「おくりびと」を見ました。
死に対する考え方も、納棺師という仕事に注目したことも、たんに美しい映画というだけでなく、面白い映画でした。
また、とても日本的だと思いました。


例えば、主人公はチェロの奏者だったのに、オーケストラの解散とともに、チェロを手放してしまう。
音楽を勉強して、それを仕事としてやっていた人が、「解散」で全く別の道に行く、ということ自体、イタリア 人ならやらないと思う。(そこへ行きつくまでにかかった年月と莫大な費用なども考えられますが)
彼らにとっては自分が何のプロであるか、が、最優先されるし。少なくとも、しばらくは音楽の道で仕事を探す だろうと思う。


そう思うと、日本人は長年のキャリアをあっさりすて、全く別の道に行く人が多いように思 う。(私の周囲に多いだけかな?)
それはそれで、過去に執着のない、また勇気のある、あるときは自分に正直な行為だと思う。


話はちょっとそれますが、ちょっと前、高校時代の美術の恩師と会って話したとき


「あの頃は、実は教師をやめたくてしょうがなかった。美大の同級生たちの 活躍を見るにつけ、あせっていたんだろう。でも、まがりなりにも教師をしながらずっと描き続けたことによっ て、今の自分があって、同級生は今は絵を描いているのかどうかさえも聞かなくなった。」


「やめていった人が才能がなかったとか、続いている人の方が才能がある、 ということはないんでしょうし、もちろん才能がないと続けられないでしょうけど、やめた人にも才能があった 人はいるでしょう。先生は今では大御所ですけど。でも、続ける、ということに意味はあるでしょうね。」


「いつも似たような絵ばかり描くから、見るほうは飽きてくると思うんだ。 人の絵を見てもそうだし。自分で描いていてもそうだし。昔はそれから何とか脱出しようと悩んだんだけど、今 は悩まなくなった。同じ様な絵を描いていきながら、ふっと、ふっきれる瞬間があってね。君も今の絵を続けて いっていいと思うよ。」
という話になった。


また、ときどき 「続けること」の話 (←過去記事)を思い出しては、「あきらめずに続けるということ」にも意味があるんじ ゃないか、と思ってみたり、またあるときは「執着せずに、あっさり捨ててしまう」ことも必要かと思ってみた り。


.「欲やエゴや打算」ではなく、純粋に自分の気持ちに聞いてみても、答えが見つからないときがある.....

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