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2012-02-10 07:57:55

言葉の感覚

テーマ:徒然
「ベールに包まれている」という意味がわかる人でも「ベール」が何のことか知らない人は意外と多いのではないか。ベールという言葉は「ベールに包まれている」という表現のために残っているようなものだ。「ベール」と聞くだけで謎や秘密を想起させる。布に包まれている、ではだめ。絹布でもだめ。ベールでなければいけない。

言葉は柔軟でどんどん変わっていく。枕詞のようにその言葉自体にほとんど意味がなくなっても使われ続けるものもある。何らかの法則に沿って進化しているようにも見えるが、突然変異的な進化の仕方も多い。誰かが新たにインパクトのある言い回しや言葉を使い始めるとそれに引っ張られる形で言葉は進化する。

言葉が法則に囚われずに変遷していく様子はとても興味深いが、それは外国語の学習を難しくする要因でもある。文法を覚えてそこからロジカルに考えて作った文章でも正しくないことがある。言葉は規則よりもリズムの方が重要だ。

母語を覚えるときはいろいろな言葉を覚えながら演繹的に、そして、無意識に文法を理解していく。文法を覚えてから帰納的に言い方を考えるわけでは決してない。ロジックで文章を作るのではなく、読んだり聞いたりして覚えた言い回しを活かして直観的に文章を作る。それに対して、第二言語を覚える際は効率を重視して文法から入ることが多い。そのこと自体は悪いことではないと思う。概念そのものを学びながら習得する母語と異なり、母語の習得によってある程度思考能力を身につけた状態であれば、その能力を活かしてより効率的に言語を学ぶ方法があるはずだ。ある程度以上の年齢になると母語と同様に言語を習得することは難しくなるという側面もある。

しかし、折角母語以外の言語を学ぶのであれば、規則だけでなくその言語特有な感覚も習得したい。そのためには多くの言葉に触れて演繹的に文法を理解していくプロセスが必要だ。文法的には正しいけどそういう言い回しはしない、というようなことを感覚的に理解するためにはある程度インプットの量が必要になる。多くの文章を読んだり聞いたりすること、中でも自分で音読したり実際に話したりしてリズムをつかむことが大事なのではないかと思う。日本語の古文でも漢文でも同じ。声に出してたくさん読むことではじめてその言語の世界を感じることができるようになる。
2012-01-25 21:18:49

マニフェスト

テーマ:徒然
昨日通常国会が始まり、野田首相が施政方針演説を行った。その内容を受けて、今朝の読売新聞の社説では、「財源すら不明確なマニフェストの実現」にこだわるのは得策ではなく、「改革のためにはマニフェストの撤回をためらうべきではない」としている。確かにマニフェストにこだわり過ぎる必要はない。しかし、あまりマニフェストから離れ過ぎるようだと折角始まったばかりのマニフェスト選挙の先行きは暗い。

おそらく2009年の選挙前で民主党が政権につく前のものだと思うが野田首相が街頭演説でマニフェストを守ることの大切さを訴えている映像がYouTubeでアクセスを集めており、今月アップされたばかりであるにも関わらず今日の時点で200,000アクセスを超えている。動画の中で、野田首相は、マニフェストに書かれたことをやること、マニフェストに書かれていないことはやらないことの重要さを説き、消費税増税に批判的である。この手のものは今までもよくあり、揚げ足を取るようであまり好きではないのだが、この動画については多くの人が見るのも悪くないと思った。新聞、雑誌、テレビによる揚げ足取りより、よほどまともでいい。

野田首相の施政方針演説の全文を読んだが内容は悪くない。福田元首相や麻生元首相の引用をしたところばかりが話題になっているようだが、全体的に理想に走り過ぎず現実的で、むしろ自民党などの野党と協力して是非実現してもらいたいと感じる内容が多い。これを選挙のときから主張していれば何も問題はなかった。しかし、選挙のときに調子のいいことを言っておきながら、実際には現実的な政策を取り、それで全く痛みがないと、一種のモラルハザードになってしまう。言っていることを変えると大きな痛みを伴うような仕組みがないとどの政党も選挙で都合のいいことばかり言い続けるだろう。喫緊の課題が溜まっているので自民党と協力してさっさと必要な法案を通してほしい、という気持ちはあるが、一方で、民意の反映されていない法案をすんなり通して、いいのかという気持ちもある。

折角「マニフェスト」という言葉が普及し、有権者がそれを意識して投票するようになってきたのに、各政党の実現に対する思いが弱い。前回の選挙のときのマニフェストは選挙用につくったもので確信犯的にそもそも実現するつもりがなかったのではないかと疑ってしまう。本来は、各党が「死ぬ気で実現する」マニフェストを作成し、それを元に国民が判断して投票するという形にしなければならない。そのためには、選挙時に言っていたことと違うことをやっているときには、大いに咎められなければならない。

その意味で上記のYouTubeの動画は大手マスコミに頼らない1つの手段だと思う。ただの揚げ足取りにならないように気をつける必要はあるが、選挙時に都合のいいことばかり言わないようにするための抑止力になる。マニフェスト選挙もまだ始まったばかり。少しずつでも進歩するよう間違ったところは正しく咎められなければいけない。
2012-01-10 22:56:26

ITの進歩と生産性の向上

テーマ:徒然
スマートフォンの普及がだいぶ進んできて携帯電話のボタンを押して操作している人より画面を指でなぞって操作している人の方が多くなってきた感がある。IT分野の長足の進歩にはいつも感嘆する。処理能力や記憶容量が倍々で増加する一方で、ハードウェアの物理的なサイズはどんどん小さくなる。

これだけITの技術が進めば生産性が飛躍的に向上しそうなものだが実際のところどうなのだろうか?たとえば20年前に比べて同じ業務をするのに80%の時間で済むとすれば、同じ生活レベルを保ったとして、週5日働くのを週4日働くので済みそうな気がするがそうはなっていない。生産性が上がっていないのか、上がっているけど上がった分を休みにするのではなくより豊かな生活をすることに使っているのか?あるいは本来は4日でできる仕事をより余裕をもって5日でやるようになっているのか?

20年前にもパソコンはあったし、LANもあった。しかし、パソコンはまだ1人に1台割り当てられるものではなかったし、LANにはつながっていたかもしれないが、ほとんどはインターネットにはつながっていなかった。Webに代表されるインターネットはまだ普及しておらず、携帯電話を持っている人はごく少数の人に限られていた。それが今では1人に1台のパソコンは当たり前、もちろんインターネットにつながっていて、皆メールアドレスを所持している。携帯電話も持っていない人の方が珍しい。それを考えるとテクノロジーが活かせる業務とそうでない業務はあるにしても平均すれば今のIT技術を使えば20年前と同じ業務をするのに必要な時間は少なくとも2割くらいは減りそうに思える。であれば20年前と同じ生活をするのに原則、週4日働けば十分なのではないか?しかし、そうはなっていない。とすれば生産性の向上は勤労時間を短くするのではなく、生活をより豊かにするために使われたのだろうか?

20年前に比べて生活が豊かになったという実感を持っている人はどれだけいるだろうか?テクノロジーの進歩による直接の恩恵(いつでもどこでもネットが使える環境、鮮明なテレビ画面、等)以外に、生活の豊かさの向上は感じられるだろうか?

生活に対する豊かさは相対感によるものが大きい。だから豊かになった実感がなくても実は豊かになっているという可能性もある。たとえば、エアコンが一般的でない時代の人から見るとすべての部屋にエアコンがあるということはとても豊かな生活に見えるだろうが、それに慣れてしまった人はエアコンがついている部屋で生活することをそこまで豊かに感じない。

しかし、絶対的な生活の豊かさを考えても20年前とそう変わらないのではないかと思う。20年前の人がタイムマシンで2012年に来たとして生活が豊かとはあまり感じないのではないだろうか? もちろんテクノロジーの進歩により直接便利になったことはある。ただ、テクノロジーの進歩による生産性の向上のお蔭で豊かになった部分はあまり実感がない。

週休3日にもなっていないし、生活も豊かになっていないということは、最近20年のITの驚異的な進歩はもしかしたら生産性の向上にあまりつながっていないのかもしれない。もしそうだとすればテクノロジーを生産性の向上により活かす方法を考える必要があるし、生産性の向上につながっているのだとすれば週休3日制に踏み切ってもいい時期なのかもしれない。

2012-01-01 09:28:34

新年おめでとうございます

テーマ:徒然
新年おめでとうございます。

昨年中は大変お世話になりました。

今年も自分の能力を最大限に活かしながら洋々を通して社会に貢献できればと考えております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2011-12-31 09:32:13

「遊び」の時間

テーマ:徒然

2011年もあっという間に過ぎてもう明日は2012年になる。毎年、年の瀬が迫ると来年はどのような年にしようかなと考え始める。2012年の366日×24時間をどう使うかを考えるのはなかなか楽しい。

来年の時間の使い方を考える上で一番迷っているのが「遊び」的な時間の扱いだ。仕事に直接関係なく本を読んだり、映画を観たり、スポーツ観戦をしたり、講演を聞いたりする時間。マンガを読んだり、ネットサーフィンをしたり、囲碁の勉強をしたりする時間。こういった時間は仕事で疲れた頭をリラックスさせる効果がある上に仕事に役立つ新しいアイディアを見つけさせてくれることもある。今までは意識してこういう「遊び」的な時間をつくってきた。

今年MITメディアラボの研究所長に就任したJoiこと伊藤譲一氏がserendipityの大事さについてよく述べている。研究社の新英和中辞典によれば、serendipityとは「思わぬものを偶然に発見する才能[能力]」のこと。聖路加国際病院の日野原重明氏による「幸福な偶然(セレンディピティ)をつかまえる」という本もある。serendipityを発揮するためにも「偶然」をつくるために仕事以外の「遊び」的な時間が大事なように思える。たまには仕事に関係のない本を読んだりあまり知っている人のいない会合に出たり知らない土地に行ってみたりそういったことが必要なのではないかと思ってしまう。

しかし、serendipityの重要さに疑いはないとしても、それを発揮するための「遊び」の時間の必要性には疑問が残る。今まで多くの科学上の発見や企業のヒット商品の発明は、失敗や勘違いから生まれた。ペニシリンは、細菌の研究のための実験をする中で意図せずに発生したアオカビが元になって発見された。3M社のポストイットは強力な接着剤を開発しようとしてうまくいかずにできた弱い接着剤から生まれた。いずれもまさに研究者がserendipityを発揮したわけだが、あくまで仕事の中で行われておりアイディアを求めて「遊び」の時間をつくってそこから生まれたというわけではない。自分がそのときそのときで一番やるべきと思ったことに集中する。そうすることによって初めてserendipityを発揮できるのかもしれない。

「遊び」的な時間は、教養を身につけるためにも必要だ。教養が重要だと考える経営者は多い。しかし、幅広い教養と自分の仕事に対する専門的なより深い理解のどちらがビジネスのために重要かと言われると後者だと思う。


前に冗長性というテーマでも記事を書いたが今まで「遊び」の部分が大事だと思っていただけになかなか判断が難しい。来年「遊び」の時間をどうするかは、まだ1日あるのでもう少し考えてみることにしよう。

皆様よいお年をお迎えください!

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