2011年12月11日(日) 22時00分16秒
9ヶ月
テーマ:ブログ
なんだかようやく、「時間の流れ」が感じられるようになった。
3月のあの日が、あっと言う間だったような、もうそんなに経ったんだ、というような。
そんな時間の経過に対する感情が、「普通」に感じられるようになってきたのだと思う。
また冬がやってきた。
夏も、秋も、地元へは帰れなかったから、どうしているのかな。
地元のニュースは、チェックはするようにしている。
でも、きめ細かな情報はなかなか伝わっては来ない。
相変わらず、見つかっていない同級生のその後の情報も入ってこない。
地元にいるみんなも、それぞれの生活を取り戻すので精一杯なんだろう。
被災地では来年のお正月を、どんな風に迎えるんだろう。
年賀状は出さないし送らない人が圧倒的に多いんだろう。
私も、どうしたら良いものやら考えあぐねる。
成人式やら同窓会やらは、どうするんだろう。
やってもやらなくても、きっと気持ちは同じなんだけれど。
…帰りたいな。
…会いたいな。
そういえば9ヶ月も経ってから、昔付き合ってた人の安否確認をしていないことに気づいた私…。
思い出しもしなかった…3年も付き合ってたのに!
まぁ10年以上前のことだからね…と思いつつ、
自分の超薄情な一面にちょっと凹みました。
震災の当時は名前くらい検索したっけな?
知ってる人の名前はとにかく片っ端から検索にかけた。
お世話になったGoogleのParson Finderを久しぶりに開いたら、
いつの間にかサービスが終了になっていた。
なんだか、色々なことが終わって行くような感じがして、少し苦しくなった。
少しずつ、震災前の生活に戻りつつあって、
少しずつ、出来る事はなくなっていって。
だけどけして、忘れることなんか出来ない。
以前のようには戻らない。
先日取材したとあるファッションブランドのお店を経営している方が、
「復興支援チャリティーの企画をしたい」と話をしてくださった。
「3月の当時、色んな企業が一斉に動いたけど、
半年経ったら半分以下に鎮静するだろうと思っていた。
でもその後も必要としている人は(支援をしたいという人も)絶対にいるはずだから、
体力を温存しておいて、半年後以降に動こうと決めていた。
今、復興のために必要なものは何だろうか?」と。
あの混乱期にそんな判断をする人がいるのだということ、
いまでも、被災地のために動こうとしてくれている人たちがいるのだということに
胸が熱くなった。
しかし、大船渡周辺や私の知る限りの情報では、
個人や小さな商店規模の支援はすでに「心のケア」方面にシフトしており、
具体的な活動で資金を必要としている動きがつかめなかった。
そこで、3月の当時に私を支援してくれた方で、
現在も宮城県の亘理町で瓦礫撤去ボランティアを継続されている方を紹介し、
その店舗でのチャリティー支援金の使用先として話がまとまったそうだ。
私はそのボランティアの方に、たくさんの助けをいただいたが、
一度もお会いしたことはない。
そのお店と亘理町のボランティアセンターは、何の接点もない。
だけどこうして、人と人が確かに結びついて、
支援の縁というものが繋がれていくのだから感動してしまった。
そして私は、この気違いじみた業界を引退することにした。
ディレクターとしていくつかの小さな番組は残したものの、
まだまだだったが、未練はない。
6月以降、通常のまた多忙な日々に逆戻り。
一度も地元にも帰れてないし、調べたり何かしたりする
プライベートな時間もないことに限界を感じていた。
きちんと時間を作って、自分が今一番向き合いたいものに向き合おう。
そう決めた途端、岩手に本社がある企業から声がかかった。
「被災地に雇用を創出するから、手伝ってほしい」
これからは、個人的な支援をする段階ではない。
(もちろん、まだ必要としている人たちは確実にいる)
雇用や教育の再構築に向かっていかなくてはならない。
逆に言えば、いつまでも寄付だの支援だのをしていてはいけないのだ。
そして、今一番必要と思われるもの…「雇用」
その仕事に関われるというのだから、
こういう言い方は語弊があるが、私はラッキーなのだと思う。
そして、せっかくこういう機会を与えられたのだから、
やらなくてはならないのだと思う。
もっと現地の声が聞きたい。その声を求めている人たちに伝えたい。
孤独になんかさせない。
と言っても、岩手に帰るわけじゃないんだけどね。しばらく東京起点で。
(基盤が出来て必要になったら、盛岡か仙台に移動するかもしれないけど)
私、OLになります!
それともう一つ、震災1年の3月11日に向けて、
やりたいことが動き出しています。
それはまた、具体的に決まったらお知らせします。
毎日JPより
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/2011sanrikuoki_eq_iwate/?1323263537
岩手県警は7日、大震災発生直後、陸前高田、大船渡両市の沿岸部を津波が襲う様子を同県警航空隊のヘリコプター「航空いわて」が撮影した映像を公開した。
【動画】岩手県警が撮影した津波映像
http://video.mainichi.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48227968/48227968peevee438140.flv?inb=yt
ヘリは3月11日の地震発生直後、内陸の花巻空港から出動し、発生から約30分後の午後3時20分ごろから約30分間撮影された。津波が大船渡湾の湾口防波堤を乗り越えて、押し寄せ、湾内で渦巻いている様子が映し出されている。また、陸前高田市の市街地が水没し、高田松原も完全に姿が見えない。その後、市街地を襲った津波が海に向かって帯状に激しく引いていく様子も分かる。【安藤いく子】
映像は、まだ全部は観ていない。(30分くらいある)
映像の出だしから私の生まれ育った町から始まっていて、全部観るまで気持ちが持たなかった。
でも、近いうち、ちゃんと全部観たい。
3月のあの日が、あっと言う間だったような、もうそんなに経ったんだ、というような。
そんな時間の経過に対する感情が、「普通」に感じられるようになってきたのだと思う。
また冬がやってきた。
夏も、秋も、地元へは帰れなかったから、どうしているのかな。
地元のニュースは、チェックはするようにしている。
でも、きめ細かな情報はなかなか伝わっては来ない。
相変わらず、見つかっていない同級生のその後の情報も入ってこない。
地元にいるみんなも、それぞれの生活を取り戻すので精一杯なんだろう。
被災地では来年のお正月を、どんな風に迎えるんだろう。
年賀状は出さないし送らない人が圧倒的に多いんだろう。
私も、どうしたら良いものやら考えあぐねる。
成人式やら同窓会やらは、どうするんだろう。
やってもやらなくても、きっと気持ちは同じなんだけれど。
…帰りたいな。
…会いたいな。
そういえば9ヶ月も経ってから、昔付き合ってた人の安否確認をしていないことに気づいた私…。
思い出しもしなかった…3年も付き合ってたのに!
まぁ10年以上前のことだからね…と思いつつ、
自分の超薄情な一面にちょっと凹みました。
震災の当時は名前くらい検索したっけな?
知ってる人の名前はとにかく片っ端から検索にかけた。
お世話になったGoogleのParson Finderを久しぶりに開いたら、
いつの間にかサービスが終了になっていた。
なんだか、色々なことが終わって行くような感じがして、少し苦しくなった。
少しずつ、震災前の生活に戻りつつあって、
少しずつ、出来る事はなくなっていって。
だけどけして、忘れることなんか出来ない。
以前のようには戻らない。
先日取材したとあるファッションブランドのお店を経営している方が、
「復興支援チャリティーの企画をしたい」と話をしてくださった。
「3月の当時、色んな企業が一斉に動いたけど、
半年経ったら半分以下に鎮静するだろうと思っていた。
でもその後も必要としている人は(支援をしたいという人も)絶対にいるはずだから、
体力を温存しておいて、半年後以降に動こうと決めていた。
今、復興のために必要なものは何だろうか?」と。
あの混乱期にそんな判断をする人がいるのだということ、
いまでも、被災地のために動こうとしてくれている人たちがいるのだということに
胸が熱くなった。
しかし、大船渡周辺や私の知る限りの情報では、
個人や小さな商店規模の支援はすでに「心のケア」方面にシフトしており、
具体的な活動で資金を必要としている動きがつかめなかった。
そこで、3月の当時に私を支援してくれた方で、
現在も宮城県の亘理町で瓦礫撤去ボランティアを継続されている方を紹介し、
その店舗でのチャリティー支援金の使用先として話がまとまったそうだ。
私はそのボランティアの方に、たくさんの助けをいただいたが、
一度もお会いしたことはない。
そのお店と亘理町のボランティアセンターは、何の接点もない。
だけどこうして、人と人が確かに結びついて、
支援の縁というものが繋がれていくのだから感動してしまった。
そして私は、この気違いじみた業界を引退することにした。
ディレクターとしていくつかの小さな番組は残したものの、
まだまだだったが、未練はない。
6月以降、通常のまた多忙な日々に逆戻り。
一度も地元にも帰れてないし、調べたり何かしたりする
プライベートな時間もないことに限界を感じていた。
きちんと時間を作って、自分が今一番向き合いたいものに向き合おう。
そう決めた途端、岩手に本社がある企業から声がかかった。
「被災地に雇用を創出するから、手伝ってほしい」
これからは、個人的な支援をする段階ではない。
(もちろん、まだ必要としている人たちは確実にいる)
雇用や教育の再構築に向かっていかなくてはならない。
逆に言えば、いつまでも寄付だの支援だのをしていてはいけないのだ。
そして、今一番必要と思われるもの…「雇用」
その仕事に関われるというのだから、
こういう言い方は語弊があるが、私はラッキーなのだと思う。
そして、せっかくこういう機会を与えられたのだから、
やらなくてはならないのだと思う。
もっと現地の声が聞きたい。その声を求めている人たちに伝えたい。
孤独になんかさせない。
と言っても、岩手に帰るわけじゃないんだけどね。しばらく東京起点で。
(基盤が出来て必要になったら、盛岡か仙台に移動するかもしれないけど)
私、OLになります!
それともう一つ、震災1年の3月11日に向けて、
やりたいことが動き出しています。
それはまた、具体的に決まったらお知らせします。
毎日JPより
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/2011sanrikuoki_eq_iwate/?1323263537
岩手県警は7日、大震災発生直後、陸前高田、大船渡両市の沿岸部を津波が襲う様子を同県警航空隊のヘリコプター「航空いわて」が撮影した映像を公開した。
【動画】岩手県警が撮影した津波映像
http://video.mainichi.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48227968/48227968peevee438140.flv?inb=yt
ヘリは3月11日の地震発生直後、内陸の花巻空港から出動し、発生から約30分後の午後3時20分ごろから約30分間撮影された。津波が大船渡湾の湾口防波堤を乗り越えて、押し寄せ、湾内で渦巻いている様子が映し出されている。また、陸前高田市の市街地が水没し、高田松原も完全に姿が見えない。その後、市街地を襲った津波が海に向かって帯状に激しく引いていく様子も分かる。【安藤いく子】
映像は、まだ全部は観ていない。(30分くらいある)
映像の出だしから私の生まれ育った町から始まっていて、全部観るまで気持ちが持たなかった。
でも、近いうち、ちゃんと全部観たい。






