2005年06月19日

ナビィの恋

テーマ:DVD

乗る熊


  ナビィの恋というタイトルから若い娘の恋愛映画かと思いきや恋の主役は77歳のおばあ。かつて島のご意見番的存在の占い師によって島を追われブラジルに移民した恋人が60年ぶりに帰ってくることから物語は始まる。半ミュージカルのような作りになっていて全編をとおして沖縄民謡やケルト民謡が歌われる。南国のリズムがこの映画には流れている。リズムミュージックという言葉を知っているだろうか?テクノやトランスなど踊る事を目的とした音楽、リズム主体の音楽をこう呼びます。原始的な音楽というのはリズム主体であった。何を祝うかはそれぞれの地域によるが、小さなコミュニティで行われる祭りにはダンスと音楽が存在していた。原始的な打楽器や笛などを使いつつも何世代にもわたって受け継がれてきたリズム、過酷で厳しい暮らしの中、年に数回の祭りで心から人々は祝い歌い騒ぎ踊った事だろう。いつからか踊ることをやめてしまった人類、そんな世の中でダンスミュージックの勃興はある意味当然である。おばあ夫婦とその孫奈々子、かつての恋人と共に島にやってきた大和人の青年との恋模様が、沖縄のソウルを受け継いだ歌々をバックに展開される。抜けるような青い空と雲、小さな島全体に広がる緑と豊かな海。雄大な自然のように流れているメロディは彼らを時にはやさしく包みこみ、時には厳しく突き放し、それでいて決して音が鳴り止む事はない。沖縄の人たちは事あるごとに三線を持ち出すらしいけど、正直こんな風に音楽が日常に溢れている事をとてもうらやましく思う。





タイトル: ナビィの恋

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2005年06月15日

ガタカ

テーマ:DVD

灯台

 近未来SF映画です。赤ちゃんができたときにその遺伝子を調べ、将来の病気の可能性やIQ等を予測して生み分けを行う、一部これと同じようなことはすでにおこわなれているので、サイエンス・フィクションと言えないかもしれない、もうかなり現実に近い話です。ヴィンセント(イーサン・ホーク)は遺伝子選別が当たり前になった時代に、チェックもせず自然の意思に任せ生まれてきた。ただかわいそうなことに両親は弟の時には遺伝子による選別を行う。ビンセントはそれゆえ弟との差に幼少から悩まされることになる。幼き頃から劣等感に苛まれてきたヴィンセントは、地球上でもっとも有能な人間が選ばれる宇宙飛行士へと夢を膨らませていく。地上でうまくやれない人間が、空を見上げ宇宙に思いをはせるのは至極当然な話だ。

 氏か?姓か?という議論があります。各々の持つ人間の性格や、能力、それは人がもともと持って生まれてきたものなのか?それとも成長する過程で、環境が大きな影響を与えたのか?昔から続いている議論です。DNA情報が解明された今になっても、正しい答えなんてでないのかもしれません、だけど人間にとって、いったい何が良い能力で、何が悪い能力かなんてことを人間が決めてしまうのは限界があるし、可能性を摘み取るという意味で危険だと思う。数々の革命的な発明を発見したアルバート・アインシュタイン、トーマス・エジソン、ウォルト・ディズニー、アンデルセンなどは最近の研究で脳になんらかの障害があったのではないかと言われている。脳に障害があったゆえに、当時としては革命的な発明や作品を残すことができた。アインシュタインは失読症だったのは有名な話だし、ウォルト・ディズニーも多動症であったらしい。彼らは障害で苦しみ、決して幸せな人生を送ったとは言えないが、みな人類に偉大な功績を残した。

 ヴィンセントは宇宙飛行士になるため、交通事故で下半身が麻痺してしまったジェローム(ジュード・ロウ)の遺伝情報を借り、宇宙飛行士になるための訓練を受けることなる。しかし遺伝子レベルでは普通の人間以下の能力、体力しかもたないヴィンセントにとっては、訓練を受けること自体無理な話、心臓に欠陥があるヴィンセントには死と隣合わせ。だがヴィンセントは、夢を信じる意思の力のみで訓練をクリアーしていく。
 
 ヴィンセントは非常に強い意志を持つ、これこそ人間にとってもっとも大切な情熱の力だと思う。そんなスポ魂漫画並の意思がヴィンセントにはあるのだが、それを包みこむ周りの近未来世界は、冷静に冷たく静かに存在している。アイ・リーン(ユア・サーマン)も静かにヴィンセントのことを見守る、静寂が支配する世界でヴィンセントの意思だけが燃えている。そのエネルギーを使って宇宙船は飛んでいくのだが、そこが彼にとって旅の終わりとなる。機械化の進んだ世界の冷たさと、そんな世界の中でも、青く燃え上がる情熱を描いた映画です。
タイトル: ガタカ
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2005年06月06日

美しい夏 キリシマ

テーマ:DVD



シェル


 美しい夏とつけられたこの映画。舞台は宮崎県、霧島地方、1945年終戦真近の夏。監督の黒木氏自身の半自伝的性格を持つ映画です。この映画は戦争映画で、映画の性質上、プロパガンダ映画でなければ、どうしても反戦争の色はでてしまいます。作り手が明白なメッセージを持たなくても、戦争を絡ませればそれは避けられない。黒木監督も戦争三部作といっているだけあり、その辺りはかなり自覚的なはず。ただこの映画は戦争を題材にして、誰もがなんらかの形で戦争に苦しめられたりしているのだが、不思議なことにあまり戦争を感じません、この映画から感じられるもの、それは夏そのもの。



 夏になればうるさいくらいにセミの声が響いていたのだが、近頃はどんどん少なくなってきているのを感じます。移り変わりの激しく、アスファルトの増えた街の中では、七年間も地中で過ごすのは容易ではないでしょう。この映画の中では全編通してセミの声が鳴り響いています、それもアブラゼミ、ツクツクボウシ、ミーミーゼミといろいろなセミの鳴き声を楽しめる。真夏の炎天下の中の、あの暑さに輪をかけるセミの鳴き声。真っ青な真夏の青空と入道雲、風にそよぐ濃緑の田んぼ、美しい姿を見せる霧島、暑さをしのぐことに知恵が絞り込まれている日本家屋。そして真っ赤な太陽。



 本作は宮崎県えびの市において製作されたのですが、見事なまでに当時の日本が再現できています。少しも安っぽさや、嘘っぽさを感じさせない。ハリウッド映画はお金をガンガンかけて、街ごと作り昔を再現してしまったりします。時代劇を除いて、予算のない日本映画ではそんな映画はほとんどなかった。日本映画が海外で賞を取ったり、お金も少しはかけれるようになり、日本の映画でもうまく昔を再現できるようになってきた。しかしこれほど見事に当時を再現できている映画はないでしょう。それこそ昔に戻って撮影してきたんじゃないかというぐらい、ひとつの世界が出来上がってる。監督が細部からリアリティにこだわったというだけあり、当時を知らないのですが、完璧だと思います。日本の夏といっても舞台は終戦間際で、花火も祭りも日本の夏の華やかな場面はまったくありません。むしろ地味な山や田んぼなんかが印象に残るのですが、それが強烈に日本の夏を感じさせる、でもそんなものかもしれませんね、夏の身近な風景ですから。



 完璧に再現された夏の中、豪華な役者陣が最高の演技を見せてくれます。柄本佑、小田エリカ、石田えり、香川照之、左時枝、牧瀬里穂、原田芳雄、寺島進。それぞれがそれぞれの戦争を抱え、立ち止まったり、進んだり、動けなくなったり、希望をもったりします。それがすべて美しい夏の霧島のふもとで、セミの声の響くなか、1945年、日本の夏は終わるのです。



 それからかれこれ60年たちます、日本人はあの夏の記憶を忘れ始めているし、さらに悪いことに日本は日本の夏を忘れようとしている。Summer Sun!




タイトル: 美しい夏 キリシマ


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2005年03月13日

アバウト・ア・ボーイ

テーマ:DVD
考えてみれば今の世の中僕らはどんどん孤島となってしまうわけです。この世の変化。便利であってスピーディであるという事は僕らを僕らから引き剥がすと同時に、僕らの周りに圧倒的な壁を作り上げてゆく。街を分断する国道と移動する個室、世界中を駆け巡るネットワーク。“誰とでもいつでも繋がれる”なんて幻想を植え込まれて、ふと自分が手にしたものを見てみれば空っぽだったと気づいてたりして。

オッケー、こんなことは元々他人と上手くやっていけない、ある意味コミュニケート不全な人間のたわ言だと、そうじゃない人は軽く言ってしまうだろう。ただこぼれ落ちた人達さえ拾いあげるコミュニティーが以前には確実に存在していた。変わり者が変わり者として存在できる場が確実にあった。世界中どこにでもあったスモール・サークル・オブ・フレンズ。あなたの周りの変わり物は、所詮あなたの許容範囲内にとどまる、理解できる変わり物にとどまるのではないだろうか?

欲望のパラダイスと化したリゾート、イビサ島だと自身を例えるウィルは、父親の遺した印税で仕事をせずに暮らしている。欧米型資本主義スタイルの社会では仕事がないってだけで変わり物の中の変わり物であり、そんなウィルの頭の中は自分のことのみ。自己チューなんて言葉を軽く使ってしまうような、個人主義がばかりの今の僕らは、多かれ少なかれ彼みたいなもんだろう。そんな男が利己的な理由から起こしたアクションが、これまた学校で周りに上手く溶け込めない少年の利己的な野心とシンクロをする。つかづ離れずの2人が、徐々に他人の必要性を認識してゆく過程。2人だけじゃダメなんだ、それを支える誰かが必要なんだ。でも僕達をおかしくしてしまうのも他人なんだってセリフが、とっても哀しくて、でもとっても温かく響いた。誰もが誰かを必要としている、僕らは哀しいけどこんな世界では一人一人が孤島であって、それでも誰かとの間に掛け橋を作ろうとやっきになってる。

人間の本質はコミュニケーションだ。僕達は他人とコミュニケートする為にデザインされた、それは大昔からもこの先も絶対に変わらないだろうと思う。僕らの頭の中にはコミュニケーションツールである言語を、他人が存在する限り自然発生的に取得することができるような機能が備わっている。赤ん坊が一番最初に発達させるのは触覚で、それは温かな母というこの世で最初の他人の体温を感じ、それにしがみついて生きてくため。哀しくて温かな物語。バッドリードローンボーイのかわいらしい曲達も最高。ヒューマンビーイング・イズ・グレート・コミュニケーター!




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2005年02月23日

リービング・ラスベガス

テーマ:DVD
 俳優の容姿ってやっぱりとても重要だし、単純にルックスから受ける印象っていうのも、役者は大切にしていった方がいい要素だ。レオナルド・ディカプリオにはお金持ちで甘ったれた役は似合わない、どう考えてもあの鋭い目は何をしても成り上がっていこうとする者の役が似合う。作品の出来は別としてギャング・オブ・ニューヨークはハマッていたと思う、ちょっとダニエル・ディ・ルイスが凄すぎたけど。逆に「仮面の男」や「タイタニック」では、レオの役としてはどうももどかしさが残る。

さてあのボーとした甘いマスクを持つニコラス・ケイジですが、彼にはダメな男がよく似合う。女グセが悪くて、甘いマスクで自分勝手に生きてる、そんなどうしようもないボンクラ役が彼にはピッタリだ。そしてこのリービングラス・ベガスはまさにそんな映画だ。

酒で仕事もワイフもなくした男が、ラスベガスで酒にまみれて暮らすというひたすら退廃的な映画。しかしアル中もここまで徹底的にやれば尊敬したくなる。スーパーでバーボンをカートにポンポン放り投げていく姿に、強烈な憧れを抱いてしまう。そんな彼を、その日、その日で暮らしている娼婦が好きになってしまうのは必然的展開。2人は激しく愛し合うのだが、それは大前提として何処にも辿りつかないという了解が2人の間にはあるから。だからこそ、その姿は美しく、悲しく、どうしようもない程の深みを持つのだろう。最終的に娼婦は死に行く男を見てしまい、男はアルコールの先にある世界しか見ていないというズレが生じるのだが、そのズレがまたさらに悲しみを誘う。この映画のニコラス・ケイジは本当に駄目な男だ、だけどホントに、最高にク―ルだ。




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2005年02月11日

スウィート・シックスティーン

テーマ:DVD
 スコットランドにグラスゴーという人口80万人程の都市がある。エジンバラに次ぐ第二の都市でかつては工業都市として発展し、世界で三番目に地下鉄が走ったという事実からかつての繁栄ぶりが伺える。建築などで有名な芸術家マッキントッシュを生み、イギリス人でも聞き取れない程のグラスゴー訛りでまくしたてる人達。ガイドブックにもそれほど多くのページがさかれることもないグラスゴーだが良質なバンドを数多く生み出している事でも実は有名である。モグワイ、ティーネージ・ファンクラブ、ベルアンドセバスチャン、パステルズなど決して爆発的に人気を得ているわけではないが着実に自分達の音楽を製作し、その質の高い音楽は世界中のミュージシャンに様々な影響力を与えている。

おそらく日本ではほとんどの人が名前も聞いたこともない、このスコットランドのグラスゴーがこの映画の舞台である。主人公は15歳のリアム少年。監督のケン・ローチはいつだって社会的に弱い立場の人達の、しみったれたどうしようもない生活を描いてきているが、リアムも絶望的な状況から抜け出せない暮らしの中にいる。ママは刑務所に服役中で、ママが連れてきた義父はまともに働くこともなく暴力を振るい、お姉ちゃんは一人で自分の子供を育てている。リアムは学校に行く事も辞め家には自分のいる場所も無く友人とふらふらと気晴らしをするばかり。

 イギリスという国は今でも厳しい階級社会で、ほとんどの人が中流意識をもつ日本ではそんな状況は非常に想像しにくいことだと思う。労働者階級に生まれた子がビックマネーを手に入れようとするなら、ロックンロールスターになるかフットボールで成功するか、さもなければ犯罪に手を染めるかとまで言われているが、リアムが選んだのは手っ取り早く稼ぐ方法で、地元のギャング集団に入りドラッグの取引に手を染めるようになる。彼が金を欲しがった理由は今の暮らしを抜け出し、ママとの平和でなんでもない日常生活を手に入れるため。そのために彼は湖の側のトレイラーハウスを買いに行くのだけど、トレイラーハウスを下見に行った時リアムが言った言葉が僕にはとても印象的だった。湖を眺めながらママとの楽しい暮らしぶりを想像して友達に語るのだが、最後のポッと言った言葉「パラダイス」。イギリス特有のドーンと低く垂れ込めた雨雲、シャツの中にでも入り込んできそうな細かい雨、冷たい湖が広がる風景が僕には到底パラダイスには思えなかった。凡庸なイメージかもしれないけど、パラダイスというのは太陽の光がサンサンと降り注いでヤシの木が生えて綺麗なビーチがあってというのがパラダイスなんじゃないのか?それでもリアムにとってはママとの楽しい暮らしを想像しただけで、その冷たい風景がパラダイスにもなった。そのためにはどんな事をしてでもママとの暮らしを実現させる必要があった。彼にとっては薄ら寒い寂しげな風景でさえバラ色の暮らしが待つパラダイスになり得ることができた。

 この映画のタイトルは「SWEET SIXTEEN」だ。全然スウィートじゃないんだ。映画の最後にリアムは義父を刺してしまうのだが、お姉ちゃんからの電話でこの日がリアムの16歳の誕生日だとわかる。リアム自身も色んなことに必死で自分の誕生日を忘れてたんだと思う。16歳の誕生日に人を刺してつかまってしまう少年の物語のタイトルがスィート・シックスティーンだなんて・・・この映画が誠実にリアムの生きていく姿を描いてきただけに、このどうしようもなさに愕然としてしまった。このどうしようもなさっていうのは、イギリスに根付いてしまっている階級差別という問題の根深さを象徴しているのだと思う。

前述したように日本にいる限りイギリスの労働者階級の現実は非常にわかりにくい。一般的な観光用イメージでは絶対でてこないし、実際に現地に行って見たところでも短期間では分からない。無理に理解する必要なんかないかもしれない、だけど僕はこんな風に思う。遠い国の遠い町ですむ人達の暮らしを想像するなんて素敵じゃない?北方の島国のグラスゴーという町で、こんなビターな16歳を迎える少年がいるって想像する事、グラスゴーから届けられた音楽を聴きながら、グラスゴーという町での人々の暮らしを想像すること。日本から遠く離れた町でこんな暮らしをしている人がいること。きっとそんな風に他人の暮らしを想像することでのみ、ビターな世界が少しはスィートになるのではないかな?




タイトル: SWEET SIXTEEN
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2005年02月05日

チョコレート

テーマ:DVD
 最後までずーと疑問に思っていました。この邦題。オリジナルでは「monster’s ball」なのに何故「チョコレート」?近頃では洋画に邦題をつけることの方が少ないが、その中でこの邦題とオリジナルタイトルのかけ離れ方は珍しい。映画が始まって物語が進行していってもこの疑問は全く解けず、むしろ謎が深まるばかり。チョコレートがでてくるシーンはハルベリーの息子が隠れて食べるチョコバーと、ハンクがダイナーで毎回注文するチョコレート・アイスクリーム、でもアイスクリームじゃない?映画のタイトルとその内容が必ずしも一致しなければいけない、なんて少しも思わないけれどもこの無関係さは普通じゃないし、わざわざこの邦題を付けた意味がないのではないか?これならオリジナルタイトルのままでいいのではないか?とひたすら増殖するクエスチョンマークを抱えながらも、映画の世界に徐々に引き込まれていきました。

 ハルベリーはこの映画で黒人初のアカデミー賞を受賞することになる。アカデミーという世界でもっとも影響力のある賞を受賞したこの映画は、アメリカ社会に根強く残る人種差別を、嫌悪感すら感じてしまうぐらい赤裸々に描写している。現実に抑圧された、悲惨な環境の中で生きている黒人達はハルベリーをみて希望を感じるのだろうか?彼らとハルベリーとの間に絶望的に広がる溝を見てただため息をつくだけなのだろうか?安物のテレビに写った華々しくスピーチするハルベリーの姿をみて、生活に疲れきったビッグママはそれを希望にすることができるのだろうか?ほぼノーメーク、髪型も変だし、ブランデーを一気飲みし、息子をブン殴ってるハルベリーですが、やはりとても魅力的でセクシーだ。見事としかいいようのないファック・シーンで見えるお尻のタトゥー!でも、やっぱりハリウッド女優、綺麗だね。

 物語は通低音としての不幸が鳴り響く。次から次へと厳しい現実がハル・ベリー演じるレティシアを襲う。夫の処刑、アパートを追い出され、オンボロ車はぶっ壊れ、仕事を首になり、息子を交通事故で失う。散々訪れた不幸な出来事、レティシアを救うのは同じように息子を失ったハンク。2人は惹かれあい一緒に暮らし始める。そして最後にレティシアが知る現実、夢だと思いたいような現実。この現実にレティシアは打ちのめされてしまう。彼女の気も知らずにハンクはのんきに街まで車を走らせ、アイスクリームを買ってきて一緒に食べようと誘う。

夏の夜、見事に緑色が広がる芝生、階段に並んで腰掛ける。差し出されたスプーンには溶け始めたチョコレート・アイスクリーム。放心したままの状態でレティシアはチョコレート・アイスクリームを口に運ぶ。この最後のシーンが最高だ。この最後のシーンが映画を特別なものにしている。頭が空っぽになっているレティシア、それに気がつかずにアイスクリームを食べさせるハンク。きっと涙の塩からさとチョコレートの甘さが混じって不思議な味になっているのだろう。僕にはレティシアみたいな過酷な現実を経験した事はないけど、彼女が味わっているであろうチョコレート・アイスクリームの味は想像できる。理由は思い出せないけど、泣きながら甘いものを食べた思い出もある。だから、彼女の涙とチョコレートの味を想像できる。このラスト・シーン、レティシアのなんとも言えない表情と、想像可能なチョコレート・アイスクリームのビターな味。圧倒的現実に打ちのめされながら、味わうチョコレート・アイスクリーム。これほどありありと登場人物の味覚まで想像できてしまう映画も珍しい。二時間じっと座席に座り、視覚と聴覚だけで他人の体験を体験する映画というメディアで、味覚を刺激されることなんて滅多にない、しかもこの苦い感覚はこの映画にとってとても重要な意味を持つ。日本公開時につけられた「チョコレート」いうタイトルが原題よりもふさわしいと、映画を見終わった後に思った人はきっと分ってくれると思う。

過酷な現実、甘いチョコレート。スウィート・ビター・アフター。




タイトル: チョコレート
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2005年02月05日

トゥルーマンショウ

テーマ:DVD
 あなたが今現在のあなたでいられる為に最も大事なものはなんだろうか?それは記憶だと僕は思う。膨大な量の過去の記憶。例えそれが頭の中から消し去ってしまいたい悲しい記憶であったとしてもだ。トゥルーマンがその虚構の世界から抜け出した時、彼にとって一番つらいだろうなって思ったことは、それまで生きてきた彼の思い出の全部がフェイクで嘘っぱちだったと認識せざるをえないだろうって事だ。想像不可能な程の絶望だと思う。大切な友人とのばかげた記憶、幼い頃の温かい母親の記憶。少年の時、大海にでて世界中を見て回りたいと願った記憶。すべてがシナリオ通りで、作られた世界で、完璧なる偽物だったと気づいてしまった時の事を想像すると・・・。トゥルーマンが果たしてそこまで考えて彼の世界を抜け出したのかどうかは知る由もないが、 “ここではない何処かへ”、なんてたいていの僕らが考えてるような現実逃避、っていう側面もあったかもしれない。

 郊外に乱立するショッピングモールのようにクリーンで、小奇麗で、安全な街。やりがいのある仕事と、彼を想ってくれる人達。完璧なまでの人生プラン。そんな完璧なまでの記憶を積み重ねてこさせられてきたトゥルーマン、それを提供し彼を支配しつづけてきたプロデューサー。彼が彼の世の出口を見つけた時、対峙する事になるこの番組プロデューサーは、ここでは神としての役割を与えられている。それは創造主と人間の関係ではあるが、この神はトゥルーマンに対して決して罰を与えたりはしない。ブラウン管を眺める大衆が望むのは少々の不幸とハッピーエンドであるからだ。神との対峙で幸せな暮らしを約束されるトゥルーマンだが、それでも彼は彼の世を飛び出してしまう。トゥルーマンが想像だにしないような現実の世界へ飛び出してゆく時の恐怖。そんな彼を、新たな冒険に突き動かす原動力、それは彼にとってたった一つの小さくて温かい本物の記憶だったんだよね。ハレルヤ!




タイトル: トゥルーマン・ショー
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2005年02月03日

es

テーマ:DVD
この映画はかつてアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた社会心理学の実験が元となっている。監獄実験と呼ばれるこの種の実験は現在禁止され、さらにこの実験の裁判が今なお継続中というから現在の観点でみると、いかにこの実験が非人道的だったかという事が実感できる。実験は被験者を囚人と看守に分け、いくつかのごく簡単なルールを与え、模擬刑務所内でどのような行動をとるか観察するものだった。制服と囚人服、囚人を番号で呼ぶこと、模擬監獄に入れること、看守にごくわずかばかりの権力を与えるなどの要素が模擬監獄を模擬以上のものとしてしまう。実験は人間というものがいかに社会的な役割を常日頃演じていて、自我というものが非常に脆いものか、いかに人間が権力に屈しやすいかという事を明らかにしている。

 映画はあくまで映画なのだけど・・・被験者達がコントロールを失い、どんどんエスカレートしてゆく様子は非常にスリリングだ。この映画を面白いと言ってしまうのは間違っていると思うのだけど、面白いです。実際の実験は被験者の親の訴えで中止されるのだが、この映画ではとんでもない結末を迎える、このとんでもない結末まで見てしまうとああフィクションなんだなと安心してしまうのだが、同時にガッカリしてしまう部分もある。僕ら人間というものはどんな生き物なのか追求する気持ちは、人間に感心がある人なら当然のもっている好奇心だと思う、例えそれが暗黒の側面を持つものだとしても。そういう意味ではこの映画は物足りないかもしれないのだが、こうして好奇心云々などと書いていられるのは、僕自身この映画の虚構性を知った上で安心できてるからであろうか?本物の暗黒面を覗いてしまってはこんな事書いている余裕はないのかもしれない。
きっと人間には残酷な本当の真実なぞ必要ないのだろう、この映画くらいのフィクションと真実でほどほどに満足を知るべきなのだろうと思う。 






タイトル: es[エス]
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