SPECIAL POLICE UNIT 誠の旗の下に

  新選組・幕末史関連の記事と紀行文、すみやかに異文化を取り入れた新選組隊士たちにあやかって、ちょこっと国際交流を書いています。


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            馬上筒

 新年、おめでとうございます。今年もどうぞ、よろしくお願いします。

 もうしばらく、「真田丸」の感想を書かせてください。夏の陣が2回の放送では、短すぎます。

 

 さて、和議が成立して、とりあえずは平穏な日々が大坂に訪れました。しかし、大坂城内はきな臭い匂いがします。徳川方に速攻で二の丸・三の丸の堀が埋められ、真田丸も取り壊されと、あっという間に大坂城は裸の城となりました。

何年か前、三の丸にあたる場所に大阪府警が新築されることになり、地下を掘りおこしたのだそうです。その時、数メートル地下から、大量の茶碗のかけらや畳、木材などなどが出土したと聞きました。大急ぎで、投げ入れられる物を皆投げ入れて、堀を埋めたのだろうと推測されます。

 牢人たちも、これで戦さは終わりではないと思っているのでしょう。豊臣方不利が分かっていても、立ち去るわけではなく、むしろ、いただいたお金で武器を買い集めていました。ただ、これが家康の耳に入り、攻め込むきっかがをほしかった家康にしてみれば、武装した牢人を追討するという口実ができてしまいました。

 

 大坂城内の真田家では、長きに渡るであろう籠城戦に備えて、庭を耕して菜っ葉作りにいそしんでいます。ドラマでは真田家が居るのが、千利休が茶室を作ったあたりとのことですので、本丸近くなら、現在の大阪城の北側、山里丸付近という設定でしょうか。

 1583年、豊臣期の大坂城が完成する前に、秀吉は利休に命じて、山里丸に茶室を造らせ、茶会をしていたと伝わります。山里丸一帯は本丸とは違い、木々が茂り、野趣豊かな場所のまま、置かれていたようです。

 庭を耕していた作兵衛が、土中から木箱をみつけました。その中には、馬上筒と呼ばれる引き金で撃つ短筒が入っていました。新型兵器です。カルバリン砲といい、この短筒といい、大航海時代真っ只中の戦国時代は、グローバルな世の中です。木箱に魚の刻印があり、とと屋と言われた千利休の商売上の逸品ですね。(千利休の本業は魚屋です。ドラマでは、貿易商も営んでいたという設定です。)

 庭から出てきた馬上筒を手入れして、射撃の練習に励んでいる信繁です。

 千利休の屋敷が本丸の南側なら、現在の玉造公園付近です。ここなら、本丸から真田丸へ行く途中になります。さて、ドラマの設定はいかに?史実の大坂城内の真田家はよくわかっていません。平時の豊臣家の大名たちの屋敷は、いくつかはわかりますが、この場合は臨戦態勢ですしね。

 

 真田信繁は牢人衆の抑えに、新たな要害造りにと、奮闘中です。ドラマの主人公らしく、重みが増してきました。全50話の中で、ガラッと様相が変わるラスト10話分とのことですが、それもあと2話となりました。もう少し、大坂の陣をじっくりドラマ化してくれたら、主役らしい堺雅人さんを見れたのにとは思いますが、物語のバランスもあり、難しいものです。

 

 

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          カルバリン砲と和議

 一発の砲弾の飛来が、豊臣方の運命を決めました。本来なら、飛んで来るはずのない砲弾が天守閣に命中したのですから、それは驚きますよね。まして、運の悪いことに侍女がそれによって亡くなるということもあって、淀が震え上がり、城内の方針は和議ということに決しました。戦さはもうこりごり、とにかく勝っているうちに終わってしまおうということでしょう。

 秀頼は四国にでも領地替えになれば、大坂を出て行ってもいいぐらいの気でいます。ただし、戦さを知る者なら、冬の陣の豊臣方の勝利は、巨大な総構えを備えた難攻不落の大坂城あってこそのことであることは分かっており、この城が裸にされては、今後の見込みは無くなります。

 

 牢人衆をまとめることになった信繁、苦労しています。こうなっては、「立ち去ってもいい。」と言う信繁ですが、処遇も決まらぬまま城を出て行っても、行き場のない牢人たちにしてみれば、ここで諦めるわけにはいきません。

 秀頼も領地の配置換えを考えつつも、もう一戦を覚悟しているようです。

 これから、夏の陣が始まりますが、豊臣の譜代ではない牢人衆たち、この秀頼のために命をかけて戦い、結局、最後まで離反することなく、忠義を尽くして散っていきます。秀頼がよくぼんくらだったのではと言われますが、本当にそうならこれほど配下の兵たちを惹きつけ、最後まで徳川軍相手に戦わせることはなかったと思います。

 

 さて、突然、大坂城内に飛んできた砲弾ですが、イギリスから輸入した新型兵器、カルバリン砲です。従来のポルトガル製の大筒の5倍の射程距離があったと伝わります。

 イギリスの商館と徳川が、武器購入でやりとりした文書が残っています。家康は領土欲旺盛なカソリック系とは断交し、貿易のみをやりたいプロテスタン系とはずっと交流することになります。イギリスとは、三浦按針以来、親しくしていましたが、イギリスとオランダが勝手に覇権争いをした結果、オランダの方が勝ちました。それ以後、幕末まで徳川幕府はオランダと長きに渡り、交易することになります。

 

 筆者はスペインのセゴビア城内の軍事博物館で、カルバリン砲の実物を見たことがあります。ほう、これがそうかと思った次第です。砲身が超長い大筒です。

 

 

 淀の妹、初(常高院)が豊臣方の使者となり、徳川方と和議交渉をしていました。場所は大阪市東成区大今里にある熊野大神宮と伝わります。当地に初が嫁入りした京極家の後継ぎ、京極忠高(徳川方)が陣を張っていたからでしょう。当神社の由緒です。

「後陽成天皇文禄甲午年、船越五郎右衛門検地の際、氏神熊野権現宮除地四反四畝二十 四歩に削減。
慶長の初め従二位阿闍梨正園社僧。

慶長六年、阿闍梨祐慶社僧となり、同九甲辰年、本殿及び拝殿を再興。

同十九甲寅年冬、徳川将軍家康大坂の役の時、京極若狭守当宮地を陣屋とした。

後水尾天皇元和元丁卯年、松平下総守忠明以後、大坂城代就任の節及び領地検地の際必ず当社に参拝されている。」

   

 現在、高野山持明院に淀や初の両親、浅井長政とお市の方の絵姿が残されています。

 浅井長政の33回忌、お市の7回忌に回向のために描かれた絵とのことです。この和議朝廷の頃、惣領娘の淀から初にこれらの絵姿が渡ったのではないかと考えられます。持明院は京極家の菩提寺です。今も彼女らの意をくんで、大切に保管されています。

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                    本町橋夜討ち

 大坂城内は真田丸での勝利に沸く一方で、和議をするのしないので、意見が割れています。秀頼は伯父の織田有楽斎(実は徳川方のスパイ、だから、東京に有楽町があります。)と大蔵卿局(淀の乳母)の和議説に押し切られていまいますが、そこは、以前に学んだ信繁、大坂城の真の主が誰であるかを知っています。淀殿を引っ張り出して、和議撤回に向けて動いていました。

 城内の紛糾に巻き込まれる22歳の若き城主、秀頼です。蝶よ花よと育てられ、世が世なら、次期関白の候補として、優雅にくらしていけたものを。

 今や、徳川方の大軍相手に大戦さを仕掛ける総大将です。7本鑓の一人、平野さんが嘆いていましたが、豊臣家恩顧の大名たちが誰も大坂にはせ参ぜず、というのが、豊臣方にとっては痛手です。家康の根回しのうまさでしょうけど。

 

 真田丸で大活躍した信繁はともかく、それ以外の大将さんたちは、腕がムズムズ状態のようでして、徳川方に夜討ちをしかけようという塙(ばん)団右衛門の話に乗ってきました。

 言いだしっぺの塙にしても、ええぇっでしょうが、あろうことか信繁まで・・・。「本町橋の夜討ち」と言われるこの事件、冬の陣の最後をかざる豊臣方の大

勝利に終わった一戦です。夜討ちをかけて、自分の名前を書いた木札を蒔いた

塙の名は敵方にも聞こえたとか。ところで、塙はともかく、その他の参加者は

いまいち分かっていないので、別に後藤又兵衛や毛利勝永、木村重成に真田信

繁が参加していても、いいような悪いような・・。えらく、ゴージャスな夜討

ち隊となりました。

 今年の大河は、信繁の目で見たものを描くというスタンスなので、今回の夜

討ちをしっかり描きたいがために、三谷さん、信繁も参加させたのかもしれま

せん。本町橋周辺をウオーキングツアーでご案内する際に、こんなおもしろい

話を三谷さんが見逃すはずはないと、言ってきましたが、本当になりました。

 

 

 本町橋は今も、秀吉が掘らせた東横堀川(運河です。大坂城の西の惣構えに

なります。)にかかっています。東横堀川の東側が大坂城内、西側が城外という

ことになりますので、橋の西側に徳川方の蜂須賀軍が野営をしていて、そこへ

塙を大将とする一隊が夜襲をかけました。そりゃあ、まさか夜討ちにくるとは

思いもしなかった蜂須賀勢は、大混乱になったとか。

 夜討ちは大成功となりました。

 ドラマではなぜか、そこに参加していた木村長門守重成、なかなかかっこいい若武者ぶりでした。重成は秀頼の乳兄弟と伝わりますので、豊臣家の譜代です。

 

 本町橋付近の写真です。道路は広くなっていますが、橋の位置は変わりませ

ん。橋の上で、塙は「夜討ちの大将、塙団右衛門」と叫んだと伝わります。

 

 「大坂御陣覚書」によると、翌日に家康がわざわざ、蜂須賀軍の見分に来た

とか。本町橋の西側、この写真のあたりでしょうか。

 

 橋のすぐ近くに大阪商工会議所があります。五代友厚の像が立っています。

 写真の向かって左側が茶臼山になります。

 

 

 こちらは冬の陣の際に家康の本陣となった茶臼山です。以前は天王寺公園側

から回って山頂に登っていたのですが、(というほど高くはありません。)今は

谷町筋から直接入ることができます。 

 つい最近、頂上に登ったら、信繁の名言銘板が設置されていました。

 

 駐車場も完備されました。楽しい絵があります。当地は家康の聖地というこ

とで、江戸時代は矢立を組んで、庶民は入れないようにしていたとか。古墳だ

という説もありますが、現在では、運河を掘った際に出た土を盛ったのではと

言われています。いずれにせよ、天保山同様に人工の山です。

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