ここはイラストレーター榎本よしたかの小説やエッセイを

紹介するブログです。

更新頻度は低めですが、どうぞごゆるりとお楽しみください。

感想などいただければ幸いです。



■日常をいろいろ描いたエッセイ。


  • インドカレーと忘れ物   new
  • とんぺい焼きと老人
  • 素敵な美容師さん
  • 贅沢な時間
  • タイ式マッサージ初体験記
  • 眠れぬ夜に思うこと。
  • ギターについて
  • 感情について
  • 大人について


    ■Yoshitaka's History

  • 第一章・夢に向かうまで  new

  • 第二章・イラストレーターと名乗ってみたけれど・・・  new

  • 第三章・イラストレーターとしての日々の始まり  new

  • 第四章・東京へ  new

  • 第五章・はじめての売り込み  new

  • 第六章・そして現在(執筆中)

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    外出から帰宅すると、きまってポストの中はチラシの山だ。鷲掴みにしてポスト脇のゴミ箱の前に立つ。一枚一枚、自分にとって有用か不要か見極めながら不要チラシを捨てていると、ふとはがきサイズの黄色いチラシが目にはいった。「インドラ三鷹南口店」と書かれている。インドラとはわりと近所にある、本場シェフによる本格インド料理が食べれる店だ。一度ランチセットを頼んだことがある。ナンとカレー、小さいサラダと少量の黄色ライスにラッシーがついて800円とお手ごろだった。しかもこのチラシを持参すると100円引きと書かれている。

    やや驚いたのはナンの大きさ(約50cm)だったが、もっと僕を喜ばせたのは食後のラッシーのうまさだった。ラッシーという飲み物を数年前、和歌山で初めて飲んだときの感想は、「なにこの水混ぜる割合まちがえた濃厚カルピス・・・」だったのだが、慣れればなかなかイケる。しかしインドラのラッシーのうまさはその想像を超えたところにあった。あのクリーミーな口ざわりに決して主張しすぎないあのほどよい甘さ。僕は小さいチラシをみながらランチセットを頼んだ際に口にした、あのラッシーを飲み終えた後の恍惚さを思い出していた。そして思った。

    「あれをまた飲みたい!」

    今夜の夕食はきまった。夜8時過ぎ、空腹を抱えた僕は再び家のドアを開け、鍵をかけ、それをコートのポケットに入れて階段を下りた。目的地はインドラ、我が家から約300mほど東方にあるインド料理屋だ。意気揚々と徒歩で向かう。口の中はすっかりインドカレーを受け入れる準備万端、今夜はそれ以外のメシなど考えられねぇぜと言わんばかりの心意気でインドラのドアを開く。

    「イラシャイマセー」

    インド人ウェイターの声が広いとはいえない店内に響く。先客が二人。あとはガランとした店内に、天井ちかく設置されたテレビがバラエティー特有の笑い声を発していた。まあ、平日だし、こんなもんかと思い、入り口近くの席に着くと、まもなくウェイターがお冷を持ってきた。

    全然関係ないが、食事の前に出るこの水のことを「お冷」というのにはこんな変わった由来があるらしい。
    文明開化の明治時代、外国人むけの西洋料理屋が日本にたくさん開店し、客として入ってきたイギリス人たちが給仕に向かって「Look here!(おーい、の意)」と呼ぶと、給仕が水を持って注文を聞きにくるというシステムを目の当たりにした日本人がそのまねをして、「ヒヤ(here)おくれ」というようになり、それに丁寧語の「お」をつけて「お冷」という呼び方が東京を中心に全国に広がったという話。、意外にも舶来モノの呼び方でしたというオチである。・・・ホントかどうかは神のみぞ知る、だが。

    お冷を置いたウェイターに注文を言う。ディナーセットはランチと違って二種類カレーが選べるらしい。僕は野菜カレーとマトンカレーにした。メニューをみてセット内容を確認する。あれ?なにか変だ。なにかが足りない。

    「あの、このセットにラッシーはつかないんですか?」

    「オキャクサン、チラシモッテマスカ?チラシアレバラッシーツキマス」

    「あ、はい。もってま・・・」

    しまった。忘れないように玄関の下駄箱の上に置いたまま、回収するのを忘れていた。チラシにはたしかに、ランチセットは100円引き、ディナーセットにはソフトドリンクのサービス、と書かれていた。

    「あ、忘れてきたみたいです・・・。家にはあるんですが」

    「ソウデスカ」

    ウェイターは厨房へと消える。うかつだった。なにやってんだか。このままではラッシーが飲めない。今宵のディナーはカレーよりむしろラッシーがメインだったというのに。
    自分の迂闊さに軽い自己嫌悪を覚えながらバラエティー番組をぼんやりと眺める。忘れ物が多い僕の人生はこういうミスの連続だったといっていい。あの時もそうだった。絶対忘れちゃいけないってわかってたのに忘れて、みんなに迷惑をかけて・・・あの時もそうだった。財布を忘れてレジで恥をかいて・・・。できれば心の金庫に硬くしまって何重にも鍵をかけ、永遠に封じ込めておきたい羞恥の記憶が次々に蘇り、自己嫌悪はその加速度を増す。今回のミスは取り返しがつかないことではない。メニューを見るとラッシーが単品で売られている。飲みたければ注文すればよい。しかし、それをすると負けのような気がする。そう、それは自分への敗北だ。

    ヒマそうに立っているウェイターに、僕は意を決して話しかけた。

    「あの、すみません。チラシ家にあるんです。家近いんで、取りに帰ってきます」

    ウェイターは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐ苦笑いの表情を浮かべ、

    「イイデスヨ、マッテマス」

    その表情に僕は羞恥心を刺激されたが、かまうことはない。今は自分に勝つか負けるかの瀬戸際なのだ。僕は急いで店のドアをあけ外に飛び出した。家までの距離300m。しかし徒歩がもどかしい。僕は走った。三鷹中央通りを超え、自宅へと一直線、久しぶりに走った。走る風が肌寒い。それもそのはずである。僕はコートを忘れていた。どんだけあわててたんだ自分。
    「あ、なにやってんだもう!」
    そう思ったが300mである。すぐつくだろうと思ってかまわず走り続けた。あの夏の日の忘れ物も、あの秋の日の忘れ物も、こんなに近く取りにゆける距離だったなら、どんなによかっただろう。自分を苦しめるのは、いつだって自分自身なのだ。自分の心のふとした隙間に、苦しみの源泉が湧き出ているものなのだ。そんなことを思いながら遮二無二走った。

    マンションへとたどり着いて二階へと階段を駆け上る。僕の息は相当切れていた。300mでコレである。42.195kmに挑戦しようものならば、10kmたらずで息絶える自信がある。さあ、いざ我が家のドアを開かん、そう思ったとき、

    「あ、鍵・・・」

    コートのポケットの中に、我が家の鍵はあった。そしてそのコートは、インドラというここから300m東方にあるインド料理屋にあるのである。めざす目標物(チラシ)は、目の前のドアのむこう数十cmのところにあることはわかっているが、どうしようもない。つまり僕は、この短時間の間に、三重の忘れ物をし、それらを取り戻すために行動すればするほど、ドツボにはまっていったのである。この瞬間、僕は自分が日本一の阿呆であることに、確信めいたものを感じた。立ち尽くす、という言葉は、この一瞬のためにある、とさえ思った。

    それから店に戻る足取りの重いこと重いこと。ああ僕はこの星空の下(その日はめずらしく三鷹の空に星が見えた)、寒風吹くなか上着もきずに一体なにをしているのだろう。まわりを見てもこんな薄着で外出している人はいない。けれども走って駆け抜けていく気力もない。ただとぼとぼとインドラを目指すその姿はいかにも力弱く、見果てぬガンダーラを求めて旅立った三蔵法師でも、もっと足取りは軽快だったと思われた。

    店のドアをあけた僕に、ウェイターが話しかける。

    「チラシ、アリマシタカ?」

    「あ、はい・・・あることはあるのですけど・・・ごにょごにょ・・・」

    口ごもる僕。この状況をどう説明すればいいのだ。一から説明したところで、彼にも僕にもなんのメリットもないように思われた。

    「チラシミセテクダサイ」

    「すみません、あったけど、もってこれなかったんです」

    「??」

    席に着くと既にディナーセットはテーブルに並べられていた。相変わらず大きなナンだ。ちぎってカレーをつけて口へと運ぶ。・・・・冷めている。どうやらずいぶん長いことテーブルの上に置かれていたらしい。ああもう、僕の馬鹿馬鹿。

    「オキャクサン、チラシナイト、ラッシーダセナイデス」

    「はい・・・しょうがないですね」

    とどめを刺すようにウェイターが言う。わかってるよ。だからあきらめて黙ってカレー食ってるんだよ。もうほっといてくれよ。

    ウェイターはまたヒマそうに立って天井ちかくのテレビを見ている。僕は次々にカレーを頬張った。冷たいナンにさめたカレー。だが不味くない。決して不味くは無かった。この店は、うまい。

    食事を終えかけたころ、僕の心は穏やかになっていた。うまいものを食うと人は穏やかになるのものだ、という当たり前のことを僕は改めて体感していた。人は、というより生きとし生けるものは、というほうが正しいかもしれない。人間だってアニマルなのだ。腹が減れば思考はネガティブになるし、満腹になれば満足するのだ。それでよいのだ。


    おもむろに近づいてきたウェイターが、トン、と僕の席にグラスを置いた。
    ラッシーが入っている。

    僕は見上げて彼の顔を見た。その瞬間彼は、

    パチッ!

    と、ウインクしたのである。

    無言だった。二人の間に言葉は無かった。だが、彼の目はこう語っていた。そして僕は心の耳でそれを聞いた。

    (お前、チラシみてウチきたんだろ?なにがあったかはしらねぇが、チラシもってこれないみたいだな?でもお前はチラシを持ってる。取りに帰ってしばらく戻ってこないくらいだからな。俺は信じるぜ。お前はチラシを持ってる。だからお前にはラッシーを飲む権利はあるんだぜ。だから遠慮なく飲みな。これはサービスなんかじゃあない。お前の『当然の権利』なんだ。だから礼にはおよばねぇ。俺はお前を信じる。お前にはこれを飲む『権利』があるってことをなッ!)

    「あ・・・ありがとうございます」

    胸に熱くこみあげてくるものを感じながら、僕は細いストローごしにラッシーを飲んだ。美味い。クリーミーで、それでいて程よく甘く・・・。

    飲み終えた僕はもう一度お礼を言って勘定を済まし、店を出た。ひねくれ者の僕は、帰り道にこんなことを考える。
    心に聞こえた声は、確かなものではない。僕の幻聴かもしれない。ただ単に、息を切らしながら一人で冷めたカレーを食べる僕に、なんとなく哀れみを感じて施しただけかもしれない。
    けれども、そんなことはどうでもいいのだ。たった一杯のラッシーが、美談につながることも、あって良いではないか。彼の善意を、僕は喜んだのだ。そうして満たされたのだ。それでよいのだ。

    そういい聞かそうとする僕は、ふと三鷹に住んでいたある作家のこんな川柳を思い出す。

    かりそめの
     ひとの情けの
      身にしみて
       まなこうるむも
        老いのはじめや



    ・・・やはり、僕は、ひねている。


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    三鷹駅北口徒歩一分の場所で鋭意営業中の、とある居酒屋でのお話。

    南口徒歩5分のマンションに住む僕が、あえて駅前数多くある居酒屋を越え、北口の居酒屋へと足を運んだのには理由があるのだが、ただ単にホットペッパーでこの店のとんぺい焼き(通常価格650円)が、今月に限り10円で販売、というクーポンの売り文句に惹かれたというだけの、さもしさに他ならぬ理由なので、もったいぶって話すほどのことでもない。

    「いらっしゃい!すみません、今カウンターしか開いてないんスけど!いいっすか?!」

    元気のいい店員の声と、盛り上がりを見せる客の声が頬和する店内に僕はいきなり圧倒された。外観のこじんまりとした印象からは想像できない店の明るい雰囲気。カウンター席に10人、4人がけのテーブル席が4つほどならんだ、ささやかな店内だが、それ故家庭的な空気を感じる。やや酔っ払いの声が喧しいが、悪くないと思った。

    メニューを見てビールを注文。いきなりとんぺい焼きを頼んではいかにも「それが目的」だ。ここは慎重に「マグロとアボガドのわさび醤油和え」あたりが無難だ。あとは本日お勧めの「牛レバ刺し」にも食指が伸びる。僕はカウンター越しの店員に注文した。

    「ぎゃはははは!!そんでようっ俺がようっあの時ようっ!!ぎゃははは!」

    背後にいる団体が五月蝿い。若者たちは元気がいいなまったく、と思いふと振り返ると中年の集まりだった。同窓会か何かであろうか。異様な盛り上がりを見せている。
    狭い店内の壁に掛けられた大型スクリーンには、いかりや長介が志村けんの頭をはたいている。だが、ドリフの音声は中年たちのはしゃぎ声でかき消されていた。まあ、この空気にもすぐなれるだろう。そう思ったとき、

    「お兄さん・・・」

    ビールジョッキを置いた僕に、一席あけて座っていたスーツ姿の老人が話しかけてきた。当然、知らない顔だ。白髪交じりでグレーの頭髪。顔が赤く、目がたれている。一見して三國連太郎を彷彿させる紳士だが、ひどく酩酊しているように見える。

    「あ、はい?」

    「お兄さん、私ぁさっきからお兄さんのことみてたけどね・・・」

    「あ、はい・・」

    「いや~・・・あんたいい男だ!目をみてわかった!」

    「あ、はあ・・・そうですか。どうもありがとうございます」

    ・・・こんな経験は初めてである。

    「私ぁこう見えても、公務員をしてましてね・・・いろんな人間をみてきたから、大抵の人間は一目でわかるんだ」

    こう見えても、というが、初見の僕にはむしろ公務員に見えた。老人の話は続く。

    「あんたの目は、できる男の目だ。あんたサラリーマンじゃないだろ?」

    アタリである。

    「はい、違います。自営業をしてます」

    「あんたの目は起業家の目だ・・・俺も起業家だからわかるんだ」

    起業家ではない。が、たしかに法人化をこのごろは考え始めているから、当たらずとも遠からじである。しかし、この老人、早速さっきの発言と矛盾している。

    「え、公務員じゃなかったんですか」

    「いや、公務員だったんだよ・・・もう定年になって、今63だから、3年前か。それから企業したんだ」

    「はあ、そうですか」

    「俺は仕事のできる人間なんだ。事業もうまくいってるんだ」

    「このご時世にうらやましいですね」

    「いっとくけどなぁ・・・武蔵野市長に意見できるのは、いまだに俺だけなんだ!OBの俺に若いやつらが頼ってくるんだよ。俺は若いやつらをかわいがってやってたからな・・・若いのに厳しい大人が多いが、ありゃあ馬鹿だ。若いのはかわいがらなきゃいけない。俺はその辺よくわかってたから、未だに慕われてるんだよ」

    人がよさそうに見えるから、嘘ではないかもしれない。が、たった今一人カウンター席で飲んでる老人に言われても説得力が心許ない。

    「はあ、そうですか。お優しい上司をされてたんでふね」

    アボガドを頬張りながら答える僕。話を聞きながらとんぺい焼きの注文のタイミングを計っていたが、カウンターに人がいない。通りかかった若い店員を呼びとめ、

    「すみません、とんぺい焼きひとつ」

    「はーい!ご注文いただきました!とんぺい焼きー!」

    原因不明の不安に襲われた僕は、去りかけた店員をさらに呼びとめ、

    「あの、これもってるんですけど、とんぺい焼きって10円になりますよね?」

    「あ、はーい。今月のサービス品なんですよー。クーポンお預かりしまーす」

    クーポンってすばらしいシステムだと思うのだが、提出するときなぜかこっ恥ずかしい。僕だけだろうか。この羞恥を味わうくらいなら、通常価格で快く飲んだほうがいいのではないかとさえ思われるときがある。ああ、しかし何故僕は今確認したのだろう。恥ずかしい。赤面してはいないだろうか。穴があったら入りたい。

    老人は、尚も僕につぶやく。

    「だからね、若い人は大切にしなきゃいけないんだよ。お兄さんもね、できる男だから、いずれは若いのを従えることになる。そのときにね、これだけは忘れないでほしいねぇ」

    「はあ、参考になります」

    果たしてそんな日が来るだろうか。こない気がする。僕は徒党を組みたくない。一人でいたい。一人でモノを作っていたい。法人化を検討しているのは、社会的な責任と信頼、それに節税のためだ。団体になり、組織化して、人間関係に悩みながらクリエイトするのはごめんだ。

    「この店のね、若い子ふたりいるでしょ。彼らもいい男たちでねぇ」

    「はあ、そうですねぇ」

    たしかに若い店員が元気よく働いているので、仕事振りを見ているだけで心地よい。

    「だが、小物だ。つまんねえやつらだ」

    「はあ・・・?」

    えーーー?!人を上げたり落としたり、忙しいじいさんだな。

    「お兄さん、結婚はしてないの?もうそういう歳でしょ?」

    「はあ・・・。まだです」

    「だめだよーー!!結婚は早くしないと!!」

    うるさいほっとけ。

    「お兄さん、いい男なんだからすぐできるって!今すぐしなさい!!」

    バンバンと肩をたたきにくる。間に一席あいていたはずなのに、いつの間にか隣に移動してきている。肩をたたく力が予想外に強い。あの、ちょっと、痛いんですけど。

    「結婚はねぇ、早くしたほうがいい。結婚してない男なんて信用されないよ?」

    そんな話はよく聞くけれど、僕はもっと違うところで信用されたい。

    「で・・・お兄さん、仕事なにやってんの?」

    「イラストレーターしてます」

    「なにそれ?」

    「絵を描く仕事です」

    「へーえ。で、何、会社員してんの?」

    ああ、こうして酔っ払いとの会話は堂々巡りになるんだろうか。

    「いえ、自営業で。フリーランスでやってます」

    カーーーーーーー!!!!フリーランスなんてダメだよーー!!!!お兄さん、それじゃ収入不安定じゃん!結婚できないよ!!!フリーランスはないよーーー!!!

    「はぁ・・・」

    老人の声がでかい。五月蝿い中年たちを抜いて店内に響き渡らんばかりの勢いだ。何かを察した店員がいつの間にか僕のそばにきて、申し訳なさそうに耳元でつぶやく。

    「お客さん・・・すみませんね・・・大丈夫ですか?」

    「あ、はい、大丈夫ですよ」

    と、作り笑いの僕。すかさずとんぺい焼きの残りを平らげる。

    「いや・・・あのね・・・ごめん、言い過ぎた。お兄さん、怒ってない?」

    「大丈夫です」

    「お兄さん、ごめん、俺トイレいってくるわ・・・」

    そう言ってカウンターを立つ老人は、思ったより小柄な人だった。

    食事を終えた僕も同じく席を立った。
    レジで清算していると、背後に立った老人がまた話しかけてくる。

    「へへ・・・トイレあいてなかった」

    「お先に失礼します。楽しかったです」

    「おう、ありがとな。ほんとごめんね」

    「いえ・・・」

    そう謝られると、なんだかこっちが申し訳ない気持ちになってくるから不思議だ。きっと、悪い人ではないのだろう。
    店を一歩出るとびゅうと寒風が頬を刺す。火照った顔に心地よい。
    徒歩で三鷹駅に向かいながら、フリーランスと告げたあとの老人のものすごい拒絶反応を思い出していた。長らく公務員を務めた老人からすると、フリーランス=収入不安定という図式が脳裏に焼きついているのかもしれない。今、僕はフリーランスで生きていけている。しかし、これがいつまで続くのか?違った形になることはあるのか?この先になにがあるのか?

    答えは、まだ無い。
    なんてことのない、残寒肌を刺す夜のお話。

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