去年から決まっていたことですが、1月24日「鎌倉の深沢学習センター3階ホール」において講演をさせていただきました。演題は「美の天才 竹久夢二のすべて」でした。全く無名な私の講演に98名もの方がご参加してくださり、本当にありがたく思っております。鎌倉市生涯学習推進委員会、深沢学習センターの担当者の方はさぞ人集めにご苦労されたと思います。特に、代表の渡邉様はじめ10名の方に深く感謝しております。


鎌倉以外の方で、神奈川区のH様、磯子区のM様、横浜のK様方にご参加いただいたこと心から嬉しく思っております。実は昨年も1月21日に鎌倉で松沢様のお世話で講演させていただいたのがきっかけで、今回の二度目を行なわせていただきました。この場を借りて関係者の皆様に心から感謝いたします。


さて年初にお約束しました「夢二芸術 その違いと影響」を今日から始めさせて頂きます。竹久夢二の残した芸術は幅広く、それに長年接していると、色々なことがだんだんと見えてきます。私の師、長田先生は70年間も夢二のことを研究しておられたのですが、「まだまだです」と晩年しみじみと言っておられました。夢二のような偉大な人物は皆そうなのかもしれません。底が深く幅が広いからですね。


さてこの度、鎌倉の講演をさせていただいたことで、夢二について新しく気づいたことがたくさんありました。その中からいくつか選んで、日を追ってお話をしてみたいと思います。本日は夢二の人形についてお話します。創作人形の世界で夢二の果たした功績は想像以上に大きかったことが分かりました。


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夢二の創作人形(岡山郷土美術館蔵)

まずは我が国ではじめての人形の展覧会を開いたことです。昭和5年2月、銀座の資生堂で(下図の通り)それは行なわれました。


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このことはよく知られていたことですが、今回特に気がついたことは、その時夢二が製作した人形が今までと全く違った画期的な人形であったということです。私は何年か前、旅行中、偶然あるところで、日本人形の歴史展を見ました。そこに江戸時代から現在に至るまでの人形が数多く展示されておりましたが、夢二の人形も5点出展されていました。そこで感じたことなのですが、正直言って日本の長い人形の歴史の中で夢二の「どんたく人形」のようなものは皆無で、なんといっても夢二の人形は群を抜いて光っていたのです。それがなぜだったか今、分かったような気がします。夢二は人形の世界にも新しい息吹を吹き込んだ偉大な人だったのです。


どこがそうかというと、その1つは材料です。木の棒、新聞紙、奉書、糸くず、毛糸、釘、針金、古い布、絵の具など身近にあるものであったということです。


その2に腕や足など自在に形をつけられる針金を使ったその着想、まったく独創的な考えでした。


その3は、細かい写実をせずに、大まかにその本質をとらえて表現したことにありました。その結果今までとまったく違った人形を創作しました。そして人形を芸術の域にまで高めることに成功したのです。


ところで従来の人形は、古くは「ひとかた」といわれ宗教的な行事に用いられました。中世以降は観賞用、愛玩用として発達したのですが、どこまでも人形は人の形を模して作られたもので、生命を吹き込むことは出来なかったのですが、夢二はそこに生き生きとした命を吹き込んだ人形を作り上げたのです。今まで作られた人形のまねをせず、過去も現在も未来も同じもののない独創的な人形を目指したのでした。その結果今までの概念を覆した人形ができたわけです。


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人形という言葉のいわんとする意味をイブセンの「人形の家」という有名な戯曲からうかがい知ることが出来るのですが、この戯曲の主人公ノラは銀行家の夫から単に人形のように愛玩されていたことを知り、一個の独立した人間として生きるべく家出をした、というお話です。これは女性解放問題を提起した近代社会劇ですが、夢二の人形もまさに従来の古い人形を解放し、新しい人形を作り、それを芸術の域にまで高めた仕事は高く評価されると思います。


夢二の残した「どんたく人形の作り方」という軸物があります。それを読んでみると、その中に次のようなことが書かれています。


「針金のままでさえ彼女は充分生き生きする」「さかしらな写実は人形を殺す」最後に「ああ彼女は動き出したいと申します」と書かれています。


ここで注目していただきたいことは夢二の目指した人形は生きている人形であったということです。そのために対象物を丹念に写実するのではなくて、その持っている本質をとらえて大雑把に表現することによって、むしろ写実に重点を置いたよりも生き生きとした表現ができるということを強調しています。だから人形は人が外から手を加えなくても人形自身が動き出したいと言っているように、まさに生きているような人形を作り出したのです。


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夢二の創作人形(個人蔵)



夢二の人形作りに参画してその指導を受けた人の中に堀柳女という人がいました。後にその人は人間国宝にまでなりました。堀柳女は昭和8年に「日本人形研究会」を旗揚げし、昭和11年に帝展に初めて人形が取り上げられることになります。世界中で人形を芸術品ととらえて展示している国は日本だけです。こうした功績は夢二に負うところが非常に大きかったといえるでしょう。


次回は版画についてお話します。







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