hの発音

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イタリア語はhの発音をしないのだけれど、スペイン語やフランス語のような同じラテン語を原形とする言語はそういう共通点がある。だから、hが名前につく人はちょっと困るかもしれない。

例えば、「ハシモトさん」は「アシモト」とか呼ばれるわけだし。


以前、フランス人と英語で話していて

「I am hungry」お腹すいた、と言ったら

「え?怒ってるの?」と誤解されたことがある。

「Iam angry」と聞こえたらしい。私の発音の問題もあるだろうけど、彼らはhは聞こえないのか?と思ったので印象に残っている。



最近聞いたイタリア人の英語では

「I ate my boss」というので

「え?上司を食べた?」と思ったら

「I hate my boss」と言いたかったらしい。


多分、日本人がの発音の違いに苦労するように、イタリア人やフランス人やスペイン人は英語のを発音するのに苦労しているのかもしれない。母国語にない発音なのだから。



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友人の名言

イタリアに長年住む、クロアチア人の友人が言うには

「イタリアはマフィア聖人が同居した国」だと言う。


社会そのものもそうであるし、個人の中にもそうであるのかもしれない。イタリア人って。

ちょっと名言だと思った。

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ミサンガ売り

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いまだに、健在なんだ、と思ってしまった。

今でもスペイン広場などで日本人に近寄ってきて話しかけ、あっという間にミサンガを手首に巻き、「50ユーロ(今のレートで8000円くらい)」とか吹っかけたり、財布を開いたすきにお札を抜き取って逃げるのだという.....

このミサンガ売りはたいていモロッコ人たちだ。


今日、日本人新婚カップルがその被害に合い、というか素直に50ユーロ、男が払ってしまったから、女はミサンガ売りが恐かったこともあって、泣き出してしまったのだという。

そしたらお金は返してくれたのだとか。ミサンガは腕に巻かれたまま。彼らも女性の涙には弱いのか。


それにしても、こういうのにひっかかるのも日本人だけらしいのだ。

スリは国籍に関係なく、油断のある人を見つけたらアメリカ人だろうがイタリア人だろうが片っ端から盗んでいるようなのだけど、ミサンガは普通は1ユーロ?とかで売っているのだという。

50ユーロとか吹っかけて「NO」と言うのが普通なのに、それを言えないのが日本人だけらしく(もちろんはっきり言う日本人も中には、いるでしょうけど)、そこにつけこまれて、いまだにこういう被害が絶えないらしい。


そんなことで泣いてしまう女性も頼りないけど、NOと言えず、払ってしまう男性はもっと頼りないではないか.....

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下流志向/内田樹

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日本では、学校にも行かなければ、働きもしない、何もしないニートを呼ばれる若者が増えているのだという。

この本はそういう若者がなぜ、増えたのか、彼らはどういう考え方をしているのか、社会的にどう対処すべきか、など詳しく書いてあって、へええ、と思ったのだけど....


以下、少しコピーします。


ニートというのは最初英国で問題化した社会現象です。でも、日本のニート問題は英国のケースとはかなり違うようです。

英国は典型的な階級社会ですから、下層階級の人たちは就学機会や職業訓練機会そのものについてハンディを負っています。学習意欲はあるが社会的上昇の機会を奪われている若者がいる。.......

ヨーロッパのニートは階層化の一つの症状です。本人に社会的上昇の意志があっても機会が与えられない。でも、日本のニート問題はそれとは違います。社会的上昇の機会が提供されているにもかかわらず、子どもたちが自主的にその機会を放棄している点に日本固有の問題があります。弱者が自身の社会的立場をより脆弱なものとするために、積極的に活動している。この点では世界でも例外的な事例だと思います。

自らの意志で知識や技術を身につけることを拒否して、階層降下していくという子どもが出現したのは、もしかすると世界史上初めてのことかもしれない。

.....


現代日本人は「迷惑をかけられる」ということを恐怖することについて、少し異常なくらいに敏感ではないかと僕は思います。「迷惑をかけ、かけられる」ような双務的な関係でなければ、相互支援・相互扶助のネットワークとしては機能しません。「誰にも迷惑をかけていないんだから、ほっといてくれよ」というのは若い日本人の常套句です。たしかに、その人は、誰にも迷惑かけていないのでしょうが、それは他人に迷惑をかけたくないからそうしているのではなく、他人から迷惑をかけられたくないからそうしているのです。自己決定について他人に関与されることがわずらわしいので、「あなたの生き方にも関与しない」と宣言しているのです。こう宣言することによって、人々は戻り道のない社会的降下のプロセスを歩み始めます。

自己決定・自己責任という生き方を貫けるのは強者だけです。そして、リスク社会における「強者」とは、その定義からして、相互扶助・相互支援のネットワークに属しており、そのおかげでリスクをヘッジできるものに限定されるわけですから論理的に言えば、リスク社会には自己決定・自己責任を貫けるような強者は存在しないということになります。いるのは、自己決定・自己責任の原理に忠実な弱者だけなのです。そして、日本の教育行政もメディアも、久しく、このような「迷惑をかける相手もかけられる相手も持つことができない」膨大な数の構造的弱者をつくり出しつつあるのです。


消費社会に生まれて、お金を払うと大人同様に待遇され、品物がもらえる、というしくみに子どもの頃から慣れて育ち、家の仕事などの社会的労働をしないまま大きくなると勉強することに対しても「それにどんな価値があるのか?」と幼い頭で考え「価値がない」と「自己決定」してしまうと勉強することも拒否してしまう。キーボートちょっと打つだけで莫大な儲けができるような時代に一生懸命働いて少ない給料の仕事など「割に合わない」と拒否してしまう。すべてが時間お金につなげて考えてしまう、そういう見方そのものの問題だというようなことが書いてありました。


勉強したくても高学歴になりたくても、専門の技術を身につけたくても、自分の能力以前に、生まれた階層によって、できない人たちがたくさんいるのに。

イタリアもコネ社会ですから、コネがあれば、試験に落ちることもないし、望みの仕事にもつけますが、ないと、大変です。ピザ屋の息子が医者や弁護士になるようなことなど聞いたことがありません。


日本人は恵まれているのに。能力があれば、誰でも何にでもなれるでしょう。お金や運も必要なときもありますが、世界的に見たら、日本ほど勉学の機会に恵まれた国はないかもしれません。


その恵まれた環境を知らないで、ちょっと周りの自分より恵まれた人と比較して「そんなんだったら地道なことは、やってられない」と拒否しているのだとしたら....

まずは恵まれた日本に生まれたことに感謝し、人は一人では生きていけないのだから、自分がその社会(世界)の一部だという、そういう自己責任を持ちたいものです。


教育に関わる人やニートの子どもを持つ親だけでなく、より多くの人に読んで日本の未来を考えてほしいものです。(著者はニートを社会的に保護せよ、とも言っていました。その方が、将来ホームレスがあふれるより安全だから、と。うーん....)

まず、ニートの人たちに自分の立場を客観的に見るためにも読んでほしい本です。


シチリア男の自慢話

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友人の友人の友人の話で、私はその人と面識もなければ名前も知らないのだけど、シチリア男のS君ということにしておきます。


下品な話で申し訳ないけど、このS君、2ヶ月間、日本に滞在したらしいのだけど、60日の間に40人の日本人女性と関係を持った、と豪語しているのだという。


友人の話では、S君は不細工で、ちっともかっこよくないし、賢くもないし、感じがいい男でもない、という。「信じられない」と。

でも「他の国だったら、そんなこと、有り得なかっただろうね。日本人女性って、そういう男にひっかかるような、軽い子たちがいっぱいいるんだね。」と。


そういう自慢話をするような男のことだから、友人のS君評も、(ひがみではなく、そうなのだろう、と)納得できるのだけど、それにしても....

「日本人女性」に対する印象が彼の吹聴によってまたまた低俗化されるのかと思うとうんざりするものがある。



似たような過去記事 ナンパ男


メルカート

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mercato


メルカート、市場が近所にあるというのはありがたい。

野菜や果物がスーパーよりも安くておいしいし。感覚的には3割くらいお特でしょうか、結局たくさん買ってしまうけど。


キロ単位いくらで売っているので「にんじん本、じゃがいも個」という買い方もできるし、新鮮な卵を「2個だけ」と買うこともできます。


オリーブや南イタリアから持ってくるというモッツァレッラチーズは、スーパーで市販の物より格段においしい。


最近はお肉に人工的に赤い色をつけて新鮮に見せて売るようなことがまかり通っているらしいけど、こういう所の肉屋は「毛をむしったばかり」と思われる原形そのままの骨のついた鶏肉を、ドン、とのせてさばいてくれるので、新鮮さも安心できるでしょう。

「200グラムだけ挽肉がほしい」というと、肉の固まりから機械にいれて挽いてくれたり。(こちらには合挽肉というのはないので、作ってもらったり)


ただ、メルカートの難点なのは、午前中しかやっていないこと。

行列になるほど人が群がることはないけど、一つ買うのに順番待ちしたり、顔なじみらしい割り込み客が入ってきたり、「えーと、それから、これは?どうなの?」と自分の前の人がたらたら買い物するのを待ってなくてはいなかったり、と、要するに時間がかかるのです。若者の姿は見かけません。


スーパーが増えてこういうメルカートも少なくなってきているのかもしれませんが、イタリアの生活、味の基本はこういう所にあるのでしょう。


「安いよ!いくらだよ!」と大声で叫んでいたりすることは、はほとんどないですけど、活気があって、市場は楽しいです。なにより「おいしい」ですし。








近所のクリーニング屋に冬服を出したのは7月の終わりだったと思う。(実は引っ越したので、ここのクリーニング屋を利用するのは初めて)


来週のなん曜日に」と言うので

「冬物なんで、急がないから」と言っておいたのだけど.....

(もう、話のおちは見えました?)


2-3週間たった8月の半ば過ぎ頃、取りにいくと

アイロンかけが終わっていない。」と、服の山を指差していうので

「じゃあ、来週また来るから。」と言っておいたのけど。


そして、またその翌週、行くと

まだ、アイロンが....」と言っている。「午後にはできるから」と。

「午後は来れない。また、来週にしか時間がとれないから、来週、必ずね。」と言っておいたのだけど。


案の定、またまた

まだ、アイロンが...」という。

「そろそろ、寒くなってきたし、ジャケットだけでも急ぎでほしいから。」というと

じゃあ、今からアイロンかけるから」というので

「1時間後に取りに来るからね。」と言っておいて、余裕をみて2時間後に行ってみると


まだ、できていない。人が来ちゃって....」という。おまけに、まだ私のジャケットさえ準備されていない。「どれだったかしら?

「黒のジャケットなんだけど」

これかしら?あら、これは男物だわ。えーっと...」と服の山を探っている。

「今日は時間がないから、また来ます。」と行って出ていった。


冬までに間に合うのか、夏に出したクリーニング?

それとも紛失されるってこともありうるのか。

そういうことも心の準備をして、期待をしないで待つ、ってことがイタリア式なのかも。


でも、そこのクリーニング屋、よく近所の人とおしゃべりしているんですよね。

「働けよーーー」と、他の客は思わないのでしょうか...

見えない落書き

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「ローマはこんなに美しい街なのに、いたるところ壁には落書きだらけで、残念なことだと思う。どうして、いい大人が壁にも電車の中にも外にも落書きするんだろう。」というとイタリア人友人が

「え?落書き?そうだっけ?道のごみは日本人から見たら、ごみだらけ、って思うかもしれないけど、落書きがそんなにある?」と言う。


そのあと、しばらく外ですごして

「本当ね。落書きだらけね。今まで気がつかなかった。」と。


私に言われるまで落書きが見えていなかったのだ。


裏道に犬の散歩をする住人たちも、犬の糞が見えていないのかもしれない。


ローマに住んで、偉大な遺跡や美術品に囲まれても、見えていない人は多いのかもしれない。


私も含め、誰でも、秋晴れの気持ちよい日も、心地よい風も、人の気づかいも、目先の仕事や日常のトラブルに頭がいっぱいで見えていないこともあるかもしれない。


落書きが見えなくても、もっといいものが見えているのかもしれない。


カエサルが言うように「人は自分が見たいと思う現実を見ている」だけなのかもしれない。


関連過去記事 見るということ





ローマの裏道

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ローマにはお店や交通の多い道はそれほど多くはないけど、そういう通りから一つ入った裏道や住宅街の通りは無数にある。


そういう裏道には、必ずバールがあり、そういうバールには決まって常連のおやじたちがたむろしている。場所場所によって、メンバーも違うのだろう。


近所におじいさんたちがいつも裏道に出してある1つだけしかないテーブルのまわりにすわって、おしゃべりをしているのだけど、まー、皆さん、他にすることがないのか、と思えるほど、いつ通ってもいるんですね。多分、いつも同じメンバー。

それも、楽しいそうに、というよりは「支払いが...」とかいう愚痴ばっかり言っているような。


それから、裏道に多いのは犬の糞

100メートル歩くのに、数え切れないほど、1メートル間隔くらいであったりするから、要注意で、ボーっとして歩くわけにはいかないのです。犬を散歩している人はたくさん見かけますが、糞の始末をしないのでしょうか。そうとしか思えません。


ただでさえ裏道で暗いし、そんなこと(犬の糞)もあって、夜は避けたい通りです。

ローマのどこにいっても、裏道って、そんな感じです。

インターネットのしくみ

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日本はインターネットをするのに、プロバイダーに加入して毎月支払いをしますが、イタリアは日本のNTTにあたるテレコム社に電話代を払うだけ、なのです。最近はテレコムに対して競合他社も増え、テレコムに加入しなくても、電話、インターネットができるようになりました。その場合、月々に決まった額を払い、何時間までとか、リミットなしとか、いろいろ....


日本では、ワイヤレスのPCを使う場合でも、プロバイダーに加入して、決まった地域で、屋外でもインターネットができますよね?

イタリアは、近所に電波が飛んでいたら、(上下の階や隣とかに)それを読んで、タダでネットができるようなのです。

友人の家に、仕事帰りでPCを持ってきた別の友人が「ほら、つながるでしょ?」と見せてくれました。

だったら、今時、皆、どこかに加入しているから....(いいのでしょうか?)


私は日本製のPCなので、防御がかなり固く、そういう電波も読んでるけど、入れないし、イタリアのソフトをインストールするのも、ダウンロードするのも、なかなかスムーズにいかないでいます。


イタリアだけでなくて、欧米全体、そうなのかもしれません。