こうしてみると「女々しい」という漢字は、「男々しい」と書くべきだと最近、本気

 

でそう思うようになった。

 

・ なんで、僕みたいなオヤジと付き合ってくれるの?

 

彼女は「なんとなく倫太郎が好きなだけ、理由なんてないよ」と言う。家庭を壊す気

 

もなく夫も大切で、でも「恋愛ごっこ」と「お金」はもっと好きな「彼女」とっては

 

野暮な質問をする僕は、「チョー・ウザい」存在に違いないが、それ以上に「都合の

 

オヤジ」なのだろう。友達以上恋人未満に相違ない。

 

 

更に聞けば「今度、いつ会える?、と聞かないから好きッ」と言われた。必要・最低

 

限の連絡しかくれないし、LINEなど気の効いたツールも使えず、全てメールなので

 

「気が楽だ」と言う。「ダンディで、かっこいいから」とでも嘘でもイイから言って

 

欲しかったのだが。

やっぱり、最近の若い子は「束縛」されたくないのだ。オヤジの良いところは、金が

 

そこそこあって、良い店を知っていて、自分は家庭があるので、相手を束縛せず、して

 

欲しい時に濃厚なエッチをしてくれる。まさに女性週刊誌の言う通りだ。

 

25年以上前にも、20代の女の子と付き合ったことがあるが、その子は「私への愛

 

と奥さんへの愛はどう違うの」とか「倫太郎さんは、居て欲しい時、私の側に居てく

 

れない」、更には「私の身体だけが目的なのね」と、けっこう細かく鋭いことを聞い

 

てきたが、独身と既婚者の違いなのだろうか。


結局、オヤジというものは「居て欲しい」時は、お金と巧みな性技を使って彼女を悦

 

ばせ、「居て欲しくないとき」は、野暮な質問などせず、鳴りを潜めて「都合のいい

 

男」で居なければならない。

己の都合は、考えてはいけないのだ。すべて彼女の都合に合わせられる「雅量」が求

 

められる。そして、女に惚れたら「女の言う事は、いつも正しい」と自分に言い聞か

 

せる事が肝心なのだ。

家庭においては「妻の言う事は、常に正しい」と信じきり、「愛人の求めるもの」は

 

喜んで受け入れる、ある意味「馬鹿オヤジ」にならないと、人生を謳歌できる不埒者

 

にはなれない。

 

オヤジたちが何故、今、セックスレスの多い若者に比べ「キモいくらい」に性欲が強

 

いのか、様々な意見があると思うが、男の「下方志向」と「女の上方志向」の違いに

 

あるようだ。

 

 

といっても、これだけではわかりのにくいので、具体的に男の本音を言うと、男の性

 

的欲望、いわゆる性的リビドー(衝動)は総じて、こういってはなんだが、自分より

 

下の方に向かって掻き立てられるものだ。

 

例えば、「愛らしい」とか「優しい」「か弱い・か細い」「脆い」「小さい」といっ

 

た感じの女性に相対したときに、強く刺激される。もちろん、外見の美しさも重要だ

 

が、くわえて、男の保護本能をそそられる女性と接触したときに、とくに欲望を掻き

 

立てられ、バカにも無様(ぶざま)にもなれる。

 

 

余談になるが、女性が恋人から「妻」になると、概ね「これら全て」を失ってしまう

 

ので「妻」は大切な存在だが、性的リビドーにはつながらない。

 

 

比較的若い独身男性から観ると、最近の20代、30代の女性は男の「下方志向」に

 

は程遠いようで、性的欲望は湧いてこないのであろう。

 

一方、女性も、「優しい」「頼り甲斐がある」「居心地の良さ」といった男性に相対

 

したときに、恋愛感情と性的感興が強まる傾向があるので、あまり若い男性には目が

 

行かない。

 

勝手な思いかもしれないが、「オヤジとの居心地良さ」の方が「オヤジの加齢臭」を

 

乗り越え、生半可な若造のそれより、まさっていると信じたい。

 

 

オヤジも、50歳を過ぎると「老いる」と言う過酷な現実を受け入れる事が出来ずに

 

「自分自身への自信喪失」を彼女の中に投影し、彼女の若い夫や架空の男に嫉妬する

 

こともある。

 

そして「こんなジジィを好きになる訳ないだろう。どうせ、お金が目的だろう」と真

 

実と邪推が入り混じった「混沌とした揺らぎの空間」に身を置かねばならない。

 

「都合のいいオヤジ」になりきるのにも、それなりの「雅量」が求められることは

 

確かだ。

 

 

オヤジの不倫では、身も心も不埒で、「たとえお金が目的であっても、可愛子ちゃん

 

と一緒に居られるならいいじゃないか」と思えるくらいが丁度良い。

 

個人的な感想だが、「都合のいいオヤジ」になるためには、「ごめんね」の連発と

 

「余計な質問」は、しないほうが賢明だ。
 

 

彼女が30分以上も遅刻して、思わず怒ってしまったときがあった。そして「怒って

 

しまってごめんね」と謝ると、「なんか私が悪い奴みたいだからさァ、もう謝らない

 

でェ」と言われ困惑したときがあった。また、余計な質問をすることで、ウザがられ

 

るのと同時に、質問の答えで、しなくても良い妄想に傷ついたこともあった。

 

 

だてに歳をとって来たわけではない。人生艱難辛苦を乗り越え、さらには失敗も色々

 

あった。それで落ち込むも、そのまま崩れず、また立ち上がり前に向かって明るく進

 

んで、今日に立ち至った。

 

高度な神経戦は、仕事でだけでもう充分だ。人生の後半戦くらいは、馬鹿に徹しても

 

いい。この「馬鹿になりきること」が、中高年をひとりの「男」としてを救い上げて

 

くれる一種の「エネルギー」なのではないかと彼女と出会って改めて気付かされた。

 

 

つまり、相手が好きで、恋愛関係を続けていきたいと願うのなら、「なにごと」にも

 

ひとつ、ひとつ、敏感に反応してはいけない。

 

男と女は同じ生き物ではない。抱く感情も含め、身体や生理の面では全く違う生き物

 

なのだ。「この事」を忘れては「都合のいいオヤジ」にはなれない。

 

 

いずれにせよ、年齢とともに何事も面倒くさがり、出来もしない立派なことを言って

 

時を過ごすことが、一番もったいない。何かを求めたり、誰かに「ときめいている」

 

限りそのオヤジは、たとえ「無様(ぶざま)」であっても「馬鹿オヤジ」であっても

 

青春時代に留まっているのだ。

 

だから、50代以上の男性にとって、彼女の「都合のいい男」でいることは、とても

 

素敵なことだと思うのである。

 

 

 

 

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