男の不倫は「泥だらけの純情」

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不倫は、良い意味でも、悪い意味でも「泥だらけの純情」だと言えるかも知れない。

 

男も女もお互いに知らない様々なところで「泥」をかぶっているし、泥をかぶれない

 

ようでは不倫などしてはいけない。

 

 

既婚であろうが、なかろうが「男」は、その女性が多少嫌いでも、一緒に飯くらい

 

は食えるし、酒の勢いで抱くこともできる。

 

しかし、既婚女性の論理では、嫌いな男とは最初から食事をしないし、する必要もな

 

い。ましてや情を交えることなどあり得ない。

 

不倫の原点というか、プリミティブな意味では、やっぱり男が加害者となる、女性を

 

強引に揺さぶって、更に様々な演出を講じて、その重い扉を開かせているので、そう

 

言われても仕方がない。

 

 

一方で、子育ても一段落し、自分を取り戻しかけた「女性の視点」から見ると、結婚

 

している、私みたいな「おばさん」を口説いてくれる人が居るなんて..... 。

 

こんな瞬間に出会えれば、結婚以来「自分に向けられた来た価値観も世界観」も変わ

 

るに違いない。

 

 

それまで淡々と日常を送って来た女性が、「その男」で出会うことで、いつの間にか

 

燃えて乱れる女性になっている。男は、その豹変に驚き呆れながら、一方でそのよう

 

に変えた自分に満足する。それが、ずばり「不倫」なのだ。

 

 

相手のことが、むしょうに気になって連絡を取るだけで、ときめいて、デートの前に

 

は、服装のコーディネートを考えるだけで嬉しくなったり、男も女もそれぞれ、本来

 

持ちうる「性」を取り戻し、前向きな変化が精神的も肉体的にも起こる。

 

安定した家庭と言う場所に軸足を置きながら、忘れかけた青春の青臭さと恋愛のドキ

 

ドキ感を思う存分味わうことができるのが不倫なのだ。

 

 

限られた条件のゆえに、一緒にいる時間も短いために、相手の嫌なところを見ないで

 

済む。お互いに良いところだけを見ることができる、考え方によっては、極めて理想

 

的な恋愛の形で、バランスのとれた「いいとこ取り」ができている。

 

 

既婚者は言うまでもないが、独身かバツイチで結婚に興味がない場合でも「不倫」は

 

おいしいところだけを味わえる「最高の恋愛」だと言える。

 

 

セフレというほど割り切れるわけでもなく、お互いに対して「責任」を負わないと

 

いう非常に都合が良い関係が成立している。だから「不倫こそ純愛だ」と思ってしま

 

う女性も少なくない。でも男は、決してそうは思えない。

 

何故なら、動機が極めて不純で「邪心のないひたむきな愛」からは程遠いものを起点

 

としているからだ。

 

 

そんな不倫の恋も、女が男に責任とか誠意を問いはじめたときから、自然さと純粋さ

 

を失っていく。本来、あるべき「男と女のこと」に於ける「平等」な立場も消えてし

 

まう。そこは、男がちゃんと「泥」をがぶっていることを信じてほしい。

 

 

「純情」の本来の意味は「純粋で邪心のない心」だ。でも、他の男性はどうか知らな

 

いが、僕の彼女への気持ちは「不純」で「邪心」にまみれている。もっとも、彼女へ

 

の「一途な想い」と「感謝の気持ち」には嘘はない。

 

そういう意味では「泥だらけの純情」と言うと、どこか「響」が、シネマティックで

 

僕の根源的な不埒さが希釈されるような気がする。

 

 

不倫は、基本的には「あってはならないこと」で、一歩間違えれば、周り巻き込んで

 

多くの人々を不幸にする阿修羅のごとき恋路だが、その危険を冒してまで、「して」

 

しまう理由がどこかにあるから、人は行動を起す。

 

きれいごとを並べれば、いくらでもあるが、9割がたは「非日常的な性愛」と「精神

 

的な隙間を埋めてくれる」この2点に集約される。二人だけで空間では、確かに純愛

 

と呼べるかもしれないが、その二人が、互いの良心という鏡に映れば、いっぱい泥に

 

まみれている。

 

 

そもそも論になるが、不倫の恋で、真面目で誠実でいい人なんて求めてはいけない。

 

互いに、不埒なくらいがちょうどいい距離感が得られる。

 

確かに真面目で誠実で、いい人は外見から見た場合はそれらは美徳のようにみえる。

 

だが、「非日常」を求める間柄では、その真面目さの裏側の「退屈」さ、人の良さの

 

裏側に見え隠れする「迫力のなさ」や「苛立ち」、それらが「あるきっかけ」で増幅

 

され、嫌悪感に変わるときが必ずくるからだ。

 

 

あるきっかけとは、単純だ。「男が女に金を使わなくなる時」と「女が新鮮さを失う

 

時」だ。男は、女に興味を失ってくると「金」を使わなくなる。恋が始まったころは

 

洒落た店で飯を食っていたが、女の性愛に飽きてくると店のグレードを下げてくる。

 

女の場合は、言葉遣いを含め、どこか立ち振る舞いに「倦怠感」が漂い始め、性技に

 

も手を抜き、反応も鈍くなる。終いには、ラブホで逢って、ラブホで、さよなら、と

 

なる。でも、考え方によっては、不倫の場合は、こういう自然消滅型が、一番理想的

 

だとも言える。後は、互いに墓場まで持っていけばいい。

 

 

女が怖いのは、なんらか形で「男の心移り」を感じ取ると開き直る、怖いもの知らず

 

になれるところである。事実、僕の友人が女と別れ話をした翌日、彼女は笑顔で花束

 

を持って彼の奥さんにお礼参りをしに来たという。

 

迷いながらも女は一旦こうと決めたら、全てを投げ捨てて目的へ向かって突っ走る。

 

この過激でラディカルなところが、女の強さと怖さの原点である。

 

 

これに比べれば、男の強さなどは知れている。威丈高に声を荒げ、もっともらしい

 

理屈を並べ立てるが、いざとなると途端に弱気の虫にとりつかれて逃げ腰になる。

 

腰がすわっていないというか、どっちつかずというか、周囲や世間体ばかり気にして

 

最後は、「やり逃げ」を悟られないように「丸くおさめる」ことばかり考えている。

 

 

そして、女一人ごときに振り回されから「男」なのである。女に逃げられても慌てふ

 

ためかないようでは、まっとうな男とは言えない。この「慌てふためく姿」にこそ

 

男の「贖罪」が込められ、泥だらけの純情が垣間見えるのである。

 

 

男は、ややもすれば虚無や逸楽に流されて遊ぶのに、女は、そこまで身をもち崩さず

 

例え、いっとき恋の灼熱地獄に身を焼いても、また、何かを築き上げ、創りだしたい

 

未来に結実するものを求めていく。いつまでも泥になどまみれていやしない。

 

 

だから、女は、ボロボロになってしまった男を横目に、どんな恋愛であれ「結果」に

 

かかわらず、終われば一皮むけて、新しい「美しさ」を身につける「怖い」生き物と

 

言える。

 

 

 

 

 

 

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