2010-06-28

週末はノーサーフ

テーマ:道程
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土曜日は八景島へ。
日曜日はエアコンを注文しに湘南モールへ。

そして家でサッカー観戦。

遠くよりも、深くに。そして過去や未来に思いを巡らせた週末。

日曜日の夕方はちょいと小屋下の浜まで行ってきた。



iPhone・ClassicTOYというカメラで加工。

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2010-06-19

土曜日の海

テーマ:道程

2010-16 P 13:00-15:00 南西オン 面悪し セット頭


午前はちょいと用があったり。

午後から風を覚悟で行ってきた。

ラチエン~Pに回り、4本ぐらいロングライド。ショルダー張らず、

技もかからないが、右に左にスノボーのような乗り方。

割れづらく厚めの波だったけど、たまに頭サイズ。台風シーズン

前に、このサイズのテイクオフに体を慣らしておくのは大事なこ

とだ。

乗ってからは腹胸サイズな感じだった。

写真無し。


iPhoneからの投稿

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2010-05-31

テーマ:道程
本を書こうとしている。

一生に一度出会えるか出会えないか、そのぐらいの題材に出会った。

僕が書くしかないと思った。

許可ももらい、詳細を詰める。

中身は衝撃。そして事実。
効果もあり、セールスにもなるだろう。

詳細はもちろんまだ秘密。


iPhoneからの投稿
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2010-05-16

今週の波

テーマ:道程

水曜日 2010-13 N浜 10:25-12:25 風:北西 波:モモ~セット腹

これといって特筆する感じでは無し。N浜であることが重要かな。

小さい波を大切に。ダンパー波も、それなりに。

 

シングルフィンセッティングで入ったら、ハングファイブかけやすか

った。でも、リップでの返りがよくない。スタビが無いと、バイト(噛

む)しないのだ。

 

雷が沖を通過していたな。

 

  
 
日曜日 2010-14 Home 5:00-6:00 風:ほぼ無風:膝~セットモモ

六時からRoots Surfの大会で全面規制って言われて上がった。

漁港~新堤まで規制するなんて、いい度胸してるな。
 
しょうがないから上がって移動。近所のリバーマウス。タートルリ

バーのスティングレイリバーマウスというか。久し振りに入るところ。

これが幸いした。
 

 

 
河口 6:30-8:30 風:北東微弱~南西 波:モモ~胸
 
面つる、早目でパワーのあるリバーマウス。アップスかけてコース

ター、ラウンドハウスカットバック、ノーズライド、楽しかった。
 
潮が引くとダンパー気味になったので終了。ここは、潮が多いうち

じゃないとだめだね。

 

早いと7月からエイが集まってくる場所・・・

 

写真は上がってからの河口
波待ち日記

波待ち日記

波待ち日記

波待ち日記

波待ち日記

 
 
 
 
この後、荏原のトヨペットディーラーでハイエースの定期点検

 

代車を借りて移動し、電通グランドで野球した。疲れた~。

 
波待ち日記

 
波待ち日記

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2009-11-03

帰省

テーマ:道程

いろいろあって・・・

 

「こんな時は、ご先祖様を大事にしよう。」

 

と、お墓のお掃除。

 

実家yossy家で建てたけど、今眠っているのは大黒家

 

じいちゃん、ばあちゃん、正月以来。

 

蚊に刺されながら、ちょっと気合い入れてブラシで掃除した。

「紫色」が好きだったばあちゃんにと、母親が花を選んだ。

 

 

波待ち日記

庭に大輪のバラが咲いていた。

 

 

波待ち日記
母親と墓参りの後、父親とひつまぶし

 

父親につきあい、人生で3回目ぐらいのゴルフ打ちっ放ししたりして。

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2009-09-29

名古屋を知らない

テーマ:道程

昭和区の川原病院というところで生まれた。植田で育ち、その後郊外

へ。ばあちゃんちは八事裏山の交差点。

 

お気に入りの服屋があり、カフェがあり、雑貨屋があり、飲み屋があっ

た。朝まで遊んだり、名駅の父親のオフィスに泊ったり。
 
 

・・・

 

東京と近郊の暮らしも、はや22年。

その間の名古屋を、今の名古屋を僕は知らない。 

 

ひとつひとつと、ページを逆にめくり、少しずつ、それを知る。

 

見知った街の、変わらないところと、変わってしまったところ。過去と現

在の間に、どんなことがあったのか。

 

 

東京生まれの友人は言う「故郷があっていいね」

 

故郷というルーツの、懐かしさと、せつなさ。


当時の僕は、「東京に生まれて東京で暮らしてる方がいいのでは?」

と返したが、今は「故郷があるのは悪くない」と思う。たとえ知らない街

になってしまっていても。

 

 
波待ち日記 波待ち日記

 
波待ち日記

縁あって訪れた、今の名古屋。

 

オアシスという、美しいが無機質な空間。

 

水面を透して見る、さびしそうな竜。

 

昔見たよりもセンチメンタルに映るテレビ塔。

 

夜はいっそう、知らない街に来たみたいだった。

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2006-12-31

もうひとつの再会

テーマ:道程

(昨日の続き)

 

原宿の表参道ヒルズが建っているところには、同潤会アパート

というアパート群があった。

 

その一本裏手にあったショップが「Sector(ゼクトア)」。

 

学生時代に音楽をやっていた僕は、パンキッシュでどこかおど

けた感じの服を、そこで買っていた。

店をやっているのは、黒の似合うケイコさん。そして、その旦那

が、デザイナーであるクリストファー=ネメス。かっこいい夫婦

だった。

 

ケイコさんに紹介されたのが、並木橋近くの「マッドギャラリー

というお店で、スーパー・ラヴァーズや、ヴィヴィアン・ウェスト

ウッドを扱っていた。

マッドギャラリーをやっていたのがBOYさん。彼には、ファッショ

ンの色々な知識や、流行物情報から競馬まで教わった。彼は、

渋谷ファイヤー通DJ’s Choiceというレコードショップも

開いていて、いつも落ち着いていて、クールな人だった。

 

高いブランドを着ることだけがかっこいいんじゃないんだ、ってこ

とを彼に教わった。こっそり無印良品の服を組み合わせて「今の

無印って、前にクー・ドゥ・ピエいたデザイナーがデザインしてる

んだよね」なんて、ボソッと言ったりして。

 

 

そのマッドギャラリーが、ある日閉鎖された。

やはり、携帯電話なんて無い時代。僕はBOYさんとのつながりを

失ってしまった。

 

 

そして、話はエイスケに戻る。

片貝で会ってから、僕はキラー通のエイスケのマンションに遊

びに行き、彼がやっている鉄鋼のオブジェなどを見せてもらった。

彼は、バイトをしながら造形のアーティストとして生きていたのだ。

 

その時、「最近面白いクラブとかバーとかある?」と尋ねた僕に

エイスケが言ったのが「バー青山」だった。

青山学院の裏、六本木通に面したコンクリートの壁に、ぽつん

と付いているドアの内部。

 

エイスケに教わってからしばらくして、僕はバー青山のドアを開け

た。そして、カウンターに行って見つけたのは・・・

 

 

BOYさんだった。

 

 

彼は、驚く風でもなく「面白い場所に関わっていれば、いつかは再

会すると思ってたよ」と、さらりと言ってのけた。やっぱりBOYさん

らしい。

 

僕はしばらくそのバーに通い、テイ=トーワU.F.Oヤベ氏と飲

んだ。

酔っ払った勢いで、かかっている曲に合わせて店にあるスタンドピ

アノを弾いていたので、「週に1回ぐらい弾きに来ないか?」と誘わ

れたりもしたが、断った。

 

 

バーから始まり、バーにつながる不思議な再会の物語。

今、彼らがどこでどうしているかは、分からなくなってしまったが、

いつか偶然に出会う予感がしている。

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2006-12-30

片貝の海の古い思い出・前編

テーマ:道程

学生の頃、日本のインディーズロックを良く聴いた。

GODFoolsTeardrops

 

そしてTeardropsのメンバーが出入りするという噂を聞いて、

原宿の端っこにあるWCというバーに通っていた。

東郷神社から外苑に向かう方向。ア・ストア・ロボットの裏手

の公園の近くだ。

 

暗い店内には、ヘヴィーなロックやプログレが流れ、テレビ

モニターには、洋画が流れていた。

 

今でも覚えているのは「スナックバー・ブタペスト」という色の

キツイ作品。退廃的で暴力的、そしてどこか悲哀感があった。

 

良い映画かどうかはもはや覚えていないが、とにかくカッコ

良かった。何かを深く味わうなんて、まだできない年齢で、

とにかくカッコいい感じというのが大切だった。

 

 

金が無い中、それでも月に2度ぐらい行っただろうか。

そこでバーテンをしていたのがエイスケ

真っ黒な長髪の彼エイスケは、とにかく年中タンクトップで過

ごし(店の外では知らないけど)、若いのに雰囲気があった。

 

半年ぐらいあけて久しぶりに行ったら、WCは劇的に、徹底的

に様変わりしていた。

カウンターの中には美人が2人。店内は明るくなり、ネクタイを

閉めた客が大きな声で話している。オーナーが変わったのか、

方針が変わったのか。

 

そしてエイスケは、いなかった。

 

 

誰に聞いたか忘れたが、とにかく原宿でエイスケがひとりで

バーをやっているという事を知った。名前は「ゴミ

WCの後はゴミかよ、と笑いながら、いいかげんな説明をもと

に探し回り、たどり着いた小さなバー。

 

名前は「五味」だった。後から人に聞いたんだけど、エイスケ

の伯父さんは写真家の五味彬http://gomi.digitalogue.com/

そう言われたら、五味エイスケがバーの名前を「五味」にする

のに不自然さは無い。

 

カウンターだけの「五味」に寄っては、ブラジル風の煮豆をつつ

きながら洋酒を飲んだ。たまにエイスケが作ったカレーを食わ

せてもらった。

レニー=クラヴィッツLet Love Ruleを初めて聴いたのも、

ここのカウンター。1人でドラムとベースとギターを録り、ヴォー

カル乗せるドレッドヘアーの天才。彼のヴォーカルは楽器その

ものだった。

ちょうどその頃僕はバンドのメンバーとなり、新宿のライブハウ

スに出ていたと思う。

 

何でもできる気がしていた。大してうまくないのにバンドに入り、

徹夜なんてへっちゃら。70度のラムを飲んだ気合で、横浜

でバイクで走ったこともある。

 

 

悲しい出来事や、忘れられない思い出もあったけど、学生時代

は時限タイマー付きのパーティー。僕も生活費を稼ぐあてを探

し、スーツに袖を通した。

 

そうしてるうちに「五味」は閉店し、携帯電話も無い世間の中で、

僕はまたエイスケを見失った。

 

 

 

最初に入った会社で親しくなったのは、成田に住むサーファー、

ツトムと、横浜のバイカー、ケンジ

28万でボロい4ドアのシトロエンを手に入れてから、僕はツトム

に千葉の波を教えてもらった。

そして、自然に片貝のビーチに行くことが多くなった。

 

一番南のテトラの端で入り、片貝の全体像も、漁港というポイン

トも知らない僕は、いつも海の家ニベヤの前に車を停めていた。


1993

 

その日、いつもの場所の波が良くなくて、ビーチ沿いをぶらぶら

と歩き、ふとひとりの男に目を留めた。

 

そこに、サーフボードを抱えたエイスケがいた。

 

 

(このエイスケとの再会は、もうひとりの男との再会を引き起こすことになる。)

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2006-04-22

死にそうになった話 本章3

テーマ:道程

「ここが駒沢病院ですが・・・」と言うタクシーの運ちゃんの言葉をさえぎって、「いいえ、もっと先のでっかい国立病院です!!」と突き進む。

 

「そこは国立第二ですけどねえ」・・・そう。電話を入れたのは駒沢病院。イメージしていたのは国立第二病院。そして国立大第二病院には電話など入れていない。

 

そして到着。

「そういう電話は受けていません」という冷たい対応をする時間外受付の人と押し問答の末、とにかく治療を受けることに。

 

救急外来の待合ソファーは、不安そうに待つ同伴者がポツポツと座っていた。

 

 

やがて呼ばれた僕は、診察ベッドで点滴を受けることに。自前の拡張剤は控えていたので、次第に呼吸がラクになっていく。

 

ゆとりが出てきた僕は、救急外来の様子を眺める。

怪我の処置を受ける子供、ベッドに横たえられたおばあさん。

 

点滴は、1時間はかかるだろう。

それまでには、時間がある。ちょっと眠ろうか・・・

でも、血管に空気が入ると死ぬって言うから、ちょっと注意しとかなきゃな。

 

・・・

 

そのうちに、ベッドのおばあさんに異変が起こった。どうも昏睡状態に陥ったようだ。

「○○さん!○○さん!聞こえますか!?」大きな声で呼びかける医師。「家族を呼んできて!」と言われたナースが待合室に走る。

幸いなことに意識が戻ったおばあさんは、そのままストレッチャーに乗せられて、集中治療室に行くことになった。集中治療室の準備を指示する医師、呼びかけ続ける医師。そして、おばあさん共に大半のスタッフが出口から出て行く。

 

あれ、さっきナースが「点滴、もうすぐですねー♪」って言ってなかったっけ?

 

点滴のバッグを見ると、ほぼ空っぽ。と、すぐにチューブの中を最後の液体が降りて来る。その上は空気

「看護婦さーん!!」

ナースが小走りでやってきて、チューブを指先でピタッとつまみ、液は止まった。途中にバルブも付いてるから空気が入ってくることなんて無いと思うけど、この時は心底怖かった。

  

そんなこんなで、ぜんそく(すでに肺炎)騒ぎは終了した。

 

 

ちなみに、国立第二まで付き添ってくれた人は、おばあさんの家族を呼びに出てきたナースの表情を見て勘違いし、またもや「死んだ?」と思ったそうだ。

 

 

次の年か、その次の年の冬、スキー場に向かう電車の中で肺炎になった僕は、雪山の医者に迷わずお願いした。

「点滴で願います。」

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2006-04-20

死にそうになった話 本章2

テーマ:道程

豪徳寺診療所のハカセが作った薬。

いろんな色が混ざった粉。1回分は結構な量。今では考えられないことだが、何が入っているか分からない。

 

僕が盗み見たのは、彼が様々な錠剤を白い陶器ですりつぶして混ぜ合わせる作業。それを、分けて紙に包んでいた。

 

夕食後に薬を飲んで、早めにベッドへ。確かこの日は土曜日だったと思う。

ぜんそくが出ているときは、寝転ぶよりも座っているほうが呼吸がラクなので、たたんだ布団にもたれかかる・・・

 

ぜんぜんラクになりまへん。

眠れまへん。

うとうとしては咳して起きる、を繰り返して、つらいまま日曜の朝を迎えた。

 

「こりゃいかん」と、救急診療のある「世田谷中央病院」へ行くことにした。開くことは開いていたが、当直の先生は「私は外科医で・・・」と自信無さ気だった。

 

ひととおり診察をした先生に「ハカセのクスリ」を見せると、「原型をとどめていないので、なんとも言えませんが、捨てたほうがいいですね」とのこと。昨日一日が無駄になったばかりか、症状を悪化させた気さえする。

 

あいかわらず自信の無い先生に「つらいので吸入機やってください!」と頼み込んだ。

15分ぐらいかけて、吸入を終えた僕は・・・

 

そのまま立てなくなった。

 

苦しくて自前の気管支拡張剤をやっていた僕は、どうもオーバードープになったらしい。僕は診察ベッドに横たえられて2時間余りを過ごした。


付き添ってくれた人は、診察室から現れた先生の表情を見て「死んだ?」と思った。しかも、横たわる僕の目は「昔飼っていたマルチーズが、誤って猫いらずを食べて、死んでいく時の目と同じだった」そうだ。

ヒドイことを言いやがる。

 

 

・・・

 

自宅に戻って安静。そして、ぜんぞくは夜になるとヒドくなる。

「今度は、大きな病院を!!」と、電話帳を調べて「駒沢病院」という駒沢公園の近くの病院に電話を入れてタクシーに乗った。

 

ただし、僕の思っていた「駒沢公園の近くの救急病院」は、「国立第二病院(現・国立病院東京医療センター)」であって「駒沢病院」ではない。勘違い。思い込み。

そのことを知らないまま、タクシーは国立第二病院・救急外来へと走る。

 

つづく。

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