どしゃ降りの雨のあと

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今日夕方から土砂降りだったのですが、ローマって道路の排水設備が整ってなくて(というよりインフラ全体遅れているのですが)ちょっと大雨が1時間も降ると、もう道は川のようになるのです。


地下鉄に乗って、家の近くの駅で降りたまではよかったのですが、階段を昇ると、改札付近が浸水して川状態でした。


他の乗客(10人ちょっと?)と、「すごい、どうしよう。」と途方にくれていたら.....



















向こうのほうからゴロゴロゴロゴロ..... (雷ではありません)














piove

回転椅子!を押して駅員が来ました。


「今日は、こんな状態なので、こういうサービスをしています。次?誰行きます?シニョーラどうぞ。」というふうに、人1人乗せてはゴロゴロゴロゴロ......


信じられます? 「すごーい、面白い。信じられない。」と、皆、目を疑う光景に皆が写真取り出したので、私も撮りました。


あんまり皆がとるので駅員、「写真は撮らないでください。」とも。


2台の椅子を使って(自分たちのものでしょう)2人の駅員が行ったりきたりしていました。大した人数ではなかったので、列を作らないイタリア人も譲り合ったりしていました。


駅員は「まったく、雨のせいで、やってられないよ。こんなことさせられて。」と思っていたかもしれませんが、けっこう楽しんでいるようにも見えました。


乗客は皆、本気で楽しそうでした。イタリア人ってやはり単純.....?(私も?)

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ドル、英語で「dollar」は複数形になると「dollars」とSがつくけど、イタリア語でドルは「dollaro」複数形は「dollari」になります。


ユーロ「euro」はイタリア語では単数も複数も変わりません。


英語の場合も同じかと思っていたら複数はeurosと言うらしい。(英語圏の人にSつける?と聞いたところ人によって違うことを言うので確証はできませんが、ネットでもSが表示されていたりするので、つくのでしょう。それとも、ついたりつかなかったり?誰か知っている人がいたら教えてください。



スペイン語は複数形には「euros」とSがつくようですが。


イタリアもリラのころは単数形は「lira」複数形は「lire」だったため、ユーロに変わった当初は複数形を「euri」と発音するイタリア人もいたとか。


それにしてもこのユーロ暴落、ドルもですが、毎日落ち続けているのでびっくりです。

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ここのところ、イタリア各地でデモが行われていて、ローマも学生のデモだとか、政党の旗を持っている人たちもいたし、朝も夜も、電車の中でそういう集団がいっぱいだったりするのです。


イタリア人、特に若者って、集団になると、それはもう、うるさくて、もともと声が大きい上に大騒ぎなのですから、なんかデモもイベントとして楽しんでるの?と言いたいくらいなのです。


今朝もそういう集団が電車で騒いでいたのですが、突然、学生の男の子たちがを歌い出したのです。普通はばか騒ぎのための歌なのですが、なぜか今日は"Roma nun fa la stupida stasera"
きっと地方からローマに来たから「ローマと言えば」ってことで歌いだしたのでしょう。


この歌、イタリア人なら誰でも知っている60年代のヒット曲で、男女のデュエット。
タイトルは「ローマ、今夜は馬鹿なことをしないで」という意味なのですが、女が「ローマ、今夜は私に力を貸して。彼にNoと言えるように。」と歌い、男は「ローマ、今夜は思いっきりロマンチックな演出を頼むよ。彼女がYesと言うように。」と歌う内容なのです。


この曲を聞くと感傷的な郷愁的な気持ちになります。別にこの歌にまつわるロマンチックな思い出とかはないんですけどね。
きっと歌詞そのものよりメロディーが強烈なのだと思います。(優しい曲なのですが)


イタリア人、特にローマ人はこの歌が大好きです。「O sole mio」がナポリのテーマソングなら、この歌がローマのテーマソングってところです。


今日も電車の中で、乗客たちが「ブラボー!」と拍手していました...イタリアです.....。
(微笑ましい光景でした。)



下記で歌は聞けます。


1965年の映像


ローマの映像



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イタリア史上最高の宝くじ

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イタリア史上最高の宝くじが昨夜当選したそうです。

当選者はシチリア、カターニヤに住む家族で、2.5ユーロで買った1枚の宝くじ、その賞金、100,000,000ユーロ!今日のレートで計算すると日本円にして122億円......1か月前のレートだったら160億円になります。

(最近ユーロが激しく落ちているのでびっくりです。)

日本の年末ジャンボとも桁が違う.... あまりに大金過ぎて、何に使うか想像もできません。(私だったら121億円くらいはどこかに寄付したいと思います。)


イタリアの宝くじ、今回のスーパーエナロットは1から90までの数字を6つ選ぶだけ、というもの。 5つ、4つ、3つでも、賞金はあります。

一見簡単そうで、これが当たらないのです。

1つや2つは揃うことはあっても。それで、当選者が出ないと、どんどん賞金が増して、今回のように大きくなったようです。


自分で数字を選ぶ、というところが「自主的」なんでしょう。確か、週に2回やっていますので、興味のあるかたは、イタリアに来た時にやってみてはいかがでしょう?


サイトもありました。ネットでも自分で番号選んで、参加できるようです。


スーパーエナロット

市場のかぼちゃ

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zucca

市場で大きなかぼちゃが売ってありました。

1キロ99セント、お買い得です。
切り売りで「このくらいください。」と頼めるので、少量でも買えます。
イタリアでかぼちゃと言えばこの色なのですが、日本の緑色皮、果肉黄色のかぼちゃに比べて薄味、水っぽいです。


リゾットにして食べました。


そういえば、ハロウィンですが、イタリアでも最近はハロウィングッズが売られていたり(ここ2-3年で増えたように思います)、イベントもあるにはあるようですが、基本的にアメリカの風習なのでしょう。

実際にかぼちゃをくり抜いて.......ということはしないようです。

I love shopping の続編、読みました。


レベッカのお買いもの度も彼女の波乱万丈度も、ますますスケールアップして楽しめました。
文脈で笑う、というより「どうするんだろう?どうなるんだろう???」という先が気になって、また後半を一気に読み終えた感じです。
きっと読む人もほとんどいないと思いますので、ネタばれで書きましょう。

ロンドンで経済ジャーナリストでテレビにも出演するようになったレベッカは恋人のルークの仕事のためにニューヨークに行くことになるのですが、ある朝、新聞で「嘘つき、偽善者レベッカ。テレビで経済専門家として人にアドバイスする仕事をしておきながら自分は赤字。それでも現在は恋人ルークとニューヨークにいて、ショッピングを続けている!」という記事が掲載されるのです。写真付きで。


それでニューヨークでの仕事のあてもキャンセルされ、彼氏には「君のせいで僕の仕事もだいなしになった。どんなに大切なプロジェクトだったか。」と冷たくされ、嘘をついていたことや隠していたこともバレて、別れてロンドンに戻るものの、元仕事に復帰することもできず、もうどん底なのです。


仕事もないのに、借金はあって。そのうえ有名人なだけに、色々言われたりもして、屈辱も味わい......同情もしたくなります。


そんな中で親馬鹿な両親と親友スージーがどこまでも彼女の味方なのですね。
「自業自得でしょ。」とか「あなたにその仕事をする資格はなかったのよ。」とか厳しい言葉や批判や責めたりは決してしないのです。落ち込んでいるときにそういう人がいるっていうのは本当に「救い」だと思います。
そして最後はハッピーエンドなんですね。仕事も恋も。


現実的には、そう簡単にはサクセスストーリーがとんとん拍子にいくのは難しいと思いますが、フィクションですから.......楽しめました。


面白かったのはイタリア語訳のタイトルを「I love shopping」とするだけあって、きっと伊訳の翻訳者のセンスがいいのだとも思います。
日本でこの本を手にとったらきっと買わなかったでしょう。読まなかったと思います。


邦訳が「レベッカのお買いもの日記;ニューヨークでハッスル編」ですよ。
ハッスルという言葉に引いてしまうのも私だけじゃないでしょうし、「お買いもの日記」というタイトルも、表紙の絵にしても、少女趣味的な、若い女の子(せいぜい20代前半?)対象の本、という気がするので。


日本って、何でも「年代を対象」という傾向があると思います。雑誌でも。服でも。店でも。飲食店や娯楽の場にしても。
だから客層の年もだいたい決まっているし、そうじゃない所に行ってしまうと「場違い」を感じてしまうのではないでしょうか。


イタリア人は年を気にしない、ということはないですが、場所によって年代層がはっきりしている、ということはないので、音楽がガンガンなっているロカーレ(日本では今何と言うのでしょう?クラブ?ディスコ?もしかして死語?言葉の移り変わりが日本語は激しいですから。)でも若い人たちもいれば40代以上の男女がたくさんいるのです。


前にも書いたことがありますがイタリア人は「もうこの年なのでそういう格好は..」ということもなく、好きなファッションをしているように見えますし。


だから、こういう本が「若い女の子対象」ということもなく、ベストセラーになるのでしょう。


映画化決定だそうです。

イタリアの謎

今日は交通機関のストライキがあって、まあ、よくあることなのですが、朝の8:30から夕方5時まで交通機関がストップする、というものです。


といっても、全くストップするわけではなく、間引き運転で、多少は動いているようなのですが、とにかく不便です。


なので、早めに家を出て8時半まえに地下鉄に乗ったのですが、当然いつもより混んでいました。(日本の満員電車に比べると全然平気ですけど)


中には仕事が10時とか11時から始まる人たちも、電車がなくなるまえに、と、早めに出勤している人もいたようです。


でも、日本みたいに時間潰すところって、ないんですよね。バールもコーヒー飲んでさっさと出て行くのがイタリア式なので、だらだらゆっくりくつろいで長居はできません。


友人の地下鉄の駅では、乗客が多いとみた駅員が改札で「人数制限していた」のだとか!そんなに群衆なのか、といえば、全然。ホームはガラガラ。


だいたい、あなたたちのストライキのために、乗客は迷惑被っているのに、人数制限するとは何なのでしょう?
乗れなくなった人はどうするの?歩いて行けって?

(そんなことは駅員の知ったことじゃないのでしょうけど)


まあ、乗客もほとんどイタリア人だから、怒って駅員無視して改札入っていったそうですが。


こんなにストライキが常習化しているだけで異常だというのに.....


関連過去記事


イタリアストライキ事情


ショーペロ


またストライキ


タクシーがない日

ブログに載せている拙い写真を見てわかるように、私は写真を撮るのは上手じゃないし、人の撮った素敵な写真を見ると「きれいだなあ」と関心することもあるけど、それほど自分自身が写真の腕を上げたいとか、いいカメラがほしいとか、という願望はあまりないのです。


旅行に行って写真など撮っても、実際見た景色写真とでは大違いで、後で自分で見て「何を撮りたかったんだろう?」と思うようなボツ写真が多いし。


それでも、人のスナップ写真などを撮るときは絵を描くのと同じ感覚で構図を意識するから、背景と人物とバランスよく入るようにしているつもりです。

実際には人物画なんて、もうずいぶん描いていないし、感覚的なものなので、無意識なものですが。

強いて言えば「建物が左なら人物は少し右に。両方が真ん中で重ならないようにする。下半身は切れても上半身と背景が入ればいい。」とか。
ちょっとでも写真をやる人だったらまだまだたくさんウンチクがあると思うけど。



観光地などで知らない人に「写真、撮ってください。」と頼むと、できたのを見て「ん?」と思うことが多々ありませんか?
私はよくあります。知らない人じゃなくても.....


建物と人物を全部入れようとするから人物が小さくなってしまって、足まで入って、地面まで入って、表情なんか小さくて見えない、とか。
建物と人物が中心に重なって間延びしている、とか。
建物も人物も上だけ入れば下は切れてもいいのになあ、と思ったり。



友人にその話をすると「頼む時、誰でもいいんじゃなくて、一眼レフなどのカメラ持っている”写真撮るのが上手そうな人”に頼むといいよー。」とのこと。
なるほどーーー。
写真上手な人、日本人に多いかもしれません。


紫の秘密

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夏頃から店のショーウィンドーなどに秋冬物が展示され始めたとき、「今年はが流行するみたい」ってくらい、が目についたのですが、最近、ファッションの人が多くなりました。
の服、バッグ、靴....


毎年、色も流行の傾向はあるから「今年はかあ」と思っていたら、イタリアでが流行するのは珍しいことなんだとか。


教会や支配者の「権力や尊厳の色」というのはよく聞くけど、元々はほら貝から出る貴重な染料が原料だったため、高貴な人しか手に入らなかったということからきているようです。


聖母マリアなどの聖人がよくい外衣にいマント、またはその逆、のように「」の服で描かれることが多いのもこの「」の象徴を分割しているとも言われます。



bellini1

ジョバンニ・ベッリーニ"ピエタ"

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ラファエロ・サンツィオ "聖母子"


(たぶん、の染料が高額なため、便宜上と美的上も兼ねてにしたのかもしれません。)


一方、はキリスト教では「悲しみの色」ともされ、キリスト受難の週では司祭は衣を身につけたりするからでしょうか、イタリア人の迷信?では「縁起が悪い」と思う人もいて、「の服や持ち物を身につけるなんてとんでもない!縁起悪い。」言う人もいます。(年配の人に多い。)


若い人は気にしないでファッションとして取り入れているようですが。



「イタリアには家庭科の授業がないからボタンつけもまともにできないイタリア人が多い。」という記事を昨日書いたのですが、音楽や美術についてはどうなのでしょう?


日本の場合は義務教育で毎学年、国語は年に何時間、算数は何時間、音楽は何時間、という具合に、カリキュラムが組まれていて、どこの学校に行ってもその時間数そのものはほぼ同じはずだと思います。


イタリアの小・中学校には「芸術教育」という時間があって、学校によって「今年はこの先生で音楽にしよう。」「美術にしよう」「ダンスにしよう」と決まるらしく、一通り、やる機会がある人もいれば、高校に入るまで「一度も水彩画を描いたことがない。粘土や紙や木材で工作を作ったことがない。」「一度も音楽教育を受けたことがない。歌も歌えないし、楽器も弾けない。」....という人もいるらしいです。


道理で音痴のイタリア人が多いわけです。日本のような「塾」はないのでスポーツを含め「習い事」をさせている家庭も多いようですが。結局「家庭次第」....(あまり学校に期待していない?



日本は子どもの問題で何かあるとすぐ「学校の責任」にされて、学校の先生も「授業で教えるだけ」じゃなくていろいろ大変のようですが、(個人的には社会的問題を起こす子どもを「学校の責任」にする親は「自分の責任転嫁」の場合が多いのではないか、と思います。私は子どもがいないので、偉そうなことは言えませんが。)


イタリアの先生は基本的に「授業で教えるだけ」で子どものいじめや社会問題で責任を問われることもないし、休みも多いし(夏休みは子供と同じ3か月!)日本の先生より楽そうだなあ、と思っていたら、最近、問題が起きています。


「教員の数を減らす」政策が実施されているのです。何でも、各科目専門の先生だったのが、小学校などは日本のように一人の先生で複数科目教えるようにして、教員の数を減らすのだとか。


「公務員なのにいきなりクビ?」

「夏休みが終わってみれば、仕事がない?」


突然なため今、各地で教員のデモなどが行われています。


大学によっては「教員養成課程」が閉鎖されたとか。新任教員がいなくなる?年配だけしかいなくなる?
信じられない話ですが、すべて予定は未定で、その場しのぎで、当事者の状況はお構いなしのイタリアの政策です。


美しいデザインの服でも、すぐとれる、玉どめしてないボタンのように「見た目」に隠された「その場しのぎ」なイタリアを垣間見るようです。



ちょっとだけイタリアの教育を弁護しておくと、美術史の授業って、かなり重視されています。高校の美術史の教科書なんて電話帳のように厚い!

さすが奥が深いイタリア美術の知識は生半可じゃいかないわけです。


また、美術館などでよく学校の子供たちが見学しているのに遭遇しますが、子供の頃から、専門の美術史の先生のわかりやすい説明つきで、本物の美術品を見れるのは、うらやましいことだと思います。


日本の教育は世界的にみたら、どこの学校も同じことを同じ時間教えて「画一的」なのかもしれませんが、子供のころは「広く、浅く」いろんなことを学ぶことって、大切だと思います。どういう道に進むかはその後決めればいいことですし、「小学校でやったことがある」こと(例えばボタンつけ、しつこい?)は「小学生でもできること」なのですから、「やったことがある」「ない」は将来、大きく違ってくるはずです。