テンペラ画の緑

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フェルメールの模写の「白黒絵画」で思い出したのですが、テンペラ画を描いたとき「最初にで着色」するという方法がありました。

14世紀の本に書かれた画法で、それに従ってテンペラ画を描いたときのものです。緑「Verde」からこの画法を「Verdaccio」と言います。



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最初は緑

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緑+色

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緑+色の繰り返し

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こんな感じ。


いきなりその物の色をおくまえに、または「色の上に影の濃い色をおく」のではなく、最初に濃い色(緑や黒)をおいてから、色をつけるのですね。

どう違うか、そのほうがいいのか?

それはわかりませんが、一つの方法として紹介しました。







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Pintoricchio

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ペルージャの国立ウンブリア美術館 で催されていた展示会の「ピントリッキオ:Pintoricchio」について話します。

(チケットにPintoricchioと載っていたのですが、ネットで検索したところ、PintoricchioともPinturicchioとも、どちらでも呼ばれているようです。) Wikipedia 参照


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↑ 自画像


彼はラファエロと同じくペルジーノ(ペルージャの人という意味。ダ・ヴィンチが"ヴィンチ村の人"という意味と同じですね。ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の側面にもペルジーノの作品があります。)を師としています。


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ジョルジョ・ヴァザーリ「続・ルネサンス画人伝」(16世紀)によるとこのピントリッキオに対してヴァザーリにしては珍しく、かなりの酷評なのです。

文章が面白いのでコピーします。


非常の才能を身に備えているのでないくせに、運命に助けられる人が数多く世にいる。
そしてちょうどその逆に、才能を身に備えていながら逆運にいじめられて泣く人も数限りなく多い。
それだから運命の女神が寵愛する子供たちというのは、まったく才能の助けなしに、運命の女神にすがるものだということがよくわかる。


自分自身の価値によっては決して世間に知られるはずのなかった人が世に出世するのは、ひとえに運命の女神の贔屓にあずかったからであるが、そのことがよくわかるのがペルージャ出身のピントゥリッキオの場合である。


このピントゥリッキオはなるほど数多くの助手を使い、たくさんの仕事をしたが、それでも彼の作品が実際に値するよりはるかに高い名声を博したのであった。


....ピントゥリッキオは自分の絵画に金を使って浮彫の装飾をした。これは派手で見栄えがいいというので、絵画という芸術に通じていない人々を満足させたが、しかし絵としては野暮で無様な事である。


.....本来は人物が手前で建築物が背後にあるのだが、縮小すべきものが、眼で見ればより大きく見えるはずのものより、前に来てしまっている。これは絵画という芸術におけるはなはだしい異端と言わなければならない。


....彼はイタリア全土にその他に数限りない作品を制作したが、これらは上手だがそう優れた作とはいえない。それだからこれらについては語らぬことにする。


シエナのサン・フランチェスコ寺に「聖母誕生」の絵を描くことになったとき、坊様たちは彼に住むための部屋を与えた。ピントゥリッキオの要求に従ってすっかり空にしたが、移すにはあまりに面倒だった古い櫃(ひつ)を残しておいた。


ところがピントゥリッキオは奇妙で風変わりな男だったから、そのことでしばしば苦情を言って騒いだ。
そこで坊様たちはほとほと困惑して、しまいに移すことにした。ところが大変やっかいで外へ持ち出すとき、その櫃の板が一枚割れてしまった。
ところがその中に正金金貨500ドゥカートが入っていたのである。
その件で、ピントゥリッキオは大変機嫌を損ね、その坊様たちの財産のことをたいそう怨みに思い、それ以外のことは考えることができなくなってしまった。
そしてそのことばかり思って心を労し、ついにそのために死んでしまった。...... (←いくらなんでもそれはないでしょ!?)


.....彼にはいろいろ多くの事があったが、大勢の王侯貴族の気に入られた。それは手早く仕事を仕上げたからである。
ゆっくりと丹念にする仕事よりもそれらは出来ばえは劣っていたであろう。
しかし王侯貴族は仕事が早く出来ることをとかく望むものなのである。


個人的恨みでもあるのか、と思うほどの酷評!
よほど、彼の絵が同じ画家として、許せなかったのでしょう。


ヴァザーリのこの著書については以前も書いたことがありますし、今後も書く機会があると思います。
読むと作品を見るのもより一層楽しくなります。



ルネサンス画人伝


ルネサンス画人伝(続)

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フレスコ画について

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フレスコ」というのはイタリア語で「新鮮な」という意味で英語のFreshに近いです。


フレスコ画は下地のしっくいが生乾きのうちに描き、乾燥すると色が定着するというしくみで、化学的に説明すると(修復学校のとき、これは絶対テストに出る、と思って暗記しました。出ませんでしたけど)


石灰に水を加えて消石灰(漆喰モルタル)にする。

CaO+H2O → Ca(OH)2


ari


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漆喰が乾いて元の石灰岩に戻る。
Ca(OH)2+CO2 → CaCO3 + H2O


油絵のオイルやテンペラ画の卵にあたる接着溶剤を使うわけでなく、水だけで定着させるという構造です。
乾いてから上塗りすることもできないので、すばやい正確な画法が必要となるのだけど、その点は水彩画に似ています。
水彩画と違うのは「下地が乾かないうちに」描かなくてはならないので、1日分の仕事量に限界があること。

じゃあ、どうやって大きな作品を何年もかかって描いたりしたのか、というと、1日仕事する分を前もって決めて、「今日はここの部分を描こう」という部分に下地の漆喰をおき、その部分だけ描く、ということを繰り返しているのです。


その1日分の仕事のことを「ジョルナータ」と言います。イタリア語で「Buona Giornata:よい1日を」というときに使う「日、1日」という意味。



そのつなぎ目は注意してみるとはっきりわかり、ちゃんと絵の中でも体のラインにそっていたり、目立たないように工夫されています。「今日はここ」というところを下地の段階で決めなくてはいけないから、下絵の正確さがとても重要になります。



システィーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」も、ちゃーんと「ジョルナータ」の跡(1日1日の継ぎ目)が見えるので、注意して見てみると面白いですよ。


下、私が描いたフレスコ画です。(小さいので1日で完成です。)



fresco2

fresco1


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ランプの壺の修復

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最近の修復報告です。
ランプの壺の部分。前回までの屏風や椅子と同じく、1800年代の中国製。


修復前

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修復後

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修復前

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修復後

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修復前
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修復後

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修復前

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修復後

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大きなひびが1個所入っていたのを除いては、損傷は少なかったのですが、横にして作業したりできなかったので、抱えたり、しゃがみこんだりして、体勢的にやりにくかったです。
無事、終わって、ほっとしています。

屏風の修復

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こういう屏風の5枚セットです。依頼主は屏風としてではなく、並べて、壁につるして、飾っているようです。白い部分は象牙(依頼主は石だと思っていたようです。)その他の模様は石にレリーフしてあります。絵ではなく、こんな立体的な 屏風自体、珍しい物です。(19世紀、中国製)

2枚づつ預かって、修復しているのですが、4枚終わったところで、写真のほうが、修復前やら後やら、どの屏風だったか、バラバラになってしまい、整理しないといけないのですが、このブログではおおざっぱに報告します。


修復前(板に欠けている部分があります)

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修復後
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修復前
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修復後

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修復前
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修復後
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修復前(洗浄前)
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修復後(アセトンで洗浄したのが一番効果ありました)洗浄は修復過程の中でも、一番ぞくぞくする楽しい作業なのですが、オリジナルを傷つける恐れもあるので、神経も使います。

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現在、5枚目を修復中です。

ピラミッド棚

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日本はもう新年ですね。おめでとうございます。

イタリアはまだ夜の7時頃ですが、気の早い花火や爆竹の音がバチバチしています。今朝から、というか、前日からしていましたが、12時がピークです。


今年の最終報告として、一番最近仕上がったピラミッド型の棚の修復報告です。

こういう棚。またまた中国製で、年代も前の椅子と同じ1800年代だと思われます。


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修復前。足があちこちグラグラしている部分があって、不安定でした。
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修復後
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修復前
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修復後

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修復前
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修復後
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注射器でアクリル系樹脂を入れて、補強し、ジェソで隙間をうめて固定しました。
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修復前
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修復後
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修復前
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修復後
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新しい年も5枚目の屏風の修復で始まる予定です。


イタリアではクリスマス前後からAUGURI、おめでとう、と挨拶します。新年あけてなくても、おめでとう、です。


よい2008年を。






注射器2

テーマ:


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屏風の修復をまだアップしないうちに、また新規の修復を始めました。ピラミッド型の棚です。

ひび割れたところにアクリル溶剤を注射器で注入しています。


注射器、イタリアでは簡単に手に入るのです。

ある薬局で1本25セントだったのですが、別の薬局では10本セットで2ユーロ60セント、って、高くなってるーーー。まあ、いいけど、とてもイタリア的です。


この話題、そういえば以前も書いていました。3年も前に....


注射器



サクランボの樹脂

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前回の椅子シリーズに引き続いて、現在は屏風の修復をしているのですが、ちょっと「これをこうしたいときは、どうしたらよいのだろう?」という疑問がわいたので、3年半前まで通っていた修復学校に電話してみた。

以前、卒業した者ですが、木材修復の先生だったB先生と連絡をとりたいんですが、電話番号教えてもらえますか?」と受付けに伝えたら

ああ、彼なら、今ここにいるよ、待ってて」と言われて、すぐに電話口にB先生が出てくれた。


3年前に先生の授業をとっていたんですけど、覚えてますか?

もちろん

今、家具の修復をしていて、質問したいことがあるので、写真持っていくので、アドバイスもらえますか?

いいよ。僕は何曜日と何曜日の午前中、ここの学校にいるから、写真、持ってくるといい。来る前に連絡して。電話番号は....


ということになり、3年半ぶりに学校に足を踏み入れた。ちょっと緊張。(卒業後しばらく修復から遠ざかっていたからか)

受付けの人も、用務員の人もB先生も「チャオ!元気?」と、まあ、3年半など何もなかったかのように相変わらずだったので、なんか、いいなあ、と気持ちもほぐれ、先生は「そういう場合は、サクランボの樹脂を使うといいよ。」とアドバイスしてくれた。売っている場所も教えてくれた。


行き付けの画材店で「サクランボの樹脂ってありますか?」と聞くと

「え?何それ?粉末なの?」と知らない様子。

「私が見たのは固形だったけど」....


後日、B先生紹介の店に行くことにした。

ここがまた、住所をたどって着いてみると、住宅地にあり、どこにも店らしきものがない。

その番地に行くと店の名前のインターフォンがあったので、鳴らしてみると、ガレージの扉らしき鉄格子がザーっと開いた。

中を歩いていくと、それこそガレージみたいなところに、セメント袋(本当は中身は別の物でしょうけど)らしき大きな袋が積み重なっていて、お皿やガラス瓶に様々な粉末を入れて並べてあって、おおー、ここは普通の画材屋とは違うぞ、という雰囲気の店なのだった。超マニアックなので気軽には入れない....

そこでサクランボの樹脂をゲットし、早速試してみたら、なんかいい感じです。


困ったときに相談できるB先生とつながりができたことで、かなり心強いです。屏風の修復結果は後日またアップします。

椅子の修復4

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修復中の椅子が完成しました。

修復前
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前回までの椅子とセットになる、今回はソファーです。



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足の部分が欠けている


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右二人人物に色落ちしている部分がある。(赤い帽子と下人物の眉間)


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欠けている部分


修復後



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暑い中、しゃがんだままの格好のまま、(没頭して)何時間も過ごすと、かなりの労働になりました。

対象が大きいから、ひっくり返すのも大変だったんだけど、やはり、一番の敵は「暑さ」でした。

風通りをよくしておくと、下に敷いている新聞紙がフアーと舞い上がって、ペタっと未乾燥の部分にくっついたり...

ようやく仕上がったところで、暑さも峠を超えた感じです。(まだ、日中屋外は暑いですが)



椅子の修復3

椅子の修復2

続けること

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椅子の修復に続き、今は同じシリーズのソファーをやっているのだけど、最近、暑くて、最高気温は38-39度という日が続いている。クーラーもなくて、汗かきながらソファーに潜りながらの修復作業もけっこう体力勝負なのです。


何年か前、日本にいた頃、ギターの先生をしている人の言ったことで、最近よく思い出す言葉がある。


「僕たちがギターを習いはじめた頃は、ギター教室の全盛期で(70年代?)、皆、挙って習っていた時代だった。今がそうなら、僕らも今ごろ左団扇ってところだけど、ずいぶん減ったからね。

それで、その頃、一緒に習っていた仲間で、すごくうまい奴が何人もいた。才能があって、「こいつにはかなわない。」と思っていて。

でも、そのうち家の都合や個人的な理由で、ギターをやめて就職して、他の仕事について....結局、ずっとギターを続けた僕が、今、こうしてまがりなりにもプロとしてやっているわけで、続けるってことは意味があるんだな。」と。


夢をあきらめずに努力する、ということは、目標を持つ者にとって、最低限のことかもしれない。

でも、彼も、元々才能があって、さらに努力したわけで、最初から才能がなかったら、どんなにズルズル続けても、実らないだろう。


また、ギターを途中でやめていった彼の元仲間の人たちも、別の道があったというだけのことだ。


この先、どこまで修復の仕事が続けられるか、と考えると、「有名壁画の修復をしたい」と夢見るのもありだけど、そうじゃなくても、(将来、日本で修復に関係のない仕事をすることになっても)それはそれで、別の道があったというだけのことかも、と考えながら。