☆土井京子さんの思い・夢・仕事☆第一部☆ | 自分で選べば運気が上がる!色と香りの効果的な使い方お伝えします。個性心理學でストレス解消のお手伝いもさせていただきます。

☆土井京子さんの思い・夢・仕事☆第一部☆


子どもの頃はただ何となく過ごしてきたという京子さん
何かをしたい、何かになりたいという強い思いはなかったという。
背が高かったことがあり、あまり目立ち過ぎないようにと母親の配慮から、地味な装いが多かったそうだ。
本当はピンクのフリルの洋服が着たかったけど、控えめなブルーの洋服をあつらえてもらった日もあったという。

高校を卒業し、短大生になり、大人の世界が見えて来たときにある出会いがあった。
それは「メイク」である。
名古屋のデパートの化粧品売り場で初めてメイクをしてもらったのだ。
学生のお下げ髪に完璧な大人のメイクという、一見不似合いだけれど今まで見たことがない美しい姿が鏡の中にあった。
「メイクを本格的に学びたい」と京子さんは強く思ったのである。
しかし、若い頃銀行に勤めていた母親の勧めに素直に従い、まずは地に足をつける生き方を選び、銀行員という道を進むことになる。

銀行の仕事は、一日で終了する業務が多い。
京子さんの担当は窓口でお客様から資金を預かり、現金を支払い、出納として支店全体の数字を合わせる出納業務だった。
「ゴメイ」という銀行用語があるが、一発で数字が合った時の喜びを味わえるのは、出納業務ならではだ。
一日で終わる仕事は気持ちもすっきりできて、京子さんには合っていたという。

銀行業務も慣れ、支店内での地位も上がってくると、金融商品への勧誘も求められるようになる。
銀行も収益を出す事業であるから、窓口での勧誘も大切な仕事ではあるが、京子さんにとっては気が重いことだった。
リスクが伴う商品を強引に勧めることは苦手であり、出来ればお客様から求められる商品だけ扱いたかったのだ。
銀行には10年間勤務したが、後半は営業成績という数字を求められることが多かったので、苦痛だったという。
30歳目前になった頃、結婚もせずにこのまま銀行で働いているだけで良いのかという疑問が湧いてきた。
両親は銀行を退職するなら「寿退社」だと言い切るので、銀行の後輩に偽装婚約を依頼するが断られたこともあったという。

ちょうどその頃「かづきれいこさんのリハビリメイク」を知り、「かづきメイク」の勉強を始めることになった。
「これだ!」と思った京子さんは、銀行で働きながらメイクの勉強をスタートした。
名古屋近郊の寮に入っていた地の利を生かし、東京での勉強会にも毎週参加することになる。
ある程度学び、技術にも自信が付いた頃、名古屋にサロンが出来たのを機に、銀行を退職してスタッフとして働くことになった。
夢に見ていたメイクの仕事に就いたのである。

http://ameblo.jp/kyoko-carane

第二部に続く。