ラスベガス的リタイアの法則

在米30年をハワイと南カリフォルニアで過ごしたのちに、ラスベガスで引退生活を始めました。なぜベガスなのか、を紹介していきたいと思います。

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Hi everyone!

お元気ですか?

ここ3日ほど、私らしくもなくとても暗い内容になってしまいました。
申し訳ない…。あせる

手術の日が決まって以来、お陰様で主人も私もいくらか心が落ち着いてきたので、これからはできるだけ前向きな内容になるようにガンバります。照れ

さて主人の手術は7/7/2017に決定しました。
7は主人の好きな数字で、しかも7が3つのラッキー7。音譜

主人は数年前に人工股関節の手術を受けたのですが、どこで見つけたのか、主人がその時の入院タグを引っ張り出してきました。

よく見ると人工股関節の手術日は11/1/2011。やっぱりぞろ目で不思議な巡り合わせです。

こんな些細なことに大喜びするのは、運を天とドクターに任せているからなのですが…。汗

ERから速攻で緊急手術、という最も恐れていた事態が回避できて、正直いうとそれだけで私たちはバンザイしたいくらい安堵したのでした。

退院してきて、ひとりまたひとりと、徐々に家族や親しい友人に主人の病気を知らせていきました。

ブログの更新がいっとき途絶えたので、心配して連絡をくれた友人や、ブログを読んで驚いて電話をくれた友人もいました。

脳腫瘍というのは聞くだけで怖い病名で、私たちが最初パニクったように、皆んなどう受け止めればいいのかわからず、すぐにラスベガスに飛んで来る、と多くの人が申し出てくれました。

こちらのコメントでも皆さんに優しい言葉をかけていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。

周りの人々の優しさが心にできた隙間に浸み込んで、優しさに触れるたびに主人も私も何度ウルウルときたことか。

ただ家族には電話で知らせたけれど、家族以外にはテキストで失礼しました。

テキストを読んで「電話するよ」と言ってくれたり、テキストに返信するのではなくて電話をくれた人もたくさんいたのですが、申し訳ないけれど、電話には出られませんでした。

文字にできるようになるまでも時間がかかりましたが、電話で話しができるようになるまでは、もっと時間がかかったんです。

私は泣き虫なので、言葉にして口に出すとまた泣いてしまう。

主人の前ではできるだけ平静を装っていたいので、皆さんにはこちらの都合で返信できるテキストで失礼させていただきました。

実はひと月ほど前に心が折れた日を書いた時、父のガンがすでに全身に転移していることを知りました。

昨年9月にガンの再発がわかった時、今回は完治しないとドクターに言われており、それで慌てて息子たちを連れて日本にお里帰りしたわけですが、当初ドクターが想定した通りになっていて、おそらく年は越せないのではないかと思っています。

放射線治療のために入院していた父が、父の日の前には退院すると聞いていたので、心ばかりの品を送っていました。

プレゼントと一緒に写真を送るよ、と母が言っていたのにそれがなかったのは、実は突然体調を崩して、また病院に逆戻りしていたからだと聞いたのは火曜日でした。

主人のことだけで手一杯の時にそれを知って、宗教心のカケラもない私ですが、「神様、どうか今迎えに来ないで。今逝っても帰れない」と祈りました。

私はひとりっ子で、母は末っ子。物心ついた頃から、母がひとりで抱えきれない時に打ち明ける相手が私でした。

今母も父のことで精神的に溺れそうになっているので、母には主人の話しをしていません。

退院してプレゼントを受け取ったとお礼の電話がありましたが、主人のことは言わずじまい。

母に知らせて、

「あの子も大変やのに、余計なことは言わんとこ」

と思わせたくないのです。

手術が終わったら知らせなきゃいけないかな、とは思っていますが…。

 月曜日には、カリフォルニアではいつもホテルでお世話になっているマイケルがやって来ました。

彼はコンベンションがあったので、ずいぶん前から一緒にゴルフをする約束をしていました。

トレバーも誘って、久しぶりにゴルフに送り出した時、私は泣きたいくらい嬉しかった。

でもまだまだ感情のうねりは激しく、主人を送り出した後、お掃除しながら突然また涙の津波に襲われました。

今平気でも、ふと右見たらもう顔がグチャグチャになるほど泣き崩れていたりして、寄せては引くこの感情の波は、実は今でもまだ続いています。

そういえば、まだ病院にいた時にグッドマン先生と電話で話しました。
脳外科医のブラム先生と会う前で、主人は不安だし家に帰りたいしでご機嫌ナナメ。

確かそれで私がグチったのだと思います。
するとグッドマン先生は、

「でもどうしても脳外科医と話す必要があるの。ご主人の腫瘍は大きいのよ

このあとすぐにランチを買いに出たのですが、エレベーターの中で一緒になった女性が私を見て言いました。

「ここはクーラーが効きすぎて、本当に寒いわね」

私はガタガタと震えていたんです。
返事をする代わりに、彼女の顔を見て笑顔を返しましたが、目が潤んでいたので、彼女もきっと事情を察したはず。

さて私はマイケルに会うために、ランチだけ一緒に参加しました。

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週末には、いったいマイケルに会えるかどうかもわからなかったので、こうして4人で何事もなかったかのように、当たり前にランチできることが、半ば信じられない思いでした。

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マイケルとは家族ぐるみの付き合いなのですが、マイケルが私の顔を見て一番に聞いたのは、私の電話番号でした。

主人の口から病気のことを伝えた人も、主人に聞けないことは皆んな私に連絡してくるので、私は1日中誰かと、主人の見えないところでテキストしています。

主人が誰かに病気のことを話しているのを聞くと、

「脳の中に余分なモノがあるので、頭の骨を切って、それを摘出して、また骨を戻すんだ。腫瘍とかガンとかそういうんじゃないんだ

これを聞くたびに胸が痛くなります。

空恐ろしい響きの「脳腫瘍」という事情を無意識のうちに否定して、本当に「腫瘍」じゃないと思い込んでしまったのか、それとも腫瘍のせいで記憶力に影響が出ているので、脳腫瘍と診断されたことをすっかり忘れてしまったのか。

きっと両方が織り混ざっているのでしょうが、親友のマークにも同じことを言っていたので、マークにはあとでこっそりと電話しておきました。

親しければ親しいほど真実を知っていてほしかったのです。

するとマークは、

「わかってたよ。腫瘍じゃないって言ったけど、脳の中にある塊なんだから、これはことの重大さを軽く扱って言ってるなってわかった」

家に戻ってからは、普段していたことをするのが私には重要になりました。いっときでも普通さを取り戻せる時間は、精神を安定させてくれるのです。

火曜日にはフラに戻りました。

でこの土曜日が、例のカールスバッドでのイプヘケワークショップの日でした。

手術日が水曜日まで決まらなかったので、それまではワークショップに行けるかどうかわかりませんでした。

手術の日が決定して、物理的には行けるけれど、精神的に私自身が主人を置いていけるのかは最後の最後まで揺らいでいました。

「僕の病気のせいで、お前も地獄を渡っているし、きっと気晴らしになると思うからぜひ行ってほしい」

主人は「お前も地獄を渡っているし」の部分で声が震えました。

それで行く決心をしました。

主人はお薬のおかげで、病気が発覚する前よりもずっと元気になりました。
金曜日の午後はトレバーが来ると言ってるし、土曜日はゴルフに行くらしいし、1泊留守しても問題ないように思いましたが、念には念を入れて、長男に主人の様子をさりげなくチェックしてほしいと連絡し、主人の次男とジャクリンには留守にすることを告げました。

それでも直前まで、

「キャンセルしてもエエで」

と私自身も迷っていましたが、主人に背中を押されて金曜日の午後に出発しました。

後ろ髪を引かれる思いでしたが、このイプヘケワークショップは、10月のショーで使うイプヘケを作るもので、このイプヘケを作らないとショーで踊れません。

父のことがあったので、万が一のためにクムには事情を話していましたが、今となってはどんな理由であれ、10月のショーに出られないという布石を作りたくなかった。

それで意を決して出発しました。

また長くなってしまいました。
引っ張るつもりはないのですが、ごめんなさい。

この辺りで続く…。

では、お元気で。

Have a nice day!

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