日本です

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今、日本です。

なんだか急だったし、体調もあまりよくなかったのですが、だんだん元気になってきました。


久しぶり(3年ぶり)に日本で気がついたこと。


食べ物の匂い。各駅、または駅付近に立ち食いなどの食べ物の店があるからでしょうか、駅のホームでも道を歩いていても、食べ物(しょうゆ)の匂いがする。

よく「日本に着いたとき」感じるというのは聞きますが、こんなあちこち匂ってたっけ?と思ってしまった。


マスクしている人が多い。

季節柄でしょうか?イタリアはまず、いませんから....


スカートはいている女性が多い。

この寒いのに、しかもミニ。イタリアだったら娼婦と間違えられそうなファッションの若い女の子も多い。


男性のしゃべりかたがソフト。

ソフトっていうか、優しいというか、穏やか、というか...

そのほうが受け入れられるのだと思います。女性に対してだけでなく、社会的にも、仕事上でも。


今日はこんなところで。




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セカンドバッグ

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革製品の店の人の話。


最近、男性用セカンドバッグが売れなくなったという。小さな四角いカバン、あれです。


そういえば、セカンドバッグを持っている男性、見かけないなあ、と思ったら、もともとセカンドバッグを使うのは日本人男性くらいなのだとか。


イタリア人は仕事のときはA4が入る書類かばんを持ったりするけど、夜出かけるときは手ぶらだったり...若い人はリュックや最近はショルダーバッグも多いですが、セカンドバッグは、見ません。


ある日本人男性客が言ったことには「セカンドバッグ、今でも使ってるのは関西人だけでね。私は九州に転勤になって、誰も持ってないから、使わなくなったけど、また関西に戻ることになったから、また必要になるかなあ。」とか。


本当なのかどうかは、確かな証拠はありませんが、女性のファッションも日本の地域によってでも差があったりするのだから、男性のバッグも地域差があるのかもしれません。


セカンドバッグを見たことない外国人客は「これ、女性用のショルダーバッグ」と勘違いする人もいるそうです。

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クレーム

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某ブランド店で働く日本人から聞いた話。


接客したわけでもない日本人客が日本に帰ってからの「日本での価格のほうが安かった。 」というクレームがあったのだとか。電話なのかFaxなのかEメールなのか、詳しくは知らないけど。

なにも「日本より安いです。」と言って押し売りされたわけでもないでしょうに。


このところユーロ相場の変動も激しく、170円から一気に150円になったりしたから、例えイタリアブランドでも日本のほうが安いということもありうるでしょう。


また日本では売れ筋の目玉商品は儲けなしに安い値段をつけることもありうるでしょうし。(イタリアではバーゲンでもない限りまずそういうことはしないです。価格競争というものがないようなので。)


それにしても商品に欠陥があったわけでもないのに(例えあったとしても通信販売じゃなくてその場で納得して買っているのだから)「日本のほうが安かった」という理由でクレームしてくるとは、とても日本人だと思ってしまった。イタリア人は買ったあとに「他のに交換」に来ることはよくあるけど.......(プレゼントにもらったものを気に入らないから他のに交換とか、よくある話。それもどうだか、と思うのだけど。)


何かとクレームをつけたい、かといって、どうなるわけでもないとわかっていても、文句を言いたい

接客もしていない日本人の店員に「申し訳ございませんでした。」と言ってほしかったのか?


相手がイタリア人なら、そういうクレームをわざわざ日本からしてくるだろうか?


そんなにほしいものを少しでも安く買いたかったのだったら、イタリアに来る前に値段を調べておくべきでしょう、と思うのですが。


同じ国内でも(どこの国でも)同じ物が値段が場所によって違ったり、というのはある話だし、その金額に納得して買っているのだから(ぼったくりされて文句言えずに仕方なく払った場合は別として)、あとからクレームしてくるって.......どうだか、と。

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台風レポート、してみたい? ブログネタ:台風レポート、してみたい? 参加中


日本は「台風レポート」なるものがあってそれ以前に「お天気お姉さん」というレポーター(アナウンサー)がいて、屋外中継を朝、生放送でやったりするけど、イタリアは、ありません。

アナウンサーが芸能人みたいになることもないし、ニュースそのものが、新聞を読んでるようなあっさりしたものです。
事件について突っ込んだ内容の説明、解説、などもなく、読んでおしまい。
現場の様子やインタビューなども時にはあったりはしますが、短いし、同じ場面が何度も繰り返されたり、とか。(日本人のジャーナリズムから見ると手抜き?と思えるような)

あっさりしている分、日本のニュースのような視聴者の感情に訴えるようなことは少ない気がします。
でもその分「大変なことが起こっている」という印象が薄いのも事実です。

制作側が訴えかけてくれないから、見ているほうが自分で解釈しなければいけない、という感じ。
そしてニュースのほとんどは暗いニュースや元気をなくすような内容なものばかり。

お天気レポート生中継、ほのぼのニュース、桜の開花、など、日本のニュースは視聴者をなごませる要素を意図して取り入れているのだと思います。
朝から気分が落ち込んだりしないように。

台風レポートをしてみたいとは思いませんが、見ている人に「すごいなあ」と思わせる立派な仕事だと思います。

ローマはここ1カ月以上も雨が降らず、9月になっても真夏並みの暑さ(35℃くらい)の日が続いていたのですが、先ほどからが鳴り出し、雨が降り始めました。
明日から急に涼しくなりそうです。


関連過去記事   大体の天気予報

迷子のアメリカ人

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イタリアを訪れる観光客は世界各国からいて、中には日本も中国も区別のつかない人たちもいれば、日本に行ったことあるという外国人はたいてい口を揃えて「日本はいい」と言うのです。


「君、日本人なの?よくイタリアで住んでいられるね。日本とは大違いでしょう。」とも言われるし。


たぶん、日本人から見た「日本とイタリアの差」よりも自国(例えばアメリカ人)から見た「日本」での驚き(例えば交通網などがきちんと組織化されていて....)と「イタリア」での驚き(何もかもがいいかげんで)のが大きく見えるのかもしれない。



最近聞いた外国人客(アメリカ人中年夫婦)の話で.....


「日本に着いて、ホテルに行くはずの電車を間違えたか乗り過ごしたかしてしまって、間違えた所で降りてしまってね。
夜も遅くて、道に迷って途方に暮れていたら、若い男の子が歩いてきたので道を聞いたんだけど、彼は英語ができなかったんだ。
でも、ホテルの名前の入ったカードを見せると、そのホテルは知っているらしい。しかも遠いみたい。もう終電も終わってるし、タクシーもつかまらない。
彼は「知ってるから、行きましょう。」と歩いて案内してくれたんだけど、そこから2時間ばかりもかかって、着いたときには夜中の1時半だったか2時だったか。
お礼をしたいから、と言っても、彼は「No,No」と言って、何も受け取ろうとせず、もと来た道を戻っていったんだよ。


日本人ってなんていい人なんだ、親切なんだ、って、その後も言い合ってね。」という話を聞いた。



困っている人を助けた若い日本人は親切だったと思う。お人よしだとも思う。(私だったら携帯を貸すなりして、ホテルに電話してもらって、タクシーを送ってもらうだろう。)


でも、彼は相手がアメリカ人じゃなくても、日本人でも中国人でもイラン人でもアフリカ人でも、同じことをしたかどうか?とも思えるのだ。


相手がアメリカ人で「英語」であることに、相手の言うことはちょっとはわかるけど、でも話せないことに、そういう引け目からの親切だったかもしれないと。
イタリア人の英語力もできる人はかなりできるけど、片言か、全くできない、という人も多い。それでも観光客が多いから英語で話しかけられる、ということには日本人より慣れているだろうと思う。
英語ができなくても知ってる単語を言って対応したり、堂々とイタリア語で答えている。(単語、単語、でゆっくり話しているだけなんだけど、本人は英語?のつもり)


日本は「外国人のお客様」はより親切に丁重に、扱われるのかもしれないけど、イタリアで一番(大切に扱われる)のは基本的に「イタリア人」なので、イタリア語を話さない外国人はときとしていいようにあしらわれる、と感じることがあります。
いや、イタリア語を話してでも、そうなのですから。外国人に対して偏見のある人たちもいるし、日本人にもあるでしょう。
そういう偏見や条件(なに人だから、とか)や壁や境界がなくなって、誰に対しても同じようにありたいものです。


落書き事件

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最近、日本のニュースで「短大生がフィレンツェのドゥオーモ(大聖堂)に落書き、後日それを見つけた日本人観光客が短大に連絡し、イタリアに謝罪」という話(詳しくはこちら )を読んで
「文化財に落書きするほうも信じられないけど、実際、観光地は落書きであふれているからね。それを日本語で書いて、学校名まで書いてたから見つかったのね。通報するほうも、日本の恥を公表するようなことをしちゃって。」と思っていたら、今日はイタリアでもニュースになっていた。


フリー新聞では「出来心か、よくある話なのだけど、日本の女子学生が、フィレンツェのドゥーモに落書きをしてしまった。他の観光客たちもやっていたので、気持ちがプッシュされたという。それを後日見つけた日本人が写真にとって、学校に連絡し、学校側はイタリアに謝罪の書面を送っている。賠償金を払うと申し込んだが、却下された。いずれにせよ、女子学生は厳しい処分を受けた模様。」(意訳)と書いてあった。

日本のニュースによると学生は6人だとか引率教員も処分を受けた、とかあるけど、イタリアではそこまで書いてない。現実問題、多分、落書きもいっぱいだろうから、たまたま身元が見つかって謝罪までしてきた日本人からだけお金をもらうことはできなかったんじゃないかと思う。


「落書きをした日本人を非難というより、落書きなんてありふれているのに、通報や公な謝罪までする日本人」という感じ。(どっちかというと女子学生に同情的)



一方、たまたま職場の有線のラジオで「日本人が...」と言っていたので耳をすませて聞いてみるとまたこの話題。
外国人に僕たちの歴史や文化なんてわからないんだよ。落書きなんかする奴は刑務所に半年くらい入ればいい。罰金も大金にしてね。」とかかなりふざけた感じで話していた。
罰金はいいアイデアかも。外国人よりもマナーの悪いイタリア人からのほうが多いかもしれない。(そして修復家に還元してください。)



またまた、その後、友人で集まって話していると
「日本人がフィレンツェに落書きしたんだってね。」と言われて。
「あー、聞いた?」と言うと聞いていない人もいたから一通りその説明になって
「見つけた人が通報するなんて、日本人だねえ。謝罪するなんて、またまた日本人だねえ。律儀だよねえ。落書きなんてありふれているのに。」という話になった。



落書きした学生は事がこんなに大きなことになるなんて思わなかったでしょうけど、当局ではない一般のイタリア(ローマ)人は、落書きされたことに批判するより謝罪してきたことに「!!!」って感じの印象を受けました。



一度、教会の中の壁の落書きの修復をしたことがあります。
油性マジックだったら、消すことも可能だとしても、釘のようなもので文字を彫ってあったので、目立たなくすることはできましたが、完全に消すことはできませんでした。


落書きはやめましょう。

アラフォーに思う

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Around 40、「アラフォー」という言葉が日本では流行っているのだという。
TVドラマで、40歳前後(になっても結婚しない)女たち(ドキッ)の話?だとか。


KYといい、アラフォーといい、次々と新語を作りだす日本語に感心してしまう。


ちょっと前のこと、イタリア在3年ほどでまもなく結婚する、という日本人と話したとき
「えーーー、6年以上もイタリアにいて、結婚してないんですか?」と言われてしまった。

はあー?大きなお世話じゃないですか?(とは言いませんでしたが)


イタリアでは結婚してない30-40代って多いですし、日本でも現在はそうでしょう?(多分イタリアのほうが多いでしょう)
別に結婚するためにイタリアに来ているわけではないですし。


独身主義なわけではないんですけど、「誕生日」や「血液型」のような誰にでも共通するような物差しで、「結婚」は計れないと思うのですが。



また、こんな日本人もいました。
滞在許可証がないので、3か月以上イタリアにいれないので、結婚しました。」と。


イタリアでは滞在許可証を得るのも更新するのも大変なので、(一晩並んだり、抽選だったり、上司に交渉したり、会計士に頼んだり、何度も電話して催促したり、あちこちに足を運んだり、何度も..などなど)
だから、それを避けるために結婚する人、多いです。


さらに驚いたのが「旅行で来たんですけど、彼氏ができたので、帰りのチケット捨てちゃいました。」って....
二十歳ぐらいのキャピキャピな子ではなく、それこそ30代後半の日本人。びっくりしました。



滞在許可証のために胃に穴のあくようなストレスを感じたり、その度に「そこまでしてイタリアに滞在すべきか?」と体重が減るほど考えるのに、何も考えないで本能のままに生きている人たちのほうがイタリアでは楽かもしれません。結婚したからって、楽だとは思いませんが。



結局、自分の納得したように生きたいですし。

アラフォー....なんでしょうか?


自殺国、日本

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ブログネタ:自殺について考える 参加中


日本は世界で一番自殺の多い国らしい。経済的にも豊かで、テクノロジーも発展して、平和で、という日本だというのが、イタリア人には「意外」に感じる人も多い。貧しくて、戦争で、という国ではなく、日本で?と。

イタリア、欧米はキリスト教で自殺を禁じているので、苦しいときに「自殺」という発想がないように思う。少なくとも日本のようにあちこちでしょっちゅう起こっていることではないので「非日常」な発想かもしれない。

また侍時代の「腹切り」に見られる自殺に対して「いさぎよさ」という発想もないだろうし。

ましてや「責任をとって」なんて、しない。日本は何かと「責任」「責任」という荷がかかってくるから、逃げられなくて「自殺」という手段をとってしまうのだろう。
何かにつけ、イタリア人は「責任をとる」という感覚はあまりない。言った言葉を守らなくても、弁解する、逃げる、人生謳歌して楽しんで死ぬ、と。借金を後に残しても。(最近、身近にそういう人がいました。)

また輪廻に見られるような「一度死んでもまた生まれ変われる」という考えが浸透しているのも自殺を増幅させる動機になっているかもしれない。

自殺を禁じるキリスト教の教えが正しいとか、輪廻がおかしいとか、そういうことはないの(むしろ個人的にはその逆)だけど、自殺が日常化している日本の感覚が世界的に見たら「異常」なのは確かだと思う。

自殺する当人の気持ちは他人には分からないかもしれない。それが子どもだったりすると、本当に悲しい話だと思う。

自殺って、狭い物の見方から来るのだから、
もっと別の見方で自殺しなくてすむ道はあると思うのだけど....



ブログネタ:この授業はいらない(いらなかった)と思う 参加中


日本にあってイタリアにない教科、というとこれが、けっこうあるんです。

体育とか、音楽とか、家庭科とか、道徳ももちろんありません。

学校によっても違うかもしれませんが、日本で言うところのクラス全員で体操着に着替えて走ったり、先生のピアノに合せてクラス全員で歌ったりとか、ないようです。

「日本のほとんどの学校には小学校から体育館があって、プールもある。」というと、びっくりされます。(教育環境に関して日本は恵まれていると思います。)

サッカーが強くて、他のスポーツ分野でも活躍していて、音楽も?音楽の国なのに?
というのは、特定の分野に進みたい人が、放課後に専門学校に通ったりして専門家を育てているようです。

日本のような宿題や塾もないイタリアでは、多くの10代の若者がだらだらと何もせず、遊んでいるようです。


外国語に関しては、英語だけではなく、フランス語やスペイン語、ドイツ語、中には日本語や中国語を勉強している人たちもいます。
ラテン語も日本でいう「古典」みたいな感じで、勉強した人たちも多いようです。
現在は使われていない言葉だからイタリア人にとっても「役に立つ」というわけではないでしょうけど。

でも「役に立つ」って何でしょう?
「今の仕事に知識を使える」→「それで給料をもらえる」という原価価値なのでしょうか?

そういう損得勘定で差し引き計算して考えるのって、どうなんでしょう。(すごく日本人的な気がします)

直接的にその知識が(利益となって)役に立たなくても、受験の後ですっかり忘れてしまうことになっても、そのとき普段使わない脳を使ったことが、その後の脳のあり方に変化をもたらしたかもしれません。
「無駄だったものはない」と言うわけではないのです。何が無駄だったのか、結論を出すほど、自分のことがわかってないと思います。

イタリアと比較すると日本の教科は「広く浅く知識知識」という感じがしますが、音痴の多いイタリア人 を見ていると、それはそれで、(一通り何でもやる日本の教育でも)いいのかも、とも。
それと、学校の掃除を生徒がやること、あれは日本のよい習慣だと思います。イタリアは家庭環境によって「きれい好き」と「掃除ができない」が極端ですから。

今思うと、あってほしかった、と思うのは「仏教や神道への知識」。日本語でも説明できないのに、外国語で説明できないでしょう。
「古典」ももう少し掘り下げて一通り読破していたら。イタリア人でちゃんと学校に行った人はダンテくらい読んでいます。
外国や外国語の知識は足りなくても「外国人だから」で済まされるとしても日本の知識や日本の文化を知らないと....

日本の学校では、欧米の楽器を演奏することはあっても、日本の楽器には触れたことがなかったり、油絵はやっても日本画はなかったり、着物の着付け、茶道、華道、よほど「習い事」としてやらないと、学校の授業では日本の文化は組まれていません。

剣道や柔道、合気道などの武道はどうなんでしょう?何年も、というのは希望者だけにして、誰でもちょっとでもかじる程度にやる機会があったらいいのに、と思います。男女とも。
どれも、将来その道を進むかどうかは別として、ちょっとでもやったことあるかどうか、で、人生、違ってくると思うのです。


ちょっと昔(戦前くらいまで?)の日本人(男性)は、漢詩で即興で詩を作ったりしていたんでしょう。(司馬遼太郎の本の世界)
かっこいいなあ、と思います。


関連過去記事 偏差値のない国





怒りの感情

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「日本人って、怒ったりしないの?」と聞かれた。
「するよ。でも、イタリア人に比べたら、少ないね。だいたい、公共の場で怒ったり、人が見ているところで、口論したりもしない。
もちろんあるけど、少ない。そういうのって、品が悪いと思われる行為だし、日本人は人からどう見られているか、をすごく気にするからね。
イタリア人は自分の感情そのままに行動するけど。」


「じゃあ、日本人は自分の感情をコントロールするように慣れているの?」
「そうね。きっと。小さい頃から、そういうふうに育てられてると思う。」

「でも、怒りたいときって、あるでしょう?それを抑えるのって、嫌な気分でしょう?」
「そう、そう。怒りたいけど、怒れない。よくあるから、それが日本人のストレスになってるんだと思う。」


だから、日本人は仕事のあとに、言いたいことが言ってすっきりするまで飲んだり、酔いつぶれるまで飲んでストレスを一時的にでも忘れていたいのかもしれない。
イタリア人はいつもその場その場で言いたいことを言っているから、仕事帰りに同僚と飲みに行くこともないし、酔うまで飲んだりもしないのでしょう。