少し前にもtwitterでつぶやきましたが、こちらでも
Once again!!
先日スクールの授業の一環として、生徒さん数名と
一緒に某美術展へ行きました。
人気の展覧会でしたので、激混みは承知の上
でございました。
スクールと美術館とのタイアップとはいえ、監視員に
注意されるのはごめんだぜ!と思い、私なりに気を
遣い、ささやくような声で話し、我々6名、他の鑑賞者の
邪魔にならないように、作品から離れたところで、小さな
輪を作って、質問などをするようにいたしました。
しかし、残念ながら、入館して10分も経たないうちに、
とある鑑賞者の方からクレームが入ってしまいました。
最初は監視員より「困ります」と言われ、しぶしぶ
我々は近くの空いているベンチに腰掛け、その後の
対策を話し合っておりました。何時に出口に集合しようか
とか。。今後、どの作品を中心に見るべきか、2~3分で
終わらそうとしていたならば、また“注意”されたのでした。
美女ばかりが集っているのがよほど目立ったのか(?!)、
あるいは、日本語ではなく、“英語”で囁きあっているのが
腹立たしかったのか、、「もう少し目立たないようにして」
という注意ではなく、「もう止めて」という“命令”となって
おりました。(ちなみに、私は監視員に対して怒っている
わけではございません they’re just doing their job)
美術館では“目立ったもの負け”なんだと実感しました。
作品の前で大声で会話している外国人のペアなどは
無視され、小さくなりながらも絵画の見方を真剣に勉強
しようと思っている私たちは、とんでもない迷惑もの扱いを
される。
人と違ったことをするのは罪なのか?
人と違った美術館での楽しみ方をすることは
間違っているのか?
そもそも美術館ってところは「図書館」なのか?
だとしたら、誰が「図書館のようにあるべき」と決めたのか?
アメリカの美術館で働いた経験のあるものとしては、
このCLOSED感にはいつもうんざりさせられます。
美術館って何のためにあるのか?
日本のように「保存と修復」が目的のみ。。で
よいのだろうか?と常々思う。
美術館はもっと「教育の場」となってもよいのでは?
鑑賞者は一人でひっそりと作品を見て、そこで
味わった感動は家に持ち帰り、ミュージアムショップで
買ったお土産品を眺めながら、また、読みもしない
カタログもテーブルに置き、誰にもその体験をシェア
せずに、むふふ。。と、とにかく1人で愉しむ。
誰もが同じ「静かな楽しみ方」をしなくてはならないのか。
絵画を見て感動することってあると思います。
心動かされた時、一緒に展覧会を訪れた人にその
気持ちをシェアしたい、と思ったことはありませんか?
そして、自分の意見に対し、その友人は同じような
見方をされているのかもしれませんし、あるいは、
全く違った意見が出てくるのかもしれません。
そうやって絵画の前での“議論”が発生するのだと思います。
その議論をおさえつけようとする日本の美術館って
じゃあ、何のためにあるのかい?と不思議にさえ
思います。
そもそも各美術館のホームページを見ても、その美術館が
何を目的としているのかが、一目瞭然です。
Art AllianceのFacebookページでも日々、アメリカの
美術館のエデュケーショナルなコンテンツをUPしており
ますが、向こうの美術館は「惜しみなく」勉強マテリアルを
すべて公開しております。
過去の美術館での講座の動画は全部出ておりますし、
所蔵作品の解説はもちろん、METのHPでは美術史全般
の勉強もできてしまう位。(ちなみに動画系、podcastは
ワシントンのNational Galleryがベストです)
教員向けのアート教材もかなり充実しております。
ほとんどの美術館は教員用のマニュアルや配布
資料まで「無料」でネットで提供しております。キッズ用の
楽しそうなマテリアルもあります。時間があれば、いくらでも
ネットで勉強ができるようになっています。
また、学校や地元団体、企業よりアート・レクチャーの
派遣依頼が入ると美術館の教育部門の方が出張レッスン
を行うというところもあります。地方の方たち向けのビデオ・
カンファレンスでの講座もアリです。このあたりは有料の
場合もありますが、でも大した金額ではありません。
とにかく、レベルが違いすぎます。
日本でも「対話型鑑賞」に目覚めはじめている
美術館もあるようです。しかし、少数派ですよね。
知人に聞いた話ですが、“学芸員と一緒に対話型
ツアーをしよう“という会があっても、参加者はほぼ
無言だというではないですか!
そのような話を聞くと、美術館だけが悪いのではなく、
カルチャー的なこともかかわってくるのかもしれません。
美術館がより“オープン”になって行くにはまず、鑑賞者
の意識から変えて行かなければならないと思います。
小学校でもコミュニケーション能力の向上を目指して、
絵画の対話型鑑賞を行っているところも出てきていると
新聞で読んだことがありますが、これ、とっても重要!!
子供のころから「絵を見て話す」という習慣がつくと、
美術館へ行って、だまって鑑賞することは常識では
なくなるのかもしれません。
私が以前住んでいたアメリカのヒューストンの公立の
小学校では毎年何回かクラスで美術館へ行くのが
「必須のカリキュラム」になっており、年中子供が
出入りしておりました。子供なので多少うるさくても
皆さん温かい目で見ておられましたし、ちびっこたちが
ドーセント・ガイドさんの対話型解説を作品の前で
座ったり、寝転がったりして聞いている光景も全然
めずらしくありませんでした。
ママさんたちも堂々とストローラーに子供を乗せて、
美術館めぐりをしていました。日本でこれをやると、
まわりの冷ややかな目があって、大変なんだと思い
ますが。
私が主宰するArt Allianceの「英語を使ってアートを学ぼう!」
では“見たものを英語で表現する、感想が言える”ことを
目的としておりますが、最近では【まずは日本語で感想が
言えること】の方が重要ではないのだろうかと、切に感じます。
作品を見て、頭の中で日本語でコメントを考えて、それを
英語で発言する。。すばらしい脳トレだと思いませんか?!
と、話がそれましたが、まずは絵を見て何かを発言する
ところから始まるのだと思います。アート好きな人たちが
1人1人そうすることによって、一般の鑑賞者も美術館側
の意識も変わって行くのではないでしょうか。今の子供
たちが成長してからではないと変わらないでしょうから、
あと20年~30年後かな?
とにかく、美術館に行って、怒られる度に、
美術館の存在意義って何なんだろうーと考えてしまいます。
大分まとまりのないつぶやきとなってしまいましたが!
この辺で終わりにいたします☆