以前、見ること について記事を書いたことがあったけど、それを裏付けるような、また「視覚」の頼りなさをこの本も説明していました。(以下、青部分)

われわれは目でものを見ているのではない。見るのは脳であり、何を見たいかを選ぶのも脳だ。..... ダーウインの乗った船がホーン岬付近の島の水路に姿をあらわしたとき、フエゴ島民はビーグル号がまるで目に入らなかったらしい。船が彼らの想像を絶する大きさだったために、見えなかったのだ。......

われわれの世界像も、それでなくとも、読み書きができるようになったという一事だけで、恐ろしいほど条件づけられてしまっている。

音声言語から文字言語に転換をはかったとき、われわれは耳を犠牲にした。精神性から空間性に関心が移り、言語もそれにしたがって変化した。


....文字を読むという、たったひとつの感覚しか用いず、しかもそれをきわめて強い制約のもとで使う行為こそ、感覚の調和的は統合を破壊した原因にほかならない。.....文字を知った人間は、自分の経験をページに書かれた言葉のように順序立てる。

読み書きをする人間が生きているのは、多元的世界ではなく、単一世界なのである。


こうした事実はそれなりに役立ってはきた。感覚の集中のおかげで、テクノロジーの恩恵が受けられるようにもなった。だが、われわれはそのために融通性がなくなり、目で見る力だけに頼らない芯のヴィジョンを失ってしまった。視覚に頼る道をあまりに長くたどってきたために、われわれの現実理解は視覚によって支配され、歪曲されるまでになっている。.....

内面的な経験が、われわれの外的な知覚と合致しなければ、その経験を幻覚と片付けてしまう。鮮明に目でとらえられないものは、知覚されないもの、つまり意味のないものだと断定してしまう。
これ自体、無意味であり危険なことだ。

視覚よりも内なる目が、われわれには必要なのだ。


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上著は以下のようにはじまっている。(青部分)

ライオンとトラにはきわめて大きな違いがある。
身体的にはほとんど差異はない。毛皮を剥いでしまうと、解剖学の専門家でもないかぎり、この巨大な二種のネコ科動物を見分けることはまずできないだろう。ところが、心理的な面から見ると、天と地ほども差があるのだ。.........動物園内の動物を基本的に2種-専門化を指向するスペシャリスト・タイプと、機会をとらえるのに俊敏なオポチュニスト・タイプ-に分けて考えるようになったのは、そのためだった。
前者は、ライオンのように、野生を離れ、人間に飼育されるのに難なく適応してしまう。好物の餌と暖かな寝場所さえ与えておけば、どんどん繁殖する。
後者のグループには、トラのように、常に何かを探し求めて行動しつづける動物が属する。トラやオオカミ、一般のサル、類人猿などは、気難しいうえにむら気で、時にはノイローゼにかからないよう特別な配慮をする必要がある。


動物のほとんどはライオンのカテゴリーに入る。生来、保守的で、昔から慣れ親しんだものを求めるのだ。一部のヒト、時にはある文化全体がこのタイプの場合もあるが、種としての人類はトラ・タイプになる傾向がある。ヒトはチャレンジを好む。進んで新しいもの、違うものを求める。無理をしたり、背伸びをするのが好きだ。刺激を求め、あえてわが身を危険にさらす。われわれは「ネオフィリック」( neophilic )、つまり新しもの好きなのである。 ........


われわれはネオフィリックであったために、初期の肉食生活を脱して雑食生活への道を切り拓くことができた。そして、食物ばかりか、ほとんどあらゆる類の思考と行動様式をものにした。われわれこそ、究極の「ネオフィル」なのだ。......

初めて、この本を読んだとき、「新しいもの」を追い求める日本で学生をしていた私は何の疑問もなく「そうだなー、人間って、新しいものを追い求めて進化してきているんだ。」と思ったものだけど、今、この本を読みかえして「イタリア人って、ライオンタイプの保守派が多いかも」とも思う。
毎年同じ場所にバカンスに出かけたり「どうして、知らないところに行きたいと思わないのだろう?」とか「どうして、毎日同じものばかり食べるのだろう?」とか......もちろん、そうでないイタリア人もいるけど、日本人にくらべて「トラタイプ」より「ライオンタイプ」が多いように思う。

著者は「都市もまた置かれた状況が人工的に作られた"人間動物園"」であり「人間は必要もないような問題を作り出しては、ゆりかごから墓場までの暇をつぶす。」「その結果、行動過剰がひきおこすさまざまな危険を負ったまま生活し、ストレスに悩む」とも言っている。


本来、昔から慣れ親しんだ生活さえ確保できれば、それ以上を求めて努力しなかったライオンタイプのイタリア人も、どんどん環境が都市化して、外国人や若いイタリア人のトラタイプが増えてきて、本来「ノイローゼ」や「ストレス」といったトラタイプの特有の病気も両者関係なく現代人全体の病気となっているだろう。


コンピュータなしの時代へ戻ることは人類が石器時代に戻ることと同じように不可能だろう、と、今この本を読みながら思う。

人間はどこまで進化していくのだろう.....

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へ理屈

前回の「へ理屈」でもう1件思い出しました。


イタリアではまだごみの分別 が徹底されてなくて、生ごみ用の大きなごみ箱にガラスもプラスチックもぜーんぶ一緒に入れる人が多い。


ある 日本人がイタリア人に「どーして、分別しないの?」と聞いたら

「だって、分別している仕事の人がいるじゃないか。皆がごみ分別したら、その人たちの仕事がなくなっちゃうじゃないか。」と言われたそうです。


そういう人にはむきになって反論する気力もないのですが、反論しないと「持論が通った勝った自分は正しい」と思われるのがしゃくなので、反論してみたりします。結局一方通行で折り合わないのですけど。


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イタリアもコンピュータが普及して久しいけど「コンピュータが全然使えない」人の率が59%もいて、ヨーロッパではギリシャについで2位なのだとか。(確か、平均所得もそんな感じだったような。でもって物価はギリシャよりうんと高いイタリア)


若い人たちはともかく、高年齢でコンピュータを使う人は日本はたくさんいるけど、イタリアはまだまだ少ないのだ。


あるイタリア人40代後半の男性(美術学校の先生)はコンピュータに反対している。

「昔働いていたところの(学校ではない)同僚がコンピュータでいつもポルノばかり見ていた。ぞっとする。最近の子どもたちはコンピュータのゲームで遊んでばかりなので、オカシクなってきている。危険だ。まったくコンピュータはよくない影響が大きすぎる。」というので

「でも、便利なこともたくさんあるよ。どんなに便利になったか考えると、どんなに問題があっても、コンピュータなしの時代には戻れないよ。」と反論すると

「Eメールだって?そんなの冷たいよ。電話や手紙がどんなに暖かいか。便利だって?昔10人でかかっていた仕事がコンピュータを使うことによって1人ですむことになると、残り9人が失業するじゃないか。」という。

これにはまいった。へ理屈というものでしょう。

これは個人一人の例にすぎないけど、そういう考えの人がいるから、イタリア人でコンピュータのできない人がまだまだ多いのだろうと思う。

文盲の人もいるらしい イタリアなので、コンピュータどころではないのかもしれない。


関連過去記事 インターネットの普及率


サウロの改心

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saulo


4日間だけ一般公開されたカラヴァッジョの個人(Nicoletta Odescalchi 王女)蔵の絵を見てきました。

「サウロの改心」1点。


場所はヴェネツィア広場の近く。こんなところに王女の個人宅があったなんて。

行ったのは日曜日の午後だったので、さすがに長い行列ができていて、1時間待ち。3分おきに15人ずつ見れるようになっていました。(3分のために1時間待つ価値はありました。しかも無料)

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 にある、カラヴァッジォの「聖パオロの改心」が有名ですが、(←クリックして下2作がカラヴァッジョ作、また下から2番めが「聖パオロの改心」)サウロというのはパオロの以前の名前。ということは、彼は同じ主題をモチーフに2作描いていたのですね。

サウロ(パオロ)はユダヤ人でキリスト教を迫害していたのですが、ダマスカスへ行く途中、強い光に打たれ、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」というキリストの声を聞いて馬から落ち、それから改心してキリスト教を広めるようになった人です。


比べてもわかるように、今回の「サウロ」の絵の方は、より劇的な絵でした。

ただ、個人的には、ポポロの「パオロ」の方が好きです。

本気?

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2女性友人の会話


「久しぶり、何かニュースある?」

「私、もうすぐ、結婚するの」

「え?本気?」


「本気?」と書いたのは「Sei sicura?」英語でいう「Are you sure?」って感じで「マジ?」という ところ。

彼女のこと、相手の男のことを知ってるからこその言葉なのでしょうけど.....

普通「おめでとう」でしょう....と。イタリアだなあ、と思ってしまった。

イタリアにはコンビニがない。夜に何か必要になっても、翌朝まで待つしかない。なのに、24時間オープンのパン屋がある。私も時々前を通ったり、利用したりしてたけど、24時間オープンしていると知ったのはごく最近のこと。


イタリアはパンを買うのも日本のようにトレイに自分の好きなのを選んでのせて、レジでお勘定、というのではなく、ケースの向こうにいるパン屋の人に「これをいくつ、これを半分くらいに切って、それと.....」と会話をしながら買うことになる。時々世間話にもなる。

こういうしくみは時間がかかって、合理的ではないと思うのだけど、会話をしながら、というのがイタリアの昔ながらのやりかたらしい。


これがすいているときだといいけど、人が多いと大変。だって、皆、列を作らないから

後から来た人が「次、僕は、これとこれと」と先をこされることも、おとなしい日本人(私)にはよくありました。

最近は郵便局のように整理券をとる機械を置いているところもあるけど、まだまだ昔ながらの「次はわたし」の割り込み方法が主流。


そして、この紹介のこのお店、いつも込んでいて、割り込みされず、自分の順番を待ったとしても、待たなければならないから、急いでいるときには避けた方がいいです。気長に待ちましょう。 そんなにおいしいのか、と言いたいのだけど、個人的には普通。ただ、他のバールや飲食店にも卸していて、だから夜も作ってついでに売っているらしい。値段は普通より安めです。だから混んでいるのでしょう。種類も豊富だし。


また、特別注文とかにも応じているようで、100ユーロ払って何やら注文予約している人もいました。パーティ用なのでしょう。 軽くパンでお昼をすませたいとき、お勧めです。この店で割り込みされずにスムーズに注文ができれば、ちょっとした自己満足にひたれます。


地下なのだけど、外から下がパン屋なのが見えていて、甘い匂いがプンプンしているので、すぐにわかります。 隣はポルノショップなので、入るところを間違えないようにしましょう。


住所 Via Angelico 27 地下

ヴァチカン近く。地下鉄Ottaviano駅を降りて、ヴァチカンと反対方向に歩いて1-2分ほど。

スーパーおばあちゃん

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フリー新聞Leggoに「スーパーおばあちゃん、大学を卒業する」という見出しの記事があった。

数日前、82歳の女性ローマ大学を卒業したという。専門は法学。


イタリアの大学は日本のように皆で一斉に卒業するのではなく、単位や課題や試験が個人によって異なるので、卒業の日も個人個人バラバラなしくみで、入学はしても、卒業するまでが大変で何年もかかったり、(入学してから10年だったか何年だったか制限はあるらしいけど)卒業の前に提出する日本でいう卒論みたいなのや、試験も筆記、口頭とあって、とても大変らしい。


大学に席はおいたまま、働いていたり、仕事と両立させながら、あるいは卒業するために仕事を辞めたりして、大学卒という「学位」を取得するので、「大学卒業」した暁はイタリア人にとって大きなお祭り騒ぎになったりする。


記事のおばあちゃんは、元、助産婦で、「孤独に気が狂うのを避けるために大学で勉強することを選んだ」というのだ。「息子とはもう20年以上も会っていない」と。


はたから見て「さびしいおばあちゃんなんだな、喜び合える家族もいなくて」と言うのは簡単だけど、82歳で大学で法学を学ぶ彼女の精神は凡人の想像もつかないところにあるのだろうと思う。彼女が更なる探求心をもって、ますますスーパーおばあちゃんになればいいな、と思います。

ワールドカップ

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ワールドカップ、日本、残念でしたね。

お店のラジオで流して聞いていたのですが、「1-0」だから勝だろうなー、と思っていたら、いつのまにか(ちょうど、忙しくて、集中して聞けなかったとき)3点も一気に入れられて、さぞ日本のテレビで見ている人たちもがっかりしているだろうなーと。(テレビじゃない分、状況がよくわからなかったし)


夜はイタリア-ガーナをやっていました。


このワールドカップを機会に「テレビつき携帯電話」が各社売り出していて、その宣伝が毎日すごい。A社のCMのあと、B社って具合。何度も何度も。


実際、買いに行った人によると売り切れていて、とりよせ待ち状態なのだという。機器も高いし、毎月の契約料も49ユーロとかするのに、そこまでして見たいのだなあ、と思うのですが。


帝王切開

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現在、イタリア人の出産は35%が帝王切開で、ヨーロッパで一番高い割合らしい。ヨーロッパの平均は23%とかだったか。


帝王切開、イタリア語では Cesarei 、英語では Caesarean section 、って「カエサル(シーザーの)の」という意味。

ってことは語源はカエサルも帝王切開で生まれたとか?彼のスケールの大きい生き方を象徴してそういう名前がついたのか?(気になるので帝王切開の語源を知ってる人がいたら教えてください。)

ともかく、イタリアのローマ帝国のチェーザレが語源らしいとわかって、へー、と思ったのでした。


なぜ、イタリア人に帝王切開が増えているのか、単純に「痛くないから」だと思います....(理由までは記述されていなかった。)