20世紀前半のバルセロナを舞台にしたミステリー。

謎の作家の過去を調べていくうちに、少年が成長する過程で、彼の現在とシンクロしてくるお話。

何といっても個性的な登場人物がたくさん出てきて、作家は彼らに名言を連発させる。


「ここにある本の一冊一冊の表紙の内側には、発見されるべき限りない宇宙がひろがっている。かたや、この建物のむこう側では、午後になれば、サッカーを見たり、ラジオの連続ドラマをききながら、時がすぎるのにまかせる人々の生活があって、誰もが目先のことだけ見て満足しているのだ。」


「愚か者や、頭のにぶい連中は、人をねたむことを永遠にやめないもんだ。」


「ベアは、本を読むという行為がすこしずつ、だが確実に消滅しつつあるんじゃないかと言う。読書は個人的な儀式だ、鏡を見るのとおなじで、ぼくらが本のなかに見つけるのは、すでにぼくらの内部にあるものでしかない、本を読むとき、人は自己の精神と魂を全開にする、そんな読書という宝が、日に日に稀少になっているのではないか、と、ベアは言う。」


謎のストーリーもだけど、細かい表現や比喩の仕方も、すごく楽しめました。

だいたい、翻訳小説を読むときって「素直に一番ふさわしい日本語にしたんだろうけど、表現が、実際日本ではこういう言い方しないよなあ」と思うような女言葉やなんかが気になったりして、一番いいのは原作をオリジナルで読むことだろうと思うのだけど、この訳者の木村裕美さんの力もすごいと思いました。


けだるい、神秘的なバルセロナの空気が伝わってくるようで。


風の影 (←見たら読みたくなります)



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電車の旅

イタリアに長年住むドイツ人の話で

「イタリア-ドイツ間をよく電車の旅するんだけど、イタリア人って、電車の中で知り合ったばかりの人によく、話しかけるよね。それも、すごいおしゃべり。ときどきその人の人生まで長い話をしたりして。ドイツ人はそんなことなくて、皆、他人同士は黙っているから、私も最初はびっくりしていたんだけど、最近は私もおしゃべりになって。知らない人にもおしゃべりするから、ドイツでは皆びっくりした顔で見られて。でも、いいことだと思うから。」と言われた。


そういえば、私もイタリアに住む前に電車で旅行したとき、その頃はイタリア語はできなかったのだけど、電車で同席した人に「食べる?」とタッパーに入ったいちごをもらった思い出がある。

今思うと、その人は自分一人でばくばく食べるのが気がひけるので「食べる?」と周りの人にも聞いただけのエチケットだったのだろうけど、人の家で何か薦められて断るわけにもいかないような気分になってしまったのだ。


また、別のとき、青年が「パニーノいる?」と聞いてきたけど、それは彼が自分の為に持ってきた、たった一つのパニーノで、単に一人でぱくつく前にエチケットで聞いているだけ、ということがわかっていたので、断ったことがある。もし、「Si」(はい)と答えていたら、彼は周りの人に分け与えたのだろうか?そうかもしれない。


イタリアの電車はユーロスターという特急と、準急、各駅停車のような、種類があり、同じ場所に行くにもユーロスターだと早くて値段も高い。

ユーロスターに乗る人と、各駅に乗る人は違うなあ、と思うことがある。

乗っている人が違う。単にユーロスターがお金持ちとか、そういう問題ではない。

各駅に乗ると必ずといっていいほどいるのが、大声で周りにまたは携帯でしゃべる、しゃべり続ける人。(イタリア人とは限らない)お行儀が悪い口が悪い人が多いのです。それに比べてユーロスターの乗客の品(ひん)の違い、というか。


知らない人にもおしゃべりするのは、各駅タイプの電車に出没多いと思います。





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異国籍クリスマス

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pranzonatale
今日の新聞で知ったのだけど、ローマのトラステベレ地区にあるサンタ・マリア・イン・トラステベレ教会で、Sant’Egidio という社会団体によるクリスマスの昼食会が催されたという。


25年も前から行われているという、寝るところもない、食事もない貧しい人たちのために、「クリスマスの食事」を提供しようという目的だったものが、貧しい移民、国を離れて一人でクリスマスを過ごす外国人、一人暮らしの老人...など、参加者は今年は2,000人も、とか。


イタリア人にとってのクリスマスは日本のお正月のような、家族で過ごす日なので、その日に「一人」というのは、キリスト教徒じゃなくても、寂しいものがある。


昼食会には、キリスト教徒だけではなく、イスラム教、ユダヤ教、仏教徒...など、宗教、国籍は関係なく、皆がテーブルを囲んで食事をしたとか。


「クリスマス、誰と過ごすか」というのは、全然、神聖な問題ではない。とっても低次元な発想かもしれない。でも、「クリスマス」という口実のもとに、宗教、国を超えて、人々が仲良くなれるのなら、すばらしいことではないでしょうか。








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Buon Natale

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natale2006


イタリアの小学校ではクリスマス前になると「今年の反省文」みたいなことを書いて「来年はもっといい子になります」とか「来年に向ける志」とか書くそうだ。

きっと年があけるとすっかり忘れてしまうのだろうけど。(昨日の約束も仕事の約束もすっかり忘れる、目先のことが最優先な人が多いから)。

新年になってから「今年の目標」を決めたほうがまだ、いいかもしれない。


DC


これは、ドルチェ&ガッバーナのウィンドー。左のお菓子が目をひきました。


下はナヴォーナ広場に12月から1月の最初の週だけ集まる店。プレセエピオの材料を売っています。

クリスマスグッズや日本のお祭りのようなゲームとか、メリーゴーランドもあって、夜は独特な雰囲気。いつもは昼間は賑わっているけど、夜は寒々とした広場だから。この時期にローマに来たら、夜に足を運んでみるのもお勧めです。



navona

それでは、皆様、よいクリスマスをお過ごしください。

おじいさんのレストラン

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観光客は全然いなくて、地元のイタリア人で賑わうような中心地からちょっと離れたイタリアンレストランやピッツェリアに行くとよく見かけるのが、70歳を超えているか、と思われるおじいさんのカメリエレ(ウェイター)。その奥さんか、と思われるこれもまたおばあさんが、レジをやっていたり....


昔から家族経営でやっている、いかにも「典型的庶民的なイタリアのレストラン」という空気がしている。おじいさんだからって、オーダーを間違えたりもしないし、料理を運ぶのもあぶなっかしいこともなく、ぼったくりなどもないし、何の問題もないのだけど、働いているのがおじいさんだらけのレストラン、日本では見ない光景だろうな、と思う。


逆に、中華の店に行くと、若い女の子のウェイトレスが多い。おじいさんは見かけない。(引退して中国に帰っているのだろうか?)


中心地のレストランは外国人を雇うお店が増えている。給料が安くてすむからか、長時間労働も、労働法に外れることも可能だからか....


道理で働いていないイタリアの若者が増えているというのは、そういうことも原因なのだろう。

サンタクロース

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santa


窓にサンタさんが.....


4年前ロンドンで屋根や窓に登る実物の人間大のサンタクロースをたくさん目撃してイタリアにはない光景だったので「今、流行っているのかなあ」と思っていたら、イタリアにも来てくれたのか....


イタリアでクリスマスの飾りと言えば、花やイルミネーションは街のもので、個人宅の飾りはプレセピオが主流。もちろんツリーも本物の木を毎年買うという家庭も少なくない。


早いものでこのブログも2年を突破し、イタリアのクリスマスについて書くのも3年目になってしまった。プレセピオに関しては去年の記事 にも書いています。


サンタクロースを見ると、「イタリアのクリスマスもアメリカナイズされてきてるんだなあ」と思ってしまう。

ちなみにサンタクロース、イタリア語では Babbo Natale といいます。


またストライキ

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今週は全くストライキに振り回された1週間だった。

先週末、今週の水曜日に地下鉄、バス、のストライキがあるという噂(新聞にも地下鉄の張り紙にも)があった。

12月に入って2度目である。

普通、ストライキといっても、朝の8時半までと、夕方5-8時だけは動く。それだけでもかなり不便なのだけど、今回は24時間全く動かないという。月曜夕方も「決定確証」となっていた。


24時間動かない、となると通勤できない。

「誰も、来れませんから、水曜日はお店閉めましょう。」と社長に言ってみたら

「何、アホなこと言ってるんだ。店は開ける。」と言う。

「タクシーで来たら、タクシー代、払ってもらえますか?」

「No,no, 自分で払え。来なかったら給料から引く。」


というので、タクシー代より1日の給料のほうがずっと安いと思って、いざとなったら休もう、とも思ったけど、職場まで歩いていける距離のところ(といっても4キロくらい)に住む友人に「明日、火曜の夜、泊めてもらってもいい?」と連絡して、OKをとり、ストの水曜日の朝は歩いていくことにし、夜も家までは帰れないわけだから、2泊するか、水曜の夜は同僚の家まで行くか、水曜になってから考えましょう、と、火曜日は2夜泊まれる用意をして、出勤していたら「明日のストは金曜日に延期」と変更されていた。


「金曜のストは24時間になるか、いつものように朝と夕方だけ動くか、まだ未定。あるかどうかもまだ未定。」

ということで、木曜の午後もまだそんなことを言っていた。

それが決定するのが木曜の夜7時半だという。その日の夜中12時から24時間ストをするかどうか、が分かるのが、である。


そして「中止」という結果に。でも、アリタリア航空はやっていました。1便もないとか。


やれやれ。

まったくイタリアほどストをする国はないでしょう.....振り回されるほうは大変です。

セクシー聖ヨセフ

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イタリアでは聖人の物語がTVドラマで2夜連続で放映されることがよくある。
聖書の物語をわかりやすく映像化した、それでいて劇的でけっこう面白い。

最近では「聖家族」というので、イエスの母、マリアがヨセフ(イタリア語ではジュゼッペ)と出会い結婚するところから、ヨセフが死ぬところ(イエスはまだ少年)までのストーリーであった。


ヨセフというと、いろんな絵にも描かれているように、穏やかな老人のイメージがある。


sacrafamiglia2



sacrafamiglia1


何せ、14歳のマリアと神のお告げで(木の枝のくじで)結婚することになったとき、既にけっこう年いっていて、バツイチだったというのだから、後々の画家たちも、そういう老人のイメージで描いたに違いない。


ところがこのドラマでは「もうすぐ40だというのに、君みたいな少女と結婚するわけにはいかないよ。」と言うヨセフは荒っぽい男そのもの、いい男なのだった。それで翌日の新聞のテレビ評にも「セクシー聖ヨセフ」と書かれてるくらいなのだから。

聖書に忠実な細々としたエピソードも織り交ぜながら、現代風なアレンジも数々あって、例えば....

マリアよりもちょっと年上のヨセフの長男に

父さんがマリアと結婚するなんて、滑稽だよ。皆、笑ってるよ。僕がマリアと結婚する。」と言わせたり、
何ヶ月も留守にした婚約者のマリア(従姉妹のエリザベツを訪問していた)が戻ってくると、お腹が膨らんでいる。「妊娠しているのか?乱暴されたのか?違う?誰か知ってる男か?」「違うの、声を聞いたの」とマリア。
あー、僕は君とは結婚できないよ。」と言いながらも、「君なしでは生きていけないから、お腹の子も自分の子どもとして育てよう。」と言わせたり、

次々と不思議な力をみせる少年のイエスが友達にいじめられても、はげましたり、守ったり、イエスが「僕の能力じゃないんだ、の力がそうさせるんだ。」と「神」に対して「父」と呼び、ヨセフに対してはパパとは呼ばず、名前で呼ぶので
あいつは、自分の父親が俺じゃないって、知ってるんだ。」と落ち込んだり.....

というわけで、ドラマとしてはとても楽しめたわけなのだけど......

聖書の話も知っていて、宗教画もたくさん見ていて、「なんかイメージと違う、現代風で面白ーい。」と見る分にはいいけど、例えば子どもなんかがこういうTVドラマで聖書に親しむ、というのはどうだろう?と考えてみた。
とても親しみやすい、わかりやすいけど、「聖」というより親しみやすくていい男のヨセフとか、頭のいい、でもそのへんにもいそうな少年のイエスのイメージは、とても大衆的で、いいのかなあ、と。


でも、考えてみれば、中世の教会が画家たちを通して文字の読めない庶民の為に、聖書の話をわかりやすく絵に描いて信仰を広めたのだから、現代は今風にアレンジした美男美女のテレビドラマで現代人が楽しんでも、よいのだろう。


下は私の好きなカラヴァッジオの「Fuga in Egitto , エジプト逃避」ローマ、パンフィーリ美術館にあります。

fugainegitto

ちょっと前の新聞で読んだのだけど。


「外国語ができますか?」

というアンケートに対して「はい」と答えたイタリア人は66.2%だという。


その内訳は

英語が45.4%、フランス語が35.5%、次いでドイツ語7%、スペイン語5.6%。(個人的にはドイツ語を話すイタリア人なんてほとんどお目にかかったことはない)


できるといっても、どの程度か、で全然違ってくるだろうし、テストしたわけでもないから、この結果もそれほどあてにならないけど、66.2%のうちの約半分が英語だとすると、3人に1人は英語ができるってことですか。(個人的にはもっと少ないと思う)


外国語の必要性を感じているというイタリア人は96%と高いものの、実際に新しく言語を学ぼうという気はないイタリア人も95.4%と非常に高い。


英国もまた外国語ができる英国人は約半分らしいのだけど、(それでも英語。日本語やイタリア語とは違う)他のヨーロッパ人は外国語が何か国語もできるのは普通だったりする。


外国語ができる人が一番高いのはルクセンブルグ、99%(ってフランス語じゃないの?ルクス語があるの?誰か教えて)ラトビア、マルタ、リトアニア、いずれも90%以上。


私の知り合いでもベルギー人やオランダ人は英語、フランス語を母国語のように話し、イタリア語も発音こそ外国人っぽいけど何の問題もなくべらぺらに話す人がいる。


イタリア人でもそういう人はいるけど他のヨーロッパ人に比べるとずっと少ない。


道端でにせ物のバッグとか売っているアフリカ人やは自国語の他にも、イタリア語、英語、フランス語ができたりする。

インド人やバングラデシュ人の場合、自国語、イタリア語、英語、ヒンドゥ語、アラビア語....とか。

ポーランド人の場合、ロシア語も。


イタリア人より出稼ぎ移民のほうが何か国語もぺらぺらだったりするのだ。