私は、’96年の秋にサンフランシスコに人体解剖学の実習に行きました。
いやはや、なんともう10年以上も前(!)のことになるんですねぇ。
なんか、つい最近のことのように思ったのですけれど。。
なんでわざわざサンフランシスコまで行ってまで解剖学実習なんだというツッコミが入りそうですので簡単にご説明しますとね。
その当時の私は、お仕事について・・というか、自分の在り方に対してどうしようもない齟齬を持ち始めていましてね。でも、どうすればいいのか判らずに悶々と暮らしていたのです。
そこに、当時通っていたカイロプラクティック治療院の先生から、自分が講師をしているカイロプラクティックの学校の生徒を連れて海外に解剖学実習に行くんだが、一緒にどう?と誘われましてね。
行くことにしたんですよ(笑)
理由になってない?(笑)
や、ちゃんとサンフランシスコの観光はやったんですよ。
初日の数時間だけでしたが(爆)
しかもその間、時差ぼけで眠くてバスの中でほとんどみーーーんな爆睡してましたが(爆)
そしてその後数日間、ずっとホテルと会場である大学の往復の毎日でしたが(笑)
では、なんで解剖学実習なのかと言いますとね。
学問としての「解剖・生理学」は、当時の職業である養護教員(保健室のセンセ)にとっても必須項目ですから、学生時代にひと通り習います。ですが当然のこと、本当に人体の解剖までできるはずがありません。それは、医師や看護師など特殊な立場の方たちが優先して行われるものです。特に、検体として提供されるご遺体の数が限られている日本では、そういう資格もない私たちにまでただの見学でさえ機会はないに等しいんです。ですから、これを逃す手はないと思っていたのですよ。
やっぱ理由になってないですかね?(笑)
まあ、日本で暮らしていることで起こるさまざまな”現実”から逃避するだけでなく、人体について興味津々の私の好奇心をも満たしてくれるということで、実益にもなるから乗っちゃったってカンジ?(笑)
とはいえ、私たちが参加したサンフランシスコの大学で行われた解剖も、実際に執刀したのは現地のドクターで私たちはそれを見学しただけだったのですが、それでも、本物の解剖を間近で体験できるものですから、ビデオやスライドなどで学ぶものとは全然印象が違います。それに、執刀はしなくても本物のご遺体に触れて人体の不思議・・いろいろな構造や働きを知る素晴らしい機会もあるんですよ。
・・と、熱を込めて友人に話したところ、どこが素晴らしいのかわからないと溜め息をつかれたことを思い出しますね。
そういえば、実習の後はとても肉なんか食べられたものではないぞとあらかじめ警告をいただいていましたが、全然ヘーキでした。ごく普通にランチでお肉も食べてました(笑)
さすがにアメリカンサイズは食べられませんでしたけど。
一度、具合が悪くなったことはありますが、それは、ご遺体を保存するために大量に使われていた有機溶剤・・・ホルマリンに酔ったからで、ひとさまの体の中身を見たからではありません。従って、ラボを出て何度か深呼吸することで即座に回復&とっとと実習に参加できましたので全然モーマンタイ(無問題)。
後日、ラボの教授を見習ってストロングミントのガムを噛みながら参加することで具合の悪さは激減しました。
なのでやっぱりモーマンタイ(笑)
さて、そんなわけで現地へと向かったわけですが、お誘いいただいた先生が講師をされていたカイロの学校は小規模でしたから、彼らだけで解剖の、しかも海外での実習に参加することは無理があります。ですから、関東の大きな学校の行事に便乗する形となったのですが、いやはや、そのお陰で、いろいろな意味でたいへん有意義な、気づきの多い体験となりました。
当時の私は20代半ばでしたが、私とご一緒した・・・後に私の先輩となる方々はみんな年上ばかり、30~40代の方が多かったものですから、これでもかなり若者扱いされていたんですよ。
ところが、関東の専門学校生たちは高校を卒業してすぐのこたちが大部分で、一番の年長者でも30代初めでしたから、若者独特の、希望に満ちた元気で明るく燃えるような熱気に満ち満ちていまして、いやいや、すっかり当てられしまいましたよ(笑)
彼らとの交流で、いかに自分が、オトナになっていたつもりで希望も何も放り投げていたか、チャレンジもせずにすっかり諦めてしまっていたかが理解でき、とても恥ずかしく思いましたっけ。
そういう中で、私が特に思い出深かった出来事をふたつ、ご紹介しますね。
ある日、いつものように和気藹々と(?)解剖学実習に励んでいた私たちの課題は「脳」でした。
講義室で脳の構造についてレクチャーを受けた後、ラボで実際のヒトの頭部の切断面を見て触れていたのですが、その方々のうち何人かは脳出血が原因で亡くなられた方たちで、すべて脳の違う部分に出血のあとが見られました。
と、そのとき、かなり小さなことですが、私にとっては重大なことに気づきました。
繰り返しますが、その方々はすべて違う人たちです。
彼らの脳の断面をしげしげと見てやっと気づいたのですが、なんと、すべて、脳の形が違うんです。
や、大脳があって小脳があって大脳には白質と灰白質(かいはくしつ)があって・・などというパーツやその数、配列は同じです。しかし、すべて違う脳だと一目でわかるんですよ。
そう、それは、私たちの顔や体がみんな同じパーツをもっていても、ひとりひとり明確に違うように。
だから、みんな考え方や感じ方が違うんだ。
同じものの考え方をするひとは、いないんだ!
私たちは、みんなそれぞれ違ってていいんだ!
このとき、この当たり前なことがすとんと腑に落ちたのでした。
つづきます。
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