昨夜は、僕の批判コメントへの対応の不慣れから、激励・援護射撃下さった皆様、な

 

にも知らずに、アクセスされた読者の皆様にはご不快な思いをさせてしまったことを

 

この場を借りてお詫びを申し上げます。

 

その後も同じ複数の人物による不快な投稿が続いた為、7時間ほど記事搭載を中断し

 

ました。それでも一万近くのアクセスを頂いたことは感謝に堪えません。誠にありが

 

とうございました。

 

 

       価値の多様性・「 男の嘘 スピンオフ編 」

 

 

 

他人の人生に必要以上に絡んでくる人がいる。なぜ見ず知らずの他人の人生や価値観

 

 

に、勝手に踏み込んでくるのだろうか。それは「神経症的自尊心」が傷つきそうに

 

 

なった時だ、と心理学的には言われている。

 

 

 

人は「自分の価値が脅かされる不安」に脅えるときに選択を間違えるという。

 

 

第一に、自分に嘘をつく。

 

 

第二に、「人や世間の常識は、自分が思い描くようであって欲しい」というように

 

 

現実を見る。つまり、現実をありままに見るのではなく、現実を通して自分の心のな

 

 

かを見ているのだ。他人の行動や会話・文章などを通じて、自分の頭の中にある現実

 

 

とは違う「こうあるべき」という考えを外に出す。所謂「外化」という心理状態だ。

 

 

人によっては、この状態を「あるべき症候群」と呼ぶ。つまり「正義に異常に組み

 

 

し過ぎる」と言われる人々だ。

 

 

第三に、「私は特別」と自分の独自性を主張する。自分は「特別」と信じているので

 

 

他人の人生観や価値観に平気で踏み込める。

 

 

そして、「他人の生々しい現実的な生き方」に勝って絡んできて批判し、突っ張る。

 

 

さらに「自分こそ価値ある人間」・「正しい道徳的な人間」と言い張る。

 

 

或いは、自分は本当は不幸なのに、幸せだと言い張る。つまり、自分に嘘つき、現実

 

 

を生きてもいないし、生きようともしない。

 

 

簡単に言えば、現実を歪めて解釈しているのである。すべて自分が「こうあってほし

 

 

い」というように現実を見ている。自分の理想や心の望みを現実を通して見ている

 

 

「望みの外化」という精神状態にある。自分のプライドが傷つきそうなとき、自分を

 

 

守る有力な手段となる。

 

 

 

これは「私の夫や恋人は120%、理想の男性」と言う、女性の心理と同じである。

 

 

「夫や恋人が理想の男性であってほしい」という自分の願いを、彼らに「外化」して

 

 

現実の夫や恋人を見ていない。だから見ず知らず人間の「不埒な男の行動」は、間接

 

 

的には、自分の外化した男性・プライドを傷つけられたことになり、異常なまでに執

 

 

拗に絡んでくる。

 

 

その女性に「外化」されてしまった夫や恋人は、たまったものではない。その女性が

 

 

思い描くほど、理想的ではないからだ。あの船越英一郎がいい例だ。

 

 

 

このように「外化」によって「現実を歪めること」は、不安を回避させてはくれるが

 

 

パーソナリティーの貧困化をもたらす。もっと言うと、人を素直に好きになる豊かさ

 

 

や自己実現能力、独創性の能力すら失うことになる。

 

 

 

育った環境が背景がもとで、常にどこか不安な人がいる。不安であるからこそ、何か

 

 

を信じようとする。それを心の支えにしようと生きようとする。そして、不安から逃

 

 

れるために、その価値を「唯一絶対のもの」として信じなければならない。

 

 

彼らは、これを信じさえすれば生きていけるという心の支えがほしい。しかし、不安

 

 

から逃れるために、あることを唯一絶対のものと信じることことで、やがて、豊かな

 

 

人間性を失っていくことになる。

 

 

 

世間は彼らが思い描くような理想郷ではない。彼らが信じる「唯一絶対のもの」など

 

 

ない。僕のように、彼らの信じる「唯一絶対のもの」を否定するものは、絶対に許せ

 

 

ない存在に違いない。

 

 

無理もないことだが、残念だが「男の女のこと」は、なんでもありの世界であること

 

 

は、紛れもない現実であり事実なのだ。僕をいくら叩いてもその現実は変わらない。

 

 

 

しかし。そんな「世間の現実を認めること」は、自分の存在価値を自己否定すること

 

 

に等しい。だから僕や道の外れた恋を糾弾することで、なんとか自分を支えている。

 

 

唯一絶対の理想の男性像や女性像を言い張ることで、自分の心の闇から逃れようとし

 

 

ているだけだ。だから、糾弾する相手を常に探しては、叩いている。

 

 

叩くけば当然、反論される。すると抑えていた不安が現実と接触し表面化し、さらに

 

 

その怒りの表現は極端になる。

 

 

叩く相手を間違ってはいけない。向き合うべきは、得体の知れない己の不安の出所で

 

 

あり、己の心の闇(不安神経症)なのである。

 

 

 

精神的に健康な人々は、他人を放っておける。不倫をしている男女を見ても「そんな

 

 

恋もあるんだな」と関わってこない。「人間ってしようがねェ生きものだ」と苦笑い

 

 

を浮かべ通り過ぎる。

 

 

そして、自分も当事者になることだあり得ることだとも思える。様々な理由で他人に

 

 

嘘をつくことはあっても、自分には嘘はつかない。

 

 

なぜなら、生きることに「神経症的な不安」などないからだ。

 

 

 

喉が渇いた人は、「冷たい水の入ったコップ」に目がいって落ち着かない。喉の渇い

 

 

ていない人は、冷たい水には目も向けず、他のことに集中できる。愛情に飢えている

 

 

子供は公園に行っても母親の手を握って離さない。愛情に自信のある子は、母親の手

 

 

を払って、みんなとワイワイ遊べる。

 

 

様々な恋愛を通して「男の本質」を知っている女性にとって、他人の不倫などに興味

 

 

はあっても、決して執拗な糾弾の対象にはならない。

 

 

 

このブログは、不倫をしている人の痛みを、ただ共有しあって「決して許されること

 

 

ではないこと」に向き合っているだけで、誰も非難などしていない。

 

 

心ならずも、「道ならぬ恋路」に迷い込んでしまった人々の、謂わば「駆け込み寺」

 

 

なのだ。

 

 

だから、己の抱えた不安やストレスを晴らすために無理やりにこの門を、こじ開けて

 

 

正義の仮面を付けて、ありきたりの、分かりきった正論など吐かないで頂きたい。

 

 

しばし、放っておいて頂きたい。

 

 

 

 

                    参考文献:加藤諦三氏・不安のしずめ方

 

 

 

 

 

 

 

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