変わった動物

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animale

アニメキャラクターのような表情ですけど、本物の動物です。名前も生息地もわかりませんが。

世界には変わった動物がいるのですね。


他の変わった動物を見たい人はこちら へ。

(かなり強烈です)

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以前、ナポリの裁判所 という話を書いたことがありましたが、イタリアはこの手の話がつきません。


閉鎖になった病院の様子。(今回はナポリではありませんが)


そのままになって荒れ果てているのか、といえば、地震でもあったかのように、すべてがひっくりかえしたようにめちゃくちゃになっているのです。


(すべて手書きと思われる)患者の個人情報のファイルも、分厚いファイルが部屋一杯になっているし、薬の情報に関しても同様...


きっと、次々と片づけないから、山積み、山積み、山積み、になって、山が崩れたんでしょう。
あれじゃあ、すべてがいいかげんで、病院自体が潰れるのも当然だったのでしょう。


イタリア人の仕事の仕方って...と。(この病院だけでイタリア人は、という言い方はできませんが、顕著な例じゃないかと)


また、仕事に責任を持っていないから、後はほったらかし、他人の個人情報なんか、自分の知ったことじゃない、って様子が目に見えるようです。



何かといいかげんなイタリア。警察の外国人の滞在許可証の書類が何か月も1-2年とかも、待たされたり、申請中に、紛失されたりしているのも、(他人の書類なんて知ったことじゃない、と)同じような扱われ方がしているように思えて、人ごとじゃないのですが。


イタリア人に「日本社会見学・研修」をしてもらって「仕事の責任」をちょっとでいいから学んでほしいものです。
ついでに「電車の乗り方」も(入口付近から動かない人が多い、乗る人も列にならず、降りる人をふさいでいる状態で我先に乗ろうとしている...)

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Premonition / Mennan Yapo 監督

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premonition

夫からの留守電メッセージを聞いたばかりなのに、「昨日彼は事故で死亡した。」と報告を受ける。
翌朝、目が覚めると、夫は生きている。夢だったのか、と1日をすごしてまた一晩寝ると、翌朝、彼の葬式に人が集まっている。
初めて会う人なのに「昨日会った」と言われたり、娘が顔に怪我をしていたり、翌日はしていなかったり。
あげくのはては精神病院に送られベッドにしばりつけられて注射される!


見ている途中で、突然DVDのどこかのスイッチを押してしまったらしく、画面がメニューに戻ってしまったので、見たところまで戻してもよかったのだけど、最初から早送りで見ながら、頭を整理するために主人公のように紙に表を作ってあったことを書きだしてみた。


きっと「彼が生きている世界」と「死んでいる世界」があって、それを彼女が往復しているのか、と思ったのだけど、時間を前後してランダムに過ごしていたらしい。
時間が逆戻りしているんだったら事故も防げるはず....

運命は変えられるのか、それとも予め決まっていて、どうあがいても変えられないのか。


映画の中の作り話だからつっこみを入れようと思えばいろいろあるのだけど、映画の中でも例え話として出てきているように、現実に、昔からあるはずのないものを見たり、体験したり、した人がいて、実際、その後、そのことが起こったり.....というようなことは、いくつも例のあることらしい。


好ましくない未来が予知できたら、避けることができるのでしょうか....

(Premonition : 予感、予告)

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Sex and the City (at Rome)

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PCの仕事をしている(在庫などのシステムを管理するソフトを配給したり教えたり)女友達Aさん。
「私の職場って、男がとっても多いのだけど、そろいもそろって、不細工な男たちばっかりなんだよね。人はいいんだけど。」


「そういう分野が専門の人って、そういうものなんじゃないの?」と私。


「ところが、別の代理店に行ったら、いい男ばっかりなの。なんで、こう違うのー?と思ってしまって。」



別の女友達Bさん。
「私の働いているところはさー、かっこいい男もいるけど、そろいもそろって、皆、ゲイ。唯一そうじゃない人は結婚しているし。」


Aさん「世の中の男は既にパートナーがいるか、ゲイか、すごい不細工か、に分けられるわね。」


「別にそんなにBello(美しい)じゃなくてもいいじゃん。」と私。


Aさん「確かにそんなにBelloじゃなくても、いいの。でもね、どうしようもないレベルなのよ、残っているのは。」


Bさん「ゲイと言えばさ、何年か前、ゲイ・ヴィラージュ(毎年夏に1か月くらい?開催されるイベント。飲食店やコンサートなど)に行ったことがあるの。ゲイかレズビアンじゃないと入れないというから、女友達とレズビアンってことにして入ったの。びっくりしたわー。そこに集まっていたゲイたちの美男なこと。見とれちゃった。」



どうなんでしょう。私の働いている近辺もゲイの人たちが多いので、見慣れてきましたが、しぐさやしゃべり方が女っぽいので、「いい男」だとか「かっこいい」とは目に映らないのですが。



「まったく男って」とか、女のくだらないおしゃべりをしている状況は、テレビドラマの"Sex and the City"のようなのですが(日本でも女性たちは女友達とそういうおしゃべりをしていると思います)
イタリア的なのは、たいていは、誰かの家で手製の料理を食べながら、料理の話題もはずせない、ってところでしょうか。


以前、女に甘いイタリア男 という話を書いたことがあるのだけど、最近気がついたことがある。

「イタリア人女性はきつい、すぐ怒る、対応がひどい」という人がいる。

確かに、他人に同じことを頼んだとして「○○してもらえませんか?」とか店で「もうひとつ、袋もらえますか?」とか、ちょっとぶつかったりして「すみません」と言うときや、そういう些細な状況で、イタリア人男性なら問題ないときでもイタリア人女性だとご機嫌をそこねたり怒ったりしだす人もいる。

だから、相手がイタリア人女性のときは丁寧な物の言い方をして、へりくだって頼んだり、おおげさに謝ったり、スマイルで「sinpatica(感じがよい)」という印象を与えるのがポイント。
間違っても、たとえ客としての立場でも、「○○してくれない?」と二人称単数で話しただけで、ぶっきらぼうな馴れ馴れしい、あるいは高圧的な印象と思われかねないのだし。特に外国人からだと....

気を使いますが、慣れれば、喧嘩になったり不快な思いをせずにすむ....でしょう。






自殺国、日本

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ブログネタ:自殺について考える 参加中


日本は世界で一番自殺の多い国らしい。経済的にも豊かで、テクノロジーも発展して、平和で、という日本だというのが、イタリア人には「意外」に感じる人も多い。貧しくて、戦争で、という国ではなく、日本で?と。

イタリア、欧米はキリスト教で自殺を禁じているので、苦しいときに「自殺」という発想がないように思う。少なくとも日本のようにあちこちでしょっちゅう起こっていることではないので「非日常」な発想かもしれない。

また侍時代の「腹切り」に見られる自殺に対して「いさぎよさ」という発想もないだろうし。

ましてや「責任をとって」なんて、しない。日本は何かと「責任」「責任」という荷がかかってくるから、逃げられなくて「自殺」という手段をとってしまうのだろう。
何かにつけ、イタリア人は「責任をとる」という感覚はあまりない。言った言葉を守らなくても、弁解する、逃げる、人生謳歌して楽しんで死ぬ、と。借金を後に残しても。(最近、身近にそういう人がいました。)

また輪廻に見られるような「一度死んでもまた生まれ変われる」という考えが浸透しているのも自殺を増幅させる動機になっているかもしれない。

自殺を禁じるキリスト教の教えが正しいとか、輪廻がおかしいとか、そういうことはないの(むしろ個人的にはその逆)だけど、自殺が日常化している日本の感覚が世界的に見たら「異常」なのは確かだと思う。

自殺する当人の気持ちは他人には分からないかもしれない。それが子どもだったりすると、本当に悲しい話だと思う。

自殺って、狭い物の見方から来るのだから、
もっと別の見方で自殺しなくてすむ道はあると思うのだけど....



子どもの誤解

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日本人から聞いた話がおかしかったので。

(私は面識ないのですが)東北出身のA子さんの弟は「しんたろう」という名前だったのだけど、学校に行くまで自分の名前は「すんたろう」だと信じていたのだとか。A子さんも。
親も皆、そう呼んでいたから.....って。

イタリア語でもそういうことってあるのでしょうか。
自分のことを「Bella」(美しい)とか「Tesoro」(宝物)とか「Amore」()だと思っている子ともはきっといるでしょう。だって、皆からそう呼ばれるから....

掃除してよ

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今日は愚痴らせてもらいます。


今、3人でアパートをシェアしているのだけど、一人(男性)はほとんど家に帰ってこないから、もう一人のイタリア人女性とだいたい2人なのです。


彼女が来て6-7か月たつのだけど、一度も掃除をしないのです。自分の部屋もほとんどしてないんじゃないかな。


私は週に1回以上はしているし、床のぞうきんがけから、特に水回りは常にぴかぴかにしています。
特に潔癖症ではないし、部屋が散らかったままのときもあるのですが、不潔なのは嫌だし、とくに共同で使うところはきれいにしておきたいではないですか。
家の中でも靴をはくと、あっというまに床はほこりだらけになるのです。バスルームも靴のままだし。


家に帰って来たら「きれいになっていた」ということは1度もない(イタリア人は人が見ているときに見せつけるように掃除する、らしい。でも彼女はそれさえしない。)のですが逆に数日留守にしたら埃が渦巻いていたことがあります。


ゴミも埃も気にしない彼女、あまりにもだらしないので

「当番で掃除しない?」と言ってみたら
NO」と速攻却下されたので
100歩譲って

月に1度でいいから掃除してくれる?私は毎週やってるから。」と言うと
「私も掃除、やる気はあるのよ。でも時間がないの。」ときた。
出た!イタリア人の「時間がない

おしゃべりしたり遊ぶ時間はあっても嫌なことをするには「時間がない」


「私がいつも掃除してるのって、不公平じゃない?」
というと
「お掃除の人を雇いましょう」と言う。イタリア人は別にお金持ちじゃなくても、気軽に雇っているのです。(ほとんど外国人移民の仕事)


「雇ってもいいけど、あなたが支払ってね。私は今まで通り掃除するから。私の友人もそうしている人たちが何人かいるわ。一緒に住んでる人が掃除しないから。」と言うと
「ええ!そんなのないわ」と怒り出した。


「じゃあ、私はお掃除の人なの?それも無料の?」と言いたかったけど、やめました。たぶん彼女にとってはそうなんでしょう。



それから1か月。


彼女は相変わらず掃除しないし、お掃除の人を雇う気配もないし、私は掃除し続けるし、変わったことと言えば、彼女とあまり口を聞かなくなったことでしょうか。ほとんど挨拶もするかしないか。


もう一人の男性は彼女と同僚で友達だからたまに帰って来たら彼ら同士で挨拶して(私には顔を合わせない限りしない)、一緒に食事しているし「口うるさい日本人が」とか言っているのかもしれません。
別にバカ話をしている子どもの仲間に入りたいとは思わないけど、掃除くらいしてよ、と。



こういう愚痴をイタリア人にすると「他人と住むって大変だからね。一人暮らしするしかないよ。」と言われるだけなんです。
ローマで一人暮らししたら、私の少ない給料の100%近くまたはそれ以上が家賃に消えてしまうので、無理なのです。


今まで、家で盗難にあったことが2回、犬の糞災害 にもあったことがあるし、それに比べたら、毎週お掃除するくらい、何でもないのですけど、気分よく掃除したいのだけど「なんでいつも私ばっかり」とどうしても思いながら嫌な気分で掃除してしまって、掃除の他にも「常に喫煙している」とか「早朝からバスルームでヘアドライヤーをする」とか色々問題はあるのです。


言わないで我慢するのも「当然」だと思われていては嫌なので、言いたいことは言うようにしているのですが、結論として「言っても無駄な人には何を言っても無駄」ってことです。


ブログネタ:この授業はいらない(いらなかった)と思う 参加中


日本にあってイタリアにない教科、というとこれが、けっこうあるんです。

体育とか、音楽とか、家庭科とか、道徳ももちろんありません。

学校によっても違うかもしれませんが、日本で言うところのクラス全員で体操着に着替えて走ったり、先生のピアノに合せてクラス全員で歌ったりとか、ないようです。

「日本のほとんどの学校には小学校から体育館があって、プールもある。」というと、びっくりされます。(教育環境に関して日本は恵まれていると思います。)

サッカーが強くて、他のスポーツ分野でも活躍していて、音楽も?音楽の国なのに?
というのは、特定の分野に進みたい人が、放課後に専門学校に通ったりして専門家を育てているようです。

日本のような宿題や塾もないイタリアでは、多くの10代の若者がだらだらと何もせず、遊んでいるようです。


外国語に関しては、英語だけではなく、フランス語やスペイン語、ドイツ語、中には日本語や中国語を勉強している人たちもいます。
ラテン語も日本でいう「古典」みたいな感じで、勉強した人たちも多いようです。
現在は使われていない言葉だからイタリア人にとっても「役に立つ」というわけではないでしょうけど。

でも「役に立つ」って何でしょう?
「今の仕事に知識を使える」→「それで給料をもらえる」という原価価値なのでしょうか?

そういう損得勘定で差し引き計算して考えるのって、どうなんでしょう。(すごく日本人的な気がします)

直接的にその知識が(利益となって)役に立たなくても、受験の後ですっかり忘れてしまうことになっても、そのとき普段使わない脳を使ったことが、その後の脳のあり方に変化をもたらしたかもしれません。
「無駄だったものはない」と言うわけではないのです。何が無駄だったのか、結論を出すほど、自分のことがわかってないと思います。

イタリアと比較すると日本の教科は「広く浅く知識知識」という感じがしますが、音痴の多いイタリア人 を見ていると、それはそれで、(一通り何でもやる日本の教育でも)いいのかも、とも。
それと、学校の掃除を生徒がやること、あれは日本のよい習慣だと思います。イタリアは家庭環境によって「きれい好き」と「掃除ができない」が極端ですから。

今思うと、あってほしかった、と思うのは「仏教や神道への知識」。日本語でも説明できないのに、外国語で説明できないでしょう。
「古典」ももう少し掘り下げて一通り読破していたら。イタリア人でちゃんと学校に行った人はダンテくらい読んでいます。
外国や外国語の知識は足りなくても「外国人だから」で済まされるとしても日本の知識や日本の文化を知らないと....

日本の学校では、欧米の楽器を演奏することはあっても、日本の楽器には触れたことがなかったり、油絵はやっても日本画はなかったり、着物の着付け、茶道、華道、よほど「習い事」としてやらないと、学校の授業では日本の文化は組まれていません。

剣道や柔道、合気道などの武道はどうなんでしょう?何年も、というのは希望者だけにして、誰でもちょっとでもかじる程度にやる機会があったらいいのに、と思います。男女とも。
どれも、将来その道を進むかどうかは別として、ちょっとでもやったことあるかどうか、で、人生、違ってくると思うのです。


ちょっと昔(戦前くらいまで?)の日本人(男性)は、漢詩で即興で詩を作ったりしていたんでしょう。(司馬遼太郎の本の世界)
かっこいいなあ、と思います。


関連過去記事 偏差値のない国





イタリア、特にローマは道にごみがいっぱいで、落書きもいっぱいで、犬の糞もいっぱいで、「マナーとか公共心ってものがないよね。」と日本人イタリア人との会話で、イタリア人が
「でも、関心を持つ人も増えているし、100年後ぐらいには今のスイスくらいのレベルになると思うよ。」と言う。

「いやいやならない。イタリア人はずーっとこのままでしょ。」と日本人。


「100年後だよ。今すぐじゃない。」とイタリア人。


「そのころは、スイスは200年先をいってるはずだよ。」と私が言うと2人とも


「そうだねえ。」と。



イタリア人が(全体のレベルで)先進国の「公共意識」に追いつくことはないかもしれない。
「道にごみを捨てない」とか、簡単なことなのに、どうしてできないんでしょう....