「お買い物中毒な私」

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いよいよ映画化された「I love shopping」 ←イタリア語訳のタイトル。

シリーズ5まで本で読んだ私としては、ちょっとがっかりでした。

予想では1巻のストーリーで終わっといて、映画もシリーズ化するだろうとふんでたのですが、

3巻までの内容がばらばらに入っていて、そのわりには、大事なシーンがいっぱい抜けていて.....

あれじゃあ、レベッカの魅力が全然出ていなくて、ただのお買い物好きな、しかも嘘つきまくりの軽薄な女の子で終わってしまっていて。


例えば、映画に出てなかった私の好きな1巻での話では、

オリジナルの写真たてを作ってお店においてもらえるようになったルームメイトであり親友のスージー。

レベッカはお店に行って、「これ素敵よねえ」と店中にいいながら、写真たてを買う。

何も知らないスージーは「好評らしいの、再注文が入ったわ。」と喜んでいて。

ある日、レベッカが「見ないで」というのを押し切って、彼女の部屋の掃除チェックに入ったスージーが見つけたのは写真たての山.....(ここは、映像で演出したら、きっといいのになあ、と思いながら読んだので)


仕事に打ち込むときも、自分の知り合い(実家の近所)の夫婦が投資をしていて「はめられた、騙された」というのを知り、俄然、証拠つかみに走り、記事を書き....とことん「正義」ひとすじ。


そんな友人思いなところ、そのためには損得なしにまっすぐなところ、また黙っていても求愛されるヒロインたちとは違って、自分からアピールしたり落ちこんだり、悩んだり、といったところが、「お買い物狂」や「見栄のための嘘」などに理解できなくても、共感できたりするのです。


ついでにいうと、男性役の「ルーク」の意外な魅力。

ハンサムで若いのに仕事もトップで、お金持ちで、優しくて、頭も良くて、ということなしに書かれているルークですが、私が「あ!」と思ったのが「Hai ragione」(君の言うとおりだ)と言った箇所。


だいたい、男性って意見が一致しているときは、「そうだね。」と肯定の言葉を連発するけど、食い違っていた意見が突然「君のほうが正しい。その通りだ。僕が間違っていた。」と言うでしょうか?イタリア人だと女性もまず、言いませんねえ。

絶対、どちらも譲らない.....(オリジナルの舞台、イギリス人は譲り合うのでしょうか???)

でもこのルークは5巻までにいたって、何度も言うのです。別に彼に非があったとかそういう場面ではなく、ビジネスの話をしていたりとか、本当に「意見」の違いにおいて。


また、これら、彼ら登場人物たちの魅力とともに、本で面白かったのは「窮地からの一転」の連続。

仕事も恋も、友人とも、「もうだめか?」と思えるほど、いや、実際現実的には「だめになってしまう」ケースがわかるだけに、リアルに思えるほどどん底まで落ちこむのだけど、なぜか逆転、ハッピーエンド、そこが読後感がいいのだと思います。


映画ががっかりだっただけに、1話ずつオチのある章ごとに、ドラマ化してもらいたいと思うところです。


関連過去記事

I love shopping a NewYork

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「真昼の星空」 / 米原万里

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いろいろ面白い話があったので紹介してみます。


「絶世の美女」
おとぎ話や童話には必ず美女が登場する。それも、この世のものとは思えないほどの類まれな美貌に恵まれ、権力を握る男たちを支配になるほど絶大なのである。...中略
きっと昔の人々のかなわぬ夢や願望を体現したにすぎないのだ。
現実の歴史の上のことでも、事実というよりは記録、物語を面白くするための、誇張や虚構がふんだんに取り込まれているはずだ...


でも、ある日、サーカスに感動しない子どもたちを見て気づく。
子どもたちは幼いころからあまりにも多くの美しいもの、すごいものを日常的に見過ぎている。見飽きているほどに。テレビという現実模写能力を通して。
宇宙からの景色も、戦争の現場も、ジャングルの奥地も、そして美女も。
かつては一人の人間が一生に一度会えるか会えないほどの美女たちを、(より正確に言うと美女のコピーに)毎日何回も見ることができるのだから、感動や驚きがすり減っていかないほうがおかしい。
というわけで、「絶世の美女」はおそらく現実にも存在したのだ。テレビのなかった昔は。


「グルジアの居酒屋」
グルジアの首都トビリシに楽しい居酒屋があったのだが、1991年のソ連邦崩壊前後からグルジアでは国内の大小の民族間の紛争と野心家たちの権力闘争が絡まって外国人が行けるようなところではなくなってしまった。
10年後、戦火の爪痕も生々しいトビリシを訪れ、昔と変わらない居酒屋の掲示板に書かれてあったこと。


「飲酒が宗教を信仰するより優れている8つの理由」
1.未だ酒を飲まないというだけの理由で殺された者はいない。
2.飲む酒が違うというだけの理由で戦争が起った試しはない。
3.未成年に飲酒を強要することは法で禁じられている。
4.飲む酒の銘柄を変えたことで裏切り者呼ばわりされることはない。
5.しかるべき酒を飲まないというだけの理由で火あぶりや石責めの刑に処せられた者はいない。
6.次の酒の注文をするのに、2000年も待つ必要はない。
7.酒を売りさばくためにインチキな手段を講じるとちゃんと法で罰せられる。
8.酒を実際に飲んでいるということは、簡単に証明することができる。


この地帯を巻き込んだ凄惨な民族紛争の多くが宗教がらみだったことを、8箇条は雄弁に物語っていた。


「夏休みの宿題」
著者は小学校3年のときから5年間、プラハのソビエト学校で過ごしている。
そこでの初めての夏休み、宿題がないことに驚く。
友人「エッ、日本は夏休みまで宿題があるの?どんな?」
中略
「そんなにたくさん?遊ぶ暇がないじゃないの。エッ、日記まで提出するの?変だよ。異常だ。日記って本来自分自身のために書くもの。他人に見せないからこそ自由きままに好き勝手なこと書けるのに。他人に見せる日記書いたら、もうひとつ裏日記つけなくちゃ。」


著者は最近のブログブームにこのときのことを思い出したという。


本来秘められてしかるべき私生活をつづった日記を公開するという現象は世界中を見渡しても、日本人だけに見られる特殊な傾向らしい。
おそらく、昔、宿題の絵日記を先生に提出するというわたしの話を聞いた学友たちがぶったまげたように、他国の人々にとっては、理解しにくい心情なのだろう。
もしかして、子ども時代に絵日記という他人に見せる日記を書くことを習慣づけられたせいで、日記公開という世界的にもまれな集団的減少を生んだのか。それとも、もともと日本人にあった、日記露出癖が夏休みの絵日記という宿題を生んだのか、定かではない。


どのエッセイも面白い視点で書いてあって、かつ話題のジャンルが広い。
この先、彼女の新作を読むことができないということは、あまりにも残念なことだと思う。


関連過去記事


ガセネッタ&シモネッタ / 米原万理  


ガセネッタ&シモネッタ 続き  


ブログ人口

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「おくりびと」を見ました。
死に対する考え方も、納棺師という仕事に注目したことも、たんに美しい映画というだけでなく、面白い映画でした。
また、とても日本的だと思いました。


例えば、主人公はチェロの奏者だったのに、オーケストラの解散とともに、チェロを手放してしまう。
音楽を勉強して、それを仕事としてやっていた人が、「解散」で全く別の道に行く、ということ自体、イタリア 人ならやらないと思う。(そこへ行きつくまでにかかった年月と莫大な費用なども考えられますが)
彼らにとっては自分が何のプロであるか、が、最優先されるし。少なくとも、しばらくは音楽の道で仕事を探す だろうと思う。


そう思うと、日本人は長年のキャリアをあっさりすて、全く別の道に行く人が多いように思 う。(私の周囲に多いだけかな?)
それはそれで、過去に執着のない、また勇気のある、あるときは自分に正直な行為だと思う。


話はちょっとそれますが、ちょっと前、高校時代の美術の恩師と会って話したとき


「あの頃は、実は教師をやめたくてしょうがなかった。美大の同級生たちの 活躍を見るにつけ、あせっていたんだろう。でも、まがりなりにも教師をしながらずっと描き続けたことによっ て、今の自分があって、同級生は今は絵を描いているのかどうかさえも聞かなくなった。」


「やめていった人が才能がなかったとか、続いている人の方が才能がある、 ということはないんでしょうし、もちろん才能がないと続けられないでしょうけど、やめた人にも才能があった 人はいるでしょう。先生は今では大御所ですけど。でも、続ける、ということに意味はあるでしょうね。」


「いつも似たような絵ばかり描くから、見るほうは飽きてくると思うんだ。 人の絵を見てもそうだし。自分で描いていてもそうだし。昔はそれから何とか脱出しようと悩んだんだけど、今 は悩まなくなった。同じ様な絵を描いていきながら、ふっと、ふっきれる瞬間があってね。君も今の絵を続けて いっていいと思うよ。」
という話になった。


また、ときどき 「続けること」の話 (←過去記事)を思い出しては、「あきらめずに続けるということ」にも意味があるんじ ゃないか、と思ってみたり、またあるときは「執着せずに、あっさり捨ててしまう」ことも必要かと思ってみた り。


.「欲やエゴや打算」ではなく、純粋に自分の気持ちに聞いてみても、答えが見つからないときがある.....

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エトルリア展

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ローマの平日@裏話-etruschi

エトルリア文化遺跡の展覧会に行ってきました。


エトルリアのことをずっとエルトリアって勘違いして覚えていました。

記事アップする前に、ちゃんと調べろよ、ってところですが。

本を読む時などに「エトルリア」って出てきていたはずなのですが、自分の中でエルトリアと覚えていたのでエルトリアって読んでいたのです。他にも探せば勘違いあるかも。



エトルリア文化の中でもラツィオ州(ローマを含む近域)の物。
ローマからはヴィラ・ジュリア・エトルスコ博物館から多くの出品が、その他のVeio, Cerveteri, Vulci, Tarquiniaなどの町から、それから一部、ロンドンのブリティッシュ博物館からも出品が見られました。


この展示会が、個々の美術館で見るのと違った印象を受けたのは、すごく計算して配置され、スポットライトを当てられて美しく展示してあるので、おお!という感じなのでした。

美術館では、こじんまり、ひそやかに、そっといるような物たちも....


像や壺の絵の生き生きした様子から、2000年、あるいはそれ以上昔に、それらを作った人たちの暮らしを想像したり、今までそれを保存して、修復して、ここまで持ってきて、スポットライトを浴びていることに感動しました。


また、エトルリア文化ってローマ文化にはない「可愛いらしさ」があるのも魅力的です。


極め付きは「お墓」。といっても、小さい小屋みたいな、壁に全面壁画が描かれているものとか。
壁ごと持ってきたんだー、どうやって取り外して運んだんだろう?とそこにもまた関係者の情熱が感じられて、同時にこんなに立派なお墓を2000年もの昔に建てて、壁画を描いたエトルリア人のことを想像して、ぼーっとなりました。



別件ですが、同会場でBill Violaという映像アーティストの映像展もやっていました。
ヴェネツィア・ビエンナーレを始め、世界各地で(東京でも)個展をしたり、と有名な人らしいのですが、映像を見ていると、ちょっと退屈で私は早回ししたくなりました。
特にストーリーがあるわけでもない映像がスローモーションでゆっくりゆっくり.....だったから。


映画やテレビに慣れて、アートとしての映像を見る機会がないと、そういうふうに感じてしまうのかもしれませんが。


メッセージ性もあったし、ところどころ、「スローモーションだから美しく感じられる」と思うシーンもあったけど、それにしても1作品(10-30分)通して全部見るには飽きる.....というわけで全部は見ませんでした。


絵や美しい風景なら止まっていても見あきないのに、映像だと動いていてもゆっくりすぎたり、ストーリーがないことに退屈してしまうのはどうしてだろう?と考えてしまいました。


この展覧会は1月6日までですが、エトルリア文化はローマでは上記のヴィラ・ジュリア・エトルスコ博物館で見ることができます。



Palazzo delle Esposizioni


スライドショー


Bill Viola

フェルメールといえば

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昔昔、私が日本で学生のとき、ゼミでの最初の課題が「フェルメールの絵の模写」でした。
キャンバスも手作りで、材木をのこぎりで切って、布を張って、膠を溶いて塗り....


今でも印象的なのは、色をつけるまえ、白黒で明暗をつける、という方法。
まるで、白黒写真のように、最初、全部白と黒で塗り分けるのです。
その上から、色をつけると、ちょっと色をのせただけで色が活きてくる感じでした。
途中経過を写真にとってればよかったのですが、当時はそういう発想もなかったです。


17世紀頃にそういう画法があったとしても、フェルメールがその画法で描いていたかどうかは、未だに謎です。もしかして絵の具を節約する画法かもしれません。
青などの染料は高価だったというし。


フェルメールといえば「真珠の耳飾りの少女」という映画があります。
ちょうどイタリアで修復学校に行っているころ上映になっていて、学校ではかなり話題になっていまし
た。(美術史と修復理論の先生がお勧めしていました)


当時の画法が垣間見れるし(白黒画法はとっていなかった)、何と言っても「美しい」映画だから。

どのシーンをとってもフェルメールの絵から切り取ったような...

そして、繊細な心、敏感な感覚を、はっとするほど美しく描いてある映画でした。



vermeer

”レンブラントからフェルメールまで、フランドル派とオランダの17世紀”
という展覧会に行ってきました。


イタリアの展覧会はわりと長期にわたるものが多く、今回も11月11日から来年の2月15日まで、まだ2度目の日曜日とあって、美術館の前は行列。出るころにはもっと長い行列でした。私は15-20分ほど待ったけど、4時すぎに来た人たちは1時間待ちくらいだったかも。


待ってるとき、後ろにいたイタリア人女性が「イタリア人の絵は何百回も見たけど、レンブラントやフェルメールをイタリアで見る機会なんて、まずないから。」と話しているのが聞こえてました。私も同感だったので「同じ考えの人たちで混んでいるのね。」と思ってしまった。


大きくタイトルうっている割には、レンブラント、フェルメールの作品はちょっとだけで(え?これだけ?と思ってしまった)その他ヴァン・ダイクやルーベンス、フランツ・ハルスなどもあったけど、彼らの絵の中でも傑作のほうではなく、その他の有名でない作家のものが多かったです。


でも、よかった。
というのは、同時期の同地方における絵画を見ると、共通した空気みたいなものを感じられて。


「イタリアにはない、イタリア人にはない、空気」


あるものには人の重厚さや深さ、あるものにはぴーんと張ったような緊張感、乾いた寒い空気、見透かすような視線.....


レンブラント派の無名の画家の肖像画があったのですが、兜(金色)と鎧がものすごく立体的で、浮き出ているようなのがありました。

写実的な絵」はたくさん見たことがあるし「写実的、リアル感たっぷり」というだけで、絵は感動するものではありません。でも、この絵は「本当に絵なの?ここの部分だけ浮彫にして立体的にしてない?」と思えるほどで、また肖像画の顔が人生深い渋い顔で....


見ていた女の子たちが「この絵、なんて美しいの、こんなの見たことがない。こわいくらいだわ。」と言っているのが聞こえました。
イタリア人が美術館にいっても有名絵画だけを見て「見たことに満足」しているのではなく、無名の画家の描いたものでも、絵そのものに心から感動しているのが、伝わってきて、そのことにうれしくなりました。



2月15日まで開催しているので、機会があるかたは足を運んでみてください。


場所 Museo del Corso, Via del Corso 320
火曜-日曜 10:00-20:00(月曜閉館)


http://www.museodelcorso.it/en/index.pl


聖ジュゼッペ・モスカーティ

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イタリアのカレンダーは毎日聖人の名前が書いてあって「今日は聖・誰々の日」といった具合で、例えば聖フランチェスコの日にはイタリア中のフランチェスコ君が誕生日と同じように「おめでとう」と言われるのが習慣です。最近は事例にならうことなく、変わったオリジナルの名前をつける親もいるようですが、一般的ではないので、イタリア人は同じ名前だらけです。

でも聖人の数が365よりも多く、聖人は遠い昔の人だけでなく、最近にもいるし、亡くなって時がたって「聖人」とされる(ヴァチカン教会・法王から認められる)こともあるので増え続けているようです。


11月16日は聖ジュゼッペ・モスカーティ(Giuseppe・Moscati)の日なのですが、最近、去年テレビで放映された彼のドラマを見ることがありました。



giuseppe moscati1

ジュゼッペ・モスカーティは1880年生まれ、1927年に亡くなるまで、ナポリで活躍した医者、医学博士です。


優秀な成績で大学を卒業するものの、多くの名誉や名声、高い地位へのチャンスを棒に振り(ことごとく断り)、貧しい人たちへの治療に専念します。

病院だけでなく、彼の自宅へまでも、お金を払えない人たちの行列が絶えません。


彼はそういう人たちをタダで診てあげるだけでなく、処方箋を書きながら薬代まで包んで渡したりするので、家はどんどん貧しくなります。最初は迷惑がっていた姉も、彼に感化され、後にはよき協力者として支えていきます。


ついには家の家財道具一切を売り払ってしまうほどなのです。
婚約者の美しい女性と愛し合うものの、患者・仕事優先のジュゼッペに女はついていけなくて、別の男と結婚してしまいます。(日本ではありふれた話ですが、仕事よりもプライベート優先のイタリアでは珍しい話です。)



医者というだけでなく、研究者であり、教師であり、論文、本も多く出版しているようです。


「過去に書かれたものを信用しない。常に自分で研究して真実を得る」という姿勢だったようです。
コレラが流行った時代にも重なり、コレラの患者にも積極的に治療に行ったようです。


勉強して、研究して、医者として働いて、人に与えて、自分にできる最大限のことをして、ある日突然、亡くなったのです。享年46歳。


彼の死後にも不治の病から奇跡的に治った人々から「ジュゼッペ・モスカーティを見た」という証言が相次ぎ、今でもナポリでは多くの人に語り継がれ、慕われているそうです。(ドラマの監督談)


彼は友人への手紙などにたくさんの名言を残しているのですが、ちょっと紹介します。(意訳です)


「人生はあっという間。名誉も、勝利も、裕福、繁栄も科学も、落ちぶれる。神が罪ある人間をこの世におくった創始の鳴き声が始まったときから、我々、人は死ぬ運命にあるのだ。

しかし、人生は死で終わるのではない。よりよい世界へと続くのだ。すべての人に約束されている。

我々はこの世の贖罪(あがない、救済)の後、いつか、親しい故人への元へ帰り、至上の愛へと導かれるだろう。」


「真実を愛せよ。ありのままの自分を見せよ。装うことなく、怖がることなく、評価することなく。

真実に圧迫されても、それを受け止めよ。苦痛は耐えることができる。

真実が自分自身や人生を犠牲にさせるのなら、真実が君を苦しめるのなら、それだけ君が強い、ということなのだから。」


ドラマはFiorelloが主役のジュゼッペ・モスカーティを演じていました。
イタリア人の芸能人は俳優は俳優、歌手は歌手、司会者は司会者だけしかやらないのが普通ですが、Fiorelloは普段、ショーにゲストを招いては、司会をしながら、歌を歌ったり、物まね(うまい!)をしたり、おかしい話をしたりする人なのですが、こんなシリアスな役を演じていたので改めて彼の多才な才能に感動しました。


いつかナポリ出身の人が「ナポリは聖と俗の街だからね。」と言ったのを思い出しました。


普段は「俗」それも「治安が悪い」「平気で騙す」「信用できない」「いいかげん」「品が悪い、ガラが悪い」とまあ、イタリアの悪いところをさらに極端にしたようなイメージのナポリ(私の個人的偏見ということにしておきましょう。もちろん素晴らしい善人のナポリ人にもたくさん会いましたが)ですが、「聖」の部分を見た気がしました。


こんな「聖人」それも僧坊ではなく、医者という現実的に人と関わる仕事をしている「聖人」がナポリにいたのですね。


ジュゼッペのの部分も、豊かさ、栄誉を求める友人医者ジョルジョのの部分も、私たち人間の中にどちらも潜んでいて、常に行ったりきたり、格闘しているのだと思います。無意識のうちに。

それでもどれほど多くの人がただただ豊かさを願い、自分、家族、身近な人だけのために生きていることでしょう。私たちは物や人に執着していることでしょう。いつかはこの世を去るというのに。


時々、笑える部分もありましたが、ドラマの最後は涙があふれました。


Giuseppe Moscati のオフィシャルサイト

(イタリア語、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語)
名言集もここにあります。


日本時代映画、3本見ました。


どれも藤沢周平原作なので、ストーリーも人間像も似通っていましたが、すべて楽しめました。
藤沢周平は私の大好きな作家なのですが、あんな短編を映画にするなんて、どうなるんだろう?と思っていたら、ストーリーや設定は原作とちょっと変わっていたようですが、イメージ的にはそのままでした。


たそがれ清兵衛と隠し剣の2作に共通していたのは「反体制」つまり反幕派の追われ者を、一見冴えないと思われているけど実は剣の腕はたつ主人公の男が、藩命で「討て」という役割を受けるところです。


(それに当時の感覚では釣り合わない身分の男女が結ばれてしまうラブストーリーも絡んでいるところも共通していますが。)


この「反体制」というと当時は「危険人物」であったのですから人間の命の尊重もない当時、「殺してしまえ」という「藩の命令」は絶対服従なのですから、主人公は嫌々ながらも自分の命をかけて、従うのです。


でも考えると、危険人物である男は

「今の日本はこのまま(鎖国)ではだめだ。もっと世界を見ないと。」

「藩と言っても、所詮、自分の私腹を肥やすことしか見ていない。」

「もうすぐ武士の時代は終わる」とか、まともなことを言っているわけです。


きっと、現実にも、そういう無名の武士がたくさんいたことでしょう。


西郷隆盛や坂本竜馬などの薩長藩の有名人たちが活躍するちょっと以前にも、グローバルな先見をもった、優秀な武士が、「反体制」として捕えられ、命を落としていったのでしょう。


ジョルダーノ・ブルーノを思い出しました。


私たち現代人は彼らが「命をかけて貫いた信念」の犠牲の上に、のうのうと暮らしているのだなあ、と....


関連過去記事

カンポディフィオーリのジョルダーノ・ブルーノ

I love shopping の続編、読みました。


レベッカのお買いもの度も彼女の波乱万丈度も、ますますスケールアップして楽しめました。
文脈で笑う、というより「どうするんだろう?どうなるんだろう???」という先が気になって、また後半を一気に読み終えた感じです。
きっと読む人もほとんどいないと思いますので、ネタばれで書きましょう。

ロンドンで経済ジャーナリストでテレビにも出演するようになったレベッカは恋人のルークの仕事のためにニューヨークに行くことになるのですが、ある朝、新聞で「嘘つき、偽善者レベッカ。テレビで経済専門家として人にアドバイスする仕事をしておきながら自分は赤字。それでも現在は恋人ルークとニューヨークにいて、ショッピングを続けている!」という記事が掲載されるのです。写真付きで。


それでニューヨークでの仕事のあてもキャンセルされ、彼氏には「君のせいで僕の仕事もだいなしになった。どんなに大切なプロジェクトだったか。」と冷たくされ、嘘をついていたことや隠していたこともバレて、別れてロンドンに戻るものの、元仕事に復帰することもできず、もうどん底なのです。


仕事もないのに、借金はあって。そのうえ有名人なだけに、色々言われたりもして、屈辱も味わい......同情もしたくなります。


そんな中で親馬鹿な両親と親友スージーがどこまでも彼女の味方なのですね。
「自業自得でしょ。」とか「あなたにその仕事をする資格はなかったのよ。」とか厳しい言葉や批判や責めたりは決してしないのです。落ち込んでいるときにそういう人がいるっていうのは本当に「救い」だと思います。
そして最後はハッピーエンドなんですね。仕事も恋も。


現実的には、そう簡単にはサクセスストーリーがとんとん拍子にいくのは難しいと思いますが、フィクションですから.......楽しめました。


面白かったのはイタリア語訳のタイトルを「I love shopping」とするだけあって、きっと伊訳の翻訳者のセンスがいいのだとも思います。
日本でこの本を手にとったらきっと買わなかったでしょう。読まなかったと思います。


邦訳が「レベッカのお買いもの日記;ニューヨークでハッスル編」ですよ。
ハッスルという言葉に引いてしまうのも私だけじゃないでしょうし、「お買いもの日記」というタイトルも、表紙の絵にしても、少女趣味的な、若い女の子(せいぜい20代前半?)対象の本、という気がするので。


日本って、何でも「年代を対象」という傾向があると思います。雑誌でも。服でも。店でも。飲食店や娯楽の場にしても。
だから客層の年もだいたい決まっているし、そうじゃない所に行ってしまうと「場違い」を感じてしまうのではないでしょうか。


イタリア人は年を気にしない、ということはないですが、場所によって年代層がはっきりしている、ということはないので、音楽がガンガンなっているロカーレ(日本では今何と言うのでしょう?クラブ?ディスコ?もしかして死語?言葉の移り変わりが日本語は激しいですから。)でも若い人たちもいれば40代以上の男女がたくさんいるのです。


前にも書いたことがありますがイタリア人は「もうこの年なのでそういう格好は..」ということもなく、好きなファッションをしているように見えますし。


だから、こういう本が「若い女の子対象」ということもなく、ベストセラーになるのでしょう。


映画化決定だそうです。

I love shopping / Sophie Kinsella

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「面白いよ。」と友人の勧めで読み始めて、通勤の電車の中でちびちび読んでいたのですが、後半は止まらなくなって一晩で一気に読み終えました。タイトルは英語、原作も英語ですが(オリジナル英語では「Secret dreamworld of a shopaholic」というんですね)。読んだのはイタリア語です。(イタリア語版のタイトルが"I love shopping"まさにぴったり。イタリア語では表現できません。)


本屋の目立つところでよく見かけるのでベストセラーになってるようです。


お買いもの大好き、カード破産寸前のレベッカ、見栄っ張りで嘘つきだし、買い物にも恋愛観にも全然共感はできないし、お友達としてもつきあいたくないタイプの女の子なのですが、なぜか、憎めない、後半は応援して読んでいました。


ストーリーはありがちな話というか多少、少女漫画的ですが、レベッカの妄想が並大抵ではなくて、映画かTVドラマになったら会話だけじゃなく、レベッカの思っていること想像していることををナレーションしたらきっとコミカルな笑えるドラマになると思います。



ブリジット・ジョーンズのように天真爛漫でもない、SEX&THE CITYの女性たちのように自立して立派な仕事と高い収入を得ているわけでもないし男や恋愛を探しているわけでもない。


出世していく友人、自分が集中してやってもできないことをテレビ見ながらいともたやすくやってのける別の友人、自分に気があると思っていた男たちのガールフレンド...そして自分には借金の催促....どうして、私だけ?と悩みショッピングでうさをはらし。


それでも正義感が強くて、嘘はついても、自分の心には正直で(だから買い物もやめられないし、人を傷つけたりもするし)友人の事に心から憤慨したり、譲れないものは譲れない、損しても恥かいても譲れない、そういうレベッカに共感する女性が多いのか、単にショッピングでストレス発散するのに共感する女性が多いのか、ベストセラーなのもうなずけます。


もっと面白いという続編もあるようなので、楽しみです。


原作も面白いと思いますが、イタリア語訳、すごくよかったです。タイミングというか、行間で笑える感じなので、電車の中でも何度か吹き出しそうになりました。売れているのはレベッカに共感する女性が多いからじゃなく、文章が笑えるから、というのが本当の理由でしょう。


探してみたら日本語版もありました。きっと面白いと思います。


邦題では「レベッカのお買いもの日記」。続編も出ています。


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