吉田裕子(塾講師)の国語エッセー | 古典(古文・漢文)・近現代文学・歌舞伎・狂言

”国語を学ぶことで、感受性と対話力を磨いたら、人生はもっと楽しい。”という思いのもと、ブログや書籍で情報を発信する他、定期的に「大人向け古典講座」を開催しています。予備校・高校・カルチャースクールの講師、ライター。


東大入試をその日の内に解く、という、
大学受験塾の講師らしいことに挑戦してみました!!

今回、古文はまさかの超・超・超有名な場面。
静御前が、頼朝夫妻の前で義経を慕って舞う場面です。

とても素敵な場面なので、
急ごしらえの粗いものですが、
現代語訳を作ってみましたニコニコ


【 東大のリード文 】

次の文章は、近世に成立した平仮名本『吾妻鏡』の一節である。源平の合戦の後、源頼朝(二位殿)は、異母弟の義経(九郎殿)に謀反の疑いを掛け、討伐の命を出す。義経は、郎党や愛妾の静御前を引き連れて各地を転々としたが、静とは大和国吉野で別れる。その後、静は捕らえられ、鎌倉に送られる。義経の行方も分からないまま、文治二年(一一八六)四月八日、鎌倉・鶴岡八幡宮に参詣した頼朝とその妻・北条政子(御台所)は、歌舞の名手であった静に神前で舞を披露するよう求める。静は再三固辞したが、遂に扇を手に取って舞い始める。


【 出題箇所現代語訳 】

静がまず歌を吟じて言うことには、

「吉野山みねのしら雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」
(吉野山の嶺の白雪を踏み分けて、山の中へ入って行った人(義経)の行方が恋しい)

また、それとは別に曲を歌った後、和歌を吟じる。その歌では、

「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」
(静よ静よ(と義経様は繰り返し私の名を呼んでくださった) 苧環から糸を繰り出すように、昔を繰り返して今にする手立てがあればなぁ)

こんな風に歌ったので、神社が鳴り動くほどに、身分の高い者も低い者も皆、面白いと感じていたところ、頼朝殿がおっしゃったことには、

「今、八幡の神様の前で、私の芸を奉納するのにあたり、当然に、我々の長く久しい繁栄を祝わなければならないのに、人が聞いているのもはばからずに、反逆者の義経を慕い、(歌うべき曲とは)異なる曲を歌うということは、とても奇怪なことである」

と言って、ご機嫌が悪くなりなさったので、(それを)政子がお聞きになって、

「あまりお怒りを顔にあらわしなさるな。(私は)自分の身にとって、(静の歌うことに)思い当たることがある。あなたが既に流罪の人となりなさって、伊豆の国にいらっしゃった頃、(あなたが)私とご縁が浅くはない状態にあった(=恋仲であった)と言っても、平家が栄華を誇っていた時期なので、私の父もやはりその時分(の情勢)を恐れなさって、ひそかにこのことを制止なさった。しかし、それでもなお(私が)あなたと恋情を交わして、暗い夜一晩中降っている雨さえも厭わず、巻き上げた着物の裾もすっかり雨に濡れているその隙間から、あなたのいらっしゃる寝室の中にこっそり入りこみましたが、その後、あなたが、石橋山の戦場に向かいなさるとき、私は一人伊豆の山に残っていて、あなたのお命が無事であろうかどうであろうかということを一日思い悩んでいたところ、昼間に何回か、夜に何回か、気を失いました。その嘆きに照らし合わせましたら、今の静の気持ちもそのようであるだろうと思わずにはいられず、いたわしく思います。彼女がもし長年義経と連れ添った絆を忘れておりますなら、貞淑な女性のありようではないでしょう。今の静の歌の詠みぶりは、外(言葉)には少しばかりの想いを託し、内実にはひどく迷い悩んだ憤りをふくんでいる。何とか憐みをお感じになって、ぜひとも味わい楽しみください」

とおっしゃったところ、頼朝はお聞きになって、(政子と)一緒に涙をもよおした様子で、腹を立てるのをやめなさった。しばらくして、御簾の中から、卯の花襲の衣を静かに下賜なさった。



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