結果を出すこと

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「わざわざ、トリノオリンピックのときに、日本に来るなんて」

と、何人もの人に言われたのだけど、その質問は予想外だった。だって、イタリアではそれほど(日本ほど)オリンピックが話題になってもいなかったから。


トリノオリンピック


オリンピックでの日本選手、世界の各選手の活躍、すばらしいと思う。荒川選手は、絶賛ものだけど、メダルを取るとか世界で何位だとか、そんなのはおいといても、こんなにわくわくどきどき楽しませてくれる、というだけで。すごーい、と思わせてくれるだけで、彼らにはその力があるのだから。


日本人って、「結果を出す」ということをとても重要視しているように思う。メダルはその象徴のように。

普段の仕事にしても、人生にしても。


「人の悩みや不安の大半は、人からどう見られるかとか、周りの環境に左右されている。

自分自身の中で平安を得たなら、周りの環境に振り回されることなく、どんなときでも幸福でいられる」という。(イタリア人のヨガの仲間の言葉)


人からどう見られるか、とか、結果を出すことを気にしないで生きるって、難しいと思う。

でも、それができたとき、結果の方は、あとから付いてくるのかもしれない。


仮についてこなくても、結果を出すことが最終目的じゃなくて、日々、1日、1日のありかた、が一番大切なのではないかなあ、と思う。



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日本の本

日本人はよく本を読むと思う。大きな本屋も多いし、新品同様の古本屋も充実しているし、人もよく読書している。私のイタリアに持ち帰る荷物は、食料と本でうまっていく。


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イタリアには文盲の人がまだいるという。日本人Rさん(仮名)が部屋の暖房機が壊れたので、エンジニアを呼んで修理してもらったら、彼は文字が読み書きできず、Rさんが領収書を書いてあげたのだという。

客の側で、しかも外国人なのに。日本ではありえない話だよね、と言われたことを思い出した。


イタリア人は映画が字幕なしのすべて吹き替えなのを「イタリア人は声優がすぐれているからとよく言う。確かに、声優は俳優なみのタレントがあって、それも一理あるだろう。

ただ、昔はもっと文盲の人が多く、映画もまた、娯楽といえば映画、みたいな黄金時代に、声優はかかせなかったというのも一理あると思う。字幕の字が読めないから。


日本で本が読むことって、当たり前のような感覚があるけど、そうでない国もあるし、外国で日本語の本を読むってことも、すごくありがたいことだなあ、と実感している。


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残念ですが

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デパートの中で、ある客がほしい品が見つからず

「ああだ、こうだ、ここが違うのよねー。」と、散々、わがままを言って、結局買わなくて、販売員の人が

申し訳ございません。」のを聞いて

「自分が悪くもないのに、店のせいでもないのに、謝ってる。日本の接客業って....」と思ってしまった。


イタリアだったら「残念ですけど、ないですね。」でおしまい。

それでも何だかんだとしつこい客には、特にそれが外国人の場合、どんな言われ方をするか、色々、あるだろうな、と想像できる。舌打ちされるとか、後で悪口言われるとか、「ないっていってるでしょ」と逆ギレされることだってありうる。


イタリアでよく使う「Mi dispiace : 残念ですが」

私はこの言葉を聞くのがはっきり言って好きじゃない。

それは、NO と言われていることであり、訊ねた事、頼んだ事、期待した事に対して拒否されるときの言葉だから、というのもあるけど、それだけじゃない。

約束や時間を守られなかったときとか、言われた言葉の通りに事がすすまなかったとき(それも事後)に使われることが多いから。(仕事にしてもプライベートにしても)

こちらは言い訳よりも一言謝ってほしいのに、「残念だけど」じゃないでしょう、と。

ただ、日本の「すみません」を気軽に言いあう習慣を見ると、謝ることの価値って、と思う。

オリンピックの4位になった人が「国民の期待に応えられなくて申し訳なく思う。」と言ったのを聞いても....

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スーツケースを運ぶ

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日本です。日本食を満喫しています。何を食べてもおいしくて。

ただ、日本について、日本人について気が付いたことが...


スーツケースを持ち歩きながら階段を上り下りしていると、イタリアでは必ずといっていいくらい誰かが

「手伝いましょうか。」と助けてくれるのだけど、日本では、たまに、助けてもらう程度で、無視されることもしばしば。

両手ポケットに入れたまま通りすぎる男性も多くて。


日本の男性雑誌(多い!種類がとても多い!)は「どうしたらモテルか」「どうしたら彼女にもっと好かれるか」みたいな特集が多いにも関わらず、赤の他人に親切にするのは関心の外、というイメージが。


イタリア人だって、ちょっとした親切は進んでしても、(見過ごす事自体が、礼儀に反するという感覚?)ちょっと労を要すること、面倒くさいことには関わりたくない、って人もたくさんいるので、どの国民性がよいとも言えないのだけど、ちょっとした親切って、ありなのではないか、と思ったのだった。


そんな中、50代くらいのそれも小柄な女性が「手伝いましょうか。」とスーツケースを運ぶのを手伝ってくれて、ちょっと感動。日本人女性、強くなってるな、と。

トリノでオリンピックが開催されているけど、イタリアではあんまりもりあがってないように思う。初日、テレビではトリノ市民にインタビューしていて

「人が、いっぱいトリノに来てにぎやかで、とてもうれしいです。」

とか、答えていて、素朴だなあ、と思ったし。

毎日、テレビでは生中継が放映されているけど、例えば朝のニュースで

「昨日は何々が行われ....金メダルが誰で、その模様はこんなふうで...」とダイジェストをやったりとか、はほとんどしていないので、昼間テレビを見てないと、何も知らずに過ぎてしまう。


日本でワールドカップがあったときは、すごい熱気のイタリア人たちで、イタリアが試合のときは、仕事もほったらかし、授業も中断してテレビの前に、という状態でした。


明日、日本へ出発です。

トリノオリンピックも日本で見ることになるけど、かえって日本の方がたくさん詳しく放送しているに違いない。



「ローマ人の物語」より 6

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カエサルの「ガリア戦記」を読んだ小林秀雄の文章より引用(1942)


昔、言葉が、石に刻まれたり、煉瓦に焼きつけられたり、筆で写されたりして、一種の器物の様に、丁寧な扱ひを受けていた時分、文字といふものは何といふか余程目方のかかつた感じのものだつたに相違ない。今、さういふ事を、鉛の活字と輪転機の御蔭で、言葉は言はば全くその実質を失ひ、観念の符牒と化し、人々の想像のうちを、何んの抵抗も受けず飛び廻つている様な時代に生きている僕等が、考えてみるのは有益である。読者の塩飽なぞは一切黙殺して自足している様な強い美しい形が、文学に現れるのが、いよいよ稀れになった。この様子で行くと、文学は、読者の解釈や批判との紛糾したら馴合ひのうちに、悶絶するに至るだらう。


現在、こういうネットという手段で、誰にでも簡単に、文字を書き、公表できる時代になると.....と、思ってしまった。手軽に誰もが表現できるようになった分、世の中に活字があふれて、文字の持つ力、というものが、どんどん軽く希薄になってきているのかもしれない 。


ちなみに、カエサル、英語ではシーザー、イタリア語ではチェーザレ。人名って紛らわしいです。


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チャールズはカルロ

日本へのお土産を買いに、以前働いていたお店に行ったら、半額くらいにしてもらった。

そこのスポーツ店のオーナー(現在35歳くらい)、毎年リゾート地にバカンスに出かける様子なのだけど....

「今回はアルゼンチンに行ってきたんだ。写真見る?」

「うん、見る。一人で行ったの?」

「そう、よかったよー。すごく楽しかった。」


「もう1件のお店は?知らない人がいたけど。」

「あれはもう、僕の店じゃないよ。店たたんだんだ。この店だって、もうやめるかも。」

「えーー?どうして?人、けっこう来てるじゃない。」

「もう、嫌になった。イタリアの生活に疲れたんだ。アルゼンチンに住みたい。本気だよ。物価も安いし、人もいいし、環境もいいし。」


「バカンスで行くのと、実際、住むのは違うでしょう。仕事はどうするの?」

「家でも買って、人に賃貸するさ。」


EASYだなあ、そんなにお気楽でいいのか、イタリア人、と思ったのだけど、人生そういうふうに動く人もたくさんいるのだろう。

実際に旅行でイタリアで来て、気にいって、単にイタリアに住みたい、と思って、イタリアに来る日本人だって、たくさんいるのだから。


空港まで

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ローマテルミニ駅から、空港までの電車の始発は、5時52分発、6時48分到着。終電は21時22分発、22時33分到着。


空港からテルミニ駅までの始発は6時10分発、7時6分着、終電は21時40分発、22時36分着。


では、その他の朝早い時間や夜遅く着く便の場合、どうするか?というと、タクシーか車を持ってる人に送ってもらう...ということになる。


エアーシャトル というのをみつけました。予約制で、片道26ユーロからでタクシーより安いし、大きいので、大人数や荷物が多いときも、使えると思います。


でも、そもそも電車が9時だいに終電なんて!...






イタリアで働く 8 無収

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修復学校で一緒だった友人と話した。

彼女は今、修復の仕事を始めたのだけど、何ヶ月もお給料が払われていないのだとか。

また、別の友達についても「タダ働きしてるけど、やっていけないからベビーシッターでアルバイトしている。」とか「9月からお給料が払われないので、辞めることにしたのだけど、結局、ちょっとしか払ってくれなかった。」とか。

「私たちはイタリア人で親と住んでいるから、まだやっていけるけど...」と言われて。


払われたとしても、もともと修復士のお給料なんて安くて、日本円で10万円そこそこくらいなのだ。

それさえも払われないなんて。

私も重たい腰を起して修復の仕事探しにかかろうかと思っているけど、こういう話を聞くと、気が重くなってしまう。


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安い給料

イタリアで働く 5

W.O.K(World oriented kichen)

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テルミニ駅の地下に最近できた、アジアンフードのお店。今まではアジア料理というとレストランしかなく、中華以外のアジア料理は珍しいし、ここは初めて気軽に食べられるカフェかも?とちょっと興味があった。(ヤサイラーメンというローマ字の看板メニューも気になって)


でも、ちょっと入りづらい雰囲気。イタリアらしくないアメリカっぽい雰囲気をがんばってるのだけど、全然似合わない、というか。場所のせいでしょう。壁も扉もなく、外から丸見えで、それも地下鉄に降りる階段の横(以前は公衆電話が並んでいたところ)にあるので、ごみごみしていて、音楽はがんがん鳴っていて、落ち着いて食べられないな、という印象。


最近、「ナシゴレン、4.9ユーロ(700円くらい)を1.9ユーロ(300円くらい)」というセールに引かれて、「持ち帰りできる?」と聞いてみたらOKだったので、トライしてみた。普通、中華レストランの「持ち帰り」はアルミパックの箱に入れてくれるのだけど、ここは紙製の縦長折りたたみ箱に入れて、紙袋にまで入れてくれたので「アメリカっぽいなあ」とますます思った。

肝心の味は、まあまあおいしくて、こういう味もイタリアでは普通味わえないから、新鮮でした。


他にもメニューには「焼きそば」とか「焼き鳥」とか「グリーンカレー」とか5-7ユーロであり、カウンターに並ぶサンドイッチ類は普通のバールよりちょっと高いけど、具の中身が変っているので、他では味わえないかも。

デザートには「サクラ」とか「レイキ」とか「アマイ」とかあって、完璧に日本を意識してるなー、と思うのだけど、中身はミルククリームにフルーツソースがかかってたり、ムースだったり、と和食とは関係ないみたい。


それで、思い出したのが、先日、日本食レストランで隣に座っていた外国人がデザートで羊羹を食べていたのだけど、1人分のそれが分厚く切ったのが5切れほども。(日本人経営の店なのだけど)

「あれ、一切れでも充分、厚くて、多いよね。しかもいっぱい食べたあと。」と私は一緒にいた日本人と驚きながら見ていたのだけど、羊羹って、ちょっとお腹がすいたとき「お茶の時間」に食べておいしいものでしょう?


「ちょっと違うよ」と言いたくなることって多いのだけど、日本食、アジア料理が保守的(特に味には)なイタリアにも普及しつつあるのは、ちょっとうれしい。それは単に自分が「食べることができる」ということだけでなく、イタリアが「開いて」きていることに対して。社会的にはまだまだだけど、こういう「食べ物」から、始まるのではないかな、イタリア人の変化も、と思ったのでした。

このWOKはまだ、客はイタリア人よりも外国人ばかり、という印象ですが....