ネットをチェックしていたら「不知倫太郎という男は、話の全く通じない男で、不倫

 

を煽(あおる)るブログを書いているひどい奴だ」的な書き込みに出会った。

 

いやな予感がして「不倫を煽るブログ」で Google で検索をかけてみると、幸か不幸

 

か「最上段」に僕のブログの名前が出ていた。

 

 

今さら、言い訳でもないが、僕は決して「不倫を煽るブログ」など書いてはいない。

 

不倫をしなくても済むなら、それに越した事はない。僕が書いているのは、男性側の

 

「想い」を含め、奇しくも不倫に身を置いてしまった「女性の様々な想い」をシェア

 

しながら、「人間の品性」と「不倫をしてしまう心模様」は、全く別の次元の「事」

 

あること、そこには「ことの善悪や道徳、そして倫理では割りきれない」様々な背景

 

があることを、少々小難しい文面であるが、リアルタイムの経験も含めて僕になりに

 

表現しているだけなのだ。

 

 

また、婦人公論も含め最近の様々な雑誌等を読んでみると、大方の評論家と称する

 

人々は「個人的には不倫を推奨はしないが、否定もしない」と口を揃える。おそらく

 

不倫は、もう現実に「ここにあるもの」だし、神代の昔から人間の自然の営みとして

 

事の善悪を越えて延々と受け継がれきた「人間の業」であるからだろう。

 

 

むしろ彼らは、このところの過剰なまでの「不倫バッシング」の裏に何があるのかの

 

方に興味を持ち、その「凄まじく正義に組し過ぎる人々の姿」に懸念を感じているよ

 

うだ。その理由は「そもそも人間という生き物は、それほど清廉潔白な日常を送って

 

いるのだろうか」という根本的で、単純な疑問が根底にあるからに違いない。

 

 

そもそも結婚したら、ずっと同じ異性としかセックスをしてはいけないということに

 

無理があることや、正常な感覚を持つ人間だったら、同じ人を相手にしていたら性的

 

幻想というかファンタジィも減って、興奮しなくなるのが当然で、そんなことは「自

 

分の中で昇華させて」誰にも迷惑を掛けず「秘なる花」として、闇から闇へ葬りさる

 

ことができる「大人」しか「してはならない恋」と、その凄まじく正義に組し過ぎる

 

人々には知って欲しい。

 

 

一方、世間でも、ベッキー騒動で始まった「不倫糾弾合戦」は、三遊亭円楽師匠の

 

「今回の不倫騒動とかけてまして、今、東京湾を出て行った船と解く。その心は?

 

ただいま航海(後悔)の真っ最中」という爆笑記者会見を経て、さらに「渡辺謙氏の

 

不倫謝罪記者会見取り止め」をもって、どうやら終息を迎えた感がある。

 

 

世間から不倫バッシングの嵐が去ったところで、改めて「秘する恋」の理想的な有り

 

様を考えてみる。

 

僕のブログに於いて、不倫を「自分の成長」としての一つの手段と捉えている多くの

 

投稿者が、真っ先に口にするのは「自立」という言葉だ。つまり「自分の意見を通す

 

闘い」で、より精神性の豊かな恋愛を得る闘いが女性には必要だということだ。

 

 

今までは、相手の男の「期待」に応えるためのストレスがあった。男の「期待」に沿

 

うようなことをするために必死だった、無理をしていた。

 

それは大変なストレスに違いなかった筈だ。今までは、男の好意を得て、その好意で

 

自分を守ろうとしていた。つまり、相手の男に自分を守って貰おうとしていた。その

 

為のイライラとストレスである。

 

男への迎合は、一種の依存性からくる「怯え」でもあり、その怯えから、男の理不尽

 

な期待にまで必死で応えようとしているのだ。それは「好きな男の合理的な期待」に

 

応える女の喜びとは全くの別物なのだ。

 

 

ここで勘違いして欲しくないことが一つある。真っ当に生きてきた男は「相手の女性

 

に期待は、もともとしていない。出会った時の`等身大の貴女`に、惚れているので

 

あるがままの貴女を受けいれ、そんな無理をしない「自然な貴女」が好きなのだ。

 

 

「男に媚び過ぎているな」と思う女性は、「自分の意見を通す闘い」を今すぐ始める

 

べきだ。自分の「自立性」を獲得し始めたときには「健康的で、前向きなストレス」

 

をきっと感じることだろう。

 

それは、自分の本当の気持ち・意見を述べるストレスであり、自分の意見を通すため

 

のストレスである。「意見を述べるストレス」と「自分の意見を通すため」のそれは

 

決定的に違う。「述べる」だけなら簡単なことだ。

 

依存性から脱して絶対にもうこの男に屈服しないという「決意」から生じてくる極め

 

て健康的なストレスである。

 

 

今までは、男に迎合することで好意を得て生き延びようとした「卑屈な闘い」の連続

 

であった。しかし、自立性を獲得するということは、男の好意を得るために闘うので

 

はなく、「自分の意見を通す為」に闘うのである。従って、結果がどうあれ「相手の

 

男」を恨まない覚悟が求められる。

 

 

今までの貴女は、これだけことを貴方にしてあげたのだから「貴方はコレだけのこと

 

を私にしてくれるのでしょうね」と当然のように思っていた。そして、貴女が望んだ

 

ものや、行為が得られないときには相手の男を恨んだ。

 

よく、このブログでも話題になった「返事の来ないメール」や「LINE既読スルー」の

 

問題がその典型だ。

 

 

しかし、自立性を意識した心理状態になると、する事すべてが「自分ファースト」に

 

なる。だから何事も、「自分がしたいから、したのだ」となる。相手の男に何をして

 

あげようと、先ず、恩義せがましくなくなり、重い女から脱する事ができる。次に男

 

を以前に比べて、恨めしく思わなくなり結果として「関係」がうまくいくようなる。

 

 

自立性は、不倫に限らず「生きる」土台である。相手に合わせて生きていれば、一見

 

その時その時は人間関係はうまくいっているように見える。しかし、それは土台のな

 

い生き方でもある。それは、いつかノイローゼと言う形で崩壊に向かうことになる。

 

 

ある性科学者の「不倫は人間として避けられないものであるが、健全であるべきだ」

 

という主張には、おおいに感銘を受けた。

 

健全という意味は、言うまでもなく「お互いが精神的に大人」であるということだ。

 

交際中のどちらか一方に「もう、そろそろ止めにしない」と切り出されたら、笑って

 

「そうだよね、今までありがとう」と素敵な思い出だけを胸に、すっとお互いの関係

 

を絶つことだ。

 

お互いに背中に、決して軽くはないものを背負っている以上、ここで「別れの理由」

 

を根掘り葉掘り問い詰めるのは「野暮な話」だ。

 

一時期とはいえ、「愛し合った仲」なのだから、きっとそんな別れは辛すぎる筈だ。

 

でもそれが出来るのが「大人の恋」いうものだと僕は思う。

 

 

 

 

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