グランストンベリー(Glastonbury) | 愛こそすべて LOVE IS ALL

グランストンベリー(Glastonbury)

ヘブン

  フジロック・フェスティバルのお手本となっているイギリスの聖地、グランストンベリーで行なわれている、グランストンベリー・フェスティバルのドキュメンタリーです。このドキュメンタリー見ているだけで、フジロックに行きたくなってくる。くたくたに疲れてしまうし、費用も、時間もかかる、行く度に最高に楽しいなと思って、完全に満足して、満足したらもういっかって思うんだけど、しばらくしたらやっぱりまた行きたくなってしまうな。最近はヘッドライナーはサマーソニックに完敗しているフジだが、やはりフェスはヘッドライナーだけの問題ではないと、思わせてくれるのがフジロック・フェスティバルの魅力だろう。グランストンベリーに関していえばメンツは間違いなく最高だと思うし、なにより出演者の数が半端ではない、700を超えるライブが行なわれジャンルも多彩。実際行ってみたら間違いなく訳が分からなくなるだろう。様々な人が様々な楽しみ方が出来るのがグランストンベリー・フェスティバルで、フジロックはこのフェスをお手本にしている。
 さてこのドキュメンタリーはさらっとグランストンベリーの成り立ちみたいなもの(元はヒッピーの始めたフェスティバル)を紹介はしているけど、基本的にはライブの様子と、フェスを楽しむお客さんの様子を映し出している。いやーこれが本当に楽しそうで、見ているだけでこっちも楽しくなってしまう。悪名高いグランストンベリーの雨(テントが完全に水没してた)と泥さえ楽しんでいる。
 賛否両論を読んでいる壁について、賛否両論から取り扱っているが、警備をする様子や、壁が出来た経緯やら、壁に関してはドキュメンタリーを通して扱っている。ウッドストックや、グランストンベリーの元となったピラミッド・フェスティバルなど、ミュージック・フェスティバルというのは、基本的に無料であった。野田努なんかは、それを知っているので現在のお金を払って参加するフェスティバルには全く興味がないという。確かにそうかもしれない、「金を払うことで金を払った分は楽しませてもらうんだ」という、消費者として参加する人々にはかつてのミュージック・フェスティバルに流れていた空気を感じることはできないのかもしれないし、そんなことは最初から期待していないのかもしれない。Jazzがまだジャンルとして生きていた時代には、Jazzの形式から逃れようとJazzから逸脱し、それが不思議とJazzとして聞こえ賞賛をもって受け入れられたという、それは壁の中での保証された楽しみの中では間違いなく得られない類いのものだ。ドキュメンタリーの最後、お客さんがゾロゾロと帰っていき、がらんとしたステージが映しだされる。祭りの終わりである。帰っていく客のなかに、「あのファックな壁みたか?楽勝だぜ」って悪びれることもなく話す若者がいるのだけど、これがグランストンベリーにあってフジロックにはないものだ。フジロックって楽しいんだけど、そこらへん時々こんなんでいいのか?ってイライラする時がある、日高氏(スマッシュ社長)もそれを感じているとは思うけど、それでもフジにはあるかもしれないと思ってつい行ってしまうのだと思う。関係ないけどレディオヘッドがこないことだけが残念でならない。それにデヴィッド・ボウイ見たいな。