2012年02月13日(月) 18時10分21秒
テーマ:真面目なラヂヲ
土にカエらない
ふざけた話と受け取ってもらっても構わない。
雪文を構成する要素の中に「消費されない」というテーマがある。
極端な話し、そのモノが消費されるということは、そのモノが奪われるということである。
私たちは、ひとつ¥300そこそこのアイスクリームを年間ウン万個と売りさばき経済の活動をしている。
そして、経営上、目標値とされる数は、現在の桁をふたつもみっつも増やすことが求められている。
けれど、雪文では消費させない。
とはどういうことだろうか?
売らない。と。売れないは、限りなく近しいけれど決定的にベクトルが真逆だ。
いま思いつく限り、お医者さんはそうかもしれない。
薬や道具を消費しているかもしれないけれど、技術で命を救うことができる。
だから、人を殺したくてお医者さんになる人がいたとしたら、それはサスペンスなんだろうけれど、普通、お医者さんは命を消費しない。
もしかすると、宗教もそういうことなのかもしれない。
アイスクリームは消費されるモノだ。
しかも、あっという間に溶けてなくなる。が、どんな食品でも販売するにあたって、誰しも直面する問題にほかならない。
細かく分けて考えてみよう、雪文が作った商品は人で例えると「命」にあたる。
等価交換が成り立ち、その商品が買い手の胃袋に入る。
食べ物の美味い不味いは胃袋に収まる瞬間、それぞれの舌の味蕾とその人の感性によって判断が下され、人を幸せにもし、不幸せにもする。
問題は、雪文が生み出した商品の価値はどの時点、または何時の時間、そして何処で消滅するのかということなのである。
ここに健康によいと謳われる商品の価値が存在する。
食べる→美味しい、美味しくない(は関係ない)が判断される(普通はここで終わり)→その食べモノの成分が身体の健康をよくなったとする→命に代えがたい価値が生まれる
通常、食べ物の価値判断は食事中に行われるものであるが、健康食品はその判断を下されるまでの時間が長い。
ありきたりな見方をすれば、健康食品の価値は実際に効果があるかどうかで決まると思われるかもしれないけれど、消費される商品価値の観点から見れば、普通の商品にない時間軸の存在というものも、そのモノの価値と私は考える。
マクロな視点で汚い言葉を許していただけるのであれば、いつだって食品は消化され栄養となり、便となり地球に還元される。
そして、このサイクルを行えない人間は死ぬ。
私たちに残された時間は一体あとどれくらいあるのか。私は死ぬまでに何を知り、何を作り、そして捨てていくのだろうか。
かっこいいセリフを書いてみたのは、そろそろこの記事を終わりにしようと考えているからである。
私のブログはいつも長ったらしく、読みづらいと言われるからである。
だから、続きはいつか書こうと思う。
待てない人は、直接私を探してくれて構わない。
雪文のアイスクリームというパッケージングされた商品には、この常識に抗う試みがなされている。
人口が大幅に減少し、絶対的に消費されない時代が雪文にも訪れるのは明白である。
そのことを私が今考えずに誰が考えてくれるというのか。意識するだけでいい。
魔法のように「時を超えて」アイスはアイスで在り続ける。
ぼくが、サボり、行方不明になる理由も実はそこにあるのだから。
雪文を構成する要素の中に「消費されない」というテーマがある。
極端な話し、そのモノが消費されるということは、そのモノが奪われるということである。
私たちは、ひとつ¥300そこそこのアイスクリームを年間ウン万個と売りさばき経済の活動をしている。
そして、経営上、目標値とされる数は、現在の桁をふたつもみっつも増やすことが求められている。
けれど、雪文では消費させない。
とはどういうことだろうか?
売らない。と。売れないは、限りなく近しいけれど決定的にベクトルが真逆だ。
いま思いつく限り、お医者さんはそうかもしれない。
薬や道具を消費しているかもしれないけれど、技術で命を救うことができる。
だから、人を殺したくてお医者さんになる人がいたとしたら、それはサスペンスなんだろうけれど、普通、お医者さんは命を消費しない。
もしかすると、宗教もそういうことなのかもしれない。
アイスクリームは消費されるモノだ。
しかも、あっという間に溶けてなくなる。が、どんな食品でも販売するにあたって、誰しも直面する問題にほかならない。
細かく分けて考えてみよう、雪文が作った商品は人で例えると「命」にあたる。
等価交換が成り立ち、その商品が買い手の胃袋に入る。
食べ物の美味い不味いは胃袋に収まる瞬間、それぞれの舌の味蕾とその人の感性によって判断が下され、人を幸せにもし、不幸せにもする。
問題は、雪文が生み出した商品の価値はどの時点、または何時の時間、そして何処で消滅するのかということなのである。
ここに健康によいと謳われる商品の価値が存在する。
食べる→美味しい、美味しくない(は関係ない)が判断される(普通はここで終わり)→その食べモノの成分が身体の健康をよくなったとする→命に代えがたい価値が生まれる
通常、食べ物の価値判断は食事中に行われるものであるが、健康食品はその判断を下されるまでの時間が長い。
ありきたりな見方をすれば、健康食品の価値は実際に効果があるかどうかで決まると思われるかもしれないけれど、消費される商品価値の観点から見れば、普通の商品にない時間軸の存在というものも、そのモノの価値と私は考える。
マクロな視点で汚い言葉を許していただけるのであれば、いつだって食品は消化され栄養となり、便となり地球に還元される。
そして、このサイクルを行えない人間は死ぬ。
私たちに残された時間は一体あとどれくらいあるのか。私は死ぬまでに何を知り、何を作り、そして捨てていくのだろうか。
かっこいいセリフを書いてみたのは、そろそろこの記事を終わりにしようと考えているからである。
私のブログはいつも長ったらしく、読みづらいと言われるからである。
だから、続きはいつか書こうと思う。
待てない人は、直接私を探してくれて構わない。
雪文のアイスクリームというパッケージングされた商品には、この常識に抗う試みがなされている。
人口が大幅に減少し、絶対的に消費されない時代が雪文にも訪れるのは明白である。
そのことを私が今考えずに誰が考えてくれるというのか。意識するだけでいい。
魔法のように「時を超えて」アイスはアイスで在り続ける。
ぼくが、サボり、行方不明になる理由も実はそこにあるのだから。
(。-_-。)
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