買い物時の注意

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お店に来た日本人お客様の話


以前、イタリアに来て、宝飾品店で数点買い物をしたら、一番高額の物の箱の中がカラだった、ということに日本に来てから気づいたことがあったのだという。

「やられました。」というので

「いくらイタリア人でも、それは信じられない。きっと入れ忘れたんでしょう。」と私が言うと

「いやー、わざとに決まってます。」と。

この話をイタリア人にすると

「ありうるよ。どこ?はーん、ナポリね。わざとに決まってるじゃん。」と。


ナポリはこれぞ古きよきイタリアって感じで、人々も大らかで、情熱的で、人生を謳歌していて、ナポリの印象を悪くさせる気持ちはさらさらないのだけど、(日本人から見ると)適当いいかげんなイタリア人にとってもナポリ人はさらにというイメージがある気がする。


買い物をしたときは、ちゃんと物が入っているか、確認しましょう。



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年末に思うこと

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私は修復をしたいという目的の為にイタリアに来て、希望の仕事ができず、お店の販売員で立場の弱い外国人としてこき使われ、その他いろいろイタリアの不便で不条理な仕組みに振り回されながら「こんなままでイタリアで年とっていいのかなあ。日本に帰ったほうがいいかなあ。」と不安とジレンマの間で悩んだりすることも多い。(もちろん、今の仕事も生活も楽しんでいるし、色んな人に会ったり、経験をしたり、というのはかけがえのないことだから、頭にくるようなことも笑い飛ばすしかないのだけど。)


「なーんにも目的を持たずに、単にイタリアに憧れて、語学留学でイタリアに来て、イタリア人と結婚して、イタリア料理はおいしい、と言ってるような日本人のほうが、これをやりたい、という目的がない分、気楽に生きて、楽なのかも、と思ったり。(結婚の有無は別として)」
と、日本人友人に言ったら
「それは、日本にいても同じ。どこにいても同じ。」
と、言われて、納得した。「楽さ」「条件」で人生を選ぶ人もいる。「好きなことをやりたい」と思うとその代償は大きい。

所詮、それは理想論で、「仕事」とか「人生のパートナー」は条件で選ぶものだ、という人だっているだろう。
気楽じゃなくても、大変でも、信じられないくらいお給料が少なくても、親に心配をかけても、あえてその「道」を選ぶ意義があるのか、私は日々自問自答している。

イタリアに憧れます。住みたいです。」という人にも何と言っていいかわからない。
「住むのは大変ですよ。」とも言いたいけど、本当に気楽に考えている人だったら、私のような悩みとも無縁であるかもしれないのだし。
「そんなに大変なら日本に戻れば?」とも言われそうだけど、結局上記の友人が言うとおり、日本に帰ったからといって解決できる問題ではなく、「どこにいても同じ」ことなのだから。
結局、考え方次第、自分次第なのだろう。

今のところ、私の環境は、何も変化はないし、相変わらずだし、なのだけど、何となく、来年は徐々にいい年になるような予感がしないでもない。(それも私の見方次第だろうけど)

皆様にとっても、よりよい年になりますよう。

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鉄道の中での出来事

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ナポリ人のおじさんが乗ってきて「これは○○行く?止まる?」と乗客に聞いてきた。

皆が「とまるよ。」と言ったので、おじさんは席にかけ

「まったく、夜に移動はきついね。朝、発ちたかったのだけど...」としゃべり始め、ひとりで大声でしゃべり続けた。

自分の人生とか、「50年間、私は自分の住むところをさがしているんだ。夏、暑くなくて、冬、寒くなくて...君はシエナ、行ったことがある?シエナは湿気があると聞いたからねえ....ペルージャはね、ナポリに比べると.....」私にも

「君、日本人なの?日本は電車の中で痴漢があると新聞で読んだ(私も読んだ)けど、本当なの?」とか....

周りの人もいいかげんうんざりして、適当に相づちを打っていたら、席を移動して別の席を見つけてまったく同じ話を始めた。

私の周りの人たちは「また、あそこで始めてるよ。全く、あの男ったら。」とクスクス笑っていた。


駅員に聞いたら、私やこのナポリ人の行き先には乗り換えしなくてはならず、しかも、電車は今日はないので、変わりにバスになる。その上、2時間待ちだという。自販機でチケットかったときは、全然、そんなこと書いてなかったのに。

それで、ナポリ人おじさんを含めた私たち何人かはFoligno駅で乗り換えするために降りることになった。

駅の時刻表示を見ると、なるほど駅員の言った時間にバスマークがついていた。でも、行き先は知らない地名。「あのバスでいいのかしら。」と皆、わからない者同士。

すると駅にいた人が「君たちが行くその方面だったら、電車があるよ。ほら、あそこに止まっているやつ。」と教えてくれたので、皆でその電車に乗り込んだ。

乗っている他の乗客に「○○止まる?」と皆、自分の行く先を聞くと何人かが「大丈夫、そっち方面だから。」というのだけど、何せ何の確証もない。

「私は以前もそれで、他人を信用して、行き先に止まらない電車に乗って、引き返すことになって、大変な思いをしたわ。」というおばさんがいて「本当に本当?私、不安だわ」というと

「君たちは心配症だな。大丈夫だといっているのに」と言われて。

私も不安だったので、遠くから歩いて来てる駅の人に

「これって、○○とまりますか?」と聞いたら

「とまらないよ。バスにのりかえないと。」というので電車の皆に

「行かないってよー。駅の人が言ったよー。」言うと、皆が彼を追いかけて自分の行く駅を聞いたところ、皆、バスに乗り換えなければいけないとのこと。


そこで、電車から降りて駅の外に出るとバスが止まっていた。「これはいつ発車するの?」と聞いたら「もう、今すぐ」と言う。最初の駅員を信用していたら無駄に2時間待ちして、別方向のバスに乗るところだったのだ

結局そのバスが電車代わりで、予定時間に到着はできたのだけど、バスの中にナポリのおじさんは乗ってなかった。間違った電車に乗って、知らない土地に行ってしまったのか、引き返すことができたのか....


教訓

1. 同じ方向に行く人、同伴者がいても、それがイタリア人でも、信用できない。

2. 駅員でも自分の管轄外のことは適当なことを言うから信用できない。

3. 電車に乗っている乗客の言うことも信用できない。


結局、一番、その場で信用できる人に聞くか、自分のが一番なのかもしれません。

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クリスマスにむけて

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イタリアのクリスマスといっても、一般的には「プレゼント」のことで皆の頭はいっぱい、という印象です。豪華なプレゼントもあり、義理プレゼントもあり、誰に何を、と、日本のお歳暮感覚。そして街には年々サンタクロースの姿が増え、中に空気の入った風船タイプのサンタがあちこちで踊っていたりとか、人は「クリスマスをfesteggiare(お祭り)する」という言い方をするし、(ひたすらご馳走を食べ続けるイタリアのクリスマス)イタリアもクリスマスの本来の意味が薄れて、日本のようになってしまうのではないか、と危惧したくもなります。


私はキリスト教徒ではないけど、小冊子の中にじーんときた言葉があったので、紹介します。(意訳です)

愛する人々すべての背後にある愛に無知にならぬよう。あなたの心がこの世の感情だけに鼓動するのではなく、聖なる愛にドキドキして鼓動するように。


私たちはどれほど感情の世界に振りまわされて、浮き沈みしているか。そのために肝心なことが見えていない無知なエゴイストであることか。


皆様に、Buon Natale, メリークリスマス。

イタリアの学校

外国人にイタリア語を教えているT君(仮名)がいうには
「日本人の子って、おとなしい、というか、無表情。他の外国人は皆、楽しく授業に参加するのに、日本人ったら、表情変えず、じーーー、っとしてるんだ。つまんない。」と言う。
「日本の学校は、おしゃべりしてはいけません、と言われているから、静かにするのが礼儀なんだよ。私も、最初、イタリアの学校で、先生と生徒の関係が友達同士みたいだったから驚いたもの。」
「そうだよ。友達みたいな関係が普通。」
「授業中、先生が”誰かキャンディー持ってない?"とか聞いてくるし。慣れたらそれも楽で楽しかったけど、先生との仲の良さが口頭試験にも左右してくることってあるでしょ。嫌われていたら意地悪な質問されたりとか。」
「僕はしないけど、実際は存在するね。若くてかわいくて、愛想がよくて、って子は、試験もお得だね。」
「やっぱりー。」

別の人から聞いた話では音楽学校で、試験前になると、勉強よりも先生への媚に力を入れる国の人たちもいるのだとか。

T君のクラスにもいろんな国のいろんな年齢層の人たちがいて、それもほとんど女ばかり、らしいのだけど
「僕は皆に対等に接しているよ。もちろん、可愛い子にはずーっとしゃべっていたいけど、全員と対等に話すし。」というので
「当たり前じゃない。仕事なんだから。」と言ったものの、実際、それでも個人感情をあえて抑えているわけだし、それすらもなく平気で感情出す先生もいるだろうし。真面目にこつこつ勉強しても「先生と仲良くなること」にうまくいかないと、実際、試験にも左右するのだ。顔も知らない試験官の時は別かというと、そういうときこそ愛想よくすることがポイントだったりする。

試験だけに限らず、イタリアは愛想をよくするかどうかでお店でも公共の場所でも相手の態度が違ってきたりする。よく言えば、人間らしいとも言えるけど、気分や感情で仕事してるのか?と言いたくなることもやはりあります。

専門学校の男の子

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最近、日本の専門学校の若い学生たちが学校の研修旅行とかでローマにたくさん来ているようだ。
学校やグループによってイメージが違うので「きっと、美容師学校の人たちだ」とか「公務員?」とか、話し掛けても全然答えてくれない子たちは「この先、社会に出ても大丈夫かしら?」とか。

元気のいい男の子達のグループが来た。
イタリア人の女の子に話し掛けるには何ていったらいいんでしょう?」
「ナンパしたいの?」
「したい、したい。」と乗り気。
チャオ、ベッラ(こんにちは、美人さん)って、イタリア人は挨拶代わりに言うけどね。名前も知らない人とかに。」
「かわいい、は?」
「カリーナ」
「カリーナ?かわいいなー、かーいーな、カリーナ、うん、これでいこう。」
「挨拶でほっぺにチュとかしていい?」
「しゃべった人だったらいいけど、いきなりはだめだよ。」
「どうもありがとうございました。がんばってきます。」と意気込んで行った。


カリーナだけ覚えただけで、あの度胸...でも、度胸だけではねえ、とも思うけど、日本人の男の子たちがイタリア人の女の子をナンパする様子を想像すると、微笑ましいものがあった。結果は不明ですが。


マリアとキリストの盗難

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presepe

サン・ピエトロ寺院の近くのリソルジメント広場にあるプレセピオ
クリスマスになると各家庭に見られるキリスト生誕の様子を飾るプレセピオ(去年の記事 参照)だけど、ここのは広場の一角にどーんと置いてあるもの、なのだけど......
聖母マリアと幼子キリストがない!
「盗まれてるー」とイタリア人たちがわいわい騒いでいた。

キリストは家庭でのプレセピオだと、クリスマスの日に登場して、それまで空なのだけど、この大型のは最初からあったのじゃないかと思うのだけど....


他の人形を見ると、足がしっかり固定されていることから(イタリア人が触って確認していた)ポン、と置いただけではなかったものと思われるのに、力ずくでもぎとっていったのか....いったい誰が。
信心深い泥棒?単なる酔っ払いのいたずら?自宅に飾るため?他で転売するため?
ばちあたりなことをする人もいるものです。
ちなみにローマで一番大きなプレセピオはサンピエトロ寺院のものだと思う。今年はまだ、幕がかかっているけど、何年か前のものの写真がこれ。

Xtree

魔法のお店

storiaemagia


ちょっと変わったお店発見。

「Storia e Magia 歴史と魔法」という店なのだけど、入り口はお人形が立っているだけで、店は奥に入ったところにあって、ホテルかレストラン、または何かの展覧会でもやってるのかな、という感じなのだけど、中に入ると、ファンタジーのお店でした。


昔懐かしいオルゴールの数々とか、グロテスクな妖精なんかの人形とか、指輪物語にまつわるいろんな大物小物のグッズとか、いろんな種類のチェスとか、アクセサリーから武器や甲冑、日本刀まで...買いたいか、というと、そういうわけではないのだけど、こんな店、初めてだったので、見るだけ楽しめました。


クリスマス前でショッピング客でいっぱいでした。

場所は地下鉄オッタヴィアーノ駅を出て、ヴァチカンに向かう途中の通りぞいにあります。



http://www.storiaemagia.com

Via Ottaviano, 32

TEL 06-39745528






東京は地方出身者でいっぱいだけど、イタリアは地元の大学に行って、地元で就職して、実家の近くに住んで、という人が大部分で、皆、自分の故郷をこよなく愛している。


地元にずーっといるから、幼馴染も多く、10代の時から10年以上付き合って結婚する(または同居はしても結婚はしない)というパターンは多い。とても多い

それでもローマにも南イタリアから上京してアパートを借りて住んでいるイタリア人もいるのだけど、ローマに来ても地元の出身者同士付き合っているイタリア人って、けっこう多い。


彼らは故郷を愛するがあまり、それ以外は視野に入っていないかのようなのだ。もちろんそういうことにこだわらないオープンな人もいるけど、出身にこだわる、という点、けっこう典型的な(南)イタリア人じゃないか、と私は思う。


それに対して、北イタリアやらトスカーナからローマに来て住んでる人、あまり見ない気がする。北の方からすれば「そんなルーズでいいかげんで、ごみごみしてるローマなんか住めるか。」ということかもしれない。(南はもっとルーズでいいかげんだから)。

日本人の友達と話していて
「日本って、金融関係のコマーシャル、多いよね。」という話になった。


「それも、明るくて健康的なイメージで、笑えるようなほのぼのしたCMとか。」
「でも、結局、高利貸で、借金には変わりないのにね。親近感もたせて、利用しやすいようなトリックだよね。」
「イタリアはそんなCM見たことないね。そういう簡単にお金が借りれるシステムそのものがあるのかな?」
「ないでしょ。あったら、イタリア人、先のこと考えずに借りまくるでしょ。」
「それで返せなくて、ほったらかし。」
「きっと、誰も自殺なんかしないよね。」
「しない、しない。」
という結論になった。


イタリアにももちろん、銀行からお金を借りたりとか、ローンとか、そういうちゃんとしたしくみはあるけど、日本のような「簡単にお金が借りられる」というようなものは聞いたことがない。だからそれを奨励するようなCMもない。

私の推測だけど、きっと日本の場合は「借りたものは返す」のが基本だけど、イタリアの場合は「返さないかもしれない人には最初から貸さない」というのが基本なのかも。


あるいは、昔からヴェニスの商人がいたように、高利貸は存在しているとしても、の存在で、日本のように明るいイメージをとっていないだけなのかも。やってることは同じだとしても。