「浮気」という言葉は、明治時代以前は「男」に対する言葉でしかなかった。

 

そして、それは言うまでもなく男が妻以外の女と性愛に浸ることであった。「家」が

 

あり「妻」がいる。家庭内の実情がどうあれ、そこは、男にとっては魂の「原点」で

 

あり、揺るぎない「本気」であった。

 

家庭には、男の「本気」が厳然と存在していたからこそ、相対的に「浮気」があっ

 

たと言える。

 

 

これに対して女には「浮気」という言葉は存在しなかった。というより時代背景とし

 

て、それは存在そのものが許されなかった、と言ったほうが正しいのかも知れない。

 

「女」は一人の男を愛し、嫁しては一人の男に尽くし、家を守るものだと考えられ

 

教えられた。

 

女という性は、当時のモラル・倫理と蔑視にがんじがらめに縛られ、女の本性とは全

 

く別のところで「女は浮気すべきではないし、する能力も持たない」と男社会の中で

 

勝手に社会通念化されてしまった。

 

だから女には、命がけの「不義密通」はあっても浮気はなかった。つまり、女の浮気

 

即、本気であった。女の浮気はすなわち「死」を意味していた。

 

 

しかし、この概念は明治時代以前のものは言え、平成の時代にも一脈通じているも

 

のがある。いや、考え方よっては、なんら変わっていない。男は不倫をするとき「家

 

庭を捨てる気はない」と考えているし、バレれば、妻に土下座し謝れば「今回だけだ

 

からね」と、概ね許してもらえる。

 

世間にも「ちょっとくらいの浮気は、いいじゃないか、女に飽きたら戻ってくるよ」

 

と男をかばってくれる空気感みたいなものがある。

 

この空気感は「家と妻が、男にとっては魂の原点であり、揺るぎない本気であるこ

 

と」を周り人間たちが「文化」として身に沁みて理解しているところから来ている。

 

 

しかし「女」に対しては依然厳しいものがある。人妻なら場合によっては家庭も子供

 

も奪われる。まさに「死」に近い状況まで追い込まれる。

 

不倫に於いて、男と女とは、その重みはまるで違う。そういう意味では、明治以前と

 

ほとんど変わっていない。

 

しかし、本来の女の性は、一人の男によって成熟されられるものであって「浮気」を

 

好んでするものではない。

 

長い間「女は浮気すべきではないし、する能力も持たない」と男社会の中で信じられ

 

てきたのも、詳細は割愛するが、男女の生殖機能と構造から見ても、まんざら生理学

 

的には根拠がない話ではない。

 

 

実のところ、一組の男女の「初めての逢瀬」は、男にとっては性感の頂点であるのに

 

対して、女にとっては「性感のスタート」なのではないかと、僕の彼女を7年間見て

 

いてそう思うようになった。

 

二回目以降の男の快感は、上昇することなく、あるのは女の精神的な部分と豹変ぶり

 

へ興味だが、女は着実に性感そのものを深めていく。

 

 

彼女は数年前に結婚したが、若い夫は早目にその性に緊張感と興味を失い、セックス

 

レスになった。しかし、彼女のそれは醒めていなかった。それは「僕」と出会うこと

 

で、性感という素晴らしい坂道を知り、今なお昇り続けているからに他ならない。

 

 

僕のような年齢を重ね、熟練した男が彼女にこの素晴らしい坂を教え、丁寧にそして

 

着実に昇らせていけば、彼女はその坂を昇り続ける。昇りながら彼女は、自ずから

 

「この人によって私は坂を登らされている」と思い、やがて「この人でなければこの

 

坂は登れない」という自己暗示に掛かる。

 

かくして一人の男と長い間、性の愉悦を知った女は「その男のやり方」でなければ満

 

足に達しなくなり、精神以前に肉体がまず馴染み慣らされいく。

 

 

彼女のこの快感のあり方に対して、彼女の若い夫が誠実に、そして、一途に「妻」の

 

その快感が開花するまで、その坂を昇り切るまで彼女の性に興味を持ち続けていたな

 

らば、僕のような初老の男と「こんな風」にはならかったはずだ。

 

 

彼女が、僕と「こんな風」になったのは、「夫」つまり、定まった男との間に精神的

 

肉体的充足ないからである。仮にあったとして不充分なのだろう。無いから、他へ心

 

が移ろうし、不足だから他へ心が惹かれる。

 

 

出会った当時、彼女からオナニーをしていると聞いて驚いた。「なんで」と聞くと

 

「自分ではどうも不足している思し、もっと素晴らしい充足がきっとあると思う」と

 

笑った。それ以上詳しくは聞きたくなかったし、野暮な質問はするべきではない、と

 

思い、その話はそこでやめた。

 

 

おそらく別の人なら満たしてくれる、かと言って同年代の男性には自分の淫蕩さ・痴

 

態は見せたく無い。彼女は、人生の機微を熟知した、この目の前の初老の男性なら

 

「ありのまま自分」を曝け出しても、きっと受け入れてくれるに違いない、と思い

 

「女心」が揺らいだのかも知れない。

 

 

一般的に女性は、道徳や倫理が好きだ。ましてや、妻の身で、初老の男性に気を許し

 

てはいけないと思ったはずだ。しかし、男から、ニの矢、三の矢が次々に放たれると

 

「芽生えた揺らぎ」はさらに大きくなってしまい、「女」を開いてしまった。

 

そこを狙って人生の酸いも甘いも知った男は、さらに強力な矢を放つことになる。

 

充足されることに貪欲な彼女は、ここで「一つの決心」の下(もと)に浮気という

 

状態に飛び込む。その決心とは「言い訳」である。女には兎角何であれ理由が必要

 

だ。彼女曰く「だって私たち夫婦は、セックスレスだから」。

 

 

この言い訳じみた台詞は、女性の強固な道徳観を解きほぐす為の必要な手続きとな

 

る。「女は男次第」と言われるが、彼女をせっかくのぼりかけた坂に置き去りにし

 

自分の妻を他の男に走らせた「夫の責任」は決して軽くはない。

 

 

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