「いま地球上で使われている言語は1500-6000もあるというのに、自国語は世界一豊かだと思い込む幸せな人はどこの国にもいる。もっとも1つの外国語もかじる程度以上に身につけていない人に限ってこういう独りよがりを言う。単に当人の母国語の知識が外国語の知識よりも豊かであるにすぎない...
でも実は更に深刻なのが、習得した外国語を絶対化する患者たちだ。外国語を1つしか学習しない場合、えてしてその外国語を絶対化しがちになってしまう.....略....日本における英語偏重は度を越している....」


そうなのだろう。イタリア人は英語はできなくても他の外国語ができたりする。フランス語圏やスペイン語圏の人たちにしてもしかり。
外国語を学ぶのは確かに意義のあることだと思う。が、イタリアに語学留学する人たちは、何のためにイタリア語を勉強するのか、ちゃんとした目標が必要だと思う。単なる、イタリアへの憧れや日本脱出だけが目的だと、本人自身がもろいものだから。(実際は皆、たくましく生きていくのかもしれないけど)
言葉は単なるコミュニケーションの道具にしかすぎない。通訳や翻訳家になるのなら別として。(その場合は相当日本語も作家なみに言葉を操れなくてはならないでしょう)


「人間の脳みそって2割くらいわからなくても情報として印象に残って入ってくるんだけど、5割以上わからないと、もう灰色で何もわからない、なかったも同然になってしまう。」


そうなのだ。3年前、例えば買い物とかすると「あなたイタリア来てどのくらい?まだ数ヶ月なのにそんなにしゃべれるの?」と言われてつつも修復学校の授業ではさっぱりわからないことばかり。特に美術史、化学、修復理論。
ぽつん、ぽつん、と聞き取れる単語はあるのだけど、半分以上はわからないから、全体的に何を言っているのか、「全然わからない」といった感じだった。「わからなーい」を連発して、クラスの皆には本当に助けてもらった。
(黙っていても、誰も助けてくれないが、助けて、というと親切すぎるくらい助けてくれるイタリア人)
今は、テレビやラジオ、映画などでも、全部わかる、というわけではないけど、分る部分が多いので、全体的に何となく分る、という状況にある。
その5割から8割の差の間なのだ。問題は。
場合によっては8割もわかってないときもあるし、その差はもっとわずかなのだ。「わかる」と「わからない」の.....

日本で仕事をしていて、職場や部署を変ったとき、取引先や担当の人の名前が変ると、電話で「○○ですけど」と言われても、最初、聞き取れなかったりした覚えがある。(そういう体験はずーっと同じ職場にいる人でないかぎり多少誰にでもあるんじゃないか?)
もちろん2,3回聞いたり、相手の名前を覚えると、次からはそう聞こえるようになるのだから、ようするに「慣れ」であって、人の耳は自分が慣れて聞き取り易いように聞こえるようにできているのだ、と思う。
イタリア語の場合、単語を覚えると、何と言っているのかわかってくる。きっと英語よりこれは確実。
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