子でも尊敬語で話していたのだろうから、言葉というのは丁寧なかしこまった表現からくだけた表現へ変化していっているのかもしれない。



Tuと呼ばれること、年に関係なく、人とTuで話せること、私は好きなのですが、年下からタメぐちで話されるのが嫌な人は合わないかもしれません。私は日本語でも気になりませんが。

その点、英語は全部Youで楽だなあ....

おばさんとシニョーラ

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ブログネタ:何歳からおばさん? 参加中

以前、そういう話題で、この記事(微妙な女心) を書いたことがあるけど、(もう3年も前になる!早い)イタリア語には名前を知らない人に呼びかける「シニョーレ(男)、シニョーラ(女)」という便利な言葉がある。英語でもあるし、他の言語でもあるけど。


日本語では「おばさん」と呼ばれるのは慣れの問題なのかもしれないけど、きっと、甥っ子姪っ子でもない他人から「おばさん」と呼ばれるのは、どんなに「おばさん」になっても、いい気がしない言葉かもしれない。


自分が年をとってくると、他人の年もだいたい想像がつくようになるものだけど、子どもというのは、大人は大人であって、「お姉さん」というのは自分よりちょっと年上の「まだ大人じゃない」女の子に対して使う感覚なんじゃないかと思う。



イタリア語では伯父、叔父、は"Zio"、伯母、叔母は"Zia”というのだけど、「Zio、Zia+名前」で、パオロおじさん、とか、ルイザおばさん、とか呼んだり、そういえば、日本語でもそうなのだけど、Zio,Ziaというと日本語の「おじさん、おばさん」とはちょっと印象が違う気がする。


日本語の「おばさん」は叔母、伯母以外に「小母さん」(一般的に言うおばさん)という意味があるらか。


「Zia」と呼ばれることに、イタリア人女性は日本人の「おばさん」ほどに抵抗はないように見えるし、まして「シニョリーナ」と呼ばれるのは、一人前に見られていない場合もあるから「若く見られている」と単純に喜ぶわけにもいかない。



実は、修復の家具の依頼主が何か月の間も、私のことを「シニョリーナ」と呼ぶので「結婚はしていないけど、シニョリーナと呼ばれる年でもないし、そう呼ばれると恥ずかしいから、名前で呼んでください。」と2-3度、言って、最近ようやく名前で呼んでくれるようになったのだ。


日本語で会話の中で「こういうおばさんを見かけて...」というのは別にして、他人への呼びかけとしての「おばさん」って、言われるほうが何歳から、という問題ではなく、言っていいのは子供だけ、じゃないでしょうか。
子供だったら、大人の女性は年の区別もできず、みんな「おばさん」なのだから。


また、大人が他人に(相手がどんな年だとしても)「おばさん」って、言うのは失礼でしょう?
だったら何といったらいいのか?イタリア語だったら「シニョーラ」という便利な言葉があるのに。


「お姉さん」という言葉も「シニョーラ」のように万能ではないし、いっそ、日本語でも「シニョーラ」、または「マダム」と言いますか。
結局、「おばさん」とも「お姉さん」とも呼ばず、自然に会話するのが一番なんでしょうけど。



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オッサン


若く見られること

ミツビシ

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1年ほどまえイタリア人友人が「エアーコンディショナーを入れようと思うのだけど、近所にミツビシがあるから、そこに行こうと思う。」と言うと、別のイタリア人が
ミツビシって何?」と聞いていた。
「日本の会社よ。ね?」と私に聞いてきた。
「そう。大きな会社だから、クーラーだけじゃなくて、他の電化製品も、他にもいろいろやってるから日本ではすごく有名」と言っておいた。


そのくらい、知らない人が多くて、知っていてもクーラーのメーカーとして知られている程度で。


そのエアーコンディショナーのラジオのCMで聞いたのだけど、

ミツビシ、ミストゥピッシMi Stupisci、あなたは私をびっくりさせる)」だって。


語呂合わせというより、イタリア人が「ミツビシ」と聞くと、Mi Stupisciというイタリア語を想像してしまうらしい。


最近はテレビで、車のCMもやっているので、三菱もイタリア人の間でも有名になってきた。

(以前はトヨタや日産、スズキのCMはしていたけど、三菱はごくごく最近)
日本企業、がんばってます。
(SonyやNECは日本の企業だとは思っていない人が多いですが)

hの発音

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イタリア語はhの発音をしないのだけれど、スペイン語やフランス語のような同じラテン語を原形とする言語はそういう共通点がある。だから、hが名前につく人はちょっと困るかもしれない。

例えば、「ハシモトさん」は「アシモト」とか呼ばれるわけだし。


以前、フランス人と英語で話していて

「I am hungry」お腹すいた、と言ったら

「え?怒ってるの?」と誤解されたことがある。

「Iam angry」と聞こえたらしい。私の発音の問題もあるだろうけど、彼らはhは聞こえないのか?と思ったので印象に残っている。



最近聞いたイタリア人の英語では

「I ate my boss」というので

「え?上司を食べた?」と思ったら

「I hate my boss」と言いたかったらしい。


多分、日本人がの発音の違いに苦労するように、イタリア人やフランス人やスペイン人は英語のを発音するのに苦労しているのかもしれない。母国語にない発音なのだから。



simpatico

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女性形はsimpatica、辞書によると「感じの良い、好感のもてる、親しみがわくような、愛想のよい、快い」という意味なのだけど、イタリア語でとてもよく使う。

人を形容するときに「bello, simpatico(男性) bella simpatica(女性)」で「かっこよくて、感じのいい」「きれいな人で、感じもよくて」という具合なのだけど、新聞の恋人募集などのコーナーで、皆、自身をそういうふうに自称したり、相手に求めていたりする。

お店の人の対応が愛想よかったときもsimpatico、イタリア人にとって、「愛想がよい」ということと「感じのよい」は同じ言葉で、人の性格・中身を表現するとき、かなり重視されている言葉なのだと感じる。


あまりにも使われすぎて、イタリア人simpaticoだらけで、ほめ言葉としての重みは軽いのだけど、イタリア人にとって「必須」項目なんだな、とsimpaticoという言葉を改めて考えてみて、思ったのでした。