★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。


明日死ぬかのように生きよ

永遠に生きるかのように学べ

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なんという不思議な世界。
一般人とちょっと違う脳を持つ、この人
には、数字に映像や手触りがあるという。




1は明るく輝く白。5は岩に砕ける波の音、
37はポツポツしていて、89は舞い落ちる雪
23、667、1179は堂々としている。。。




円周率22500桁を5時間かけて暗唱する
イベントでは、覚えた数字の風景の中を
気持ちよく歩いていた、、なんて!
どんな感覚?   体験してみたいなぁ。。










数字を見ると、色や形や感情が浮かぶのは
「共感覚」と呼ばれ、
「複数の感覚が連動する」  珍しい事象。
特にダニエルさんの場合は、質感や動き
まで伴う、複雑なものなのだ。




だから、記憶力もスゴいけど、
計算能力がチョー不思議。



例えば11を使う掛け算では、
頭の中を数字が転げ落ちていく・・そうで..


二つの違う形が変化して、第三の形が
見えたら、それが正しい答え。
頭を使わず、瞬く間にそうなるのだと。


ダニエル自筆の53✖131の説明。むむむ。







彼にとっての第一言語は「数字」。



数字は友達であり、それぞれに独自の個性
がある。11は人懐こく、5は騒々しい。
4は内気で物静か、、という具合に
一万までのあらゆる数字が、形となって
見えるんだって。




言語能力もスゴい。どんな本を読んでも
内容を覚えてしまい、忘れることがない。
外国語の習得が得意で、またたく間に
10か国語を流暢に操れるようになった。





こういう特殊能力はサヴァン症候群と
呼ばれ、映画「レインマン」で世に認知された。


兄のダスティン・ホフマンと
弟トム・クルーズ





でも、サヴァンの人は大抵、重度の知的、
身的障害を伴うので、ダニエルのように
本を書き、自分の感覚を正確に伝える
事が出来るのは、とても貴重なこと。




彼自身も、アスペルガー症候群という、
対人関係などの社会行動に支障をきたす
障害がある。でも苦労しながらも、
自身の努力と家族の理解で、自立した生活を送れるようになり、「ブレインマン」
というドキュメンタリー番組は
日本でも放送された。

2007年レイキャビク大学で講演する
ダニエル。   現在38才。







こういう能力って、てんかん発作と深い
関係があって、ゴッホもドフトエフスキーも、「不思議の国のアリス」の
ルイス・キャロルもてんかん患者。




実際、オーストラリアで磁気刺激で
脳を活性化させる実験も行われている。

頭打ったら天才になった・・・とか、実際
あるのかも。バカボンのパパは交通事故か
くしゃみかで、逆になってしまったのだー
ヽ(^。^)ノ



ガンダムではこんな感じでニュータイプになるね。。。





自閉症とか、ナントカ症候群とか、
全然異常とは思えない。
本来、人間の脳に備わった力とは、
どんだけスゴいものなんか。
脳って何だ?
こんなスゴいもの誰が創ったんだ?
と、ひたすら思う。


「貴様だってニュータイプだろうにっ!」
by  アムロ








そして興味深いのは、やっぱ素数。


ダニエルには素数がわかる。
9979までの素数は、一つ残らず滑らかで
丸い小石のような感覚があるんだって!



やっぱ素数には、宇宙の深遠な意味が
隠れているに違いない。  むむむむむー。





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神田お玉ヶ池 (於玉ヶ池)・・・・というと、
北辰一刀流・千葉周作の玄武館!!
と、なりがちだけど、、



もうひとつ大事なものが、牛痘の種痘所。



伊藤玄朴、大槻俊斎ら82名の蘭医に
開明派・川路聖謨が協力し、安政5年(1858)
に設立された。これにより古来人類を苦しめてきた痘瘡が、ようやく根絶に向かう。




下谷和泉橋に移転後は幕府直轄の
西洋医学所となり、初代頭取・大槻俊斎→
緒方洪庵→松本良順と受け継がれ、
東京大学医学部の前身となった。









司馬遼太郎の「胡蝶の夢」でも、蘭方医の
苦労はハンパなかったなぁ。。
開明派の老中阿部正弘でさえ、漢方医の
権勢に屈し、「蘭方禁止令」を出すことに。




特に江戸は諸藩よりずっと遅れていて、
「牛痘を接種すると牛になるぞ~」・・と蘭医は忌み嫌われ、攘夷家には命を狙われる。



文庫版、3巻の表紙は福沢諭吉。
ストーリー中には「福翁自伝」からの
エピソードがたくさん。





解説によると、この時期の事を調べていた
日本医史学会理事・深瀬泰旦氏が
大槻俊斎の義父かつ、種痘所の発起人の
一人である「手塚良仙」なる人物に注目し、
論文を書いたところ・・




ある日突然、天下の手塚治虫から電話が
かかり、「良仙は自分の曾祖父です」と、
言われ、ビックリする。   (°Д°)


そして、手塚家のルーツを描く物語の
資料として使うことを、もちろん快諾し、
「陽だまりの樹」ができたのだ。1981年。



2巻。「スフィンクス前で記念撮影を行う
第2次遣欧使節一行。元治元年撮影」
(1864)スゴくない?







だから手塚良仙、良庵父子は実在の人物。
良庵は適塾で学んだから、緒方洪庵、
福沢諭吉、村田蔵六も出てくるし、
幕臣となるもう一人の主役「伊武谷万次郎」
は架空だけど、勝海舟、山岡鉄舟、
新撰組も登場するよ。



でも、手塚治虫が描いたのは、

「歴史にも書かれねえで死んでった
立派な人間がゴマンといるんだ!」

というセリフの通り、時流に懸命に抗い、
生きた、名もない主人公たち。



藤田東湖が、三百年ぬくぬく陽だまりにあった桜の巨木を、徳川幕府になぞらえる。





ご自身も医学博士である手塚治虫さんは、
祖父にあたる良庵(のち良仙を襲名)を、
ヤヤお調子者のダメ人間に描いているけど・・


生き生き、伸び伸び、愉快に楽しく、、
でも、やるときゃやるぞ!!という気概。
やっぱ誇りに感じてるんだなー。。と
思えて、ウン、良いわーヽ(^。^)ノ




6巻表紙は高杉晋作。この本には登場しないんだけど・・・この写真、見たことない!貴重じゃないか?!










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日本百名城の一つ、山中城跡に見参!


山中城は北条氏康が築いた、小田原城の
支城で、小田原落城と共に廃城となる。



城マニアロックシンガー、
「中島卓偉のお城へ行こう!せーの、
キャッスルキャッスル!」で紹介していて、
ここの美堀を、是非見てみたかった。


ほらね。ここは枡目状になっている
「障子堀」の箇所。何でこんな形なのか、
とってもキレイだよ。




広い敷地内は、キレイに区画された堀、
自然の地形をさらに深くした厳しい堀、
見ごたえたっぷり、あっちこっち堀まつり!


西の丸跡。ひろーくてキレイ。
全体的に城址公園としても、ビューティホー!
もちろん見晴らし最高。海もみえちゃう。



丁寧に芝貼り中の箇所。
こうやって手を掛けているんだなあ。。
素晴らしい。



三島宿の近くなので、旧東海道も歩けちゃう




三嶋大社も近いのです。車で30分。
御社殿。三嶋大社は伊豆国一宮。
(一宮とは、地域で最も社格が高い神社の
ことだそう。)




三嶋大社といえば、福太郎餅。
黒いお面をつけた、婿の福太郎が
福の種をまくそうな。




邪をはらうよもぎ餅に、
あんこは烏帽子の形。?でも食べやすい。





大社の前にはもちろんうなぎ屋さん。
三島のうなぎは柔らかくて美味しいよ。






だって富士山の涌水で育ってるからね。
ここも近くにある、富士山本宮浅間神社。
「特別天然記念物涌玉池」
コンコンと涌き出る池が
神社内を川となって、流れている~~




富士山本宮浅間神社は、駿河国一宮。




世界文化遺産だっ!!  神々しいー




あー。。ご本尊のてっぺんが・・・(*_*)




入口前の「お宮横丁」でB級グルメで名高い
富士宮焼きそばを食べてきた。
久しぶりのお出掛け、楽しかったなっしー
ヽ(^。^)ノ


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蘭学といえばシーボルトの鳴滝塾。
緒方洪庵の適塾。が思い浮かぶけど・・・
忘れちゃいけない、ポンペ&松本良順!
この二人によって、日本医学は一変する。




本当はドイツ人だったシーボルトが
帰国してから30年後の、安政4年(1857)




勝海舟が主宰する長崎海軍伝習所に来た
28才の海軍軍医ポンペ。   そして、
26才の幕府御医師、松本良順。




この若いコンビが幕府の目を盗みつつ・・?
興した学問所と病院は、徳川260年の
身分制度を崩す存在であり、幕府制度の
根幹を揺るがす、まさに志士活動のよう!










ペリー来航まで、蘭学とはまだまだ、
“酔狂な者”のやることだったそうだ。
シーボルト世代の高野長英が、当時如何に突出した存在だったか・・想像できるなぁ。





特に諸藩に比べて幕府の遅れ具合は酷い。
将軍の御医師は漢方で無ければならず、
長崎で学ぶ幕臣は一人もいなかったんだ。




だから良順の長崎行きには、漢方医のドン
多紀楽真院が、将軍の命を持ち出してまで妨害した。ほんとーに、意地悪なんだよ~


松本良順。司馬さんいわく、「海賊面」   (^^;






そして何より、言葉の通じない東洋人に
対する、ポンペの情熱がスゴかった!




物理化学、解剖、組織、生理、病理、調剤
内科・外科・眼科・法医・産科まで、全ての
医学大学課程を一人で全部、講義する。
こんな人世界にいない!と司馬さん絶賛。


ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト
「医者はよるべなき病者の友」  滞日は5年。





適塾の緒方洪庵は、この開講を聞くと
「これで手探りの蘭方医学の時代は終わる」
と、自らの嫡子も、塾頭の長与専斎も
ポンペの学校に入れた。流石だなぁ。




といっても、、ポンペの言葉を理解できるのは良順だけ。。。皆呆然と聞いていて、
後からノートをとり、質問する。それでも
ポンペの熱意に共鳴し、物狂いのように
勉強する異様な集団だった、という。



長崎医学伝習所。前列左が松本良順。






文久元年(1862)、日本初西洋式の病院も
建てた。身分差なしの診療、貧民は無料。
これ即ち、身分制によって成り立つ
江戸体制の強烈な否定であり、
将軍の御脈をとる奥医師が、たすき掛けで
貧民の治療をする姿は、奇異ですらある。


「世の中は変わる!」皆、そう思ったんだ。



小島養生所→精得館は、現長崎医学大学。







長崎を離れた後は、慶喜の主治医をしたり
将軍家茂に好かれて病床に近侍、良順が
いないと、眠らないほど頼りにされる。



新撰組とのエピソードも微笑ましいよ。



坂本龍馬が勝海舟を斬りに行って
弟子になった、、てのは有名だけど、
近藤勇も松本良順を斬りに行き、、なんと
惚れ込んで、義兄弟になっちゃった(*^^*)





司馬さんいわく、良順は、多少「おっちょこちょい」な、愛すべき「大愚者」。
侠気にあふれ、勝海舟よりちょこっと
単細胞なので、その点、新撰組とは波長が
合ったと思われる。  ヽ(^。^)ノ




以後、新撰組の相談役となり、宿舎の
衛生管理から傷の手当て、資金の手助け・・
土方歳三とは会津まで行動を共にしたし、
明治後は永倉新八の世話もしている。


北区滝野川の寿徳寺に良順と永倉新八が
近藤勇らの供養塔をつくった。






幕府瓦解時には、遊郭の梅毒検査をやったり、将軍慶喜に直接訴えて、「えた」の
身分制度を撤回させた。これスゴい事!!
良順先生は徹頭徹尾、庶民の味方なのだー





この、型破りの爽やかさ&潔さは、
実父・佐藤泰然から受け継いだもの。
家族、養子、友人、弟子を、境界線なく
まぜこぜに愛し、実子は養子に出し、弟子を養子に取り、財産も他人に譲っちゃうお方。



佐倉順天堂を開いた佐藤泰然。良順の実父




佐藤尚中(養子で継承者)、林董(三男)、
林洞海(婿)、関寛斎(順天堂一の秀才)、
山内六三郎(甥)etc....ナイスガイばかりの
「佐倉順天堂ファミリー」はとっても素敵♡
箱根駅伝は来年から順大を応援しよっかな。


順天堂を継いだ養子の佐藤尚中(山口舜海)






もう一人、良順が愛し、司馬さんも
良順以上の主役として描いているのが、
佐渡の伊之助こと、司馬凌海。




超人的な記憶力で、蘭、独、英、中、
ラテン語までなぜかマスターし、通訳として良順を支えるけれど、社会的不適合者でポンペに破門される、、という、ほぼ
南方熊楠チックな異能、いや異脳の持主。





こういう人って、やっぱいるんだなぁ。。
もしかすると、実は空海もこの手の人種
だったんじゃあないか、、と私は
密かにニラんでいる。ふっふっふ。

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渡辺崋山の本を読んでいて、
めっちゃ気になったのが、佐藤一斎。



昌平坂学問所の筆頭教授で、
数多の幕末活動家がこの人に学び、

入門者は渡辺崋山、佐久間象山、横井小楠

水戸藩の徳川斉昭、藤田東湖にも関わり、

西郷隆盛、吉田松陰、山田方谷
小林虎三郎、河合継之助、大塩平八郎にも
影響を与えた・・・ってスゴすぎない?









この「重職心得箇条」は、小泉純一郎総理が
当時、役人とモメる外務大臣・田中眞紀子に、“これを読みなさい”と、贈ったことで
話題になった。




当の真紀子さんは「余計なお世話。」  ('ε'*)
と、読まなかった・・そうだけど、
同じ「真紀子」である、まきこんぐは
素直に読んでみたのである。てへ。


渡辺崋山の描いた、佐藤一斎。






佐藤一斎は、岐阜県岩村藩松平家の
家臣である学者さん。




昌平坂学問所学長かつ、あの鳥居耀蔵の
実父でもある、林述斎も同藩出身。
二人は幼い頃からの学友で、述斎の退任後
学長となったのが、佐藤一斎なのだ。




いつも渡辺崋山と鳥居耀蔵はセットで
出てくる。。因縁だなぁ。

岐阜県恵那市にある岩村城は日本三大山城






もともと林家の私塾だった昌平坂学問所は
松平定信によって幕府の官立とされ、
儒学、主に朱子学を教える所。




「民はよらしむべし、知らしむべからず」
国民は寄りかからせておけばよい、
高度な情報を知らせることもない。=
政治家に任せておけ!ある意味理想だけどね。



鳥居耀蔵の実父、林述斎。
これもなんと、渡辺崋山・筆







でも、佐藤一斎は表面、朱子学の立場をとりつつ、実際は朱子学と対立する陽明学も教えた。門下生はそっちに影響されたんだ。



陽明学といえば、「知行合一」
知ったら行動せよ。ってことで、


大塩平八郎は幕府に反乱を起こす。
横井小楠は国際的政治家となり、
吉田松陰は密航を企て、
佐久間象山は和魂洋才を叫び、
西郷隆盛は幕府を倒す・・・




佐藤一斎はあくまで学者として「原理」を
教え、どう応用するか、については全く
関与しなかったけど、皆のやる気スイッチ
を押しまくったことは、間違いない。










この本自体は、安岡正篤による
「重職心得箇条」についての解説と講演。
薄ぺったいハンディなのですぐ読めちゃう



まきこんぐは「重職」に縁がないので、
「心得」の内容は、ふーん。と田中さん並み
にスルーしたけど、、他にも「言志四録」という、西郷隆盛の愛読書が有名らしい。





お膝元の恵那市でのフォーラム。
斎藤孝先生も佐藤一斎の本を出してる。







安岡正篤自身も陽明学者。
かつ歴代自民党総理のアドバイザーで、
終戦の玉音放送にも加筆を施した、という
スゴい、スゴいお方。




六星占術の細木数子の師であり、最晩年に
は夫だった、、と言われてるけど、
親族の大反対で、婚姻関係は認められなかったようだね。



安岡正篤(やすおかまさひろ)




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高野長英ってなんとなく、ラディカルな
思想家なのかと思ってたら、
そういうことじゃなく、ひたすら
超優秀なオランダ語の実力者なんだね。




もともとは町医なんだけど、蘭学を学んでは、シーボルト門下屈指の俊才であり、
鳴滝塾の塾頭であり、第一人者。
そして何より、語学の天才であったのだ。




オランダ語の翻訳にかけては、日本一。
自他ともに認める、その才能こそが
悲劇の始まりだったなんて、、。










医学としての蘭学を学んだ長英が、
海防問題や兵学に傾倒していったのは
渡辺崋山と出会ったからだ。




長英は華山の鋭い見識を尊敬したし、
華山は、多様な蘭書を長英に翻訳してもらい、共に研究し、意識を高めていく。


渡辺崋山のお弟子さんが描いた高野長英。







長英が書いた「戊戌夢物語」は、海防問題に関する、単に道義的な意見書だった。
でも、華山が自宅に隠していた「慎機論」が
過激な幕府批判だったため、蛮社の獄で
長英は不当な「永牢」に処せられる。











南町奉行・鳥居耀蔵の蘭学者への憎悪は
激しく、赦免要求は一切受入れない。




獄に入って5年。このまま死ぬしかない・・
長英が逃走を企てたのは、国を想う悲愴な
焦燥感からだ。




日本は急いで兵学の知識を持たないと、
外国に対抗できず植民地化されてしまう!
そして、その兵法の蘭書を訳せるのは、
日本に自分しかいないのだ!








長英の逃亡生活は、6年間に及ぶ。


当時から日本の警察は優秀だったので、
見つからない訳ないんだけど、こんなに
長く逃げおおせたのは、何を隠そう
ほぼ一切を仕切った、長英門下の和算家
内田弥太郎と、侠客元締・鈴木忠吉の
見事なまで用意周到な、誘導計画による。




内田たちは、長英を故郷の母に会わせ、
妻子の面倒を見たばかりか、後には長英を家族と共に江戸に住まわせ、子供二人も
デキちゃう・・って警察翻弄されまくり。










しかも、逮捕直前の足取りに繋がる
数名の協力者は連座させられたのに、
大首魁の内田はとうとうバレず、明治まで公職に重きをなしたというから恐れ入る。
この人、伊賀者なんだよね。。こわ~(*_*)







これらの詳しい経路は、高野家の後継者・
高野長運氏が、約45年間をかけて、家族が
貧窮するほど調査に専念し、昭和3年に
伝記として発表されたんだ。


長英の後、宇和島藩に招かれたのが、
大村益次郎。







吉村昭さん自身も、全てを歩いて回り、
長英が潜んだ土蔵や隠し部屋を実際に
見た。本当に沢山の協力者がいたんだよ。




長英は松前に向かったらしい・・と霍乱情報
も流したので、「ロシアで死亡説」が流れ、
世間は皆、それを信じ込んでいたそうだ。










皮肉なことに、江戸潜伏がバレたのは、
匿名で翻訳した兵書の出来ばえが、
あまりにも見事だったから。
こんな翻訳できるのは、高野しかいない。




これに注目し、警察の威信をかけ捜査逮捕
にあたったのは、、これまた皮肉、
鳥居耀蔵のライバル、遠山の金さんだ。
(南町奉行・遠山金四郎景元)



顔を焼き、青山百人町で細々医者をして
いた隠れ家で召し取られ、死亡した。






でもね、本当に、本当に皮肉だったのは、
あと二ヶ月牢屋にいれば、鳥居耀蔵は失脚し、長英は許され、比類なき翻訳の才能が
きっと幕府にも重用され、何の罪もなく、
富名声を得られていたであろう、、こと。






でも、もう遅い。
長英に頼まれ、牢に火付けした男は
規則通り火あぶりの刑に処せられた。


他にも遠島、押し込め、多くの協力者の
人生が破滅した。同情の余地はあっても、
やはりこれは・・・自分の天才を活かす為、
他人を犠牲にした傲慢、に他ならない。









因果は巡る。長英死亡の僅か3ヶ月後に
庇護してくれる予定だった、島津斉彬が
ようやく、晴れて薩摩藩主になった。
でもそれも、もう遅かった。




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渡辺崋山(渡辺登)といえば、
遠近法を導入した新しい作風の画家、
蛮社の獄で捕らわれた蘭学者。。



というイメージが先行するけど、
あくまで田原藩の一家老として、
食糧難、財政難を改善するべく藩政改革に
全力を尽くした、行政指導者だ。




高額な対価を払って、農政改革のプロを
雇い、米作りを道具から科学的に見直す。
さらに「商品になる」産業を振興する。
従来の頭の固い役人には到底出来ない、
現代的な発想の数々。











田原藩は愛知県渥美半島にある、
一万二千石の小藩で、藩主は三宅康直。
崋山もずーっと江戸藩邸に棲んでいて、
その場所が現在の千代田区三宅坂だ。


戦時中は陸軍参謀本部、戦後は社会党、
現在は最高裁判所のあるところ。




崋山が絵画を通じて外国文化と出会ったの
は確かだけれど、絵はあくまで趣味の副業で、オランダ語が読めた訳でもない。



天保の飢饉の時、オランダ書を元に
高野長英と著した、「救荒二物考」の挿し絵    







当初、崋山を中心に三宅坂に集う開明的な
仲間達の目的は、食糧難の解決だった。
「領民を豊かにするにはどうしたら良いか」
(尚歯会)




でも、異国船がしきりに日本近海に出没し始め、「海防問題」が切迫してくると、
「日本を守るために、外国のことをよく知ろう!」と、洋学研究会になってゆく。


崋山の画帖   「一掃百態図」





安積艮斎、藤田東湖も尚歯会のメンバーだし、幕臣の川路聖謨や江川英龍(旦庵)など
錚々たる学者も皆集まってきて、
共に国防問題を研究する。




特に華山を含め、蘭学者の小関三栄、
町医の高野長英らは「蛮学社中」として
西洋知識の必要性を説き、それは
自然と幕府批判になっていく。。




時の老中は、天保の改革・水野忠邦。
「幕威の回復」に異常な熱を入れており、
幕政批判など許されないのだ。


「英雄たちの選択」より。







磯田道史先生は、“日本史上一番の悪人は誰か?”    と問われれば、真っ先に
「渡辺崋山と高野長英を死に追いやった人物!」・・・と言いたいそうで、、





それこそが、幕府目付・南町奉行の
鳥居甲斐守耀蔵(ようぞう)。
甲斐守をもじって「天保の妖怪」と呼ばれ
北町奉行・遠山金四郎のライバルでもある










ただ、歴史は360度から見よう!が
モットーの童門冬二先生は
「立場を変えれば鳥居耀蔵の政治理念も
理解できなくもない・・・」と、少し優しい。




何しろ鳥居耀蔵は、林羅山に始まる林家の出身で、実父は官立大学昌平坂学問所の
学長・林述斎。コッチコチの儒学頭なのだ


「湖石白猫図」  崋山・筆


岩(中国)の上に、白猫(イギリス)が居座り
下の花(日本)を見ている。






幕府ご推奨の朱子学的には、

「余計な情報を知らせなくても、国民は
毎日安心して豊かに暮らせる」   から→

「民は何も知らずに米だけ作ってれば良い。」     なので→

崋山たちの 「洋学かぶれ」 は危険思想に
他ならず、取り締まらねばならない。


となるわけ。


でも鳥居耀蔵は、江川英龍に個人的な恨みがあって、やり方が汚いし、そもそも
民が豊かにも、安全にも暮らせてないの
だから、幕府批判の声は必然なのだ。



華山は自分が捕縛された様子も絵にした。
「獄廷素描」   華山・筆







華山の死から12年後、
高野長英の死から3年後に黒船来航(1853)
鎖国下の日本にあって、ちょっと開明化が
早すぎた、知りすぎてしまった男たち。




大塩平八郎の乱(1837)、蛮社の獄(1839)、
明治維新への止まらない歯車は、既にこの時から回り始めていた、と言って良い。




華山が自刃する前、親しい人に残した言葉





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滝沢馬琴(曲亭馬琴)が南総里見八犬伝の
刊行を始めたのは、1814年(文化11)で、
完結したのは1842年(天保13)というから
延べ28年間!全98巻、106冊!




40年間200冊の「こち亀」にはちょっと及ばないけれど、、、



壮大なスケールと奇想天外の筋立て、
カッコ良すぎるヒーローたち、忠に生き、
義を貫く、日本人の熱~い魂の物語は、
きっと全米も泣くであろう、超ド級一大
スペクタクル感動大巨編なんであーる!









要するに、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の
文字の入る不思議な玉を与えられた
八犬士が、里見家に集結するまでのお話・・
(まとめすぎ)  なんだけど、、




舞台は室町後期なので、足利将軍持氏や
関東管領である扇谷・山内両上杉家などは
実名で登場するし、史実にある結城合戦も
物語の発端として使われている。




今、私たちがドラマで信長協奏曲とか、
本能寺ホテルとか楽しむのと、同じかな?



歌川国芳。伏姫神と犬江親兵衛






八犬士にはみんな名前に「犬」の字がつくん
だけど、全編にわたって馬琴さんの
文字遊びのこだわりがハンパない。




そもそもは、主君・里見義実の娘「伏姫」が霊力を持った犬に嫁ぐ悲運に始まるけど、
義実は『ああ、伏姫の「伏」は人にして犬に伴う形、不思議な予言であった』と嘆く。




また、遁世した義実は、「突然居士」
(とつねんこじ)と、号するんだけど、
「突」の字は、家(宀)の下に八の犬と書く。
「然」の字は、月、犬、火に分けられる・・と
金八先生風の漢字ネタを随所に満載し、


登場人物の名前も、やりたい放題。



枝独鈷素手吉→えどっこすてきち
畑上語路五郎→はたがみごろごろう
暴風舵九郎→あかしまのかじくろう
設楽四九二郎綾丑→したらしくじろうあやうし・・・てな具合。楽しんでるねぇ。





しかも、日本の故事はもちろん、
水滸伝や三国志、封神演義など古今問わず
博覧強記の漢学素養がこれでもかーと滲み出て、軽妙な滑稽本には無い、インテリジェンスの高さが、骨太の読本として
読み応えたっぷり、人気となったんだなぁ











そして、なんと言っても
これ、私の地元のお話なんですねー




多くの舞台は里見氏、安房、館山・・なーんだ、千葉の南部の話かぁ。。と読んでたら
途中で市川とか「真間♡」とか東京寄りの町名が出て、実家だぁ~♪テンションあがる~ぅ





そういえば、小学校の校歌には
「里見城址のたたずまい~♪」て歌詞があったし、小1の遠足は必ず「里見公園」だ。
八犬伝最後の大決戦は史実の「国府台合戦」
がモチーフなんだけど、ここなんだゼ~



里見公園内の国府台城址
国府台合戦では扇谷上杉家臣・太田道灌が
仮陣を築いた。八犬伝には「巨田道寛」
として登場。






一番の驚きは、いつも遊んでたお寺にある
大きな枝垂れ桜は、なんと「伏姫桜」だった!!知らなかったよー。なんてこった。
いや、ほんと、いまさらながら、、
気づいてヨカッタ。ほんとごめんなさい。


市川の真間山弘法寺(ぐほうじ)にある
樹齢四百年の垂れ桜、「伏姫桜」






その他、練馬、豊島など東京内や、埼玉、
上州、越後など、八犬士は全国各地を
巡って活躍しまくるよ。




馬琴は晩年失明して、亡き息子の嫁・お路の手を借り、口述筆記で物語を
完成させた。76才。6年後に死去。

杉本苑子著  「滝沢馬琴(上・下)」




そしてこの現代語訳は、時代劇の雰囲気を残しつつ、とても簡単で解りやすい。
リズミカルな講談調も楽しく、声に出して読みたくなる、そんな素敵な訳でした。


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テーマ:
タイトルに惹かれて買っただけなんだけど
まあ~~!  面白い!!




FBI、CIA、国家安全保障局から北朝鮮、
ロシアの工作員、モサドまで出てくる
ミステリーであり、数学、量子物理学、
生物学、哲学から仏教思想までも含んだ
深遠かつ、不思議な物語。




なのに、全然難しくないし、同時進行の
場面も人物も、こんがらがったりせず
解りやすいのだー


ついでに理系オンチのワタシでも
主人公たちの理系な会話で、理解不能の
概念を説明されると、あれ?意外と、
解っちゃった気がして、お役立ち。







先ずは数学。

確率論の基礎を確立したのはパスカルで
数学と物理学の研究により、世界で最初の
計算機も発明する。



でも亡くなる数年前に、自分の人生残り
時間を宗教に捧げるべきだ、、と「期待値」
の理論で証明し、数学を辞めたんだって。



統計学は、実際に起きた出来事を計測するもの、その数値を予言する方程式をつくる
のが確率論、と言えるそうで・・・



「確率論は人生だ。もしくは人生を数字で
表現したものといってよい。
確率論は嘘をつかない。これは唯一本当の
神なのだから」





ブレーズ・パスカル  
17世紀フランスの哲学者、数学者








そして物理学。
ニュートンが唱えた「決定論」は
「宇宙は不変の法則に支配されており
不確定なものなど何もない」



↑これは 20世紀の古い理論で、
「神はサイコロを振らない」  
byアインシュタイン    ってやつ。




「自然界における現象はすべて、
分子間に動く力を研究することによって
理解できる」    ・・・・てことは、



この世の動きの全てを計算することができれば、次に起こること、未来に起こることを計算し、予知できる・・ってことになる。
ラプラスの魔




そんなの現実に不可能じゃん。

というのは単に、
「 “人間に”  宇宙の実相全てを計測する
能力がない」   だけで、



理論上ありえるなら、現実にもあり得る
ようにしたろやないか!   という科学者が
この本では大活躍するわけだ。



ピエール・シモン・ラプラス
18世紀フランス、数学・物理・天文学者








ここで問題なのが、「決定論」に対する
ハイゼンベルグの「不確定性理論」
20世紀のノーベル賞物理学者。 量子力学



「物質粒子の運動量と位置を、同時に正確に測ることはできない」事を証明した。



「アルカリーリ先生のサイエンスレッスン」
より






粒子の位置が特定できないのであれば、
「ラプラスの魔」は存在し得ないことになる




「神はサイコロを振るだけではない。目隠しして振る。」      byホーキング   なのだ。



シュレデインガーの猫の説明も納得。








でも、そんなことにメゲることなく、
生物学、哲学、宗教、仏教思想・・あらゆる理論を総動員で、いよいよカオスに突入。





全ての物質はエネルギーである。


同様に脳の中のニューロンが電気的な
シグナルを発することで産み出される
「思考」もまた、エネルギーである。


「思考」は光速より早い、唯一の物である!ゆえに思考は時間を超越する。まじ?



全ての物質と思考は互いに結び付き、
そこから導きだされる「集合的無意識」


精神科医ユングの理論「集合的無意識」とは
生物の本能的知識。
生れつき乳の吸い方を知っている赤ん坊、
泳ぎ方を知っている魚・・・ etc...





見えないものがみえる子供、
あれ、コレ見たことある・・という既視感。
子供は大人より集合的無意識に近いという。




集合的無意識にアクセスする、体外離脱体験は、てんかん発作など、脳の異常から
引き起こされることもある。




南方熊楠は幽霊が見え、精神分裂の恐れもあったのを、学問に没頭することで、
現実世界に自分の意識を留めるよう努めたんだけど、死んだら自分の脳を調べるように遺言していて、実際、前頭葉に萎縮がが見つかっている・・・
なんかこの本と一致するのよ。。。




ありえるかありえないかで言えば
ありえないけれど、もしかしたらありえるかもしれない。。。ということは、やはり
ありえるのでは、、と、実は思っている。



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テーマ:
南方熊楠の伝記小説。
なんかドえらいモノを読んでしまった。
今までちょこっと理解してた熊楠より
遥かに強烈。しばらく頭から離れそうにない。




作者の津本さんは熊楠と同郷で、
学校も同じ。(現和歌山県立桐蔭高校)
自ら体感した紀州の自然と共に、熊楠4才からの悪童ぶりも、生き生きと甦る。
(因みに有吉佐和子サンも同じ学校)




豪傑とか英雄とか、そんな人間サイズの
形容では足りない。だから「巨人伝」。


スケールが大きい、というより、
タガが外れてどんな器にも収まらず、
誰にも真の姿は、見えなかったのでは。









そもそも頭のデキが常人ではない。
本は立ち読みして覚え、家に帰って筆写する。全ての文字情報は記憶され、過去の
出来事も忘れないから、日記も必要ないとか。




文字・言語分野に対する特異能力は正に
神がかりで、英、仏、独、伊、露、蘭、
スペイン・・ラテン、アラビア、ペルシャ、
ギリシャ、アルメニアなど数十カ国の古語も、読むことができた。




和歌山市海南市にある、藤白神社






その分、精神面はさらに尋常でなく、遂に
「学校」の枠で学ぶことはできなかった。



東京の共立学校(現・開成高校)では高橋是清
に教わり、東京大学予備門では秋山真之、
正岡子規、夏目漱石と同級。でも退学し、
以後留学しても何の学位も取れなかった。



熊楠の名前は、藤白神社の楠の巨木から。






海外生活は14年間。
大英博物館の嘱託となり、書庫の自由な
出入りを許され、あらゆる貴重な文献を
読みあさり、記憶し、まさに歩く大英博物館の如くなる。



つまり、ある欧米の民俗伝承について、
その起源はインドとか中国とか~であろう
なぜなら○世紀○○国の○○いう書物に○○なる仏教説話が載ってるから・・という論証が、頭の中で縦横無尽に可能なのだ。
広範で詳細すぎる智識に学界は驚嘆する。


大英博物館





でもね、時は日清戦争の頃だ。
人種差別あり、仕送りなし、常識なし、
酒は飲む、喧嘩はする、誰にも理解されない、、好きな学問がしたいだけなのに、
全ての環境が、それを許さない。
本当に読んでて悲しかったよ。。。




誰か!熊楠に研究資金をあげて~!と
切実な思いで、読み続けるけど、
その「歩く大英博物館」は、帰国しても
みすぼらしい格好で、チ○ポ見えながら
子供たちにからかわれているのだから、、
回りが理解できなくても仕方ない・・・か。


熊楠と一番弟子の小畔四郎





神社合祀問題、隣人トラブル、兄弟絶縁、
愛する息子の発狂・・・胸が潰れるほど辛い
思いの果てに、



昭和4年、紀南行幸の天皇陛下に直接、
紀州の生物について御進講する栄に浴した
ことで、幾らかの苦労は報われた・・のかもしれない。本当に良かったね。 熊楠さん。




       雨にけぶる神島を見て
 
          紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ


                       昭和37年     昭和天皇御詠歌


熊楠が保護運動した無人島・神島(かしま)






熊楠は、「人の心は、変化する幾つかの心の複合体であり、死んでも一部は残存し、
宇宙に永遠に留まり続ける。」  と言う。




最古の動物である粘菌と会話し、幽霊とも話をする熊楠は、宇宙の真理を知っていたのか。   現代人が進歩の過程で失ってきた
第六感、七感、八感・・?のような、
古代人の自然能力を備えていたのか。


南方マンダラ






熊楠の功績が注目され、ようやく研究が
本格化するのは、40年位前からで、未だ
南方学問の全容は、解明されていない。




きちんとした環境があれば、ダーウィン、
アインシュタインと並ぶ偉人になっていた
であろう「南方熊楠」。



今は人間国宝でもないけれど、
100年後には世界遺産かも。



ご進講を記念して撮った写真。
西郷隆盛に似てる。




熊楠がもし数学者だったら?
素数の謎・リーマン予想を解いてたかも?
宇宙の謎が解き明かされる事を恐れた神様が、熊楠に数の能力を与えなかったでは?
・・etc.etc...影響されて異次元妄想止まず。


熊楠はずーっと、猫と一緒だった。
きっと猫語も話せただろうニャ。

水木しげるの描いた漫画 、  猫楠


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