虚飾を捨てた「倫理観ゼロの男」

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それは「倫理観」をどのくらい持っているかが、最終意思決定に影響を与える。言う

 

もまでもく、不倫なんてする男は、倫理観はゼロに等しい。倫理感より「雄としての

 

動物的本能」の方が優先しているからだ。

 

有名人や社会的立場のある男たちが、不倫騒動が報道される度にそう思うのは、僕

 

だけではないと思う。

 


「男の不倫」は、まことに不埒極まりない。基本的には、ただただ「男の本懐」を遂

 

げたいだけだからだ。前にも申し上げたが、生きた精子を顕微鏡で見ればお分かりの

 

ように「ピチピチして非常に活動的」と言う表現をはるかに超え、危険なまでに生々

 

しく落ち着きがない。

 

わずか一個の卵子に対して、健康な男子であれば、一回に数億個の精子が放たれる。

 

そして一斉に、ひたすら「たった一個の相手」に対して立ち向かって行く。

 

そして、たった一匹の精子だけが「その本懐」を遂げ、残り数億個は、頭を揃えて

 

討ち死にだ。

 

男と言う生き物は、ただただ「本懐」を遂げたいだけで、口説いてくる。本能的に

 

数億個の精子の如く、種の保存法にかなって、その行動たるや、はなから討ち死覚悟

 

のダメ元の極みだ。

 

 

「不倫したい」と声を掛ける相手は、イイ女だけではない。いやむしろ、「やらせて

 

くれそうな女」が方が主流かもしれない。そして「ダメ元」で声をかけ回る。

 

がしかし、あまりダメージが無い。卑怯にも、妻子持ちは「自分には妻がいる

 

し、帰る家庭もある」と、どっか頭の隅で思っているからだ。

 

やがて、その女に継続性を感じれば、ただ「妻以外の女」とやりたいだけの「その

 

想い」を平気で、ロマンティックな「恋物語にすり替えてくる」から女もその本質を

 

見誤る。

でもこういう「倫理観ゼロの男」は、自分が「不埒もの」と分かっているから不倫

 

の原因を「女」のせいにしたり、言い訳もしない。そしてどっか「男の優しさ」が

 

見て取れる。さらに、己を知っているだけに、不倫の危うさ「男と女のこと」も知っ

 

ている。だから事前に、あらゆる手を打っているのでバレることがほとんどない。

 

気遣いと優しい嘘に長けているから、家庭のマネジメントもしっかりしている。ある

 

意味「等身大」で生きているとも言える。

 

他方「倫理観」が満点に近い男は、不倫に対して非常に抵抗感がある。だから「不倫

 

なんてするものか」と頑張る。彼は絶対に「不倫は火遊び」「女遊びは芸の肥やし」

 

「浮気は男の甲斐性」なんて絶対言わない。

 

でも、彼のこの醸成された倫理観は、生まれ持ったものではない。両親や学校による

 

道徳教育、或いは宗教上の教えや周りの友人たちの倫理観に根ざしている。だから

 

「雄」として本能前には、倫理観が強い分だけに、柔軟性に欠け非常に脆い。

 

倫理観の強い男が、避けられない自然災害のようなアクシデントで、不倫をしてしま

 

うと「不倫をしている自分」と「罪悪感に苛む自分」の間で「本当の自分」を見失う

 

ことになる。不埒な自分を受け入れられないのだ。

 

「不倫をしている」という現実の自分と「不倫などすべきではない」と思う理想的な

 

自分と二人の自分が、己の自身の中で向き合うことになる。

 

こういう場合、自身の中で「矛盾する認知」を同時に抱えた状態を解消する為、男は

 

都合の良い口実を使って自分を正当化する行動にでる。

 

「妻がもう女でなくなった」「あんなイイ女に誘われたら誰だって不倫しちゃうよ」

 

「人生の最後くらい好きにさせてくれ」「婚外恋愛はいいでしょう」と言った形で

 

自己正当化することになる。こういう男に限って、修羅場になると「自分は悪くない

 

あの女悪い」と言い出す。

 

 

精神性を求められる「大人の不倫」は、あくまで当事者のだけの問題で、瀬戸内寂静

 

氏の言うように「天災」なのであって、そこには「必然性」はあって「理由」などは

 

存在しない。

 

 

たとえ不倫の恋であっても、いやむしろ、不倫の恋だからこそ「その想い」を秘なる

 

恋として相手の女性が、その胸の内にだけに溜めさせて置くことが出来る「環境」を

 

男は整える責務を負っている。倫理観ゼロの男は、その辺の「男と女のこと」は百も

 

承知している。虚飾を捨ててる分だけ「粋な恋愛」を知っている。

 

 

つまりこう言う事だ「相手の女性が、秘めごとは秘めごととして、自分の心の中で

 

その事をきちんと理解・消化し、抱え込み続ける」環境を彼女に対して作ってあげる

 

られる余裕を持っている。その為には「倫理観を捨てることになんの迷いもない男」

 

に徹しなければ相手も己の家庭も不幸にする。一旦「道を外れた恋」に身を投じたら

 

周りに影響され、突然「正義の仮面をつけて、まことしやかに正論をかさず」ような

 

男であってはならない。

 

 

妻や家庭を背負いながらも、敢えて不倫に挑むなら倫理観ゼロの男としての「度量」

 

身に付けなけれならないと信じる。世間に抗う確信犯たるその男は、同じ罪を背負わ

 

せることになる女性に対しては「醸成された配慮」が求められる。それは、ワインの

 

製造過程とよく似ている。男は「彼女への恋慕の想い」をためおいて、自分の心の樽

 

の中でじっくり寝かせワインのような芳醇な香りを放つまで、充分に発酵させなけれ

 

ばいけない。生半可な倫理観があると「発酵菌」は育たない。

 

 

 

倫理観満点の男は、自分自身の中に「矛盾」を抱えているから、彼女が抱く、彼の妻

 

への嫉妬、自分の夫や家族への罪悪感、他人の目を気にしなければならい日々が続く

 

不安等、様々な「不安」を理解できない。

 

きちんと対応出来ないから「秘なる恋」が内側から崩壊し、修羅場を演じることにな

 

るのだ。自分の都合と欲望だけが先に立ち「倫理観という壁」で周りが見えなくなり

 

相手の女性の不安や妻への優しい配慮が疎かになってしまう。

 

 

「学問を極めるには、自分が無知であることを認めることだ」言われるが、それと同

 

様に、誰も不幸にしない不倫を本気で目指すなら、求めるなら「自分は、倫理観ゼロ

 

の男」であることを認め、それに徹しなけれならない。

 

不倫に於いて、生半可な倫理観ほど始末に悪いものはない。倫理観ゼロの男になると

 

いうことは、同時に、不倫相手の女性に対する本当の「覚悟」が求めれるということ

 

でもあるからである。

 

 

「女の不倫」は、相手に「理想」を託してくる傾向がある。女の不倫は、どこか「純

 

粋」で痛々しい。彼女の不倫は純粋になればなるほど、エゴイスティックで身勝手な

 

ものになる。世間とか正直を忘れ、自分と相手だけの閉ざされた世界にはまる。

 

いや、もっと進むと最後は相手の男の思惑も見えなくなり、自分だけ孤立して、なお

 

走り続けていく。そして彼女たちの「罪悪感でいっぱいな不安な一人芝居」は、相手

 

が送って来たメールや電話の一言で凌いでいくことになる。

 

 

先ほどの精子の話に戻るが、数億個の精子が堅固な城壁に乱入してくる中、卵子は

 

真っ先に自分にたどり着いたついた勇者だけと契りを結び、その瞬間に城壁のすべて

 

の門を閉し、そのたった一個の勇者と愛を育む。

 

だから女性が不倫に落ちると、独身であろうが、人妻であろうが相手に対して、自分

 

にとっての理想像を観てしまうようだ。

 

 

性の原点というか、プリミティブな形では、やはり「男」が加害者というか、女性を

 

強引に揺さぶって、やがて性的に成熟した女性が出来てくる。こういう過程を経なけ

 

れば成立しない不倫関係において、男は中途半端な正義感や倫理観は持つべきではな

 

い。あらゆる虚飾を捨て「倫理観ゼロの男」に徹するべきではないだろうか。そうで

 

ないと、僕達につまずいてしまった女性との向き合い方が見えてこない。

 

 

 

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