ドタバタの中で新しい給食が何とか毎日実施されている。私どもは特養の生活の味気なさは、毎日の生活リズムに変化をもたらすものが無い、あるいは特養が持つ社会的認識=終のすみかがもつ宿命がそうさせているとあきらめから生まれているとさえ思うことがある。

 だが、私どもは利用者も含めて毎日がある。その為、利用者がもつ力を最大限に発揮してもらうため、2年程前から自立支援型介護、または介護力強化介護と称して要介護状態をなおす介護の実践にとりかかり、ある程度の成長を生みつつある。

 しかし、その行為はどうしても「機能訓練」の域を出ることができないでいた。どうしても「それが」生活に結び付くということができないでいるのであった。

 

 そこで今月より、施設生活の毎日に「ハリ」をもつ・・・「期待」「感激」を生みだす何かをと思い、新しい食事の形を実践し始めた。それは実験と言えるかもしれませんが、三度の食事の前、利用者に食事の希望を聞き、それを提供するというものである。

 何十種類のメニューの中からその日食べたいものを選んでいただき、それを提供する給食を開始したのである。

 当然、利用者はどのような食事が出されるか、食事が待ち遠しくなりその結果今日の食事が「うまかった」、あるいは「まずかった」等の満足、不満足が生まれ食事が一日の“メリハリ”となることの気持ちを込めての食事提供の開始である。

 

 そもそも施設の集団給食は戦後の病院給食からの流れの延長線にあるのであろう。病院ではかつて入院は「小さな引っ越し」と言われていた。家族の誰かが入院などしたら、布団を病院に持ち込み、鍋・釜・七輪を持ち込み病院で自炊。その為の付添が当たり前の風景であった。それを見た戦後占領軍のGHQの改善策がいわゆる基準給食、基準看護、基準寝具の三規準であった。その中の基準給食が出発点で現在の病院給食があり、その流れの中に施設に於ける給食も位置づけられているのであろう。

 

 その結果、治療の一環としての給食が位置づけられた病院文化が介護施設へと何の疑問もなく流れ込んだのであろう。

 介護施設は生活の場であり、治療の場ではないのである。

 

 当然、生活の重要ポイントとして食事があるし、それには感謝を必要とするし、又生み出すものでなければならないはずなのである。

 だが、言うがやすし、である。

 実現には必ず困難がつきまとう。まずは一日何十種類もの食事を提供する厨房側の困難。又、1人ひとりの注文を間違えることなく、各利用者に提供するユニット側の困難。かつ一般的な食堂と違い、常食・刻み食等の形態への対応、かつ食事介助を必要とする利用者への食事提供などなど・・・さまざまな困難がつきまとう給食である。

 まして、基準給食の考え方が基本となって体系化されている給食に関わる行政指導基準との関係の問題など、難関が山積みである。

 しかし、生活の場である特養施設、あるいは介護施設の生活にとって三度の食事こそ生活の基礎と言い切っていきたい。

 

 この実験が定着するまで、さまざまな課題に直面することを私どもは想像している。その課題を解決する方法を可能な限り報告していきたい。

 たとえ、それがドタバタの報告会になっても・・・・・。


                                                 施設長


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