重要文化財 今西家住宅 / (公財)十市県主 今西家保存会 Weblog

神武天皇に協力し、県主(あがたぬし)の称号を賜わり、十市県主大目の娘を孝霊天皇の皇后として外戚を結び、吉野潜行に際し後醍醐天皇を警護し、戦国期今井庄を城塞都市化して信長軍と闘うも戦いを収め、自治権を許されて栄えた。建国の地かしはらより 悠久の風を!

家は住みながら育てて美しく熟成させていくもの!家にとって最も大切なのは、建造物や調度品を相続する事よりも愛着を子孫に引き継いでいくこと。その想いが「大黒柱」となり、家を支えていきます。

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第七代孝霊天皇とその家族の皇后の細媛命、吉備津彦命(桃太郎?)、倭迹迹日百襲姫命(親魏倭王卑弥呼?)らには伯耆・吉備・讃岐の各所において鬼退治伝説などの足跡が残っています。 
2世紀後半に天変地異が起こり国が乱れて、国譲り後も独自の支配を続けていた出雲に不穏な動きを見てとり、大和朝廷は鬼退治の名目で吉備から日野郡に侵入した。これは、単なる紛争ではなく、砂鉄資源をめぐる出雲と吉備大和の争奪戦であると考えることが出来るのである。

鳥取県西伯郡伯耆町宮原の楽楽福(ささふく)神社には、鬼住山(きずみやま)の大牛蟹(おおうしかに)と乙牛蟹(おとうしかに)という鬼の兄弟を征伐したという伝説が残っています。
鬼住山の南にある笹苞山(さすとやま)に陣を張って鬼退治をした話で、村人が献上した笹巻きの団子を三つ並べて鬼をおびき出し、そこに登場した弟の乙牛蟹を矢で射止め、その後刈り取った笹の葉を山積みし、その兄の大牛蟹を追い出した場所であることから、その名がついたとも言われています。
社伝では孝霊天皇は幼少時「樂樂清有彦命(ささきよありひこのみこと)と称し、(ささふく)号されたという。
古くは砂鉄生産の護神して、また日野郡開拓鎮護の総氏神として日野大社笹福大明神と尊称された。
孝霊天皇が当地に巡幸された折、林山(きりんざん)の(ぎゅうき)」という一団が里人を悩ます由を聞き、皇子達や従者を率いて退治したと伝わっている。
楽楽福神社境内近くにある鬼塚はその首魁を埋めた場所と伝わっている。
また、孝霊天皇が近郷に居ると聞き付けた牛鬼らが兵を起こして天皇を襲撃しようとしたので、歯黒皇子(または吉備津彦)を軍将として大軍を出し征伐した伝説も残っている。
磯城県主(日本書紀では十市県主)大目の娘で孝霊天皇の皇后である細媛命が当地で没したと伝えられていて、命日(孝霊天皇即位71年辛巳4月21日)も伝わり、
裏山の崩御山が皇后の御陵であると伝わっている。

なお、鳥取県にある楽楽福(ささふく)神社のうち、日野郡日南町宮内の楽楽福神社(通称・東楽楽福神社)と西楽楽福神社、日南町印賀の印賀楽楽福神社、西伯郡伯耆町の楽楽福神社、西伯郡南部町の楽楽福神社、米子市安曇の楽楽福神社があるが、いずれも祭神として大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)を祀っている。

東楽楽福神社は、東伯耆行幸伝説に由来する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「若建吉備津彦命、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、福姫命」などを祀る(『鳥取県神社誌』544)。「奥日野大社」という。大吉備津彦命(彦五十狭芹彦命)と若建吉備津彦命(稚武彦命)がこの地を平定し、その若建吉備津彦命の功績により、若建吉備津彦命を祀ったという。あるいは孝霊天皇が皇后細媛命、皇子歯黒命(彦狭島命ひこさしまのみこと)と共に伯耆に行幸し邪鬼を退治したあと、天皇の行宮が東の楽楽福神社で、皇后(あるいは皇子)の行宮としたのが西の楽楽福神社であるという。境内社の若宮神社は「欝色雄命、大水口命、大矢口命」を、今宮神社は「磯城県主大目命」を祀る。(『鳥取県神社誌』544、546)

西楽楽福神社は、伯耆行幸伝説に由来する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「大吉備津彦命、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、彦狭島命」などを祀る(『鳥取県神社誌』546)。大吉備津彦命と若建吉備津彦命がこの地を平定したことにより大吉備津彦命を祀ったものという。あるいは孝霊天皇行幸伝説があるが、東楽楽福神社の項目を参照。近隣に崩御山があり、大吉備津彦命の陵墓という(孝霊天皇行幸伝説では皇后の陵墓とされる)。境内の若宮神社は「稚武彦命、磯城県主大目命、蝿伊呂杼命」を祭り、今宮神社には「大矢口命、大水口命」を祀る。

宮原楽楽福神社は、孝霊天皇の長子である鶯王を大将に鬼住山を攻めた際に宮原にて鶯王は戦死する。孝霊天皇の陵墓と伝わる当地の古墳は、鶯王のものであると伝わる。もと前方後円墳とも円墳とも言われているが、残念なことに1920年(大正9年)の伯備線開通および国道181号線の開削によって削り取られ、現在の姿になったという。ただし学問的調査はなされていないようだ。(宮原楽楽福神社境内由緒書)

菅福神社(すげふくじんじゃ)は、伯耆行幸伝説に由来する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細媛命、阿礼姫命、吉備津彦命、百襲姫命、稚屋姫命、彦狭島命、稚武彦命、福姫命」などである。当初、皇宮大明神(こうぐうだいみょうじん)と称していたが、1868年(明治1年)に高宮社と改称、1920年(大正9年)に「菅福神社」と改称した。(『鳥取県神社誌』532)
孝霊天皇、皇后細媛ともに伯耆に行幸し、牛鬼を退治した。このとき行宮としたのが当社の地である。細媛命は五月のなかばに巡行中の天皇の跡をお尋ねになる途中、お産の悩みがあり日野川の石の上で休憩されたときに雨が多く降り里人は畏みて菅の蓑と笠とを奉(たてまつ)った。増水した川の水音が高く聞こえた為、皇后が「水音喧(みずおとかま)」と仰せになると水の音がたちまち止んだと伝わっている。よって、日野川のこの流域(日野町上菅)は「無川(おとなしがわ)」と呼ばれるようになったという。その後、仮宮を設け福媛を出産して13年間お暮らしになった。15歳の時、印賀の地でえんどう豆を採りに行かれた時に、竹の端が目に突き刺さって目が大きく腫れ上がって様態が悪くなって看護もむなしく、薨去されてしまった。貴宮山の麓に埋葬し福媛命を祭神として印賀楽楽福神社を造営した。

鳥取県西伯郡大山町宮内の孝霊山(皇霊山、高麗山)の麓に坐します「高杉神社」には、奇祭「うわなり祭り」が残っています。孝霊天皇に仕えた松媛・千代姫の霊が孝霊天皇皇后の細媛命に嫉妬して祟りをなした。そのため、それぞれを一の御前社、二の御前社、三の御前社に祀ったという。これにちなんで嬲(うわなり)神事が行われる。
祭神は「大足彦忍代別命(景行天皇)、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、押別命、本媛之命、松媛之命、千代姫之命、小葉枝皇子、大葉枝皇子、根鳥皇子、天照大御神、武速須佐之男命、誉田別命」を祀る(『鳥取県神社誌』)。

本宮神社(備中吉備津神社境内)は、備中吉備津神社の境内社。備中吉備津神社祭神大吉備津彦命の親族を祀る。祭神は「大倭根子彦賦斗迩命(孝霊天皇)・大倭玖迩阿礼比売命(母神)・細比売神」。

備前吉備津神社は、備中吉備津神社の分社で相殿に孝霊天皇を祀る。祭神は「大吉備津彦命」を主祭神に「吉備津彦命、孝霊天皇、孝元天皇、開化天皇、崇神天皇」などを配祀する。

備後吉備津神社は、備中吉備津神社の分社で相殿に孝霊天皇を祀る。祭神は四道将軍「大吉備津彦命」を主祭神として、「大日本根子彦太瓊命、細比売命、稚武吉備津彦命」を配祀する(神社ウェブサイト)。

孝霊天皇陵 讃岐一宮伝承地は、孝霊天皇陵の伝承地で一宮寺(いちのみやじ)にある。孝霊天皇・倭迹迹日百襲媛命・彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)の一宮御陵といわれる供養塔がある。もと讃岐一宮田村神社にあったもので神仏分離のとき遷されたものともいう。田村神社社伝によると倭迹迹日百襲媛命は彦五十狭芹彦命とともに讃岐を平定したとされる。父天皇を慕って祀られたとする。

孝霊神社水主神社境内社)は、孝霊天皇奉斎神社。水主神社は倭迹々日百襲姫を祀る神社であり、その父天皇として祀られているものと思われる。
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龍王山城北城

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龍王山城南城

 

 先祖の戦国武将歌人といわれた十市遠忠公の大和一の面積を誇る中世城郭・龍王山城より大和盆地から大阪湾や明石大橋までも一望できます。

 十市遠忠は三条西実隆ら公家とも頻繁に交際し、和歌、連歌、書をたしなみ文化人としても名を馳せ、龍王山城北城付近で自然石を組み合わせた枯山水の庭園遺構も見つかっています。

 また、茶道にも通じ能阿弥の影響を受けた書院台子の茶儀を重んじ、嫡男の遠勝が松永久秀を城に招き茶をもてなして影響を与えました。

 十市県主の一族である孝霊天皇ゆかりの纒向石塚古墳や箸墓古墳そして、竜王山麓の衾田稜(ふすまだりょう)を龍王山古墳群が守るようにとり囲むこの地で、城を築こうと決めたのは、一族の誇りを賭けて余程の覚悟の上に他ならないでしょう。

衾道(ふすまぢ)を

引手(ひきて)の山に

妹(いも)を置きて

山路(やまぢ)を行けば

生けるともなし
」 (柿本人麻呂 巻2-212)

訳:
衾道を、引手の山中に妻(の墓か霊魂)を残して山路を行くと、生きていく気がしない。(212)
家に戻ってきて嬬屋(つまや)を見ると、妻の使っていた木枕(こまくら)が、床の外の方に向いてころがっているのだった。(216)

説明:
引手(ひきて)の山は龍王山のことで、衾道(ふすまじ)は、この近くに「衾田陵(西殿塚古墳)」(6世紀前半の継体天皇の皇后、手白香皇女の墓として管理しているが、3世紀末のヤマト王権の大王墓とする説が有力で、行燈山古墳に被葬されているとする崇神天皇か邪馬台国・台与の陵墓ではないかと推定されている)と呼ばれている箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命)に次ぐ古い陵墓(前方後円墳 全長220m)があることに由来します。

「火の路」(松本清張)で龍王山古墳群を「死の谷」と呼ばれていましたが、神々の住む世界へ帰り、子孫たちを見守るってくださってるのでしょう。
 

 

 

 

 

 

 

 

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 「明わたる 天のかぐ山
そらかけて
とをちの里の 梅の下風
(群書類従 十市遠忠)

十市遠忠は、十市新左衛門遠治の子。中原朝臣も称す。十市氏は興福寺大乗院方の土豪であったが、父遠治の時代に所領を拡大した。天文二年(1533)頃、遠忠が家督を継ぐと、木沢長政や筒井氏と争い、龍王山城に拠って一大勢力を築いた。官職は兵部少輔に進む。天文十四年三月十六日、四十九歳で没。墓は天理市の長岳寺にある。
堂上派の和歌を学び、三条西実隆・公条に師事した。詠草・自歌合・定数歌などが多く伝存し、正・続群書類従には百首歌と四種の自歌合が、私家集大成には五種の詠草が収められている。書家としても名があり、藤原定家撰の『拾遺百番歌合』『別本八代集秀逸』、宗良親王の『李花集』、藤原清輔の詠草など多くの歌書を写して後世に伝えた。
「十市遠忠百首」 続群書類従394(第十四輯下)
「十市遠忠百番自歌合」 続群書類従417(第十五輯下)
「十市遠忠三十六番自歌合」 群書類従222(第十三輯)
「十市遠忠五十番自歌合」 続群書類従416(第十五輯下)
「十市遠忠百五十番自歌合」 続群書類従418(第十五輯下)
詠草(五種) 私家集大成7
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富士山の名が以前には妊娠を表す"孕み(ハラミ)ヤマ"と呼ばれていて、正に国を生んだ元という敬意を表す名前でした。
孝霊天皇が念願のハラミヤマ登山を行幸された折に、田子の浦人(たごのうらびと)が孝霊天皇に藤の花を捧げ、新しい山の名を織り込んだ秀歌を詠まれました。

噴火(なか)口は歴(ふ)り  
中(なか)は湧きつつ  
このヤマト
共鎮(ともしず)まりの  
この山よこれ

ハラミ山 
一降り(ひとふり) 咲けよ 
藤蔓(ふじつる)の
名おも縁(ゆか)りの  
この山よこれ
孝霊天皇(ふとにのみこと)御製

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本日、昭和天皇の弟宮であられる、三笠宮崇仁親王殿下が薨去なさいました。御年100歳でございました。
心から哀悼の意を表します。
大和先住豪族の末裔の今西家へ是非との事で、お立ち寄りいただきました。
子孫の我々よりも磯城彦についてのご博識がお深いのに驚き恐縮したのを昨日の事のように憶えております。

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神紋が橘の廣瀬大社樋口宮司から橘の実生の苗木を分けていただき、朔(ついたち)の本日大安の佳き日に植樹しました。
官幣大社・廣瀬大社は、日本書紀に記されているように天武天皇が風を司る龍田風神と一対の社として. 龍田・廣瀬両社を併せ祀られました。
十市家より南北朝時代に饒速日命(ニギハヤヒ)の末裔である廣瀬大社樋口宮司家に養子へいき、川井を名乗り河合城を築きました。
なお、橘街道プロジェクトを展開して橘の縁を広げておられます。
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重要伝統的建造物群保存地区・今井町において、5月7日(土)から15日(日)10時から16時まで第21回今井町町並み散歩が開催されており、重要文化財の公開・今井六斎市・茶行列・各種コンサート・フリーマーケット等が行われ、期間中毎年約5万人以上の来訪者が訪れます。

2011年東日本大震災の第16回今井町並み散歩の義援金を日本赤十字社に寄贈いたしましたが、熊本県の被災地に対して何か支援協力できないかを今回も模索しておりました。
そんな中、公益財団法人十市県主今西家保存会は熊本地震義援募金箱を設置して、熊本県へ義援金として寄贈する旨を決定いたしました。

重要文化財今西家住宅において、熊本県を勇気付けたいという想いを込めて、癒しの灯りをともす空間を株式会社カキモトさんがあんどんを各所にあしらって「町の幻想あかり」展を開催されております。なお、今回のために風情ある町並みをデザインした新作の今井町モチーフの行燈もお披露目されています。

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また、土間であんどんの灯りを鑑賞しながら、吉野山の「葛の御菓子 TSUJIMURA」さんの屋台と縁台を設置して、吉野葛きりをご賞味ご堪能いただければなによりです。

なお、今井町重要文化財今西家住宅へは、近鉄橿原線八木西口駅下車徒歩5分、JR西日本万葉まほろば線畝傍駅下車15分、自動車南阪奈道路から高田バイパス寺田ランプで降り、五井町交差点を越えて次を右折し、正面が今西家住宅。
なお、問い合わせは公益財団法人十市県主今西家保存会(0744-25-3388)へ。

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