quando sei nato

日本はゴールデンウィークで皆様お出かけかもしれませんが、家で映画でも、という方にイタリア映画を紹介します。2005年作です。


原題は"Quando sei nato non puoi piu' nasconderti"(生まれてきたら、もう隠れることはできないよ)
これは映画の中でかなり意味のある部分で使われているので「あーそうだったのか」とその時思うのです。

「13歳の夏に僕は生まれた」という題にしたのはまたそれはそれで意味があっていいのですがオリジナルの「謎とき」がなくなってしまう感じで残念です


主人公は13歳の少年サンドロ。彼が海に落ちたことから経験することになる生死をかけた様々な出来事、移民の問題。
社会ドラマでもあり家族ドラマでもあるのですが、何と言ってもサンドロのように賢くて優しくて、強くて、意志も強く、勇気があって、寛大で、繊細で.....という少年はイタリアに存在するのでしょうか?
と思うほど、理想的な少年なのでした。優しくて、強くて、というのはわかります。でも「危険な人だ」と人の人相で察し、「名前は?」とか聞かれているのに、イタリア人じゃないふりをして唯一知っている外国語のフレーズを意味も分からないのにしゃべったりするあの機転、ただの「よい子」にできる技ではありません。


前半から中盤にかけてはサンドロにハラハラドキドキ、後半は違う意味でどうなるんだろう、とまたドキドキ。
「いかにも悪人」みたいな悪い奴が出てくるんですが、普通だったら「映画の悪役」ってところなんでしょうけど、「あー、いるでしょ、こういう人」と思えるところが「イタリアの現実」なんですね。


また「いい人に見えても信用してはいけない」というのもまた「イタリアの現実」なんでしょう。
でも、でも、やっぱり「イタリア人から見た外国人」だなあとも思うのです。

もし、興味をもって「見てみたい」と思ったらネットであらすじなどの検索をせず、何も知らずに見ることをお勧めします。

AD

フレスコ画について

テーマ:

フレスコ」というのはイタリア語で「新鮮な」という意味で英語のFreshに近いです。


フレスコ画は下地のしっくいが生乾きのうちに描き、乾燥すると色が定着するというしくみで、化学的に説明すると(修復学校のとき、これは絶対テストに出る、と思って暗記しました。出ませんでしたけど)


石灰に水を加えて消石灰(漆喰モルタル)にする。

CaO+H2O → Ca(OH)2


ari


ari2



漆喰が乾いて元の石灰岩に戻る。
Ca(OH)2+CO2 → CaCO3 + H2O


油絵のオイルやテンペラ画の卵にあたる接着溶剤を使うわけでなく、水だけで定着させるという構造です。
乾いてから上塗りすることもできないので、すばやい正確な画法が必要となるのだけど、その点は水彩画に似ています。
水彩画と違うのは「下地が乾かないうちに」描かなくてはならないので、1日分の仕事量に限界があること。

じゃあ、どうやって大きな作品を何年もかかって描いたりしたのか、というと、1日仕事する分を前もって決めて、「今日はここの部分を描こう」という部分に下地の漆喰をおき、その部分だけ描く、ということを繰り返しているのです。


その1日分の仕事のことを「ジョルナータ」と言います。イタリア語で「Buona Giornata:よい1日を」というときに使う「日、1日」という意味。



そのつなぎ目は注意してみるとはっきりわかり、ちゃんと絵の中でも体のラインにそっていたり、目立たないように工夫されています。「今日はここ」というところを下地の段階で決めなくてはいけないから、下絵の正確さがとても重要になります。



システィーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」も、ちゃーんと「ジョルナータ」の跡(1日1日の継ぎ目)が見えるので、注意して見てみると面白いですよ。


下、私が描いたフレスコ画です。(小さいので1日で完成です。)



fresco2

fresco1


AD

テーマ:

いちごの季節です。
日本では冬に食べるイメージですが、それはハウス栽培の苺で、ハウス栽培そのものが(あるのでしょうけど)見当たらないイタリアでは、いつも旬の物をそのときだけ食べる、という自然な食習慣なのです。


誰もクリスマスお正月の時期に季節外れの苺やメロンを食べたい、とは思わないのでしょう。そういう食に関しての「我まま」は日本独特な気もするし、だからこそ日本の食文化も今や、こんなに発達したのでしょうけど。



さて、苺には何をかけて、食べますか?
牛乳をかけてつぶして食べる」なんてことをイタリア人の前でやったら「気持ち悪い」と言われかねません。


コンデンスミルク、イタリアにもありますが、あまり日本ほどポピュラーではありません。


イタリア人は普通「レモン」をかけて食べます。好みによっては砂糖や蜂蜜も加えて。
一粒を半分か1/4に切って、レモンと蜂蜜をかけたら「レストランで食べるデザート」みたいな感じです。


以前、テレビで、バスサミコ酢のCMをしていたのだけど、苺にかけているシーンがあって「ひえー、苺にバルサミコ!」と思ってびっくりしたのだけど、要するにレモンと同じく、すっぱい物をかけるのが一般的のようです。牛乳ではなく。


私は「苺にはシャンパンですね。」と言ってみたいところですが、実際は何もかけずに食べることが一番多いです。



関連過去記事


果物の皮


いちじくと生ハム




AD

路上の店

テーマ:

イタリアの町は外国人移民、特にアフリカ人やインド、パキスタン、バングラデシュ人が路上で物売りをしているのをよく見かけるのだけど、これは違法なのです。


バンカレッラと呼ばれる屋根のある屋台みたいなのは「店」として場所代を払ってるらしくて合法なのだけど、道端に偽物バッグやコピーのCD,DVD、おもちゃがらくたその他など売っている人たちは違法なのです。雨が降ってくるとやってくる傘売りや、海辺に来る物売りも。


だから、警察が来ると、商品をざっとひと抱えにして逃げて行きます。その逃げ足の速いこと...


それでも今では、観光地のみならず、あちこちの路上(歩道)に彼らが商品を広げているのですが、地下鉄A線終点のANAGNINA駅がすごいことになっていました。



改札を出たら広場があるのですが、そこが路上ショップで足の踏み場もないほどいっぱいになっていて、また、階段を上って上のバスターミナルに行くと、そこもまたいっぱい。しかもアフリカ人インド人たちのみならずルーマニア、アルバニア人たちもいっぱいで、ちょっと警戒してしまいました。(スリには東欧人が多いので)



追いかけてもいたちごっこなのか、警察もあまり本気で取り締まる気はないのか、(もしかしたら裏金でもまわってるのか)、これだけ路上が店だらけになると、違法っていうことも麻痺してしまうけど、実は買ったほうも見つかったら罰金、という違法なのです。
もちろん知らずに買っている外国人観光客は多いと思いますが。イタリア人も買っているし...

猫の虐殺

テーマ:

中国で猫の虐殺が行われているんだとか。
ペットを飼う権利を大金で払わなければ、飼うことができず、ごくわずかの限られた裕福層の猫以外は、ギュウギュウ詰めのケージに入れられて(この写真はとてもショッキングです)肉市場に連れて行かれ、殺されているんだとか。
それもオリンピックの為とか、わけがわからない。


でこぽんさんの記事 を読むまで、私も知らなかったのですが、多くの人に知ってほしいと思って、私も紹介することにしました。


オンライン反対署名のサイトです。(私も署名しました)
http://www.shomei.tv/project-10.html

時間はゆっくり

この日曜と月曜がイタリアは選挙だったのですが....


日本だったら、当日の夜は各テレビ局が「選挙速報」などするんでしょうけど....

どこも、やっていない。いつもと同じ。



選挙でさえ、こうなのですから、普通の仕事に、日本の2,3倍ならぬ、10倍くらいの時間がかかるのも、無理ないのでしょうか。


どうして?口が動いて手が動いていないから?(確かに、イタリア人は話しながら仕事ができず、手が止まっちゃう人が多い)


コンピュータを使っても?
でも、コンピュータを動かすのは人ですから、その人が働かないと....


結局、何にでも(必要以上に)「時間がかかる」ことに国民が慣れて麻痺しているのかもしれません...

「日本人は他人からどう見られているかを気にする」と書いたけど、イタリア人だって、外国人だって、誰だって気にしない人はいないだろう。

でも、場合状況がちょっと違うと思う。


感情をあらわに怒りをぶつけて、公共の場で喧嘩するようなことを日本人はあまりしないけど、イタリア人はよくやっている。
親しい仲での口論も、誰かに聞こえようとおかまいなしにやっているし、そういう意味で「感情をむきだしにすること」を日本人が「みっともない」と思うほど、彼らは何とも思ってないようにみえる。


聞いた話だけど、中国人や韓国人は「人前で恥をかかされること」を何よりも嫌うのだとか。自尊心、プライドの問題でしょう。
確かに、日本人だって、それは嫌だけど、もしかしたら、想像もできないくらい「嫌なこと」なのかもしれない。



イタリア人も自尊心、プライドは強い。ものすごく強い。
でも、「人前で怒られた」としたらその自分のプライドでもって「言い返す」であろうから、他人の目よりも個人の問題、に見える。



イタリア人の自尊心は何の根拠もない自分の思い込みによるので、皆が「自分はすごい」と思っているところがすごい。(外見の自信も)


おめでたい、というか。「自分に自信がない、ダメな人間だ、才能がない」と落ち込むイタリア人は見たことがない。


物事がうまくゆかなくても「自分のせいじゃない」のだから。

でもある意味、そういう「他人の目」によらない「自分の思い込み」による自尊心ほどゆるぎなく強いものはないのじゃないか、とも思う。

怒りの感情

テーマ:

「日本人って、怒ったりしないの?」と聞かれた。
「するよ。でも、イタリア人に比べたら、少ないね。だいたい、公共の場で怒ったり、人が見ているところで、口論したりもしない。
もちろんあるけど、少ない。そういうのって、品が悪いと思われる行為だし、日本人は人からどう見られているか、をすごく気にするからね。
イタリア人は自分の感情そのままに行動するけど。」


「じゃあ、日本人は自分の感情をコントロールするように慣れているの?」
「そうね。きっと。小さい頃から、そういうふうに育てられてると思う。」

「でも、怒りたいときって、あるでしょう?それを抑えるのって、嫌な気分でしょう?」
「そう、そう。怒りたいけど、怒れない。よくあるから、それが日本人のストレスになってるんだと思う。」


だから、日本人は仕事のあとに、言いたいことが言ってすっきりするまで飲んだり、酔いつぶれるまで飲んでストレスを一時的にでも忘れていたいのかもしれない。
イタリア人はいつもその場その場で言いたいことを言っているから、仕事帰りに同僚と飲みに行くこともないし、酔うまで飲んだりもしないのでしょう。


ブログネタ:アルバイト恋愛したことありますか? 参加中


イタリアは男女(同性の場合もあるでしょうが)の付き合いは、週に1度のデート、ではなく、毎日会っている人たちが多いので、友人や家族にも紹介するのが普通、のように見える。

(イタリアの親たちは子どもが結婚するまでに、何人もの彼女彼氏を紹介されることだろう。私の友人の父親はまで作っていた....)


なので、同じ職場内でつきあっている人たちも、当然のように職場でも公認の仲か、皆の前で、ラブラブしてるのか?といえば、職場内では秘密らしいのだ。

個人商店みたいな場合は除いて、大きな会社や組織になればなおのこと。



「今日、ここに同僚も誘っているんだけど、私と彼がつきあってることは内緒ね。」と言われたりすると、びっくりする。へええ、秘密だったんだ、と。


本当は、何年も一緒に暮らしていても、家族ぐるみの付き合いで、友人や家族からは、夫婦同然に見られていても、職場内では、何事もないように振る舞っているのだという。


場合によってはどっちか(女性の場合が多い)が転職したり、でも、キャリアある位置にいると、なかなかそういうわけにもいかなくて、ずっと何年も秘密にしている人たちもいる。


日本もそうなのかもしれないけど、オープンなイタリアでは不自然ではないか?言いたいことをいつもしゃべりたい人たちなのに?と思う反面、なぜか?というのは、公認の仲になってしまうと、周りの目があるため、相手の仕事を優先したりできないから、(ってことは、普段は皆にわからないように、優先しているのね)というイタリアらしい答え。


ただでさえ、公明正大とはいえない(というよりコネと裏と強者の力で動いている)イタリア社会だからこそ、社内恋愛に対しては厳しいのですね。


どぉしても!アルバイト恋愛至上主義
DOMO!NET

イタリア人が30代になっても、親と同居している人が多い、その割合は欧州一、という話は以前も書いたのですが、もちろん別居している人もいます。


私が今まで一緒に住んできたルームメートや友人とアパートをシェアして(親と離れて暮らして)いるイタリア人友人たちを見ていて思うのですが、


毎日、親と電話している!


毎日、挨拶程度の1-2分、という人もいれば、毎日1-2時間話す人もいるのです。
よくも、まあ、そんなに話すことがあるもんだ、と思うのですが
今日は何食べた」とか、聞いていてどうでもよいようなことが多いような。


聞くつもりはないんだけど、本当に大声で話しているんです。男女に関係なく、時々、怒鳴っているし、汚い言葉も使うし、よく親にああいう口のきき方するなあ、と、思うことがあります。中学生じゃないんだから、と。
私の周りの人がお上品じゃないだけなのかもしれないけど。



「私は今もそうだけど、日本にいるころから親とは18歳のころから別々に暮らしているけど、いつも月に1-2回くらいしか電話しないよ。」と言うと
「へえええ。独立してるね。」と言われます。日本では普通ではないですか?もっと連絡しない人だって多いでしょうし。


「イタリアに来て、まもないころ入院したときも、親には言わなくて、退院してから、実は、って話したの。だって、心配かけるだけでしょ。」と言うと
すごくびっくりされます。


「イタリア人は親とのコミュニケーションが濃いから、あっさりした関係というのが考えられないのだろうな」と思っていたのだけど、今、おしゃべりなイタリア人のことを思うと
言いたいことがあるのに、言わないでおく」(しかも親に)ということがイタリア人には考えもしないことなのかもしれません。


言いたいことは言う、言いたいだけ言う、相手がどう思うか、例えば傷つくとか、より自分が言いたい欲望の方が強いということに慣れている人たちだから。


まあ、これだけ、毎日話していれば、日本でちょっと前に起こったような「オレ、オレ」詐欺事件なんて、イタリアじゃ「ありえない」でしょうね。
毎日話していえる家族の声を聞き間違えるわけないでしょうから。