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アカデミー賞を取ってしまい、新聞やニュース、マスコミで物議を醸し出し、日本上映時には様々な論議が出てくる事が予測される問題作。。。日本にとって今もっとも世界に見られたくない光景、という印象を持っていた。見る前までは。。。

第一回試写会を見て来ました。
アカデミー審査員たちは良心・常識を持っている人達が多い(と、信じたい)。どうしてこの様に偏って撮られた映画が今年のアカデミー賞ドキュメンタリーを取ったのか、見る前までは全く分からなかった。ドキュメンタリー映画の場合、「映画作品」と「扱われている素材」とが観る者は混同しがちになってしまう。「イルカは知能もあり、かわいいから殺すのは可愛そう」「牛は問題ない」という様な歪んだ動物観が横行しているのも事実。生物が生きていく以上、ほかの動物の生命を頂戴して生きていかざるを得ないのは自然の摂理である。
しかしこの映画はその漁の仕方、その殺し方、その数、水銀という有害物質の危険性、肉の偽証問題を取り上げている。これらの部分では欧米の共感を充分に得るところであろう。。。


しかしこの映画は『ザ・コーヴ』という和歌山県太地町の鯨やイルカ漁を撮影したドキュメンタリーというよりは、その漁は秘密裏に行われている事に対して、様々な特殊機械を使用して盗撮するなど、撮影クルーたちの苦労を描いたエンターテインメント映画としても見ることができる。事実映画内で「『オーシャンズ11』の如く、、、」という台詞も出てくる。

通常ドキュメンタリーとはある立脚点というものがあるものの、全体像を見渡し、登場して来る人物や状況を公正に撮られなくてはならない。もしくは一般的に知られている常識を下敷きにして、その反論をするなど。。。
この映画は太地町の400年にわたる鯨/イルカ漁の歴史、人と鯨/イルカの関係は何一つ描かれては居らず、太地町に住む人々の暮らしなども一切触れられていない。全く知られていない事を一方的な報道で撮られている。
一方、太地町サイドは日本の伝統文化としての漁という認識ならもっと堂々とやるべきだが、決して人には見せない場所で見せられないやり方で施行される。。。その理由も不明。


これは社会派ドキュメンタリーを装った、「偽オーシャンズ11」、もしくは「少年たちの海辺の冒険譚」として、「悪」や「大人社会」に対抗する構造として、だいぶ楽しく愉快でスリリングな娯楽映画として仕上がっていた。

問題は太地町のイルカ漁のことではなく、その多様な文化が存在すべきという世界的な認識と、伝統の漁を隠れてやらざるを得ないという社会的無知などから引き起こす温度差である。そして矛盾。そしてなぜ今なのか?
(最近日本では飼育されているトキが野生のテンに襲われた。そのテンを駆除する姿は実に滑稽である。もともとトキは乱獲によって絶滅の危機に瀕している筈で、テンの数が激減すれば保護の対象になるのだろうか?)

劇中役場や政府の人間など片言の英語を話す人間が出てくる。ほとんどは自分たちの意思を十分に伝えることが出来ていない。もし戦後日本がアメリカに占領され、日本語を話す事が禁止される位、アメリカナイズされていたら、この問題はもっと早く議論の対象になっていたのかも知れない。
60年代からの日本列島改造論や日本の幹線計画に取り残されて来た、いわば経済的に価値が低いため無視され続けていた太地町だからこそ、この漁が2009年まで残っていたのかも知れない。。。

今回のアカデミー賞で話題になった『アバター』。こちらも様々なメッセージがあるが、そのひとつとして、「異文化の共存」や「多様性の必然性」「利益の分配」である。

そして、
どうして彼らはこの映画を撮ったのか。。。
60年代人気のテレビドラマ『わんぱくフリッパー』で調教師兼主役を勤めていたリック・バリーは、当時フリッパー役のイルカが自分の腕の中でストレスにより自殺した経験を持つ。それからバリーは世界中のイルカショウやイルカ漁をやめさせるために30年間アクティビストとして活動しててきている。
しかし、ルイ・シホヨス監督のバックグランドは不明。どうして太地町のイルカ漁を撮らざるを得なかったのか。。。

この映画は対話や議論によりイルカ漁を止めさせるという事よりも、いきなり世界でショッキングな映像を発表して外圧により漁を告発させると言う、映像が持っている暴力性を最大限に利用する。対話や異文化の共存、尊重、多様性という概念はない。

映画は先ほど言ったようにエンターテインメント性は十分である。また日本人が見ても残念ながらそれほど狂っているアメリカ人が出て来る訳でもなく(笑)、至って常識的である。一方、太地町の人間は無知な野蛮人として描かれている。
この映画は社会的な映画ではなく、シホヨス監督の冒険譚であり、彼の成長物語でもある。

自分の住んでいる社会でうまくいかず、認められたいがために、解り易い「正義」という武器をもって異なる世界に飛び込んでいった。彼は自分の住んでいる世界に再び戻っていけば、前よりはもっとベターな生活が待っているかも知れない。。。
日本でも公開され、世界中でこの映画が知れ渡り、これから太地町のイルカ漁も変貌するだろう。。。
その時、シホヨス監督は自分は映像作家として生きて来たのか、活動家として生きて来たのか、改めて問い直す時こそこの映画のドキュメンタリーは本当の意味で終わるのかも知れない。。。










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