今更言うまでもないけど、物価が高い。ユーロになって、どんどん上がっている。なのに庶民の給料はリラの時代のまま....


昨日テレビを見ていたら、「どうやってイタリア人、節約しているか」という特集をやっていて、こういう店で買い物する、とか、必要なものだけリストにして買う、とか、スーパーをハシゴして一番安いところで買う、とか、ありきたりのインタビューだったのだけど、北イタリアの人たちの「スイスに行く」というのにはちょっと驚いた。


車で1時間以内にスイスに行ける北イタリアの人たち、週に1度、スイスでショッピング、日常の食料品も車にぎっしり。野菜や同じメーカーの食料品もスイスに来ると30-40%安、同じ音楽のCDも安いし、洋服その他だってそう。おまけにガソリンもイタリアは高いので、スイスで入れてくるのだとか。

スイスのタクシーの運転手が「昔はスイス人がイタリアのほうが安いといって買い物に行っていたのに、今では逆にイタリア人がスイスが安いと、買い物に来る。」と言っていた。


日本では「価格破壊」とか「激安」ということばがあふれているけど、イタリアでは「便乗値上げ」ということばがあふれているのだ。



AD

またスト

きのうはイタリアはストライキで、交通も止まったり、そのほか、郵便局銀行もお休みになったり、ローマではないけど、地方によってはで学校も休みのところもあって、と、よくこんなんで、機能している国が不思議なのだけど、それに振り回されて出勤しなければならない車もない私たちが一番大変だったりする。


今日、お店に来た日本人観光客と話していたら、

「昨日はフィレンツェまで3時間かけてバスで行ったのだけど、ストでウフィッツィ美術館が休館していて、雨で、何も見れなくて、疲れました。」

と言われた。ツアーだったらしいのだけど、行く前に確認しなかったのだろうか?

ストは前々日からわかっていたことなのに。


でも、美術館まで休みにするなんて。


イタリアに来たら、ストの日じゃないかどうか、前日から確認しておきましょう。


関連過去記事 劇場のストライキ


AD

ほしい?

テーマ:

Vuoi?」(You want?)とか「Se vuoi」(If you want) これはイタリア語だけでなく、英語も含む他の言語もよく使うと思えるのだけど直訳すると「ほしい?いる?」とか「もし、ほしかったら、もし、したかったら。」ってところでしょうか。


日本語では「よろしかったら」となるんじゃないかな。つまり「ほしいかどうか」よりも「差し支えなければ、OKいただけたら」と了解を恐縮ながら促される感じ。


最初、この「ほしい?」、例えば「お茶、ほしい?」とか「何々食べたい?」「もし、来たいのなら来る?」とか言われたみたいで不躾な感じに聞こえて、返事の責任が自分にある、自分が「望んでいる」と答えたのだから、というのが、気にかかっていた。


例えば日本では家の客人に「お茶、飲みたいですか?」なんて聞かないではないか。
でも慣れると、これが楽なのだ。ほしければそう言えばいいし、いらなければNoと言えばいい。
「よろしかったら、お茶いかがですか。」と言われて「そう言っているけど、本当はお茶も出さないと失礼になるから挨拶としてお茶を出そうとしているのだけかもしれない。」とか「ここではい、というのは遠慮なさすぎで失礼かも。」とか色々深読みしなくてもよくて単に自分がほしいかどうか、考えればいいのだから。日本では「いいえ、おかまいなく、けっこうです。」と断るのが常識であるとしても。

「ほしい?」と聞かれて「はい」と言ったからといって「無遠慮」ではないし、「いいえ」と言ったからといって「失礼」でもない。
自分が使う場合も同じで、単に相手の意向を聞いているだけで、返事に気分が左右されることもない。「あら、何もいらないの?じゃあ、私だけお茶するね。ケーキもあるんだけど。ほんとにいらないの?」ということもありなのだから。

AD

イライラしていますか?

テーマ:

「Sono nervoso(男性形), nervosa(女性形)」とイタリア人はよく使う。Nervoso, 英語でいう"nervous"。

ナーヴァス、と日本語で言うと、「緊張して気がピリピリしている。どっちかというと落ち込んでいる」という印象があるけれど、イタリア語のネルヴォーゾは「イライラしている。」というもう少し強い不満が感じる。
仕事中だとか、何かの言い訳にもよく使う。(不注意で物を壊したときとか、約束を忘れたときとか)

どんなに私生活でイライラすることがあっても、また仕事そのもので不満があっても、「私イライラしているんです。」って日本人だったら言わないのに、と思う。(別の言い訳をするかもしれないけど)

nervosoに象徴されるいろんな意味のマイナス感情の言葉を平気で口にするイタリア人は(中にはそうでない人もいますが)感情を隠して笑顔でごまかすよりも、いつも生の感情をそのまま表現しないと自分に嘘をついている、と感じるのかもしれない。たとえそれが他人を不快に、あるいは傷つけるだけの言葉だとしても。


感情を隠して嫌なことも我慢して外には出さないのが日本の美意識だとしたら.....疲れるだろうか?多くのイタリア人のように良かれ悪しかれ感情を表現したほうが楽なのだろうか?

よい感情は表に出したほうが自分もますますハッピーな気分になるし、周りもハッピーにする。
でも、悪い感情は抑えたほうが自分にも周りのためにもなるのではないか。「イライラしている。」と言って、イライラがなくなるのなら言ってもいいけど、言葉にすることによって、モヤモヤとした感情が確固とした確信になって、ますます悪循環ではないかなあ、と思えるのだ。

騒音

イタリア人は大声で話す、という話を以前にも書いたけど。


イタリア人はテレビの音量も大きくして聞くので、隣のテレビの声が聞こえたり、時には何の映画を見ているかまでわかったりする。


近所の喧嘩の声も聞こえることも日常茶飯事。よくあそこまで言い合って、仲直りできるものだ、といつも感心するのだけど、散々言い合ったあとはケロッとしたものなのだ。


でも、隣近所の騒音が聞こえるというのも、あまり居心地のよいものではない。
建物の壁が漆喰で作られているのがその理由だとすると、なぜ、鉄筋や騒音吸収の素材の壁にしないのだろう、とも思う。古い中世の建物は別として、最近の建物でさえも、漆喰の壁なのだから。


友人宅で壁に棚を取り付けようとして、キリで穴を開けたら、壁がボロボロ崩れてしまった、という。

漆喰の壁から進歩しないのは、採算が合わないからか。よりよい物を開発、利用する、という向上心よりも伝統を重視しているからか。私は建築については素人なので、無責任な発想でしかないのだけど、近所の騒音を聞く度に、「イタリアの建築業界が旭化成か何かと提携して、静かな家になればなあ。」と思ったりする。

ロシアの思い出

テーマ:

私の初めての海外体験はロシア(当時旧ソビエト連邦)で、そのとき受けた驚き「たかだか飛行機で2,3時間の近い国にいる人たちなのに、顔も身なりも生活も言葉も日常も文化も常識も全然違う。」というカルチャーショックが強かったので、その後、他の国に行っても、客観的に文化の違いとして受け止められる免疫となっていると思う。

例えば....
初めての海外というのは誰でもそうかもしれないけど)目に映ったすべてのもの、景色や美術なども含めて、感動したのも確かだけど、カルチャーショックという意味で、後にも先にもない経験といえば...

私が旧ソ連で見たロシア人は本当に仕事していなくて)6時閉店の店では、5時45分くらいに、店の電気をパチパチ消し始めて、「出て行け、閉店だ。」とばかりに合図されたり。

ホテルで「鍵ください。」とフロントで待ってるのに、おしゃべりして、なかなか動いてくれなかったり。
(働いても働かなくても変らない、共産国って、こうなのか、と思った。それに比べるとイタリア人のほうがまだ働き者に見える。)

恋人同士でもない、大人の親子や友人同志が手をつなぎあって歩いているのを見たり。(寒い国だからかなあ)

近寄ってくる人たちは「免税店に行って何か買って来て欲しい。タバコやお酒や...」(外国人用の免税店には物があっても、普通のロシア人の店にはまともな商品がなかったらしい)

ボールペンをくれ」というのにも。その後他の国でも言われたけど「ボールペンは安くて書けて当たり前」というのは日本の常識だったのを知らされた。(イタリアもボールペンに限らず文房具は日本の何倍も高かったり、安い中国製は不良品が多い。)


「あなたの着ている服や手袋を売るか私のと交換して。この国にはそんなすてきな物ないの。あなたはまた自分の国で買えばいいじゃない。」と言われたり。

ウェイターが「日本円で支払ってほしい」と言ってきたり。(要するにヤミ両替)その上、日本円のレートのことも何も知らなくて、私の言い値でOKしてくれた。

店で売っている電化製品が日本の10年どころか20年くらい前と思える古い型だったり。

トイレの前にはどこも太ったおばさんが座っていて、チップをあげてから入るしくみだったり。(そういえば、イタリアも何年か前までそういうトイレをよく見かけた。ローマのテルミニ駅も。)

きっと現在ではロシアもずいぶん変っていることだろうと思う。日本の戦後の変り様なくらいに。
イタリアの変化はとてもゆっくりだけど。

イタリアで働く 7

テーマ:

ある日本人がイタリアで仕事を見つけて、契約内容を書いた書類をイタリア人(以前にも登場した弁護士A君)に見せたところ
「ここはおかしい、法的にはこうあるべき。」と、訂正してあげて、雇用先に見せると
これじゃあ、雇えない。」と断られたことがあるという。


別の日本人の話で、契約内容をよくよく読まずにサインしたところ
残業手当なし、夏休みなし、たまには休日出勤、でも手当てなし、税金も自分で払う。」というめちゃくちゃなもので、ヴァカンスなしでは生きていけないイタリア人でさえも夏休みなし、の職場で、年末調整には300ユーロ(4万円以上)も本人が税金を払い、次々に人が辞めていった、という。


法的には違法な悪条件の中でも、特に外国人は、それでも働いているのが実情だったりするのだ。
日本ももしかしたら外国人労働者に対して不当な条件で雇用していることもあるのかもしれないけど、イタリアでは日本人でもそういう目にあっている、こともありなのでした。


関連過去記事 イタリアで働く 6

勧誘セールス

日本でもあるけどイタリアでもよくある。


家に電話の場合は「コノ家ノオオヤ、イマ、イマセン。ワタシ、外国人デ、ヘヤカリテルダケ、ナニモワカラナイ。」と白を切って断るのだけど。

職場に電話で「社長いますか?」と聞いてきるともうちょっと困る。「いません。」と言い続け「お宅はいつもいないのねー。いついるの?」と言われたり。ペラペラ口をはさむ隙もないほどセールストークが始まったり、「あのー、残念ですが、興味ありません。」と断るとあっさり引いてくれたりする。日本の会社でもそうだろうけど、そういう勧誘の電話をいちいち上司に回すのはタブーなのだ。

電話じゃなくて、直接来るセールスもある。(日本に比べると格段に少ないと思うけど)。
特にクレジットカードの勧誘。社長じゃなくて私たち個人の店員にセールスに来るのだ。「持ってますから。」と言っても「でも、写真つきで....云々。」と営業がしつこい場合もある。
「便利で安心。作らない手はない。どうして作らないの?」と半ば脅迫がかって「この人、怖いよー」と思いながらも「いらないっていったらいらない。」と強く断らないと、いつまでも帰らない。「気が向いたら電話するからパンフレットか何か置いてくれる?」とも言えない。だって、ないのだから。
彼らはその場で契約をとって彼らの数字になるらしく、だからこそ怖いくらい熱が入っているのだ。

でも、日本ほど「飛び込みセールス」や「キャッチセールス」が普及していないからか、セールスの仕方がうまくて知らず知らずのうちに契約していた、ということは、ありえないだろうと思う。
勧誘セールスを断ることに関しては、イタリア人より日本人のほうが平均的に経験があるだろうし、また勧誘セールスの仕方そのものに関しては日本人が絶対的にうわてかも、とも思う。

高い声

テーマ:

アメリカでは女性役職のための「話し方レッスン」みたいなのがあって、信頼感を得るような話し方とか、声の出し方、とかいうのがある、と聞いたことがある。

確かにキンキン高い声で ぴーぴー言われても、貫禄がないかもしれない。


イタリア人もハスキーな女性が多い、と思う。喫煙者が多いから?かもしれない。

日本人、また南の方のアジア人はそれに対して高い声の人が多い印象がある。地声なのか、作り声なのか....そういう作り声をして高い声が「外むき、お客様向け」の好印の声だと評価されるのは「日本的だなあ」と思う。

高い声が女性的で好ましいのか?確かに明るくハキハキした話し方をすると自然に高い声になるのかも。日本語がそういうしくみなのか、アジア人の体質の問題なのか、あるいは、日本やアジアの男性の求める女性らしさが「高い声」に象徴されているのか、と思ったりするのです。高い声の日本人アジア人に出会うと....


横断の方法

ローマの交通は乱雑。車の運転も乱暴だし、事故も多い。

だから路上を横断するときは、気をつけなければならない。

車がなかなか止まってくれなくて、渡れないときは、誰か他の人が渡るとき、いっしょに渡るというのが渡りやすいし安全なのだけど、そうじゃないときは....

車を運転している人と目を合わせて「渡りたいのだけど...」という意志を目で訴えるのです。

びゅんびゅん飛ばしている車は止まってくれませんが、スピードを落としている車だったら、止まってくれたりします。

個人的には運転者が男女に関わらず効果あるので、横断者が若いかわいい女の子が得ということも、ない、と思います。が、女3人でいたとき、すぐに横断できたことがあって「さすがに美女3人だと、車もすぐに止まるねえ。」と、言い合ったことがあります。威圧感があっただけなのかもしれませんが。

止まってくれたら「ありがとう。」と笑顔を返すのも忘れずに。