星占い

イタリアでは星占いが盛んだ。今に始まったことではないだろうけど。

日本の血液型のように「何座?」とよく聞かれる。性格分析までする人もいる。(日本も最近は「あなた何星人?」と言うのでしょうか)

朝のニュースの合間にも日本と同様「本日の星占い」があったりするし、新聞にも必ず載っている。読み比べると、全然違ったりするのだけど。


でもって、わかりにくい。というのは「ようやく水星による影が消えて、月があなたを応援するでしょう。」とか、とても抽象的なのだ。

「要するに、運がよくなりつつあるってことね。」と自分なりに(楽観的に)読むしかない。

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すばやい決断

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27日のフリー新聞に載っていたのだけど、アメリカの「Intelligence」という雑誌によると

「すばやい決断をする能力は女性の方が男性よりもすぐれている」のだとか。


どうなのでしょう????


私の印象では、人によりけりで、例えば、車の運転中、とっさの判断をしなければいけないようなことって、男性の方が普通、生まれつきに優れているのではないか、とも思えるし。


イタリア人と日本人を比べると、仕事をするのは日本人が男女問わず、すばやく決断して行動に移すのに対して、イタリア人は「それについては、また、後で話そう。」とか、とても、ダラダラ、のんびりしているように思える。


でも、買い物するお客様を見ていると、イタリア人も他の欧米人、アジア人も、決断が早いのだけど、「どっちにしようか。」とか「買おうか、どうしようか。」とか「お願いまけてまけて。」とか、やたら接客が長くなるのは決まって日本人なのだ。(金額が大きいときは国を問わず、長くなるときもあるけど、金額に関わらず、決断ができないのは、決まって日本人それも女性です。)


「すばやい判断」よりも大切なのは「冷静な判断」なのでしょう...... 小さな買い物ならともかく、決断する事柄が大きいと、難しいけど。

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両替

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お店に来た日本人客から

「この近くで両替をしたら、20ユーロごまかされそうになった。その場で数えて、足りないと言ったら、出してくれた。」という。また、連れの友達は「50ユーロ足りなかった。」という。(後で気づいたので手後れだったとか)


リラの時代は桁が多くて計算もわかりにくい感があるので、よくそういう話は聞いたけど、今でもあるんだ...と思った。


日本人は「渡された物は信用して確かめずに受け取る。」と思われて、いるのだろう。まだドルはユーロと単位が似ているから、アメリカ人にそういうワザは使えないだろうし。


私たちは働いている店の近くで買い物をして「あそこで働いているんだけど、値引きしてくれる?」というと、ちょっとまけてくれたりする。逆の場合もあるので、そのときは割引してあげる。


両替をするのは、大金を代えるわけではないので、どこで代えるのも同じか、と思っていたのだけど、日本に行く前、ユーロから円に両替するときお店の近くで同じ手を使ってみた。

「あそこで働いているのだけど、日本に行くので、円がほしいの。たくさんちょうだい。」と言ったら、相場のレートよりおまけしてくれた。

両替屋まで割引するんだ。レートって何なの?と思ったのだけど。


イタリアで両替するのは、手数料を取られるし、日本より率が悪いので、日本で両替してきたほうが、お特のようです。

イタリアで両替したときは、必ずその場で確かめましょう。両替する前に店の人に

「1万円はいくらになる?」と、最初に聞いて、するかどうか決めること。

現金はスリにあうと大変なので、できるだけ少なく、カードやトラベラーズチェックを持ち歩いたほうがよいでしょう。今更ですが....






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ALI BABA

ケバブのお店。

アラブ人も多いローマやほかのヨーロッパ各都市でもケバブのお店は珍しくないのだけど、ローマのほとんどのケバブの店は「立ち食い」で、カウンターはあっても、ゆっくりはできないし、外国人(アラブ人)がたむろしているので、入りづらかったりする。

でも、ここのお店は広くて、レストラン風で、雰囲気もよく、そして「おいしくて安い」(これが一番重要でしょう)

いろんな国の人から「ここのケバブ(アラブの国の人はパニーニと呼んだりシャルマンと呼んだりしているようだ)がローマで一番おいしい」と聞いたのだけど、評判に違わず、おいしいし、店の雰囲気も良くて、お勧めです。ケバブ1個、3ユーロから。手作りのパン生地がおいしく、具もソースの辛さも選べます。ビールの種類も豊富。(ローマでは珍しいと思う)

ケバブだけでお腹いっぱいになるほどなのだけど、付け合わせの、野菜料理や揚げ物のメニューも変わったものが色々あります。


メトロA線のArco di Travertino駅出てすぐ。夜の12時すぎまでやっているので、夜遅くまで地元のイタリア人やいろんな国の人(でも観光客はいない)でにぎわっています。(イタリアではそういう店は珍しい)


2軒隣りに、もう1軒、トルコケバブのお店があるので間違わないよう。(ここは入ったことはないので味は分からないけど、見た目、他のケバブ屋さんと変わらない雰囲気です。)

愛してる、愛してない・・・

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folie


オリジナルフランス語タイトルは「A' la folie pas du tout」、イタリア語タイトルは「M'Ama Non M'Ama」(邦題と同じ)


アメリのオードレイ・トトウ扮するアンジェリーク、彼女の恋の物語なのだけど、彼女から見たストーリーと、同じ現実の姿のストーリーの差が面白い。


要するに片思い、なのに恐ろしくも自分に都合の良く相思相愛だと1人思い込む。最初のストーリーで「待ち合わせに彼、来てくれなくて、可哀想」と思っていたのが「あー、そういうことだったのか。」と後で分る。

こうして客観的に見ると、思い込みというのは、したくないものだし、この映画の場合は、暴走しているから、どんなにオードレイが可愛く演じても、異常は異常、犯罪は犯罪、なのだけど、最終的に「そうは言っても誰でも、多かれ少なかれ、思い込みや錯覚ってあるんじゃないか?」という気持ちになった。

恋をしたら客観的に物が見えなくなって、というのは分りやすい例だけど、すべてにおいて、私たちは自分の思いたいように物事を見ているのではないか


例えば、神を信じる人には、神は存在するし、信じない人には存在しない。(本当は存在していても?)
「嫌なことがあった。あいつのせいだ。あのハプニングのせいだ。この環境のせいだ。」と思うことによって、自分の落ち込む弁解にしたり、人の愚痴や悪口を言う(思う)ことによって、自分を正当化したり。
逆に物事を肯定的、好意的に考えることによって、自分を元気づけたり(行き過ぎるとアンジェリークみたいになってしまうけど)。


それじゃあ、客観的って?というと「自分の独断ではなく、皆に合わせる」というのではなく、感情にも状況や都合(理性)にも左右されない視点からの見方、ではないか、と思う。
(私の印象では、イタリア人は感情の起伏が激しく、本人がその感情に左右されがち、なのに対して、日本人は理性的なのだけど、その理性にしばられる、というか人生を勝ちとか負けとか、計算に走る傾向があると思う。)


人は感情抜きには生きられないけど、同時に「客観的な目」(感情をコントロールする理性ではなくて、絶対的な視点、とでもいうか)からも常に物事を見ていきたいと。

同じ人や物や出来事への意見や感想も人によって全く違う。

事実や現実は避けられなくて、(世の中には目を覆う痛ましい出来事も多発しているし)個人の思い通りにいかない現実も多いけど、それをどう見るか、とらえるかは、自分自身次第なのだから。


語学の上達方法?

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語学の早道は「その国の言葉をしゃべる恋人を見つけること」というのはよく言われる。イタリアでも、世界中でも、よく言われているらしい。
でも、果たして、そうなのだろうか???


「好きな人と話すために一生懸命勉強する」というのは、とても分りやすいけど、所詮、初級のゼロに近いレベルの話で、それだったら、動機付けは何でもかまわないのでは?「好きな人のため」というのは強力な動機にはなるかもしれないけど。


私がイタリアで見た外国人(日本人も含む)で思うのは、イタリア人の恋人がいるかどうか、がイタリア語の上達だとは、言えないように思う。
イタリア人のパートナーがいるわけでもないのに、ペラペラの人もいるし、イタリアに来てまだまもなくて、イタリア語もほとんど話せないのに「もうすぐイタリア人と結婚する」と言っている人もいる。(愛に言葉は不要?)

充分に意思疎通のできる言語なくして結婚する人たちの心理も不可解だけど、私がもっと気になるのは、付き合う人たちによって(男女間に限らず、周囲の環境を含め)言葉づかいが決ってくるんじゃないか、ということ。


以前「くせ」ってうつるんじゃないか、という話を書いたけど、言葉はそれ以上に、影響力があると思う。日本語同士だって、そうなのだから、外国語の場合、周りの環境ってかなり大きい。


日本は「外国人タレント」として、片言の日本語を話す外国人がテレビによく出るけど、面白いかどうかは別として、片言なのに汚い言葉が次々に出る様子は「彼に日本語を教えた周りの人たちって....」とお里が知れる、ではないけど、見苦しいものを感じるのだ。(面白ければいいのか?)

イタリアにはそういう外タレ、とかはいないけど、目の前で、汚い言葉でののしったり、暴言をはいたりする外国人を見ると、(語彙がないから、どうしても手っ取り早い言葉を使ってしまうのだろう、気持ちはよくわかる。私も口から出そうになることあるから。)「あんなふうにはなりたくない。」と思ってしまう。ただでさえ、めちゃくちゃなイタリア語話しているのに。


私もイタリアに来て、1,2年目くらいまでは「ちょっとしかいないのに、イタリア語できるんだね。」とよく、誉められたものだけど、最近は(上達が止まっているので)めっきり言われなくなった。

昔、誉められたとき「全然!間違いだらけで話しているし、ボキャブラリーも少ないし、まだまだ勉強しないと。」と言ったら
「充分じゃないの?イタリア語で本でも書くつもり?」と言われて
「え?.....そうかー、間違いだらけでも、話は通じるからいいんだ。」と思ったので、気持ちが楽になりました。(それ以来、上達伸び悩んでいるのかも)

汚い言葉を使う人は母国語でもそうなのかもしれない。そうじゃないかもしれない。どちらにしても、外国語が母国語以上になる、ということは普通ないから(何十年も故郷から離れているとそういうこともあるだろうけど)どんなに外国語を勉強しても自分の日本語のレベル以上にはなれないという限界がある。


日本でもう何年も英会話を習っている友人が(実際英語はできる人なので)

「なかなか、いい先生に巡り合えないんだよね。こちらが細かいことや気になることを質問しても、それに答えてもらえなくて。ネイティブなら誰でもいいってわけじゃないよ。自分以上に知識のある人じゃないと。」というので納得したことがある。

結局「語学の上達」には「環境(例えば、誰に教わるか)」と「母国語(日本語)」が大きなキーではないでしょうか....と思う最近です。

capitolini

「カピトリーニ美術館が新しくなったから、是非、行ったほうがいいよ。」と言われて、行ってみました。
別に、閉館工事していたわけでもないし、古くもないし、由緒ある美術館だから、新しくって、どうなったのだろう?と思って。


入り口の広場にあるマルクス・アウレリウス(イタリア語ではマルコ・アウレリオ)像のオリジナルが、以前は新宮の1階の隅に目立たなく置いてあったのだけど、それが、コンセルヴァトーリ宮の2階の真ん中に広場が作られ、そこにどーん、と置かれていました。
その周辺に新しい部屋もできていて、展示物も増えていました。ここの場所、美術館とならんで市庁舎があるのだけど、丘の上で、古代から神殿がおかれ、政治的にローマの中心地だった場所なのだけど、その神殿の様子を一部再現したコーナーやミニチュアがあったり、その頃のその周辺の様子、またそれ以前の紀元前700-800年前の想像図(丘の上に小屋があるだけ)などを見て、遥か古代を思ってぼーっと時間を過ごしたり。


この美術館、何度も行ったことがあるのだけど、絵画館のコレクションも中庭の像も新宮の像も、美術館そのものの壁や天井も、見所多く(修復の跡を発見したり)毎回、楽しめます。その上、ここって、よく展示会をしていて、現在は「古代宝飾展」 が開催されていました。
紀元前に作られた純金の細工の宝飾品たち。どんな貴族の髪や耳を飾ったのだろう、と想像したりとか。


でも、ここの美術館の一番の見所といえば、地下にあるタブラリウムから出たところからのフォロ・ロマーノの眺め。位置的にも高いし、遠くまで古代遺跡が続くのが一望できます。
また、カフェテラスからのローマ一望も絶景。古代と現在のローマを楽しめる、ローマで一番眺めの良い美術館だと思います。
ローマに来た際は、または一度この美術館にも来たことがある方にも、再訪お薦めです。(かなり広いので、丁寧に見ると結構、時間がかかります)


カピトリーニ美術館の公式ページ

ローマの地下鉄工事

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日本に行ったことのあるイタリア人(に限らず、なんだけど)

「日本の地下鉄ってすごいね。網羅されていて、すごい数!」と驚く。


ローマは今のところ2線あるのみ。駅の中も狭いし、とてもわかりやすい。そのうえ、そのうち1線は夜の9時まで。


過去記事 それが始まった日


現在、A線、B線に加えてC線も追加中なのだけど、開始はまだまだ先。10年ほど先だったかも。

どうしてこんなに時間がかかるかというと、イタリア人が働かないから、ではない。


ローマの地下には古代遺跡が埋まっていて、そう簡単に地下工事が進まないからだという。

そういえば、フェリーニの映画だったと思うけど(たぶん)、ローマの地下鉄工事をしていると、古代ローマのフレスコ画が出てきて、圧巻.......なのに見とれていると、閉じ込められた空間だったのが、空気による酸化で、一気に色が真っ白に消えてしまった、というシーンがあった。あれは実話なのだという。

突然、地下に現れた絵、また、それが消えていく様を見た人たちは、どんな気持ちだったのだろう?




期日切れ

今日は復活祭で、明日月曜も休日です。

世界的にそうで連休とって旅行する人も多く、ローマは観光客でいっぱいです。


ちょっと気になること。

町によく、映画やコンサートやイベントのポスターが貼ってあるのだけど、よく見ると、期日が過ぎているものが多い。

それって、貼ったら貼りっぱなし?

次に貼りたい人が上から貼るか、はがすってことなんでしょう。

貼ったら、はがしてよー、こんな期日すぎのポスター、変だよ、と思うのですが。


アレルギー体質

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イタリア人Lさんは「魚はときどき食べるけど、お肉はまったく食べない」という。

子どものときから、お肉はだめで、食べると気持ち悪くなったり、皮膚に異常が出たりしたのに、両親は「何でも食べないとだめだ」と言って、 強制的に食べさせられた記憶がある、とも。

そういうアレルギーというものは人によって色々あるはず。


日本人の大半は牛乳に含まれる乳酸を消化できない体質なのに、学校給食では毎日牛乳が飲まされる、とも読んだことがある。


高校生の時「鶏肉」はだめ、と数学の先生がいた。子どものとき易者に「君の前世は鳥だから、鳥は食べてはいけない」と言われたのだとか。それがトラウマなのか、どんなに姿形がわからなく調理されても、鶏肉を食べるとアレルギーが起こるのだと。


アレルギー体質が「好き嫌いのわがまま」と取り違えられるのは、無知から起こること。

かといって、栄養のバランスのない食事もよくないけど。日本人って、イタリア人に比べたら、バランス考えて食べていると思う。

イタリア人って、パスタ、ピザ...が多くて。(人にもよるけど)

1日に30品目なんて、聞いたこともないから。